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ハザドの虎 漆黒の鉄騎サグサワル編  作者: モリタミヤジ
漆黒の鉄騎 サグサワル
3/6

月下の剣閃

「たわけどもが!」


 大喝が、森の闇を揺らした。

 バリラットは精兵六騎を率いて森を駆ける途中、馬を止めて森の奥をうかがう兵団を見た。

 それを呼びつけ、問いただしてみると、敵将と思しき騎士を追撃中に、森から『漆黒の獣』が現れ、味方を一瞬で六人も薙ぎ払ったと言うのだ。

 怖気づいた兵たちは、追撃をためらい取り逃した――


「貴様ら、それでもガシアンの兵かッ!恥を知れッ!」


 報告に立った兵長を思いきり殴りつけると、バリラットはすぐさま兵の指さす方へ馬を走らせた。


(なんという無能で、無恥な……ええい、くそっ!平和ボケどもめ!)


 不甲斐ない部下たちへの怒りが収まらぬ一方で、未だ見ぬ強敵に対するほのかな期待も鎌首をもたげてきた。


(兵どもの話を信じるならば、脱兎の騎士はエルレイス……飛燕剣とやらか!)


 己が生粋の武人である、という自負の強いバリラットは、手練の敵将という存在に否応なく闘争心がかきたてられ、胸躍る。

 それが不謹慎だなどという自重の感情も一切湧かなかった。

 つい先日まで続いていた、永きに渡る太平の世。

 自分のような武人にとってはそれが生き地獄であるとさえ感じ、やるせない焦燥感が常に背筋を焦がしていた。

 ガシアンを軍事国家へと変革したクーデター「三月革命」にも彼は参加していたが、あれは戦いなどではなく、一方的な占領であった。

 擦り傷を作ったことさえなさそうな文官たちを剣で脅し、内政の実権を軍部が握っただけのことだ。

 あんなものはただの権力闘争に過ぎなかった。

 だが、バリラットは今、戦いが、戦場が欲しい。


 俺は闘争を求めているのだ!

 鋼のかち合う音!肉のぶつかる音!そして、誇り高き流血!


 焦燥にも似た飢餓感は今、戦場に荒々しく解き放たれ、かつてない昂揚を四肢にもたらしている。

 それは戦場以外では決して得られない崇高で、純粋な喜びだった。


(いいぞ、これが戦場だ!戦のみが武人の生きる世界なのだ!)


 気がつくと、バリラットは笑っていた。

 こんなにも、自分が戦いを欲していたとは!

 手綱を握る手にも、ぐっと力が籠る。

 馬が、それに応えるように速度を増した。


(エルレイスだろうが黒い獣だろうが俺の獲物だ!)


 森を疾走する視線の先に、木立が途切れ、開けた場所が見えた。

 高い茂みを飛び越え、宙に馬を躍らせる。


 と、その瞬間である。


 バリラットの耳は、スカッという小気味良い抜刀の音をとらえた。


(!?)


 聞き逃しても不思議は無いほど、微細な音。

 だが、次の瞬間には木々の合間から何かがごう、と唸りを上げて迫ってきた。

 それは触れた枝を切り落とし、木の葉を巻き上げ、こちらにまっすぐ飛んでくる。

 真空波だ!


「う、ぬ!」


 それをかわしたのは、ほとんど勘だった。

 飛燕剣を実際に目にしたことも無く、その間合いも威力も何一つとして情報を持っていない。

 しかし、今まさに、それが来ると直感した。

 バリラットは慌てて身をよじって馬首を巡らせ、その第一波を際どいところでかわした。


「いかん!散れ!」


 バリラットは後ろへ叫んだが、遅かった。


「ぅあ!?」


 彼の背後を併走してきた味方の騎士が、真空の刃を正面から受け、悲鳴をあげながら宙に仰け反る。

 バリラットはその凄絶な一閃に瞠目した。

 飛燕剣の噂は耳にしていたが、甲冑を着こんでいる兵士を吹き飛ばすほどの威力を想像だにしていなかったのである。

 到底、女の使う剣技とは思われなかった。


(なんたる豪技……!)


 だが、パニックに陥っている暇はない。

 彼はすぐに自分を現実へと引き戻す作業に取り掛かり、恐怖や動揺を理性のもとに無理やり押し込めてその支配下に置いた。


「待ち伏せていたか!飛燕剣のエルレイス!」


 己を鼓舞するように闇に向かって、吠えてみせた。

 バリラットも軍事大国ガシアンにおいて猛将と呼ばれた男である。

 飛燕剣の切れ味をしっかり確認すると、すぐさま口笛を吹き、駆け付けた五騎を散開させた。

 数の利がこちらにある以上は、それを生かさぬ手はない。

 周囲を囲む形で、何処かの木陰に潜むエルレイスを燻りだそうというのだ。


(この場で仕掛けてくるということは、馬を捨てた可能性もある……)


 とも、瞬時に考えた。

 しかし、奇襲は一度で終わりだ。

 起死回生の逆転劇など、この戦場のどこにも転がってはいない。

 バリラット自身も、自慢の武器である大斧を構え、飛燕剣の斬撃にすぐさま反応できるように小刻みに馬をステップさせながら、木立へ近付いていく。


「エルレイス・エッタール!我が名はバリラット・ウズラ、ガシアンの将なり!貴公に騎士の誇りあらば、出てまいれ!いざ、果たし合わん!」


 相手の反応を期待してのことではなかったが、それでも、これは大事な儀式であった。

 騎士の矜持。

 一騎打ちこそが、戦場の華であるのはいつの時代も同じだ。

 エルレイスがこれに応えないのならば、それでも構わなかった。

 そのときは臆病者と判断して、何の躊躇いも無く人海戦術を行使すればいい。

 追い詰めた獲物を数にあかせて追い込むという構図が気に入らないので、それについて自尊心との折り合いをつける必要があった。


(さて?どうする、エルレイス・エッタール……)


 すると、間を置かずに木立の蔭から一つの人影がすう、と歩み出て、彼の前に立った。


(ほう……)


 バリラットは息を呑んだ。

 風に揺れ、美しく光る銀髪。

 馬上の敵を見上げる、強い意志を秘めた濃い眉と切れ長の瞳。

 その凛とした佇まいに、初見のバリラットでさえも、この女がスヴァルトの勇将エルレイス・エッタールであることを確信した。

 彼女はすでに重い甲冑を捨て、帷子を縫い付けただけの布の服、あとは腰に剣を差しただけの軽装になっていた。


「ううむ……」


 バリラットはその美貌と、艶めかしい身体の曲線に思わず目を細めた。

 好色の気持ちからではない。

 このような女が、一騎打ちの申し出に応じたという事実に感心してのことだった。


「スヴァルトのエルレイス・エッタール殿。相違なきや?」

「いかにも」

「貴公も騎士。ならば、選ばれるがよろしかろう。この場にて我が軍に投降するか、祖国に忠義を立て、戦って果てるか」


 斧をエルレイスに向けて掲げてみせる。

 バリラットはあくまでも、礼を失さぬように努めた。

 目の前の女には、敵将をしてそうさせる威厳があるのだ。


「さあ、いかがするか?」

「生きて虜囚の辱めは受けぬ!」


 凛々しい声で、予想通りの答えが返ってきた。

 バリラットはにやりと笑った。


「その意気やよし!それでこそ噂に聞こえた姫将軍!いざ、立ち合わん!!」

「おうっ!」


 古めかしい儀礼は終わり、戦いのときが訪れた。

 緊張感が、場を支配する。

 互いに間を計りながら、じっと構えた。

 エルレイスは、まずは相手を馬上から引き摺り下ろすことを考えていた。

 馬上の敵に剣を打ち込むのは至難の業であり、機動力の面でもこちらが相当な不利となる。

 何よりも、女の細腕でこの大男に対抗するにはスピードしかない。

 そのためには、馬は大きな障害なのだ。


(よし!)


 エルレイスが先に動いた。

 素早く屈みこんで、抜刀する。

 凄絶な刃風が――飛燕剣が地表を薙いだ。


「馬の脚を狙うか?飛燕剣!見え透いた手だ」


 バリラットはあくまで冷静だった。

 手綱を器用に操り、馬を宙に躍らせた。

 そのまま、女の細身を馬の脚で力いっぱい踏みしだくつもりである。

 かわしたところで、大斧の一撃が待っている。

 だが、エルレイスはその隙を待っていた。

 抜刀の凄まじい遠心力を利用して、身体を捻り、勢いを乗せて、手にした鞘を思い切りバリラットの馬に向かって投げつけたのである。

 矢のように放たれた鉄芯入りの鞘は、風を裂く音を立てながら馬をめがけて飛んでいく。


「なッ!?」


 これには、バリラットも完全に虚を突かれた。

 馬は為す術もなく、投げつけられた鞘に眉間を打ち抜かれ、宙でもんどりうった。


(ここだ!)


 エルレイスは素早くその落下点に駆け寄ると、驚愕に目を見開くバリラットに向けて裂帛の気合いと共に渾身の一刀を振り下ろした。

 納刀しなければ飛燕剣は使えないが、それに勝るとも劣らぬ勢いをつけた一撃だ。


「はあ!」

「くぬッ!」


 バリラットは体勢こそ崩しはしたが、器用に空中で大斧を引き寄せ、エルレイスの強襲を何とか受け止めた。

 しかし、その強烈な一刀に吹き飛ばされ、熊のような巨体が無様に地面を転がった。


「てぃやっ!」

「オオッ!?」


 畳みかけるように走り寄るエルレイスの剣が、再び銀光と共にバリラットに向けて閃いた。

 森の暗がりに高い金属音が鳴り響く。

 その一閃も斧を盾にしてかろうじて防いだバリラットは、もう一回転して体を起こし、立て直す。

 よし、持ちこたえたぞ!

 バリラットはここから反撃に転じるために、腰を落として構えた。

 互いの刃が、幾度も宙に火花を散らして交わった。


「んぬ、ォォォォッ!」

「くっ……!」


 しかし、そこは男と女である。

 真正面からの打ち合いでは、バリラットに分があった。

 その巨体と大斧から繰り出される打ち込みは、細腕のエルレイスを圧倒し、やがて大きくのけ反らせるようになった。


「りぁッ!!」


 バリラットは大きく振りかぶり、力いっぱい大斧をエルレイスの剣にぶち当てた。

 エルレイスの体は吹き飛ばされ、大樹に激突した。


「かはっ……!」


 体中の骨が軋んだような衝撃!

 足から力が抜け、そのまま地に手と膝をつき、眼前に迫る猛将を見上げた。

 脳が揺らされたせいで、視界も歪む。

 世界が二重になって見える。

 バリラットは再び、大斧を力一杯振り下ろした。


「く!」


 エルレイスは前転し、かろうじてその猛撃をかわし、立ち上がった。

 少しふらついたが、大地に足を突き刺すようにして踏ん張り、再び、剣を構え直す。

 しかし、そこで初めて、自分の剣先が折れて無くなっていることに気付いた。

 先程吹き飛ばされた時の、強烈な接触で叩き折られたのだ。

 バリラットはそれを見て、にやりと笑った。

 それは完全に、勝負の行方を確信した者の浮かべる笑み。

 勝者の笑みだ。


「もはや決着は火を見るより明らかだ。エルレイス、悪いようにはせん、大人しく投降しろ。女の身ながらによくぞ戦った。ここでお前を大斧の錆にしてしまうにはあまりにも惜しい」

「……」

「返答や、いかに!」

「……心せわしき人。私の剣は折れても、まだ心は折れてはいない」

「ならば、力尽くになる!」


 バリラットはぴい、と指笛を吹いた。

 先程散開させ、森に潜ませていたガシアン騎士の全員が固唾を呑んで今の決闘を見守っていたはずだ。

 そして、それは終わった。

 バリラット・ウズラの勝利をもって!

 後の仕事はエルレイスを生け捕ることだけだった。

 さあ、全員出てこい。ただし、丁重に扱え。傷などつけるなよ。

 しかし――


(……?)


 もう一度吹いてみる。

 だが、夜の森はしん、と静まり返り、誰も姿を現さなかった。


「どうした!?誰ぞある!」


 たまらず叫んだ、その時である。

 バリラットの背後の森が揺れた。


「む!伏兵か!?」


 振り返ったバリラットは息を呑んだ。

 森を揺らして躍り出たのは、並みの馬の2倍はあろうかという漆黒の巨馬。

 そして、それに跨った巨躯の男は、もう一頭の馬を引いている。

 その馬は紛れもなく、バリラットが率いてきた騎士の乗馬であった。

 バリラットには、容易に理解できた。

 この巨馬が、先刻、兵士隊が話していた『漆黒の獣』の正体だということ。

 そして、それに跨っている男が、バリラットの連れてきた精鋭ぞろいの騎馬隊をすでに一人で全滅させたということを。

 それは、彼の背中に背負われたとてつもなく巨大な鉄塊が血を滴らせていることでもすぐ分かる。


「サグサワル!」

「これに乗りなさい、長居は無用だ」


 サグサワルは引いてきた馬にエルレイスを乗せ、鞭を入れた。

 エルレイスを乗せた馬は、疾風のように森を駆けて行った。


「うぬ!」


 バリラットはそれを逃すまいと、倒れている自分の馬に駆け寄った。

 だが、それをサグサワルの乗った巨馬が回り込み、阻む。


「貴様!何者だ!」

「スヴァルトの傭兵だ」


 サグサワルの鋭い視線が、ガシアンの猛将を射抜く。

 それは必殺の光を放つ鷹の目のようだった。


(ぬ、く……こやつ!)


 バリラットは、かつて感じたことのない戦慄と畏怖が、己の背筋を這いまわるのを感じた。

 目の前の、刃さえ交えていない相手に対してである。

 それはかつて無いことであった。


「この場はこれにて失礼する。決着はまた、何処かの戦場にて」


 サグサワルは馬に鞭を入れ、エルレイスの後を追って消えた。

 その場には、バリラットだけが残された。


(た、立ち合っていれば負けていた……何者だ、あれは……)


 バリラットは大きく、溜めていた息を吐きだす。

 額を拭うと、びっしょりと汗をかいていた。

 ガシアンの猛将はもう二人を追う気力も失せ、その場に立ち尽くすのみであった。

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