死へのカウントダウン
7月1日
CT検査の結果をいつもと同じように三人で見つめる。先生はお兄ちゃんに隠すことなく事実をちゃんと伝える。それがお兄ちゃんの望みだったしこの病院の方針だから。だけど藤岡先生は90%をお兄ちゃんに伝え残りの10%は私だけに伝えてくれる、それが私の望みだったからだ。
残された時間を本人が知るべきなのか?奇跡を信じる心まで打ち砕いていいなんてない!だけど奇跡は多分起こらない。現実に向き合わなければならない。なら残された時間の使い道を知り、その短い時間をどう使うのかは本人が決めるべきなのではないだろうか?答えが出ないまま……
この日私達は死へのカウントダウンが開始されたことを確信した。肺の壁と胆のうの横に影ができている、そして肝臓のガンはさらに大きくなっていた。お兄ちゃんのガンは骨も食いつくし全ての機能を停止させようと猛烈な勢いで襲い掛かっていたのだった。
「先生、オレ頑張りますから!抗がん剤治療をお願いします」
「一之瀬さん…」
お兄ちゃんはどんなに辛くても生きようとしていた。弱音を吐かなかった。治ると信じてまた過酷な治療に挑戦しようとしている。そんなお兄ちゃんの必死の願いだったが、藤岡先生は最後まで首を縦にふってはくれなかった。
「状態が悪すぎます、今回は投与するわけにはいきません。次回に期待しましょう」
診察室を出るとき私は健太郎に目配せをした。その意味がわかった健太郎はドアを開けお兄ちゃんを促すようにして先に出た。最近は毎回のようにこの動作をする、さっしのいいお兄ちゃんが何も気づかないはずがない、だけどお兄ちゃんは私に一度たりとも「なんで残るのか」と聞いたことはなかった。
「兄は、兄に残された時間は……あと、どれくらいなんでしょうか」
「この夏を越える事は難しい段階にきました、進行が早すぎます」
「そう…ですか…」
崩れ落ちそうになる自分を必死に支えていると、先生が椅子を少しだけひいて私に近づき、今までで一番優しい微笑みを向けながら穏やかに切り出した。
「一之瀬さん、緩和ケアというのは御存じですか?」
「何となくですけど」
お兄ちゃんがガンになってから私は色々ネットで調べたりしていた。でも調べれば調べるほど「死」へのカウントダウンを読んでいるようで今ではもう何も見ていないし、病院内にある「ガン相談室」も利用していない。
緩和ケアのことは当然知っていた。いつかはくるであろうと予測していたこの瞬間だったが、いざ現実を突きつけられるとどうしていいかわからなくなり、私は下を向いたままだった。
「この病院の8階に病棟があります。緩和ケア部のドクターと会ってみませんか?」
(もうお兄ちゃんは治療もできないってこと?もう死ぬのを待つだけってこと?)
「少し考えさせてください」
緩和ケアというのは『医者から見放された人達がいる所』『生きる事を諦めた人がいる悲しい場所』と私は思っていた。お兄ちゃんはもう何をしても治らない、死を待つだけだと宣告されたも同じだ。
お兄ちゃんだって緩和ケアの存在は知ってるはずだ。どういう所か知ってるはずだ。
この半年お兄ちゃんをずっと見てきた。一緒にガンと闘ってきた。どんな時も前向きで頑張り屋で我慢強くて、生きるんだ!絶対に負けねーぞって頑張ってきたんだ。どんなに叩きのめされても、どん底に突き落とされてもお兄ちゃんは必死に立ち上がってきた。それを半年ずっと一緒に闘ってきた、みてきた。
なのにガンはそんなお兄ちゃんをことごとく叩きのめした。
(緩和ケアにいこうなんて、言えないよ)
でももう治療のすべがないとしたら?どんなに頑張ってもガンに勝てないんだとしたら?苦しんで苦しんで、痛くて苦しくて辛い日々を過ごさせるなら…
お兄ちゃんは多分、ガンに立ち向かう事で生きてると実感してるんだと思う。そうすることで何とか気力を保っているんだと思う。
(闘う事を止めた時、お兄ちゃんはどうなるんだろう)
お兄ちゃんに残された時間をどう過ごせばいい?
私達家族はどう向き合えばいい?
私は答えが出せないままだった。




