パンドラの箱
ゴトン、ゴトン・・・
揺れる。揺れる。馬車が揺れる。
私は売られた。
愛する者を奪われて、
言われなき罪を擦り付けられて、
何もかもを失って、
そして、奴隷として売られた。
「(どこに行くの・・・私はどこに・・・?)」
返って来る筈のない問いを、虚空に投げる。
「ウフ、アハハ・・・」
それが自分でも滑稽で、鎖が繋がれた両手が顔を覆った。
答えが返って来た所で、何になる。
何処に行こうが、戻れない事は自明なのだ。
もう、あの日には・・・
ガタン!
「あら・・・?」
そこまで思い詰めたところで、馬車が急停止する。
目的地に着いたのだろうか。
「(いいえ・・・)」
直後に聞こえた刃のかち合う音と悲鳴の連鎖が、その考えを否定した。
襲われている、この馬車が。
「フフ、フフフ・・・」
そんな状況で、彼女―エルフィール・ノキアは笑っていた。
自分の境遇が変わるなら、何が起ころうとも彼女にとっては幸いだった。
シン・・・
やがて争いの音は止み、静寂と鉄の匂いが馬車を包んでいった。
***
ドドッ、ドドッ・・・!
草原を、馬に跨った青年が駆けていく。
マルク・フォルツァ。それが彼の名前である。
「そらっ!」
掛け声と共に、彼はスピードを上げた。
ブワッ!
風を受けた彼のブロンドが、一斉に後ろへと棚引く。
どこかに急いでいる訳ではない。ただそうやって走るのが、彼は好きなのだ。
走っている間は一人で自分の世界に浸っていられるからだ。
「ん?」
そこへ、ノイズが飛び込んで来る。
「何だあれは・・・?」
草原の真っ只中で、馬車が一台止まっている。それだけでも十分怪しいのだが、
「・・・この臭いは!」
直後に風に乗って鼻腔を突いた鉄の臭い。それが只ならぬ様子を伝えてきた。
異変を感じる方角へ、馬を走らせる。
「マヂかよ・・・」
現場に駆け付けて、一番最初に出た言葉はそれだった。
そこに広がっていたのは文字通りの惨劇。血だまりがあちこちに出来、その中に死体やら誰のか分からない身体のパーツやらが浸されていた。
「これは、襲われたのか・・・」
転がった死体から判断する。恐らく襲撃者達と相討ちになる形だったのだろう。
「とりあえず街に戻って騎士団に・・・」
そこまで言い掛けて、マルクは異変に気が付く。
ガタ・・・
僅か。僅かではあるが、馬車の荷台が動いたのだ。幕で覆われている為中は確認できないが、
「(誰かが、いる・・・!)」
それはほぼ間違いない様子だった。
スラッ・・・
腰の剣を抜くと、馬車の後ろ側に回る。中にいるのは襲撃した側か、それともされた側か。
「・・・」
マルクは暫く様子を見る。そして、
「うらぁあ!」
幕を切り裂きながら、荷台へと突入した。
そんな彼を出迎えたのは。迎え撃つ刃でも、助けを喜ぶ声でもなく、
「・・・どなた、ですの?」
どこか挑発的な笑顔を浮かべた少女だった。ウェーブのかかったショートのブロンドが、荷台に差し込む光を反射して、怪しい光を放つ。身に纏ったゴシックロリータのドレスが、怪しさを上塗りしていた。
「・・・」
「・・・」
暫しの沈黙。
「・・・マルク・フォルツァ」
それを破ったのはマルクの方だった。
「・・・お前は?」
「・・・」
少女は少し考えると、
「エルフィール・ノキア」
その名を、答えた。
「エリーと呼んでもよろしくてよ」
ジャラ・・・
そして鎖を繋がれた手を、マルクに伸ばした。
***
王都、マラッカ。世界でも有数の賑わいを見せる都市。ここの中心部にフォルツァ家が居を構えている。
「それでは、またの」
その家の正面玄関から、一人の老人が四人の騎士に囲まれて出てくる。
その後から小柄な少女が出てくる。
「はい、これからもフォルツァ家を何卒よろしくお願いいたします」
そして深々と頭を下げながら、恭しく言葉を述べる。水色の長い髪が、後を追って地面を向いた。
「ふぉふぉふぉ。そんな堅苦しくせずとも大丈夫じゃよ。儂にとって君は孫娘のようなものだからの。・・・君は有望だ。頑張ってお父様のような立派な人物になりなさい」
優しい笑顔を浮かべながら、ポンポンと彼女の頭に触れる。少女は何処か嬉しいような恥ずかしいような、複雑な表情を浮かべている。
「陛下・・・そろそろお時間が・・・」
騎士の一人が耳打ちすると、「そうか」と呟き、
「それではお暇するかの。フランや、何かあればまた儂に相談しなさい」
少女―フラン・フォルツァに背を向け、正門前に止められた馬車に向けて歩き出した。
「はい、ありがとうございます」
背を向け去っていく彼―ニュルタム王に心からの尊敬を込めて、フランはもう一度深々と頭を下げた。
ガタン・・・
そして二頭の馬に引かれた馬車は王宮に向けてゆっくりと動き出す。
「ん?」
そこで、馬を操る騎士が何かを見つける。
「何か?」
隣でもう一頭の馬を操る騎士が訝る。
「あれは・・・」
「・・・マルク・フォルツァ様だな」
「いや、そっちじゃない。マルク様の後ろに・・・」
「あれは・・・女?」
ヒュォ・・・
そして彼等はすれ違う。
「「・・・!」」
その時二人はその少女から何かを感じた。それが何なのか、善のものなのか悪のものなのかは分からない。強者から感じるプレッシャーのようなものでもあれば、弱者から滲みだす卑屈な感情のようでもあった。
「・・・どうする?」
「気にはなるが・・・わざわざ引き返す程のものでもあるまい。それにあの館には・・・」
「そうだな、あのメイドがいるからな」
取り敢えずは、手を出さない。彼等はそう判断した。
***
「ただいまーっと」
正門を馬に乗ったまま潜り、マルクは正面玄関までそのまま走る。
「お帰りなさい、お兄様。たった今陛下が・・・」
帰宅した兄を出迎えかけて、フランは言葉を止める。彼女の気を引いたのは他でもない、兄が連れ帰った見知らぬ女だ。
「お兄様、そちらの方は・・・?」
「ん、ああちょっとな」
露骨に適当な返事が兄から返って来る。
「・・・」
少し不満そうな顔をする妹に気が付く事もなく、マルクはエリーを馬から降ろす。
「あ、それよりもだフラン。この事、ルフィヤには内緒な」
「でもお兄様・・・」
「アイツに知られると色々と面倒だし」
「でもお兄様・・・」
「いいじゃねぇか堅い事言わないでさ、な?」
「でも・・・」
そっと、フランがマルクの後ろを指差す。
「え?」
果たして彼の後ろには、
「何が秘密なのでしょうかマルク様?」
フォルツァ家メイド長兼フラン・フォルツァ専属メイド、ルフィヤ・ディナールが立っていた。
思わず背筋が伸びてしまう鋭い声。邪魔になるからとショートに切られた髪。日を反射して光る眼鏡、その奥から光る眼光。一部の隙も見せぬ佇まい。
それら全てが、彼女に『完璧』の二文字を与えていた。
「や、それはその・・・」
しどろもどろしながら、マルクは何とか誤魔化そうとする。もう無理ではあるが。
「お答えになられないのであれば、こちらから質問を重ねさせて頂きますね。そちらの女性はどちらのお方でしょうか」
「えーっと、それはだな・・・」
答えに窮したその時、
「(そうだ!)」
マルクが妙案を思いつく。
「コイツは新しいメイドだ。俺が今日雇ったんだ」
「!?」
エリーが驚きの顔を作る。しかしそんな事には構わず、マルクは話し続ける。
「俺の専属メイドにさせてほしい」
我ながら妙案だった。フランと違い、自分には専属のメイドはいない。フォルツァ家の当主はフランだが、自分にもメイドを一人雇う位の裁量があっても良いだろう。
「マルク様のメイドに、ですか?」
「そ、そうだ。それなら構わないだろう?」
「・・・」
感触は、悪くない。ルフィヤはあくまで従者。そしてこちらも理不尽な要請をしている訳ではない。
「そちらの方は、それで宜しいのですか?」
不意に、ルフィヤがエリーに問う。
「私は・・・」
エリーが、少し戸惑う。
しかし、
「それで、構いませんわ」
あまり時間を置かずに、答えを出した。ここ以外に行く場所は無い。せっかく鎖から解放されたのだ。奴隷に戻るのも、野垂死にもごめんである。
「そうですか・・・」
どこか腑に落ちない様子を残しながらも、ルフィヤはその答えを受け止めた。
「な、いいだろルフィヤ?」
もうひと押しと思ったのか、マルクが返事を催促する。
「マルク様」
「・・・な、なんだよ」
「そちらの方が同意されているのであれば、私にマルク様の判断を否定する権利はないのかもしれません。しかし・・・」
眼鏡が光る。
「それは、彼女に『適正』があればのお話です。そこは理解されておりますか?」
「あっ・・・」
盲点をいきなり突かれた。
「『適正』とはなんですの?」
「ああ、それはだな・・・」
「それは私からご説明致しましょう」
クイ、とルフィヤが眼鏡を上げる。
「この館ではメイドは只のメイドでは務まりません」
「・・・と言いますと?」
「メイドは駒です。いざという時には剣を取り、槍を取り、兵になる事が必要なのです。即ちこの館でメイドを務めるには、一定以上の『力』を所有することが必要条件となるのです」
「それでしたら」
フッ、とエリーが微笑む。
「問題など全くございませんわ。私、強いので」
そしてどこかルフィヤを馬鹿にした調子で続けた。
ルフィヤは特に表情を変えず、
「そうですか・・・でしたらテストさせて頂いても宜しいですか?」
一つの、提案をした。
「テスト?」
「はい。何も難しい事をして頂くわけではございません。私と一つ手合わせして頂くだけでございます」
それが強さを測る事になる、という事だろう。
「お、おいルフィヤ・・・」
「大丈夫ですマルク様。それなりの手心は加えますので。では、先に闘技場に向かってますね」
そう言うと、ルフィヤはフランを伴い背を向けた。
「参ったな・・・」
「どうされたのですか?要するに私があの方に勝てばいいのでしょう?」
「・・・簡単に言うけどな、アイツは無茶苦茶強いぞ。それも、王国の騎士達が震え上がるレベルでな・・・はぁ・・・」
既にマルクは諦めムードだ。それがエリーは気に入らなかった。
「貴方、私が戦う所を見たことがありまして?」
「いや・・・」
「でしたら、最初から勝敗を決めつけるのは止めて下さるかしら?」
「・・・」
「それで、その闘技場というのは?」
「あ、ああ。こっちだ」
もしかしたら。そんな気持ちが湧いてくるのをマルクは感じていた。
***
闘技場、と言ってもそれは小規模なものであった。
半年に一度、メイドたちが腕を競い合う時に使う施設との事だった。
ドーム状になった建物の中に、アリーナが構築されたシンプルな構造である。
そのアリーナに、エリーとルフィヤ、そして主審を務めるフランと副審のマルクが立つ。
ザワザワ・・・
それを館のメイド達が取り囲んで観戦する形だ。皆、ルフィヤの戦う姿を見にやって来たのだ。その人数、ざっと50人程か。
コホン
フランが軽く咳払いする。
すると、ざわついていた会場が一気に静まった。
「それでは只今より、エルフィール・ノキア様とルフィヤ・ディナールの試合を始めます。えっと・・・特にルールはありません・・・但し、お互い無茶はしないようにお願いしますね」
大雑把にルールを述べると、フランはマルクと共に観客席に上った。
「さて・・・覚悟はよろしいですか?」
槍の柄の端を持ったルフィヤが、構えに入る。
「ええ、いつでも」
一方丸腰のエリーも構える。その表情に、怯えの類は一切ない。
「「・・・」」
膠着。そして、
「はじめ!」
フランから、始まりの合図。
バチィ!
同時に、赤の閃光がエリーの足に宿る。
「!」
その瞬間には既に、エリーが懐に入り込んでいた。
ドゴォォォン!
直後に、ルフィヤの身体はアリーナの壁に叩き付けられていた。
「あれは・・・!」
「な、何だよありゃあ!?」
フランもマルクも、驚愕を隠せない。会場も、一気にざわついた。
「『異能者』・・・!」
フランがその言葉を口走る。
「そうか、アイツそうだったのか・・・!」
『異能者』―常人には宿る事のない特別な能力を持つ者。マルクもその存在は知っていた。だが、そういった者達は基本的に王宮の奥で働き、一般人がその能力を目にする事などほぼ無い。
マルクは今生まれて初めて、その能力が使われる瞬間に立ち会ったのである。
「ふぅ・・・」
久しぶりに力を解放しどこか溜まっていた鬱憤が少し晴れたのか、穏やかにエリーは息を付いた。
―『超電池(ハイパー・バッテリー)』―それが彼女の能力。自身の身体、及び触れたものを「強化」する能力だ。
「(感覚は、鈍っていない様ですわね・・・)」
足を強化し間合いを詰める。そして一瞬で強化を右腕に移し、殴る。
単純だが、それ故に最もミスの生まれにくい基本戦法だった。そしてこの攻撃にも、ミスは無かった。
「(でも・・・)」
鋭く、土埃の上がったアリーナの壁を睨み付ける。『手応え』は無かったからだ。
サァ・・・
埃が晴れていく。
「・・・!」
そこには果たして、槍を構えなおしたルフィヤが立っていた。
「驚きですわね。私の拳を柄で防ぐだけでなく、壁に対して受け身まで取ってのけるなんて」
「この程度であれば、造作もありません。それよりも、一つ謝罪させて下さい」
「あら、何を?」
「少々、貴女という人を見くびっておりました。失礼の無い様、全力で行かせて頂きます」
柄の中程に槍を持ち直すと、ルフィヤはエリーに向けて歩き出す。
「・・・」
「・・・」
やがて、間合いに入ると。
ヒュン!
目にも止まらぬ速さで、槍が繰り出される。
スッ・・・
だがエリーはそれを避けてみせた。予め、能力を反射神経の強化に流していたのである。
「(容易いものね・・・)」
力を右腕に戻し、再度ルフィヤを殴りに掛かる。この体制では柄でのガードも不可能。
「(貰った!)」
そう思った。
「ガッ!?」
だが違った。直後に感じたのは腹部の鈍い痛み。
ルフィヤは避けられた瞬間に槍を回し、石突を鳩尾に入れてきたのだ。
「ぐぅ・・・」
膝をつくエリー。
ヒュオッ!
そこへ、振り回された刃が追撃を掛けてくる。
「このっ・・・!」
バキン!
強化した左腕でその刃を弾くと、
ダンッ!
その柄を、思い切り叩き付けた。
カラン!
槍がルフィヤの手を離れ、地に転がる。
「(今度こそ!)」
バチィ!
再び、右腕を強化する。槍さえなければ、直撃させられる。
「はぁっ!」
そう思っていた。
「・・・え?」
しかし、現実はそう上手くいかない。
気が付けば、エリーの身体は宙を舞っていた。
「(投げられた・・・!?)」
そう、ルフィヤはエリーの一撃を躱し、その勢いを利用して彼女を投げ飛ばしたのである。
ドシャッ!
それをエリーが理解した時には、彼女は背中から地面に落下していた。
「痛っ・・・このっ・・・」
ジャキン!
「うっ・・・」
そして倒れた彼女の顔には、槍が突きつけられていた。
「・・・それまで!」
そこで、フランから終了のコールが掛けられる。
勝敗は、誰の目に見ても明らかだった。
「・・・くぅっ、こんな形で・・・」
悪態をつくエリー。そこへ、
パン、パン・・・
フランが、手を叩きながらアリーナへと降りてくる。
「お疲れ様、ルフィヤ」
まずは、従者を労う。
「主審の務め、ありがとうございます、フラン様」
従者は恭しく首を垂れた。
「大したことはしていないわ。それよりも・・・」
と、アリーナの床に寝転がったままのエリーに、フランは視線を移す。
「エリーさん」
「・・・」
優しく向けられた視線を、エリーは受け止められなかった。後に続く言葉が、既に分かっていたからだ。
「『不合格』、ですわよね。構いませんわ、私今すぐこの館から・・・」
「いいえ」
エリーの卑屈な考えを、フランが遮った。
「え?」
「『合格』です」
「・・・」
「これから、お兄様をよろしくお願いしますね」
固まったエリーの表情に対して、フランのそれは優しいままであった。
***
「宜しかったのですか、フラン様?」
闘技場から館へと向かう小道で、ルフィヤが問う。
「ええ。貴女も彼女の強さは分かったでしょう?」
「それはそうですが・・・」
やはり素性の知れない者を館の中に入れるのが、彼女にとっては懸念事項であった。
「確かに彼女はどこから来たのか分からない。どんな家の出身かも分からない」
「・・・」
「でも、お兄様が連れてきた人ですもの。きっと悪い人ではないわ。それに・・・」
「それに?」
「少し位、お兄様にも我が儘を言う権利はあるはずよ」
「・・・」
「私はずっと、お兄様に迷惑かけて来ちゃったから・・・」
「フラン様・・・」
少し影が差した主の顔を、ルフィヤが心配する。
「ごめんなさい。こんな天気のいい日に、暗い話はなしね」
笑顔にほんの少しだけ涙が浮かんでいたのを、ルフィヤははっきりと見た。
「・・・館に戻りましょう。今日は珍しい紅茶が手に入りました」
「本当?それは楽しみね」
「ええ、ご期待ください」
主の顔から涙が消えた事を確認し、ルフィヤは再び前を向いた。