三段論法
「ごめん。ごめん。しけた顔してたから、根気入れてやろうと思ってさ。」
危険な行為を犯しながら悪びれることなく、頭をかきながら笑顔で答えたのは、生徒会で学年も同じの女子、木藤加奈子だった。
紺色のセーラー服、襟元に赤いリボン、緑の濃淡が生えるタータンチェックデザインのスカート、我が廣陵高校の冬制服を着こなし、セミロングの黒髪を柔らかな風に靡かせている。
とはいえ清楚という感じではなく、さっき後ろから俺に鞄、細かく言うと青いボストンバックを叩きつけてきたことから分かるように、朝っぱらからとても元気で陽気な奴だ。
「やっぱり、木藤か。毎度毎度、危ないんだよ。しかも、『しけた顔してた』って。後ろからじゃ、俺の顔は見えないだろ。」
俺の冷静な反応に対して、木藤加奈子は、
「顔が見えてるとか、見えてないとか細かいことは気にしないの。それより、しなびた顔をしている綿抜に活を入れようとした私の心遣いに感謝してほしいものね。」と開き直った。
「開き直るな!しかも、しなびた顔って、どういうことだよ。しけた顔より、ひどくなってるよ。老化してるよ。」理不尽な返しに俺が応酬すると、
「いやいや、細かいことは気にしない。」とさらっと流す木藤加奈子。
「いや、細かくないから。」
「それより。」
「おい、人の話を……。」
文句を言おうとしたのを制止し、俺の顔を覗き込みながら、木藤加奈子は言った。
「今日、四月一日よね?」
それは俺の話を制止して尋ねるほど大事な話か?と思ったが、俺は淡々と答える。
「そうだけど?それがどうした。」
「四月一日といえば、わたぬきの日よね?」
さらによくわからない質問が飛びこんできた。
四月一日といえば、わたぬきの日とは、どういうことなのだろう。
四月一日といえば綿抜の日ということだろうか。そして、四月一日といえば、綿抜真の誕生日である。ここから導き出される結論は、木藤加奈子が俺の誕生日を覚えていてくれて、祝ってくれるということなのか。万が一、そうだとすれば、嬉しい。母親に祝われなかった分余計に。
しかし、「そうだよ。俺の誕生日は四月一日だよ。」などと自分から言うのも、恥ずかしい話だ。こういうものは、相手に言わせなければならない。
「へ、どういうこと?」と曖昧な答えを返す。
「四月一日って書いて『わたぬき』って読む名字あるじゃん。知らない?」
木藤加奈子は明後日の方向の答えを返してきた。俺の期待感を返しやがれ。誰でもいいから、俺の誕生日を祝いやがれ。
少し落胆しながら、応じる。
「……ああ。漫画とかで見たことある。確か、昔は四月一日に衣替えをするって決まっていて、その時に着物の綿を抜くことから、四月一日で『わたぬき』って読むんだっけか?」
「そうそう。」
「それがどうした?」
「それがどうしたって、やだねえ。あんたの名字の綿抜も、漢字が違うだけで、読みも由来も結局同じ『わたぬき』でしょ。」
「はあ。」
「つまりさ、綿抜は四月一日と縁のある人間というわけで。そして、四月一日はさ。あれだよ。」
「あれって、何だよ?」
「エイプリフール!嘘をつく日だよ。そして、四月馬鹿と相手をこき下ろす素晴らしい日!」
木藤加奈子の口から聞きたくもない言葉が飛び出してきた。「エイプリルフール」「四月馬鹿」俺のトラウマ。しかし、ここは動揺を見せないよう、冷静に返す。
「そうだな。素晴らしい日ではないと思うけれど、今日はエイプリルフールだ。で、結局何が言いたい?」
「ふふふ、今までの話から、私の言いたいことを導き出すにはね。三段論法的なアプローチが必要なのだよ。綿抜君。」
「三段論法……って何だっけ?」いきなり、何を言いだしているんだ。こいつ。
「前、倫理でやったじゃん。まあ、簡単に言うと、『人間はみな死ぬべきものである。』という大前提があって、『綿抜は人間だ。』という小前提を置く。そこから、結論を導き出すと?」
木藤加奈子が嬉しそうな顔をして、問題を出してくる。
そういえば、倫理の授業で習った記憶がある。抽象・普遍的な大前提と、個別具体的な小前提から、結論を導き出す。これが三段論法。ただし、大前提も小前提も真でなければならないだっけか。
「人間はみな死ぬし、綿抜は人間だから。綿抜は死ぬ…が結論かな?」
俺が仮定の上とはいえ、死ぬのは不本意な結論だが、恐らくいずれ俺が死ぬのは間違いないことだろうし。三段論法の結論としてもこれが正解だろう。
「おしい! 綿抜は死ぬべきです、が正解。まあ、綿抜が人間っていう小前提が真かどうかは怪しいものだけれど。」
この女、ノリノリで酷いことを言ってくれやがる。
「おい! 三段論法の例も酷いが、何より、俺を人間扱いしてくれ!」
「わかったわ。虫けらの綿抜君。」
もはや、木藤加奈子は俺を人間扱いすらしてくれない。もう、こいつを改心させるのは諦めるしかない。先程の話に戻ろう。
「おい……。で、今までの『わたぬき』とか、『エイプリルフール』とかの話を木藤の三段論法的アプローチで考えると、どうなるんだぜ?」と尋ねる。
「ああ、その話ね。つまり、『本日四月一日は、人間に嘘をつき四月馬鹿とののしらなければならない日』という大前提があって、『綿抜は四月一日に縁のある虫けらだ。』という小前提があって…。」
おお…。大前提からして畜生的発想である。さらに、小前提において、俺が人間ではなく、虫けら扱いされている時点で、既に三段論法は崩壊している気はするけれど…。気にしたら負けな気がする。
「本日四月一日に私、木藤加奈子は、綿抜に嘘をつき、罵倒しなければならない! いや、罵倒したいという結論が導き出されるのよ。」
木藤加奈子は晴れやかな空に向かって嬉々とした声で高らかに叫んだ。
「結局、木藤が俺を馬鹿にしたいだけじゃねえか! 何で、三段論法の話を持ち出してきたんだ!」
「細かいことは気にしない。そんなに細かいことばかり言ってたら、女子から嫌われるよ。」
何も間違ったことは言っていないはずなのに、たしなめられる。こんなことで非難されるのであれば、女子に嫌われても結構だ。
「別に、そんなのどうでもいいよ。」率直な気持ちを口にする。
「ふーん。それは綿抜がおかまだからということ?」
お前は、先程の俺の脳内での独白を聞いていたのか?それは嘘だと言ったはずだが。
「そんなわけねえだろう!」と否定する。
「まあ、綿抜がどのような心がけを持っていたところで、私はあんたのこと嫌いだけどね。」
「おい!」とだけ、突っ込んでおく。
もう俺の気持ちはズタボロだよ。実際に、口には出さないけれど、俺もお前が嫌いだよ!
「というわけで、今日、私は綿抜に嘘をつくよ!」
「というわけで」って、どういうわけなのかは理解不能だったが、木藤加奈子は唐突に宣言した。しかも、ドヤ顔で。
「はあ、結局そこに戻るのか。」
俺は大きな溜息をつく。
「まあ、楽しみにしていなさい。」
木藤加奈子は天真爛漫な笑顔を浮かべているが、頭の中ではどんな恐ろしい悪だくみを考えているのだろうか。想像もつかない。
これから、どんな嘘をつかれ、馬鹿にされるのだろうか。木藤加奈子という悪魔に俺は取り憑かれてしまったようだ。朝から、本当に疲れた。これが一日中続くとなるとやっていられない。
「そんなに楽しそうに人を陥れようとしやがって。お前は悪魔か。」
本音をポロリとこぼす。
「え、私が小悪魔だって?」
「そんなこと言ってねえよ。」
本当に木藤加奈子、こいつは煮ても焼いても食えない奴だ。