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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

明日終わる世界、その前日

作者: 小町夏実

「アソコ、舐めてあげよっか?」


「……いいえ、結構です」


週末。終末。

口に出してしまえば区別の付かない言葉。


そのどちらの『しゅうまつ』も、今、目の前に。

ううん、目の前っていうか、今そこに私が居る感じ。


というか、たった今、ついつい断ってしまった

『陰部を舐めてあげようか』という問いも十分に終末感がある。


けれど、そんな些細な終末感なんて易々と多い尽くすような

そんな圧倒的な終末感が世界を覆っていた。濃厚に。


「……じゃあ、あたしのアソコ、舐めてみる?」


「……それはもっと、結構です」


……どっちかっていうと、今の言葉のほうが終末感があった。

まさか、舐めて貰うのを拒否したら、舐めてみるかだなんて。


正直に言えば――舐めて貰うっていうのは興味が無いことも無い。


今まで経験したことが無いし、きっと気持ちの良いことだろうし。

経験出来るなら経験しておきたいくらいのものだろうし。


だけど……こんなときにでも真面目ぶっている私は、

彼女が投げてくれた変化球をいともあっさりと打ち返した。


「えー、気持ち良いのにー」


「……舐めるのが、ですか? 舐められるのが、ですか?」


「どっちも」


「……さいですか」


「ヒポポタマスです」


「……それ、サイじゃなくてカバです」


「じゃあ、角取れたカバってことで」


「……まあ、良いですけど」


私と彼女、たったふたりだけの教室。

私の前の席に座って、椅子を跨いで私のほうに向いている顔。


視線を机の上の教科書に落としていても感じる彼女の視線。

やっと慣れてきた、少し頭がくらくらするような香水?の匂い。


いつもは席が離れていて気付かなかったけれど、

近くにいると結構、意識しなくても彼女を意識してしまうくらいの。


「ちょっと香水、キツい?」


「ええ、ちょっとキツいですね。有り体に言えば、若干不快なくらい」


「あっれー、良い匂いだと思うんだけどなぁ。嫌い? バニラの匂い」


「好きですけど……程度問題っていうの、あると思います。強過ぎです」


「あーねえ、どうせ最期だし、瓶の中身全部振りかけちゃってきたし」


「……でも、全部振り掛けるのは間違ってると思うんですけど。香水とかつけないので分かりかねますが」


「全部は自分でもどうかなーと思ったけど、勿体無いし?」


「まあ……慣れてきたから良いですけど」


「ならよしっ!!」


開け放たれた窓から吹き込んでくる風に乗せて、

なんとなく煙のような匂いが鼻を掠めていく。


そしてその風のすぐあとに戻ってくる強烈なバニラの匂い。

慣れたとはいえ、やっぱり一瞬だけ眉をしかめてしまうくらいの強さ。


さすがにいつもはこんなに強烈に匂いを撒き散らしてるわけでもなく、

今日だからこそ、こんなにバニラバニラしちゃってるようだった。


……彼女とこんな風に話すのも、今日だからこそ。


今日まで――ついさっきまではろくすっぽ会話もしたことがなかったし、

どこにでもよくある『仲が良くも悪くも無いクラスメイト』だった。


私はどちらかと大人しいグループに居たし、

彼女は結構賑やかなグループで、目立ってたり。


ともすれば対極に位置するような私と彼女、

だからなのか、距離感があるのに彼女の存在は気にはなっていた。


磁石はS極とN極が引き合うし、正反対だからかもしれない。

……U字磁石ならS極N極が並んでるけど、棒磁石の話ってことで。


だからといって話しかけるわけでもなく、

只々たまに視線の隅に彼女を捉えていただけ。


なんだけど、話してみると人懐っこくて良い人だなって。

こんなんだったらもっと早くから話しておけば良かった、なんて。


「あー、あたし、身体はすっごいバニラ臭いけど、アソコは良い匂いすると思うよ? 良い石鹸使ってるし」


「……そんな石鹸があるなんて私は初耳ですけど。でも、『じゃあ嗅いでみたい!』とはなりませんよね?」


「あれ? ならない? 多分凄い良い匂いなんだけどなー。他の人に嗅いで貰ったこと無いからわかんないけど」


「……私も他人のは嗅いだ事は無いですし、嗅がせた事もないです」


「へー。じゃあお互い嗅いだこと無い同士で――」


「……しませんよ。そもそも、そんなに仲良くないじゃないですか、私たち」


なんかもう、普段だったらあきれるような会話だらけ。


……普段じゃない今でも、ちょっと呆れたりしてる。

まあでも、話が途切れないのは悪い気はしない。気がする。


だけど、思い返してみても彼女は教室でこんな話、してたっけ?

そこまで品の無い話をしていたのを聞いたことが無い。気がする。


話題の歌手がどうのこうのとか、ファッションはどうだとか、

帰りに甘いものが食べたいとか、そんな話ばかりだった。気がする。


うん、気がする気がするで確信が持てないくらいの関係。

だから、実はこういう話をよくしていたとしても全然不思議じゃない。


そんなことを考えつつ教科書に目を落としながらも、

頭がくらりとするほどのバニラの匂いに集中力の殆どが持っていかれていた。


「勉強、あんまり進んでなくない?」


「ええ、進んでませんね。いつもの半分も集中出来てないです」


「いつも声掛けてもスルーしちゃうくらい集中してるもんねー」


「……えっ。私、そんなことしてました……? いつのことでしょう……」


「あ、あー、冗談!! 話しかけたこと無いし!!」


「……ヒポポタマスですか」


「それ、さいじゃなくてカバだよ」


「それでは、角の取れたサイってことで」


「おっ、デジャブ!? ループ!?」


「さあ、どっちでしょうね」


正直、勉強してるよりも彼女と話をしてるほうが楽しい。

それだけでも今日、ここに来て良かったと思えたりもする。


今日ここに来なかったら、彼女とこうも親しげに話すこともなかった。

他の生徒も来ていたら、ふたりきりで話すことなんてなかった。


『もっと前から』とか、そんなに長くない人生で何度かある。

けれど、今日は、ちょっとだけ強くそう思ってしまった。


もっと前から彼女と話す機会があったら、もっともっと楽しかったかも。

ああ、今思い返すと話しかけるタイミングは結構あったのかもしれない。


後悔と呼ぶには少しだけ足りない、

ああしておけば良かったなっていう感情。嫌いじゃない。


「それにしても、今日学校に来るなんて……ねー?」


「言いたいことは凄く分かります。けど、お互い様じゃないですか?」


「うんまあ、そう言われると物凄いその通りって感じなんだけど。家に居てもつまんないし。することもないし」


「友達とか、結構多い印象なんですけど……お友達は?」


「あー……わかんないけど多分元気なんじゃない?ケータイ繋がらなくなったし、わかんないけど」


「ケータイ繋がらないっていうの、今知りました……」


「あははっ。なんかいろいろ大変みたいだしねー。仕方無い仕方無い」


ケータイの話にもちょっと驚いたけれど、

すぐにまあそうかなと納得できてしまうような状況だったりする。


さすがにケータイが使えないと不便そうだなあと他人事のように思うのは、

家族からの連絡くらいにしか使わなかったからかもしれない。


一応友人と呼べるような人たちのアドレスやらも入ってはいたけど、

最初にちょっとやりとりをしただけであとはなくなったし。


まあでも、私はなくても困らない。

けど、彼女みたいな人間にとっては一大事かと思ってたのに、意外だ。


と、思ったけれど……仕方無いといいつつ、彼女はここにいる。

数日前までは賑やかだった、この教室に。


「……他に誰か……来ると良いですね。教室に」


「んー? 誰か来るかなぁ? 来ないんじゃないかなー。こんなときだし」


「でも、連絡を取る手段がなくなったらもしかしたら――」


「みんな他に優先したいこととか多分あると思うし。別に友達が冷たいって意味じゃないけど、優先度は低いと思うなー」


「……最期まで一緒に、みたいなものだと思ってました。友達って」


「まあ、今までめちゃくちゃ遊んだし、それで満足かなーあたしは。人にはそれぞれ、大事なものとかそういうのあるだろうし、わかんないけど」


「まあ……そうですね。大事なもの、ありますよね」


「あたしはともかく、なんで学校にー? 家で家族とーとかさー」


私の大事だったものは、なんだったんだろう。


家族はもちろん大事。大好きな家族は大事。父も母も大事。


だから、日中は家に居ないことにした。

それはちゃんと、両親にも伝えてあるし許可も取ってある。


大好きな両親だからこそ、ふたりだけの時間を。


学校に行くと伝えると不思議な表情をされたっけ。

それと、外出には十二分に気をつけるように言われたっけ。


……割とどうにでもなれ状態になっている人もいるし、

ちゃんと注意はしているから、怖い目にはあっていないけど。


実際のところ、ふたりきりにさせてあげたいんだったら、

別に自室にこもっていても良かったような気はする。


けど、私の意志として学校に行きたかった。来たかった。


誰が居るかなとか、そういうことを考えてなかったと思う。

ただ、私は、いつもの時間にいつものように、学校に。


うん、私は、なんでもない日常が好きだった。

地味で代わり映えのしない日常が。少し世界の様子が変わっても。


ちょっとだけいつもと違って見えたのは、

いつもの教室がなんだかすごく甘ったるくなっていたことだけ。


「――、という理由です。私にはこれが一番落ち着くから、かもしれません」


「おおーっ、なんかかっこいい!! 何気ない日常が大事!! 良い言葉だねー」


「……大事かどうかはともかく、好きです」


「と、そうするともしかして……あたし、邪魔だったかなー」


「いいえ? だって私の日常に、当たり前のように居ましたから」


「えー、そうだったー? そんな風には全然思えなかった!!」


うん、きっと誰も学校には居ないだろうとは思ったけど、

別に誰が居てほしいとかそういうのは考えなかった。考えてなかった。


だから、下駄箱でも他の子の靴なんて見向きもしなかったし、

だから、教室のドアを開けたときに誰に向けるともない挨拶をした。


教室に入る前から感じていた甘い匂いも気にも留めなかったし、

いざ教室に入ってからも1秒近く、気付かなかった。気付いていたのに。


いつもの窓際の席から、初めて私に向かって『おはよう』と言ってくれて――


「って、ホントは知ってたけどー。あたしのこと、たまに気にしてたの」


「……はい?」


……慣れてきたはずのバニラの香りが、急に強く香った。


「あたし、視線とかには敏感なほうだしー」


「……そう、なんですか?」


「ごめん……実は、全然敏感じゃない……」


「……それなら……もしかして……バレバレな感じでしたか、私」


「うん。最初はぼーっとしてるだけかと思ったけど。どう考えてもあたしのほう見てたし」


「……それは……本当に……失礼しました……本当に……」


さらに強烈に感じられるバニラの香り。

頭も身体もくらりとしてしまうくらいの、濃厚な甘い香り。


ああ、すごく恥ずかしい。


なんとなく憧れっていうか、私には無いものを持ってたから、

ついつい目で追ってしまっていたのは自覚がある。ありあり。


こっそり気付かれないように、たまに。

だから絶対にバレてないと思ってた。確実に。絶対。


ああ……恥ずかしい。なんか……世界の終わりなくらいに恥ずかしい。


「あははっ、赤くなってるー。別に良いけどさー。悪い意味で見られてるわけじゃなさそうだったし」


「……はい。ただ……なんとなく、良いなーって……すごく……」


「クラスで一番勉強出来るのにあたしを羨ましがるなんてー」


「……たぶん、また違う『良いなー』で……」


「そりゃ、光栄光栄。じゃあ、あたしも1つ恥ずかしいこと言おうっと」


「え、えーっと……どうぞ?」


……恥ずかしさとともに、ちょっと悪いなっていう罪悪感。

私が勝手に見て、勝手にバレちゃっただけなのに……。


なのに、私の恥ずかしさを帳消しにするかのように

彼女にまで恥ずかしいことを言わせることになるなんて……。


……なんか、ドキドキしてくる、かも。

どんな恥ずかしいことを話してくれるのかは分からないけど、ドキドキ。


……あんまりエッチな話とかは得意じゃないけど、

折角話をしてくれるなら、ここはちゃんと聞きたい。


でも……恋愛の話とかはなんかちょっとイヤかも。


バニラの香りに包まれながら彼女の言葉を待つ。


なるべく、心を落ち着けるように。

小さく気付かれないよう深呼吸をしながら。


「別にそんな深呼吸をするほどでもー」


「……聞こえないようにしたつもりなんですけど……」


「聞こえてないけど、なんとなく分かった。手も止まってるし」


「手が止まってるのは……ちょっと前からずっとですけど」


「あ、そうだっけ。えーっと恥ずかしい話だっけ」


「はい」


「あたし、チラチラ見られてたら、好きになったよ」


「……見られるのが、とかですか?」


「それは別に。今日も来てるかなーって思って学校来たし、居なくてがっかりしたけど、来てくれて嬉しかったし」


「……え、えーっと……え、ええっ?」


「見られてたら、あたしも気になって。多分、好き」


「…………」


「自分でもわかんないんだけど。多分」


「……で、でも」


「いろいろ考えることとかあるかもだけど、考えないほうがー」


「……あ、え、う……」


「だ、だから……だからアソコを舐めてとか舐めようかとか!?」


「あ、あははっ。断るでしょ、それは」


「……も、もちろんです。ですけど……」


「何か本で読んだんだけど、無理っぽい話を先にしてから、ちょっとOKっぽいこと頼むとOKされやすいって聞いてさー」


「……そ、それは……私も聞いたこと……あ、ありますけどっ!」


話が、転がり過ぎ。ころころころころ転がり過ぎ。

こんな風に転がっていくなんて思ってなくて、全然。


私にとっては、今がよっぽど日常じゃない。

日常のはずなのに日常じゃない。凄い……日常じゃない。


頭が回らなくて、何を言われるのか。どう答えよう。応えよう。


なんかいろいろ聞いちゃった。だから断れないかも。

さっきみたいに何バカなことを言ってると、断れないかも。


どうしよう。さっきよりすごいことお願いされたらどうしよう。


……でも、なんか言われたら言われたで良いかなって。どうしよう。


甘い香り。バニラの香り。ねっとり絡みつくような、甘い香り。


……バニラの香りって、こんなにドキドキする匂いだったっけ――


「あたしと」


「は、はい!?」


「あははっ、そんな風に構えられるとちょっと言い難いかも」


「え、えっ!? 構えていません! どうぞ!」


「んじゃ遠慮なく」


「ど、どうぞっ!!」


く、来る!! 明日来る終わりよりも先に、何か凄いのが!!


「……友達にー……友達からー、ってダメ?」


「……は、はいっ!?」


「……ホントはいろいろすっ飛ばして、関係進めたいんだけど。でも、友達から。これから、友達から始めたいなーって」


「……と、友達!? から!?」


「友達からー。折角話すようになったし、友達からー」


「よ、良いですけど……友達からって……もう友達な気が……」


「そう言われればそうだけど。改めてってことで」


「……じゃあ……はい、友達から……」


少しだけ拍子抜けした。


ううん、少しっていうか、大分。


何を言われるのかとか全然予想とかつかなかったけれど、

漠然ともっと凄いことを言われるんだろうとか勝手に思ってた。


けど、フタを開けてみると……可愛らしい話。


だから……彼女からすれば『恥ずかしい話』なのかも。


うん、同じクラスにいるけど彼女のことは殆ど知らない。

この教室を出てからのことなんて、全然知らない。


うん、じゃあやっぱり友達から。

最初は友達で、それからのことは分からないけど、友達から。


……にしても、『アソコ云々』から随分要求が下がったなぁ。

そんなこと言われなくても、全然友達からなら良かったのに。


とか思いつつ、そういう話をされちゃったからか、

なんとなく憧れ以上な感じで彼女を見てしまうような。


「よーし!! んじゃ、帰りにどっか寄って甘いものでも食べてく!?」


「あ、良いですね。良いですけど……お店、やってないような」


「あー……ま、まあほら、お金置いていけば勝手に持って行っても」


「別に良いと思いますけど……意外と、真面目なんですね」


「意外と!? あたしは真面目じゃないと思われてたー!?」


「……申し訳ありませんけど、多少。っていうか、大分」


「ま、まー!! 友達ってことで!」


「……はい」


明日、世界が終わる。今日はその前日。


比喩的な話なんかじゃなく、明日世界が終わってしまうらしい。

巨大な隕石が地球に衝突するとかなんとか、まるで映画のような終末。


そんな日常の終わりに、新しく始まろうとする日常。


思うところはいろいろある。

けど、何か全部ひっくるめて、まあ良いかなって思えた。


明日終わるなんて思えないほどに、

真っ直ぐ伸びていく昨日――さっきまでと少し変わった日常。


今日はこれから何をしよう。明日はどうすごそう。


少しだけ変わった日常に、期待とかそういうのも膨らむ。


そして、そこにプラスされるほんの少しの寂しさ。


あれ、バニラの香りって……こんなに甘くて悲しげだったっけ?

フリゲ用にと書き下ろしましたが、諸事情により文章のみでの公開となりました。

姉妹作『明日終わる世界、その前夜』も宜しくお願いします。

(サークルHP左部からDL可。フリーです。→http://natukon.sblo.jp/)

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