第伍話 山鐘楼
第伍話 山鐘楼
祖父義雅の葬式は、盛大なものだった。
別宅で、雛とともに半ば放置されていた俺も、両親に連れられ、葬式に出た。
そこに、彼女は居た。
式中、大人に混じって先頭近くに座らされていた同年代の娘。
「黒沼の」と呼ばれていた、坊主頭の喪服姿。白沢義雅と、どこか血のつながりを感じさせる少壮の男に連れられた、黒装束の娘。
葬式の合間、ふと彼女の姿を確認すると、彼女もこちらを見ていた。
いまと同じように、すこし距離を置いて。ただこちらを見ていた。
彼女の名前は――
◆
目が覚める。
昔の夢を見ていたようで、なぜか無性に悲しい。
その余韻を引きずりながら、昨晩のことを思い出す。
黒装束、狐面の少女。
彼女の出した謎かけのことを。
「くらまし地蔵は、なにをくらませるの?」
「水の江の龍神さまは、なんのためにあの場所に居るの?」
おそらくは他の五か所に関しても同じ問いが続くのだろう。
つまりは、彼女の問いの本質とは。
――化粧町七つの神域は、何のために存在するのか?
だと思う。
なんのために。
問われても答えは出てこない。
おそらく化粧町の歴史に、密接に関わっているのだろう。
俺はそれを知らない。
だから、答えを見つけられないのだ。
天地もわからない水の中、やみくもにもがいているような感覚に、苛立ちを覚えずにはいられない。
「一度、雛に聞いてみるかな」
気持ちを落ち着けるように、言葉を口にすると、起きあがる。
居間に行くと、雛がすでに朝食の準備を済ませていた。
「あ、サトリちゃん、おはよう」
機嫌は悪く無さそうだ。
表情を見ながら、そう思う。
昨夜、ゲームで散々にいじめて怒らせてしまったので、気になっていたのだが……また料理でストレス解消したのだろうか。
考えながら、なんとなく雛の前に握った拳を差し出す。
「なに? なにかくれるの――ひわっ!?」
ぽん、と、手の中から飛び出したのは、小さな造花一輪。
単純な手品だが、雛の反応が初々しくて楽しい。
「おはよう、雛」
花を雛に奉げながら、笑いかける。
「おはよう。あ、ありがとう、サトリちゃん」
妙に照れながら、彼女は花を受け取って。
それから目を合わせて、おたがい妙に照れて、笑いあった。
「朝ごはんにしようか」
しばらくして、雛は上機嫌にそう言った。
俺のイライラも、奇麗に消えていた。
◆
「なあ雛。この町の歴史って知ってるか?」
朝食をとってから、しばし。
焙じ茶をすすりながら、俺は質問を切り出した。
「なんとなくでよければ、分かるけど……なに、サトリちゃん。興味あるの?」
なぜか嬉しそうな雛に、うなずく。
「まあな。くらまし地蔵尊とか水の江神社とか、そんなところ案内されてると、やっぱり興味は出てくるかな」
脳裏に浮かんだ狐面の少女の姿を誤魔化すように、そう答えた。
それに気づいた様子もなく、雛は笑顔でうなずく。
「そうだね、じゃあこれから山鐘楼に参ってもらうし。帰ってから、また話そうか」
◆
化粧町を南北に伸びる舗装道路。
その最南端。町のほぼ中心から南東に進んでいくと、御山にたどり着く。
ふもとまで行くと、木々に囲まれた登山道が目の前に見えており、その手前に少年の姿があった。
おそらく御当人だ。年のころは、十五、六。女のような顔立ちだが、太い眉が、男を強く自己主張している。
しかし、なぜだろう。
少年は俺の方を、噛みつくような表情で睨んでいた。
「御当人」
「……御伽人」
声音も、不機嫌を隠せない。
義務だから仕方なくやっているという風情。
「“禊の儀”。男。青峰佐鳥。御伽人、白沢の雛。みっつ。山鐘楼に参らせ給わん」
少年はぴくりと眉を動かせてから、答える。
「“禊の儀”みっつ。山鐘楼。御当人。赤谷仁……承った」
雛は、咎めるように目を眇めてから、やはり儀式中は無駄な会話が出来ないのだろう。無言で登山道に向かう。
それについて行こうとして、すれ違いざま。俺は仁少年に思い切り睨みつけられた。
以前にこの少年と会った記憶はない。まったく初対面だ。
だから、恨みなど買った覚えはない、はずなのだが。
首をかしげながら、俺は先を急ぐ雛に従った。
登山道は、蛇腹のパイプを縦に割ったような形で、うねりながら頂上へと続いている。
山道に転がっている大石を慎重に避けながら、四十分ほどもかけて登っただろうか。
にじむ汗が玉になって顎から落ち始めたころ、山頂に着いた。
極端に高く積まれた石垣。
その上に、木造りの鐘楼が立っている。
中には大人が抱えられそうなくらいの、さほど大きくない鐘が吊り下げられている。
「あれが山鐘楼か」
大昔、高徳の僧が煮えたぎる坩堝にわが身を奉げ、その銅を使って鋳造された、化粧町の危機を七色の音で知らせるという不思議の鐘だ。
むろんこれも雛の受け売りだが。
「そう。あれが御山の山鐘楼……先に言っておくけど、サトリちゃん、突いちゃだめだよ? 町中大騒ぎになっちゃうんだから」
「え? 突いちゃだめなのか?」
「やるつもりだったんだ……」
「いや、儀式だから、なんとなく鐘を突くもんだと思ってた」
そんなやりとりをしながら、石垣を登って、鐘楼の中に入る。
鐘楼の四隅には、大きな蝋燭が灯っていて、それが鐘の上部を揺らめき照らしていた。
雛に従って鐘を拝み、言葉をささげてから、促されて鐘楼の外に出る。
思わず歓声をあげた。化粧町を一望できる絶景がそこにあった。
「サトリちゃん。西のほう見て。あれが川上原」
雛が指をさしながら説明してくれる。
川上原から視線を北にずらす。
屈曲した龍神川の北は川下原だ。
すこし奥には、水の江神社が見える。
真北から視線を東に向けていくと、備場。
東に見える、薄暗い山地が二江。となると、その北にあるのがホウジ稲荷か。
南に目を向けると、山。
その向うには沼沢地が広がっている。奥の居だ。
「これが化粧町だよ。サトリちゃん」
景色の前で手を広げて、雛がほほ笑む。
日の光を全身に受けたその姿は、一種神聖なものに見えた。
それから帰り際。こっそり鐘の中をのぞいた。
内部には、意図的にだろう。激しい凹凸がある。
これでは叩く位置で微妙に音が変わるだろう。七色の音と言われる、これが由縁か。
儀式だというのに、なぜ鐘を鳴らさないのか、疑問だったが、これで理由は分かった。
町の危機でなくとも、ふつうに叩いただけで、鐘は七色の音を発してしまう。だから非常時以外、鐘を鳴らすことはできない。
しかし、これほど厚みに差を持たせた鋳込みを、傷無しに造り上げるのは、それはそれですごい技術には違いない。
などと思っていると、雛に睨まれた。
考えていることが分かったらしい。サトリかお前は。
まあ、佐鳥は俺なんだが。
◆
それから、鐘楼の裏手に建てられた小屋ですこし休憩して、山を降りた。
麓には、御当人の仁少年が待ち構えている。
雛が少年に儀式終了を伝えて、そのまま行き過ぎようとして、その時。
「おい、お前」
と、少年が口を開いた。
驚いた。町の人間から直接声をかけられたのは、今回この町に来てから初めてのことだ。
どうも好感を持たれていないようだが、幽霊のように扱われるよりは、よほど嬉しい。
「青峰佐鳥だよ」
手を差し出す。
ふん、と仁少年はその手を振り払ったのだが。
手が抜けて飛んでいった。
「うわあああっ! 手が、手がぁ!?」
「……落ち着いて。ほら、ほんとの手はこれ」
「うわっ!? 手が生えてきたっ!?」
どこかで見たような反応だ。
ちょっと嬉しくなる。
「生えた手がさらに伸びちゃったり」
「河童!?」
「河童? いいえ、飛頭蛮です」
「く、首が落ちたぁ!?」
手品を披露して遊んでいると、ぽん。と、肩に手を置かれた。
雛だ。目が怖い。
「さーとーりーちゃん? 儀式が終わったとはいえ、道端ではしゃいじゃ駄目だよ」
「すみません」
土下座するしかない。
すこし調子に乗りすぎた。
道行く人が話しかけてこないのには、意味があるとわかっていたはずだが、実際話しかけられて、つい舞い上がってしまった。
「それから、仁。あなたも、態度悪い」
雛は視線を仁少年に転じて、たしなめる。
どちらかというと幼い感じの雛だが、同郷の年下相手には、姉のような態度になるようだ。
咎められて、仁少年はふてくされた様子。
雛と俺との間を、せわしなく視線を往復させながら、歯を食いしばる。
「オレは認めねえからなっ!」
「仁っ!」
言葉を叩きつけてから、少年は脱兎のごとく走り去る。
雛の、とっさの叱責の声は少年の背に浴びせられた。
それから。雛が落ち着くのを待って、声をかける。
「雛、あの子は」
「後輩だよ。三つ下で、昔はよく世話したんだけど……まったく、子供なんだから」
気のせいだろうか。
雛の表情は、駄目な弟を叱る姉のそれより、はるかに厳しいものに思えた。
◆
白沢家別宅に着いたのは、昼を大分回ってからだった。
それから、やはり雛が事前に用意していた弁当を食べて、しばし休憩。
山登りですこし張った足を自分でマッサージしていると、雛が話しかけてきた。
「サトリちゃん。朝に言ってた――化粧町の歴史、聞く?」
「ああ、頼めるか?」
「じゃあ、お茶を飲みながらでも話そっか」
言うと、雛はテーブルに冷たい麦茶と干菓子を用意してくれた。
向かい合って座り、麦茶に一口つけてから、彼女は口を開く。
「じゃあ、何から話そうか……サトリちゃんは化粧町の歴史って、どこまで知ってるの?」
「ほとんど知らないな。白沢の家が相当古い家だってのは、聞いてるけど」
「古いよ。どれくらい古いかっていうと……平安の末から続いてるくらい?」
「おお……」
思っていたよりずっと古い。
平安時代末期というと、九百年ほども昔になる。
白沢の家がそれほど長く続いていたというのは、初耳だった。
「平安時代ってのはね、鬼とか化物が、京の都にさえ徘徊していた時代だったの。地方は言わずもがな。この化粧町も、当時は化生谷と呼ばれていて、化生――妖怪の住む土地だったの」
雛はゆっくりと、思い出すようにして語る。
化生谷の化物は、狒狒か猩猩の類であったという。
化物達は女や子供を攫っては喰らい、眷族を増やしていった。
近隣の村人たちは、天災のごとく襲い来る化物どもに対し、為す術もなく震えるしかなかった。
そんなある時、ある藤原氏の姫君が、化生谷の化物に攫われた。
父親である藤原某は嘆き悲しみ、姫の助けを求めた。これに応じて立ち上がったのが、白沢家の祖先。平正盛庶流で、名を忠兼という武士だった。
忠兼は郎党を率いて化生谷に入り、化生をあるいは退け、あるいは封じ、ついに姫を取り返す。
藤原某は喜んで姫を忠兼と娶せた。忠兼はその後、肥沃な化生谷を拓いて住みついた。
姫は月満ちて長男を出産した。
成人して近盛を名乗った彼は、父の開拓した化生谷川上原の白沢に居を構え、白沢近盛を名乗るようになる。
「これが、化粧町と白沢家の由縁だよ」
ゆっくりと、茶をすすりながら、雛。
俺は、深々とため息をついた。
思わぬところから、壮大な話が飛び出て来た。
「というか白沢って武士の子孫だったのか……つーか雛、マジでお姫さまか」
「時代が降ってからは帰農してるはずだし、いまさらだよ」
お姫さま扱いに照れたのか、ほほを朱に染めながら、頭をかく。
言われてみれば、整った顔立ちや、冴えた黒髪など、どこか貴げだ。
「というか、サトリちゃんもしっかり血が繋がってるんだからね? 当代の甥なんだから。顔とかも、やっぱりどこか似てるでしょ?」
「そうかな? 昔はそう言われた事もあるけど」
頭を掻きながら、つぶやく。
俺は雛のように上品な顔立ちはしていないが、髪の手入れや身だしなみを母に任せていた昔、そんなことを言われた記憶がある。
「そうだよ」
雛は言って、愛おしげにほほを撫でた。
自分が撫でられた気分になって、不覚にも赤面するのを感じた。
◆
そして、また深夜。
雲が月にかかり、辺りは闇に包まれている。
山登りと家事で疲れたのか、雛はすでに眠りの床についている。
俺は縁側に出て、じっと待つ。
狐面をかぶった、黒装束の少女。彼女の訪れを。
そしてやはり、彼女は来た。
闇の中、より濃い闇のような少女の、面ばかりが浮き上がって見える。
「また謎かけ、しましょうか?」
闇夜に浮き上がる狐面が、透明な声を発する。
前回の、前々回の問いの答えを求めず、彼女は三つ目の問いを発した。
「山鐘楼は、なんのためにあの場所にあるの?」
その問いに、対する答え。
ぼんやりとだが、見えてきている。
化粧町の縁起。白沢家の先祖は、化生谷の化物を、あるいは退治し、あるいは封じたという。
その封じられた化物に、化粧町の七つの神域は関わっているのではないか。そう思う。
だが、まだ答えには遠い。
ただそれだけの謎なら、彼女も酔狂に問い続けないだろう。
必ず、あるはずなのだ。現代の。もっといえば、俺自身に通じる答えが。
「雛から、化粧町の縁起を聞いた。だけど、まだ足りない。それよりも」
だから、俺は問いを発する。
もうひとつの、俺の疑問を解決するための問いを。
「俺は、キミを知っているな?」
確信がある。
俺とこの少女は顔を合わせている。
記憶は定かではない。しかし、確信は自分の中で揺るぎない。
「キミの名は?」
問う。
狐面が揺れる。
苦笑するように。あるいは、許すように。
「黒沼繭」
狐面をずらして、口元を見せながら、彼女は言う。
朱を差したような唇は驚くほど艶めかしく、しかし、その声は。
仮面越しでない彼女の生の声は、やはり――白沢雛に、似ている。
くすくすと笑いながら、少女は口を開く。
「ちゃんと考えないと、選べなくなるよ……佐鳥ちゃん?」
そう言って、彼女はまた姿を消す。
夜の静寂の中、少女の言葉はいつまでも耳に残っていた。