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第肆話 水の江神社

第肆話 水の江神社



「怖い髭のお爺さん」こと白沢義雅しらわわよしまさ鬼籍きせきに入ったのは、俺が十一歳の時だった。

 季節は春から夏へと移り変わる、その最中。ひどく蒸し暑い夜だったと記憶している。

 いつも通り、夜八時に眠っていた俺は、そのまま車に乗せられ、化粧町に連れてこられた。

 後で知ったのだが、父も母も、そのあと沐浴を済まして本家のほうに、手伝いに行っていたらしい。


 一人、目が覚めた俺は、周りの風景が一変しているのを見て、混乱した。

 落ち着いてみれば白沢家別宅だとわかったはずだが、当時の俺は、異世界に迷い込んでしまったかのような錯覚を覚えて、ひたすらに不安だった。


 そんなとき。

 不意に声をかけてきたのが。



「……佐鳥ちゃん?」



 ふすま越しにこちらを見つめる、人形のような美少女。

 白沢雛、だったのだが、この時の俺はとっさに分からなかった。

 父さんの故郷、白沢家別宅、いとこの雛をセットで認識していたため、前提条件二つがない状況で、子供の俺には彼女が雛だと確信できなかったのだ。



「……誰?」


「ひ、雛だよ。いとこの」


「……雛?」



 あわてた様子の少女に自己紹介されて、ようやくここが異世界でなく、いつもの白沢家別宅で、いつのまにか化粧町に来ていたのだとわかったものだ。



「父さんと母さんは?」


「おじいさまのお葬式の準備を手伝ってもらってて、昼に一度戻ってくるって聞いてる」


「おじいさん……死んだの?」



 俺が祖父、白沢義雅の死を知ったのは、実にこの時だった。

 それから、急に不安がこみ上げて来て、しかし俺は泣かなかった。

 失って泣けるほど俺にとって親しい人間ではなかったのかもしれないが、それ以上に、不安そうな雛の前では泣けないと思った。


 だから別宅に戻ってきた父と母の姿を見て、安心して泣いた。







「……なんで今ごろ、こっちの爺さんのこと思い出すんだろうな」



 朝食を食べ終え、お茶を飲みながら思う。

 白沢義雅。白沢家先代当主。いかつい髭を生やした、厳しい祖父だった。

 現在の叔父、義盛と同じ立場で、“外”に居る俺とろくに触れ合うこともなかったが、よくあの垣根越しに身なりや遊び場所について教えられたものだ。

 今となっては素直に“教えられていた”と思えるのだが、当人があの面相である。幼かった自分としては、“説教されている”感覚だった。


 あとで父から、祖父が俺に怖がられて落ち込んでいたと聞かされるたび、ほんとかなあ、と首を傾げたものだ。

 しかし、まあ、いい祖父だったのだと思う。


 そんなことを考えていると、例によって雛が白装束に着替えて出てきた。

 そうしてみると、やはり昨日の黒装束の少女を思い出す。



 ――くらまし地蔵は、なにをくらませるの?



 さて、問いの真意は何だったのか。

 昨晩結局出なかった答えを探っていると、雛が俺の前で膝をつき、言った。



「“みそぎ”二日目。龍神川りゅうじんがわ水の江神社みのえじんじゃに参っていただきます」







 龍神川。

 白沢家のある川上原かわかみはらを囲うように流れるこの川の、屈曲部。

 川上原と備場そなえばの中間地点。さらに町唯一の舗装道路の末端地点。


 そこに水の江神社がある。

 くらまし地蔵尊に行くよりは格段に近い。といっても、やはりけっこうな距離を歩く。

 昨日もそうだったが、道行く人たちは笑顔ながら無言で頭を下げていく。それも、やはり禁忌なのだろうか。

 

 それでも。雛が町のひとから好かれているのはなんとなくわかって、嬉しい。


 それにしても、白装束を着て声もかけられない。

 まるで、自分たちが幽霊になったような。そんな状況に、あらためてぞっとするものがある。


 日は、高く登り始めている。

 相変わらずうだるような暑さで、さらさらと流れる川を見ていると、思わず飛び込みたくなる。



「なあ、雛、川で泳いじゃ駄目か?」


「帰りならいいよ。あ、でもその時には着替えがないかな?」


「そのまま帰っちゃえばいいんじゃないか? この天気だ。多少濡らした方が涼しい」


「だめ。さすがに風邪引くよ。心配しなくても、水の江神社まで行けば、涼めるから」


「……涼める?」







 龍神川には龍が住んでいるという。

 昔々、ある大水のあと、龍神川から龍が打ち揚げられ、動けなくなった。

 人々はそれに驚き、憐れみ、龍神川から桶で水を汲んできて、龍の渇きを癒した。

 人々が龍に浴びせた水はその場にたまり、湖になった。渇きを癒され、動けるようになった龍は、それを恩に感じて湖に留まり、化粧町に水の恵みを約束したので、人々は喜んでここに社を建てた。


 雛から聞いた、水の江神社の縁起。

 それ以上に、目の前の光景は不思議だった。


 神社が、半ば水に浸かっている。

 三日月形の、ごく浅い池、ということは、河川の流れから取り残された三日月湖なのだろう。

 これだけでも不思議と呼ぶに足るが、それ以上に不思議なのが、湖の真ん中に森が出来ているということだ。神社は、その中にあった。

 鳥居も水面に沈んでいて、その中央を神社の奥に向けて、馬の背のような陸地が続いている。



「たしかに。これは涼しい」



 口の中でつぶやいてから、雛に従う。



御当人ごとうにん



 鳥居の根元に立っていた男に、雛が声をかける。

 神職の人間なのだろうか。白い羽織袴で冠をかぶった、少壮の、厳めしい顔つきをした男だ。

 



御伽人おとぎにん



 たがいに、一礼。



「“禊の儀”。男。青峰佐鳥。御伽人、白沢の雛。ふたつ。水の江神社に参らせ給わん」


「“禊の儀”ふたつ。水の江神社。御当人。水江俊晴みのえとしはる。承った」



 型どおりのやり取りを済ませ、雛に従って神社に入る。

 装いから、御当人が付き添ってお祓いのようなことをしてくれるのでは、などと思っていたが、どうやらこの儀式に関しては徹頭徹尾、御伽人の雛が行うらしい。



「うお」



 中に入って。目に入った異様な光景に、思わず声を上げた。

 水の中に、なぜ木が生えているのか。理由は単純だった。

 木が生えているのは、水の中ではないのだ。


 神社を囲うように、土が環状に盛り上がっている。

 さらに水没した内部各所にも島ができており、その随所ずいしょに木が植えられている。それが遠目からは、水の中に森があるように見えるのだ。


 だが、驚いたのは、それではない。

 木漏れ日を反射して、きらきらと光る水面。

 それが、大蛇か龍のように細くうねり伸び、社まで続いているのだ。

 言語に表すなら、湖面の中に生じた森に棲む、光の龍。

 神秘的。その言葉は、この光景を形容するためにあるのではと思われた。



「これは……冗談抜きにすげえ」


「でしょ?」



 雛は笑顔。



「ああ。植林から剪定せんていまで、ちゃんと光の落ち方が計算されてる。それだけじゃなく、各所に配置された盛り土が水の動きをよどませ、ちゃんと光が蛇行するように計算――痛っ!?」



 興奮してまくし立てていると、雛に思い切りチョップをかまされた。



「さーとーりーちゃん? 神域で奇跡否定するのはよくないって言わなかったかなー?」



 雛が怖かった。

 笑顔のまま、額に青筋立てている。

 彼女の怒りを鎮めるため、俺は平謝りに謝るしかなかった。


 それから、光の龍神の行き先――社の中に入った。

 中には沐浴所がある。御当人が準備したのだろう、木造りの浴槽には、清潔な水が満たされている。



「じゃあ、サトリちゃん。入ろうか」


「雛も入るのか?」


「そう。一緒に入って、一緒にお祈りするの」



 そう言われるままに、ふたりで一緒に浴槽に入る。


 なんだろう。

 風呂じゃないし、裸でもない。

 これといって興奮する要素があるとも思えないのに、無駄にどきどきする。

 まともに雛の顔が見れない。それどころか水に濡れた白装束が、透けても居ないのにいやらしく感じられて、視線を雛のほうに向けられない。



「サトリちゃん。上がってお祈りしようか」


「ま、待て雛。先に上がらせてくれっ」



 言いだした雛を制するように、浴槽から飛び出した。

 雛が小首をかしげていたが、分からないなら幸いである。

 この上、着物越しとはいえ濡れたお尻でも見せられようものなら、俺のままならない部分が暴走しかねない。


 雛と肩を並べて。けっして雛のほうを見ずに。

 必死で心掛けながら、奥に抜けて本殿へ行った。



「サトリちゃん、なんかおかしいよ?」


「気にするな」



 そんなやりとりをしながら、本殿に入る。

 中では神前に蝋燭ろうそくが立ち、お供え物が備えられている。

 これも御当人が準備してくれたのだろう。席がふたつ設けられていて、その前に、なにかの巻物が置いてあった。



「これはね、祝詞のりと


「祝詞?」


「そ、今回の儀式のための、お祈りの言葉が書いてあるの。これを広げて、また巻き取ると、祝詞を唱えたのと同じになるの」


「へえ」


「わたし、ちゃんと読める自信ないし」



 雛が広げた巻物には、前衛的過ぎる筆致ひっちで祝詞の言葉が並べられている。

 最初の文章の白沢雛と青峰佐鳥という文字だけが、字体が違っていて、なんとか読めた。







 太陽が中天に差し掛かったころ、儀式を終えた俺たちは、白沢家別宅に帰った。

 それから昼食。朝のうちに用意していたのか、雛は台所からお弁当をふたつ出してきた。



「準備がいいな」


「昼にかかるのは分かってたからね」



 そんな話をしながら、昼食。

 それから焙じたてのお茶をもらって、食休み。

 儀式は午前中で終わったので、昼からはまるまる空いている。


 余った時間をどう過ごそうか。

 そんなことを考えていると、なんと雛が花札を持ってきた。



「勝負だよ、サトリちゃん」


「どこから持って来たんだよ、それ」


「本宅から持ってきてもらったの。ほんとはトランプがよかったんだけど、なんかおひささん、トランプがわからなかったみたい」


「まあ、アナログな人だしなあ」



 ちなみに、久さんは御歳おんとし六十になる、白沢家のお手伝いさんである。


 そんなわけで、雛と俺は花札勝負をすることとなった。

“こいこい”といって、手札と場札の花を合わせてそれを自分の札にし、取った札で役をつくって点数を競うゲームだ。


 今回は、いかさまをするつもりはない。

 だから、まあちゃんとした勝負になる、はずだったのだが。



「ああっ、なんで菊取った瞬間、盃が出てくるの!?」


「はい取った。月見酒」



「こいこい、こいこい!」


「ありゃ、桜と梅の赤短札が一度に――はい、赤短」



「手札が、山札がことごとくわたしを裏切る……」


「五光・猪鹿蝶・青短・赤短・月見酒・花見酒、あと――」


「いやあっ! そんな長い呪文聞きたくないっ!」



 弱い。

 天運も立ち回りも、論外なくらい弱すぎる。

 おまけに熱くなる性分なのか、再戦につぐ再戦、泣きの一回がわんこそば状態。



「お金、賭けてなくてよかったな」


「うう、サトリちゃんなんて嫌いだよう……」



 そしてこうなった。

 雛の機嫌を直すつもりが、俺はいったい何をやっているのだろう。

 雛とは違う意味で、俺も賭けごとはやめておいた方がいいのかもしれない。


 雛が燃え尽きたころには、日が沈み始めている。

 うー、とかあー、とか言いながら、それでも雛は台所の方へ行き、料理を始めた。

 機嫌を取ろうと手伝いを申し出たのだが、きっぱりと拒否されて、すこしへこんだ。


 しかし、食事の時間には、なぜか雛の機嫌は戻っていた。

 料理でストレスを発散する性分なのだろうか。だとしたらタイミングがよかったのかもしれない。


 本日のメニューはトマトの寒天寄せに、夏野菜のてんぷら、ごま豆腐と茄子なすのからし醤油ひたしだ。

 よく精進料理でレパートリーが尽きないものだと思うが、そこはやはり色々と工夫をしているのだろう。



「雛は料理、好きなのか?」



 箸を進めながら尋ねると、まだ機嫌が戻りきっていなかったのだろう。一瞬だけ顔をこわばらせてから、雛はいつもの笑顔で応える。



「うん、好き」



 どきっとした。

 好きという言葉に過剰に反応するのはどうなのだろうか。

 自己嫌悪に陥りながら、誤魔化すように「美味い」と言った。

 しかし雛。なんでこう、俺の趣味ぴたりの味付けができるのだろうか。

 こんなに充実した食生活をしていると、一人暮らしに戻るのが嫌になってくる。



「そういえば、サトリちゃん」



 と、雛が口を開く。



「サトリちゃんはこの六年、どんなところへ行ってたの?」


「いろいろだなあ」



 雛の問いに、そう答える。



「南は沖縄から、北は北海道まで、絵にする山や海を求めて行ったり来たりだった」



 滞在期間は、長くて三ヶ月、短い時は二週間ほど。

 週末は決まって祖父と一緒に山を海を歩きまわっていた。よくよく考えればすごい生活だ。

 それが気にならなかったということは、そんな旅ずくめの生活が、結局、俺の性に合っていたのかもしれない。



「いいな。サトリちゃんはいろんなとこ行けて」



 雛はしみじみと言った。



「雛も行くだろ、旅行とかで」


「行けないよ。わたし、化粧町から外、出たことないんだ」


「マジか。でも、買い物とかは」


「久さんとか、若いお手伝いさんにお願いしてる」


「学校は?」


「中学までは町にあるし、高校は通信教育」


「……おまえ、やっぱり箱入りだよなあ」


「……だよね、ちょっと変だよね……」



 自嘲じちょう含みにため息をつく雛。



「わたしの世界はこんなに狭くて……だから、自由なサトリちゃんのことが……」


「雛、お茶、おかわり!」



 なにやらブツブツとつぶやきながら、沈んだ様子の雛。

 それを励ますように、務めて明るく声をかけた。



「サトリちゃん」


「暗くなってないで、飯食ったらまたゲームしようぜ? 今度は何にする? カブにするか? まあ、なんにせよ、雛が俺に敵うはずないけどな」



 不敵に笑ってみせると、雛もまた、挑戦的に口の端を釣り上げる。



「言ったね、サトリちゃん。今度は絶対負けないよ!」



 そうして、雛のリベンジマッチが始まった。

 結果俺は二度目の「サトリちゃんなんて嫌いだよう」をいただいた。

 悪いことをしたと思う反面、なぜだろう。涙目の雛を見られるなら、またやりたいと思ってしまう。


 性癖か。







 夜。いつもの時間。

 なんとなく、また彼女がいる気がして、縁側に出る。


 蒼ざめた月の光が辺りを照らす。

 そのなかに、やはり、というべきか。狐面の少女は居た。



「昨日の謎かけ、わかった?」



 わからない。と言うべきだろうか。

 自分なりの答えはある。だが、それが彼女の求める解ではないという確信もまた、ある。


 しばしの逡巡しゅんじゅん

 その間に、狐面の少女はまた、口を開いた。



「じゃあまた、謎かけをしましょう」



 彼女は言った。



「水の江の龍神さまは、なんのためにあの場所に居るの?」



 わからない。

 雛はそこまで説明はしてくれなかった。

 かつて龍神川だった場所に建つ、龍の住まう神社。

 くらまし地蔵尊と同様、人為の色が強い、神秘の場所。

 あの三日月湖が、人工的に作られたとしたら。水に住まう龍をあそこに留めたかったとしたら、それはなぜなのか。


 答えは、容易に出てこない。

 しかしそれは、くらまし地蔵尊の謎かけに繋がる問いなのだろう。なんとなく、そんな確信がある。


 だが。



「キミは何者なんだ。いや――キミは雛と、どんな関係なんだ」



 なによりも、そのことが気にかかる。

 どこか雛に似た雰囲気の少女。狐面の奥には、どのような顔が隠されているのか。


 しかし、やはりというべきか。

 俺の問いに、少女は答えようとない。

 ただ、苦笑の気配を残して、狐面の少女は闇色の袖をひるがえし、姿を消した。






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