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ハザドの虎 漆黒の鉄騎サグサワル編  作者: モリタミヤジ
エピローグ
6/6

若き鷹は墜ちず

このお話でまずは一区切りです。

読んで下さった方、有難うございます~。


「今回の我々の任務は、国境であるオラービジットの森を抜けてディーラートの橋を制圧し、スヴァルト側の領土内に攻略拠点を設置することにありました」


 イクセンは起きているのか、眠っているのか、生きているのか、死んでいるのかも判然としないような老人たちを前に淡々と語り続けた。

 そこは軍事査問会議の議場であり、彼は自らの所属していた部隊の失態に対する説明を求められ、それについて一切の虚飾を交えぬようにと念を押された上で発言を許された。


「スヴァルトの兵士が迎撃に出ることは承知しておりましたので、それについては策を講じてありました。オラービジットでの乱戦の最中に別動隊を走らせ、後方に敵を追い込むための陣を敷きます。そうして敗走する敵を囲い込み、一網打尽にする作戦です。数の上では圧倒的に有利な戦場でしたので、これについては今でも失策ではなかったと考えております。なんの困難も無い作戦のはずだったのです」

「だが、失敗した」


 萎びてしまった果実のように皺だらけの議長が、侮蔑の響きを含む言葉をぶつけてきた。

 イクセンはこの上なく不愉快な気分にはさせられたものの、それを顔には一切出さずに静かに頷いて見せる。

 彼はそうした処世術も如才なく持ち合わせている青年だった。


「仰せの通りです。それについては弁明のしようもありません」

「ふむ、イクセン・ハイアート。その原因は何だと考えるね?」


 原因は何か?

 それこそが、イクセンの待ち構えていた質問である。

 答えは決まっているのだ。

 彼は自分の右手側に泰然とした様子で腰かけているかつての上官、バリラットを見やった。

 重厚な鎧を外し、軽装になったその姿は戦場で見るものよりもずっと縮んで見えたが、それでも体からは静かな気迫のようなものが漂っていた。

 両の目を閉じ、その口元は何かを観念したようにぎゅっと引き締められている。

 イクセンはひどく苛立ちを感じた。

 己の失態を棚にあげ、どこまでも軍人らしく、高潔であろうとするその姿勢に。

 オラービジットの森の中で、一人呆然と立ち尽くしていた姿はひどく惨めったらしく見えたというのに!

 出世の野望を諦めない、若き将校の腹は決まった。


「作戦は順調でした」

「君に落ち度は無いと?」

「はい」

「では、いったい何があったというのかね?」

「上官であるバリラット・ウズラ殿」


 彼はもうろくした老人たちにも分かりやすいように、本人を指差して見せた。

 バリラットは太い二の腕を組んだまま、微動だにしない。


「バリラット殿はガシアン随一の猛将として知られた男だ。その彼に、いったい何の落ち度があったというのだね?」

「血気に逸っての独断専行。報告によると、追い詰めた敵将へ一騎討ちを挑み、あえなく返り討ちにあったそうです。それにより我が栄光あるガシアン精兵部隊の混乱を引き起こしました。偉大な武将である彼が土をつけられたということは、兵士たちにとって想像を絶するショックだったのです。この方が猛将であることについてはもちろん疑う余地はありませんが、彼は先陣を仰せつかったことによって、異常な興奮状態にあったと私は考えています。それが、今回の作戦を失敗に導く直接的な原因になってしまったのは、誰の目にも明らかなのです」

「ふむ。すると、何かね?君はこの場を使って彼を弾劾しようというのかね?」

「そうなりますね」


 バリラットは苦い顔はそのままに、少し眉をしかめた。

 俺を弾劾する?

 この白面の美青年が自分を嫌っていることは知っていたが、まさかここまで恨まれていたとは!

 戦場を共にした者同士が、戦友と呼び合う時代はもう終わってしまったのだろうか?

 それとも、自分にそれほどの人望が備わっていないということだろうか?

 いずれにしても、バリラットはひどく物悲しい気持ちになった。


「彼にも聞こう。それが公平というものだ。バリラット、何か言うことはあるかね?」

「いいえ」


 個人的な感情はともかくとして、イクセンの語る言葉に嘘は無い。

 この期に及んで見苦しい言い訳を並べ立てたり、どこかに責任を転嫁するのは己の騎士としての誇りに大いに反する行為だと思われた。

 自分は一騎討ちに敗れたのだ。

 エルレイスにではなく、あの漆黒の騎兵に。

 戦わずして、敗れた。


「彼の申立てに相違ありません」

「ほう!申し開きも無いと?」

「ございません」


 ざわざわと議場にささやき声が飛び交った。

 その多くはなんと、とかむぅ、といった全く意味をなさない言葉であったが、中には慄きにも似たような呻き声や失望を強調する嘆息が含まれていた。

 皺だらけの老人の顔が奇怪に歪む。

 それはとうの昔に失った威光を存分に、自由に振りかざす機会を得た、審判者の喜悦に満ちていた。

狩るべき獲物を目の当たりにしたときの、狩猟者の愉悦。

 十年前にはこのさびれた一角も元老院という名の最高の法執行機関であったのだが、ガシアン国内で勃発した『三月革命』以来、その権威はほぼ完全に失墜した。

 ただ、革命後の国内の混乱を最小限に収めるための、現行政府との妥協点として設けられたのが、この査問委員会である。

 ここは軍部のクーデターにより実権を失い、委員会などという名ばかりの閑職へ追いやられた老人たちの、悲しい見栄と愚かしい自負の最後の拠り所であり、掃き溜めなのだ。

 そして今、この二人の将校は彼らの自尊心を満足させるための生贄に供されようとしていた。


「バリラット、貴殿はこの議会の意味をご存知かな?」

「存じておるつもりです」

「ならば、我々が貴殿の今後の身の処しようについてもある程度の権限を持っているのも理解出来ておるな?」

「はい。下される処罰がどのようなものであっても甘んじて受ける覚悟はできております」

「殊勝、殊勝。さて……」


 続いて、議長はイクセンへ視線を戻した。

 その眼には先程バリラットへ向けたものとは明らかに異質な光が宿っている。

 愉悦ではなく、憎悪。

 イクセンはそれを正面から受けとめながら、心の中では笑いだしそうなほど呆れかえっていた。

 詰まる所、この老人は嫉妬しているのだ。

 イクセンの持つ若さに。才能に。

 明晰な頭脳、冴える弁舌、前途ある未来といったもの、自分たちがとうの昔に失ってしまった、もしくははじめから持ち合わせていなかったものに羨望の眼差しを向けているのだ。


「イクセン・ハイアート。聞いたかね?この勇猛なる武将は今回の失態については一切の申し開きをしないと言う。それに比べて君は……」

「失礼しますぞ、お歴々」


 議長が、イクセンにとっては恐らく相当辛辣なものになるであろう言葉を吐こうとした時である。

 一人の男が議場の扉をバン、と勢いよく開け放ち、薄暗い室内に外界の光をもたらした。

 イクセンには、その光が自らに対する救いの光だということ、そして、それをもたらしたのが士官養成所の先輩であり旧友でもあるグレイン・ルフであることがすぐにわかった。

 グレインは躍るような足取りで議場を横断し、イクセンの前に立つ。

 彼は相変わらずハンサムな伊達男だった。

 つやつやとした黒髪はしっかりと後ろへ撫でつけてあり、男らしさを強調するために胸元を大きく開いたシャツからは引き締まった胸板が覗いている。

 ぴったりとした革のパンツは眩いほどの光沢があり、彼の召使によって非常に丁寧に手入れされているであろうことがうかがえた。

 そして、相変わらず、つんと鼻にくる異国の香水を大量に体にふりまいているようだ。


「よう。随分とこってり絞られているようじゃないか、友よ?」

「もうこれ以上は耐えられないというほどにね、グレイン。おっと、議長殿が青筋を立ててあなたを睨んでいらっしゃいますよ」


 グレインはおおっと、いかんと言いながら議長の方へ振り返って、うやうやしげに腰に下げた筒から一枚の羊皮紙を取り出した。

 それを、呆気にとられている老人たちにしっかりと広げて見せる。

 度の過ぎるロマンティストである彼らしく、その一挙手一投足が、大仰な、芝居じみたものであった。


「これはガシアン王国軍本部の第一級優先事項の令状であります、議長殿。そこから見えますかな?いやいや、読んで差し上げよう。えー、これによりますとイクセン・ハイアートは本日より私、ガシアン軍戦略監督部隊長グレイン・ルフの副官としての任務に就くよう指示が出ております」

「?」

「おや?呑み込めませんかな?つまり、イクセン・ハイアートはこの場にいる必要が無いということなのですよ」

「し、しかし……彼は今、ご覧の通り、ほれ、アレだ……」

「ははぁ、議長殿は軍部の指示にご不満がおありということですな?」


 当惑し、もごもごと呻く議長に対して、グレインは恫喝するような調子で語気を強めた。


「査問委員の方々は軍部の決定にご不満がおありということですな!」

「ま、まぁ、お待ちなさい、グレイン殿、私は何もそうは言っておらん。ただ、この国の定める法のよき理解者であり、執行者でありたいと常々願っているだけなのだ」

「それはなんとも殊勝な心がけですな。しかし、まぁ、彼には急用ができたので、これ以上この場にいさせることはできません。あとはそこに座ってらっしゃる猛将殿に対してその厳正なる法の力を執行なさってはいかがですかな?」


 そう言って、グレインはイクセンを目線で促し、さっさと議場から出て行ってしまった。

 イクセンも、なおも呻く老人たちへ一瞥をくれてやり、その後に続く。

 途中で彼は足を止めて、かつての上官であるバリラットを見た。

 その武将は先程と全く変わらない様子で腕を組んだまま、固く目を閉じている。

 それは周囲の成り行きをよそに、完全に自分の世界に閉じこもっているように見えた。


(ふん。どこまでも清廉な武将であろうとする、その態度が私は気に入らないのだ)


 惨めに命乞いをして見せれば、イクセンもあるいは彼を擁護したかもしれない。

 しかし、己の進退が問われる場において、自分一人が真の騎士であるかのごとく寡黙にして泰然と構える姿勢は、イクセンのようにプライドの高い人間の神経を逆なでするものに過ぎないのである。


(バリラット、老人どもの愚かしい自己陶酔に付き合ってやれ。そうして、時代の流れの隅で朽ち果てていくがいい)


 イクセンは過去の亡霊たちとその生贄を後ろに残して、足早に薄暗い議場から出ていった。

 議場のどよめきはなおも続いたが、議長がその場を鎮めるべく、歯の少なくなった口を開いた。


「静粛に!静粛に!では、気を取り直して、バリラット・ウズラの処分を決めようではないか。うん?」


 議長は、ぞっとするほど残酷な笑みを浮かべた。

 バリラットは、まるで現在のガシアンにおける権力の縮図を絵に描いたような、ことのなりゆきに笑い出しそうになったが、あくまでも厳然とした表情を崩さず、その沙汰を待つことにした。

 大いに結構。

 敗軍の将に、明るい未来は必要ない。




 外は日差しが強く、暗所から急に外界へ引き戻されたイクセンはその眩さに目を細めた。

 そうだ、もうすぐ、暦は夏になろうとしているのだ。


「かつての上官に随分と冷たいじゃないか?」


 廊下で待っていたグレインが、からかうように言った。


「可哀想に。バリラット殿にはもはや城内で会うこともないだろうな。何か思うところはあるか?」

「今の上官はあなたです、グレイン」

「冷たい奴だ。まぁ、お前のそういうところは嫌いじゃないがな」


 グレインが廊下から中庭を眺めると、その先には楽しそうに会話する二人の侍女がいた。

 彼はそれを、微笑ましげに見つめる。

 常にフェミニストであり、ロマンティストでありたいと願っている彼にとっては、世界中の女性が恋人なのだ。

 イクセンは咳払いをして、彼を現実の世界に引き戻した。


「彼はどうなるでしょうね。バリラット・ウズラは」

「俺はあの手の男は嫌いではないからな。いくつか根回しをして、極刑だけは免れるようにしてやろうと思うがね」

「お優しいことで」

「誇大妄想の老人たちに比べれば、遥かに使いようはあるさ。それよりも、お前の同期だったカーロ・ラストーのことは聞いたか?」

「どういったことでしょう?」

「なんでも、国境警備隊が領内を侵犯した他国の部隊を発見したそうだ。奴が出向いたのは南の方だから……イースアレン王国の偵察部隊かもな。意気揚々、『狩りに出てくる』と言っての御出陣だったぞ」

「ほう」

「これは外交上、イースアレンに貸しを作る好機になるかもしれん。先を越されるかもな?イクセン」

「さぁ、どうでしょうね」


 イクセンは興味なさげに首を振った。


「何事にも予想外というものはあるのです。私のようにね」

「そう、それがあるから戦場は怖いんだ。おっと、ついたぞイクセン。さぁ、ようこそ我が部隊へ」


 非常に勿体ぶる、芝居がかった動作で、グレインはゆっくりとその扉を開けていく。

 イクセンは未来への扉が少しずつ開いているような気がした。


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