一日目 『決意』
一日目
必要最低限の家具とベッドだけが置かれた部屋で、携帯のアラームが鳴る。はじめは反射的にアラームを止めた。はっきりしない意識と軽い頭痛、ゆっくりと体を起こし重いまぶたを持ち上げると、見覚えの無い風景がある。
『……ここ、どこ?』
窓一つ無い部屋を見回しながら誰にとも無く呟いた後、懸命に状況の把握を試みる。
部屋は全体的に真新しい作りで綺麗に掃除されていた。床はツルツルに磨き上げられている。病院などでよく見るタイプの床だ。はじめの視線が一点に注がれる。
出入り口と思われる窪んだ壁、中心に割れ目が見える。慎重にベッドから降りて壁まで歩いて行く。少し足元がふらつくがすぐに平気になった。壁を手で触って確認すると、スライド式のドアになっていると解る。しかし取っ手はどこにも無い。
代わりにドアの横の壁で赤く光る何かの装置とインターホンがあった、手の中の携帯も同じ色に光っている。
はじめは何回かインターホンに呼び掛けたが返事は無かった。これ以上の呼び掛けをあきらめ、ドアに寄りかかりながら、もう一度部屋全体を見てみる。ドア以外は特に変わった様子は無く、どこにでもある1kタイプの部屋だ。
冷静に思考しようとするが、うまく考えがまとまらなかった。首に打たれた薬のなんらかの副作用だろうかと首スジを触ってみたが、痛みは感じ無い。指先で刺された跡を探してみるが、よく解らなかった。
突然、携帯にメールの着信がある。
携帯を手に取りメールを開くと同時に部屋の一切の明かりが消えた。
『うわっ』
驚いたはじめは携帯を床に落しそうになるが、間一髪でそれを防いだ。携帯を必死に両手で抱えながら辺りを見回すと、部屋全体がほとんど完全な闇に包まれていた。閉鎖された空間で光を奪われると人はあらゆる感覚がズレて行く。さっきまで自分が横たわっていた数歩先にある筈のベットでさえどこにあるか解らない。距離感、方向感覚が奪われてしまうからだ。はじめはまるで自分がいきなり宇宙の真ん中に放り出された気分になった。知覚できないなら世界はその存在さえ疑わしいものになる。勿論はじめは床の上に立っていたし、ドアに寄りかかっていたから、どうにか冷静になろうと試みる事ができた。
もう一度辺りを見回す。さっきより暗闇に目が慣れていたので、暗闇にむらがある事に気が付いた。どこからか光が漏れている。答えはすぐに解った。光ははじめの両手の中から漏れていたのだ。
部屋に残された光は携帯のわずかな明かりだけだった。携帯で部屋の中を照らし、どうにかベッドまでたどり着くとほんの少しだけ安心できた。直後、はじめの意識は必然的に携帯のみに注がれた。
携帯には注意事項と書かれた箇条書きの文字が液晶に映る
『KYOUKAI注意事項』
一つ 携帯は本人しか使えない
一つ 部屋のカギは携帯に二つまで
一つ 質問は一人三つまで
『KYOUKAIからの約束』
一つ 公平である事
一つ 選択の自由
一つ 有意義である事
『ARE YOU READAY? YES OR NO』
『どういう事だよ……』
インターネットの質問と同様にメールの最後が選択するようになっている。
戸惑いながらも『NO』を選択する。部屋に明かりが戻り、はじめは心の底から安堵のため息を吐く。
明るくなった部屋はより鮮明に見えた。明かりがあるうちにと部屋の状況を再度調べた。必要なものはほとんど揃っていたが。食料は無い。冷蔵庫まであるのに中身は無かった。少しだけ落ち着いたはじめの頭脳はその様子を情報として冷静に処理してゆく。しばらくすると自分の置かれた状況に結論を出す。それは決して楽観的な結論ではなかった。
その部屋は、あの首を刺された女性の部屋と全く同じ間取りで家具もまったく同じだったからだった。
時間は粛々と過ぎている。
そろそろ三度目のメールが送られて来る時間になる。はじめは携帯の時間をチェックしながら冷静に考えている。
いや、正確には彼の理性の半分は戸惑っていた。この三時間の自分の行動に非常に驚いていたのである。
一度目のメールに『NO』と返信した後、はじめは携帯を片手に時間を確認しながら、次の接触を待った。きっかり一時間後にメールは届いた。一度目と同様に部屋の明かりが消えるのを確認し、二度目のメールにも『NO』を選択した後、流しに置いてあったマグカップを手に取る。
そのマグカップを二度三度空中に放って重さを確認すると、無造作に靴下を脱ぎ、その中に入れた。簡単な武器を作ったのだ。
はじめは自分の行動が不思議であった。
元々学校の勉強を難しいと感じた事は無く、有名な進学校でもそれは変わらなかった。あの事が無ければ今も成績は優秀な良い生徒あった自信はある。だから、自分がこれ程攻撃的な人間である事に驚いていたのだ。
それでも自分の中にある確信を無視する事は出来ない。
部屋の間取りの事や、あの女性の映像の事もそうだが、彼がより重要だと感じたのは携帯のハイテクであり、時間の規則性であった。
自分を誘拐した(あくまではじめの推測だが)何者かの実力はそこかしこにありありと見て取れる。そう考えると喉が焼け付くように渇いた。
洗面台の蛇口から水が出ることは確認していたが、「飲み水はペットボトルに入っているものだ」という概念から抜け出せずに躊躇している。
冷蔵庫の中身が無い事を確認した後、「冷蔵庫の必要性が無い」と腹を立てた自分。怒りは誰にも伝わりはしない。
はじめはそんな自分を滑稽に思う。
手製の武器を触りながら、少し考えこんだ後、携帯の時間を見る。
二分後に三度目のメールが送られてくる事を確認した後、洗面台の蛇口をひねり、流れてくる水を思い切り飲んだ。
『……美味い』
はじめは新鮮な驚きを丁寧に味わい、思わず漏れ出た満足に納得し、一つの決心をする。