はじまり≪その2≫
ログハウスの初日は、疲れ果てていつの間にかソファーで終えていた。
今までとは違い、すーっと冷たくも新鮮な空気で目覚めた。
目が覚めてもすぐには立ち上がらず、身を沈ませるようにして深く呼吸した。
肺の奥まで、毛細血管の先の先まで酸素が入っていく。
頭が軽い。
「べス、おはよう」
しわがれた声で写真を撫でて、立ち上がった。
さ、今日から新しい日課を作ろうではないか、と鼻息でつぶやいて、入口に立った。
あの郵便配達の若者を見ることができないとなると、少々寂しい気もした。
だが、この日を待ちわびていた彼を振り返らせるものは、何一つとして街にはない。
「べス、ここはいいランチ場所になるぞ」
まずは玄関横の備え付けベンチに、セットとして小さな円卓を置いてみる。
「完璧だ。さ、次だ次!おまいさんの望み全部かなえてやるからな」
満足げにかわいらしい笑みを浮かべ、ニコラスはある紙を広げた。
くしゃくしゃになってはいるが、確かに彼女、べスの筆跡と絵で彩られている。
そこには赤いチェックマークが新しく加わっていく。
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「My wish list .≪私のしたいことリスト≫」
・昔、私の親戚が持っていた別荘のような、森林のログハウスに住みたい。
・ログハウスの前で、食事をしたい。
・読書をしたり、ただ目をつむって夕方までいろいろ感じたい。
・ニコラスと駆けた、森林にハイキングに行きたい。
・リスを飼ってみたい。
・朝、一緒に伸びをして、ホットミルクを飲んで、にっこりしたい。
・夜風にあたって、冷たくて優しい空気を感じたい。
・夜の鳥の声を聴いてみたい。
・一緒に走り回りたい。
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少し悲しそうな瞳が、めくっていく紙を追っていく。
ふと目についた。
「アルバスとニコラスと再び三人で笑いあいたい。」
アルバス。
記憶にない…。怪しげで、不安を誘う名前だが、思い出せない。
うきうきとした気持ちが、唐突に現れたこの一つの名前でかき乱されそうだ。
どうしても忘れてはいけない人。そんな気がふつふつと沸いてきて、不安感でいっぱいになった。
今までの涼しい風が、急に生々(なまなま)しく気持ちの悪い風になった。
「べス、俺は忘れっぽくなっただけか?どうしても、頭から出てこないんだ」
いつものように語り掛けても、案の定返事はない。
もう一度手紙を読み直した。
…ない。ない。思い出の一遍もかかれずに、名前だけがぽつりとあるだけだ。