参話
ドポン、ポチャン・・・
慣れぬ揺れと水音に、何刻ぶりか目を覚ます一寸。
「ん・・・」
パチリ、と目を開けてみたのですが・・・目の前いっぱいに広がる朱、朱、朱に、一気に脳が覚醒しました。
「・・・へ?」
一体自分がどこにいるのかすら分かりません。仕方なしに、絞るように記憶を探ります。
(えーっと、確か小槌を振って・・ちっこくなって・・・)
そう、それです。事の発端を思い出し、がくり、と頭から朱色の地面に突っ伏しました。
「なんなんだよ・・・幸せとミニマム化は表裏一体ってか・・・わけがワカリマセン・・・」
不条理といっても過言ではない自身の状況に、思わず仏に祈りたい気分になってきた一寸。夜らしく、月明かりくらいしか光明はありそうになかったのですが。
で、いま、一寸はどこにいるのでしょう?
「・・・極楽?いや、まさか・・・つーか朱色の場所って・・・」
考えても、心当たりは思いつきません。水音といい、揺れていることから、どうやら小舟のようですが・・・船頭もいなければ、そもそもこんな大きさでは済まないはず。
大きさ、といえば。
「あ・・・あ、あのお椀?」
信じがたいですが、納得はでき
「るかボケェェェ!!」
気絶していたとはいえ、この仕打ち。だれでもいいから十発殴りたい気分になりました。そりゃそうだ。
ところ変わって、京の朝廷。
草木も眠る丑三つ時に、灯る一つの行灯。障子に映る二つの影。
身をかがめていることと言い、何やら不穏な空気がしてきます。
「宰相殿・・・あの件、よもやお忘れではあるまいな?」
「ご心配なさらず・・・娘は、しかとそちらへとやりますゆえ」
「そうか・・・ならば、結構」
押し殺すように笑い、手を差し出し。
宰相と呼ばれた男は、古ぼけた木箱を取り出し、わざわざ影をくぐるようにして手渡しました。
ちらり、と中身をのぞき、にんまりと笑う。
「では、確かに。そちの家は、未来永劫末代まで栄えることだろうよ」
「ありがたや」
ふ、と灯が消えました。
木箱を抱えた男が部屋を立ち去る音を聞き、はぁ、と宰相殿はため息をつきました。
「・・・仕方ない。仕方ないのだ・・・」
暗闇のせいで顔は見えませんが、きっと彼の顔には疲労が色濃く出ていることでしょう。
外へ出て、森へと入る彼の背は、事実、哀愁を背負っていました。
これでよかったのか、と自問してみる宰相。
朝廷の権限は日増しに衰える一方。今代の将軍のような暴君が今後続くとすれば、きっと今の宰相という地位は、元日のしめ縄にも劣るお飾りとなることは、自明の理でした。
「娘にも・・・言わんとなぁ・・・」
政略結婚。貴族の間では普通の慣習でも、やはり娘の気持ちを無下にするのは、チクリチクリと心に罪悪感を埋め込んできます。
あんなに、よくできた娘なのに。
あんな本能むき出しの男にとられるのは、父親として悔しいことでもあります。
しかし、武士はとかく、公家と関わりを持とうとしない。あの男くらいしか、ツテはない。
目の前の小川に浮かぶお椀を見ながら、自分の浅ましさを呪う宰相。
・・・ん?お椀?
「なんだ・・・?」
思わずすくい取ってみたところ、中には一体の人形。
いや・・・人形には到底思えません。いびきをかきながら、鼻ちょうちんをぶら下げる人形など、見たことも聞いたこともありません。
傍らの小槌といい、どうも事情があるようです。
「普段なら、このまま捨てるのだろうがな・・・」
罪悪感からか、どうもこのまま捨てる気にはなれませんでした。
明日には話でもできるだろうか、と、夢見る少女もびっくりなファンシーな想像とともに、彼は寝床へと向かいました。
「うう……むにゃ……」
いつの間にやら睡魔に襲われていた一寸は、目をこすり、上体を起こしました。
辺りを見回しても、やはり朱、朱、朱。
−−−まだ、川の上か。
思わずそう思いましたが、それにしては、波音がさっぱり聞こえてきやしません。
ふと思いつき、上を見上げてみると−−−木目の天井が。外ではなく、どこかの屋内であることに気がつきました。
「オイオイ……ならどこたってんだよ……」
川の上なら沈没する恐れもなし。そう考えた一寸は、お椀に手をつき、思いっきり倒しました。
ドサリ、カツン。
……バランスがとれず、倒れました。曲面だったせいでしょうか。
オマケに、皆さんもご経験のことでしょう……子供のころ、夕食が待ちきれず、空のお椀をコロコロ転がしていた。
まさに、その状況になりました。
コロコロどころか、グワングワンと、天地動転の勢いでしたが。
結果、とんでもなく目を回し、大の字で倒れ込むしかありませんでした。
「ふ……不幸だ……」
幸せどころか、辛酸をなめどおし。小さくなって、川にほおり出され。
なにひとつ、良いことなどありません。
いっそ飛び降りて死んでやろうか、と思った矢先。
「あら………起きたのですね」
見目麗しい、上品な少女が、一寸の全身をのぞきこんでいました。