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第拾参話 黒沼繭


第拾参話 黒沼繭



 黒装束に、顔には狐の面。

 目を見張るほど冴えた黒髪の少女。

 はじめて見た、あのときのままの姿で、彼女はそこに居た。


 闇の代わりに、白い霧をまとって。

 白一色の世界を汚す、染みのように。



佐鳥さとりちゃん……そうなっちゃったか」



 黒沼繭くろぬままゆ

 黒沼家当主にして白沢雛しらさわひなの双子の姉。

 狐面越しの声には、気のせいだろうか。憐れみにも似たなにかが混じっている。



「血の濃い人でも、めったにないんだけどな。やっぱりホウジ稲荷の封が緩んだのが、悪かったかな」



 わからない。

 彼女がなにを言っているのか。


 ただ、彼女の声は、いたずらに俺を不安にさせる。

 いつものように。



「なにを言っているんだ?」


「いまの佐鳥ちゃんの姿についてだけど……いらっしゃいな」



 黒い少女が誘う。

 その声には、抗いがたい力が秘められている。


 ふらふらと、足は前へ。少女の元へ。

 その間に、考える。自分が何のためにここに居るのかを。

 ひどくあいまいになった記憶の中でも、それは明確に思い浮かべることができた。



 ――化粧町から、出ていくため。雛に、自分の翼で飛ぶその方法を、見せてやるため。



 ふっ、と頭の中の靄のようなものが消えた。

 体の違和感も、視界も、すべて明瞭めいりょうになって――思い出した。


 霧の中、町の人間に不意うちに遭遇そうぐうして、無我夢中むがむちゅうで逃げて。

 それで俺は、この場所にたどり着いたのだ。この西入り谷にしいりだにに。



「……そこから戻れるなんて、よっぽど適性があるのかな」



 繭の姿が目の前にある。

 苦笑交じりに狐面を取りながら、ひょっとして、と彼女は言った。



「佐鳥ちゃんの母親も、どこか、人ならざる血を受けていたのかもしれないね」


「……なんのことだ?」


「いいえ、こっちの話」



 あらわになった艶のある口元に人差し指を置いて、少女はほほ笑む。

 きれいだな、と思う。なんとなく、祖父、青峰晴峰あおみねせいほうの描く自然画を思い出した。



 ――だが。



 我に返り、かぶりを振る。

 西入り谷。境峠(さかいとうげ)と並ぶ、俺が想定していた有力な脱出経路。

 この場所に、黒沼繭。化粧町黒沼家当主が居る理由など、ひとつしかない。



「お前も、俺を止めに来たのか」


「止めない理由はないね……でも、佐鳥ちゃんも正しいんだ」



 身構えた俺に、彼女は語る。口元に苦笑を交えて。



「雛。わたしの妹」



 と、言った。

 愛おしげな表情は、どこか母性を感じさせる。



「あの子は知らない。化粧町の外を。だから、なにも選べず、ただ流され――そのことを憎悪していた。雛を外の世界に出て来て欲しいって佐鳥ちゃんの行動は、まぎれもなく雛を救う行為で、わたしもそれには賛成なんだ」



 でも、と、彼女は言う。

 手元の狐面をいじりながら。



「わたしは帰ってきて欲しいんだ。雛に。外の世界を知って、そのうえで選んで欲しいの。わたしの化粧町を」



 以前にも、彼女は言った。選んで欲しいと。

 あの時は、俺にたいして“みそぎ”の本質を知り、どうするか選んで欲しかったから。


 今回は。

 雛にたいする彼女の言葉は、なにを思ってのことなのか。



「――この町は嘘まみれで、雛を縛ってるけど、逃げるんじゃなく、変えてほしいと思う。あの子にはそれが出来るんだ」



 雛はこの町が嫌いだからね。

 彼女は小声で言った。



白沢義盛しらさわよしもり



 続いて、少女は父の名を呼ぶ。



「――あの人も、この町の古い風習が嫌いだった。だから必死で変えようとした。事実変わった。儀式こそ変えられなかったけど、本家の人間であるあなたの父が、外に出られたのも、外の人間と結婚できたのも、義盛が頑張った結果なの」



 不思議に思っていた。

 あれほど閉鎖的な村で、父が自由だった理由。

 それは、伯父……義父ちち義盛の、力添えがあったからなのだ。


 しかし。

 彼が当主になった現在でも、雛を自由にできない。

 それほどこの町は、いまだ因習に縛られ続けている。



「わたしは雛に期待した。雛には佐鳥ちゃんがいる。佐鳥ちゃんが義盛を継いでくれれば、そして雛と力を合わせれば、義盛が出来なかったことも、きっとできると……でも、佐鳥ちゃんは、別の選択をした」



 そっと、突き放すような、少女の口調。

 その後に彼女は、うような表情になる。



「ねえ、佐鳥ちゃん。もし、雛が外に出たら、あの子の世話をしてくれるかな? また、帰って来てくれるかな」



 ――ひょっとして。



 思う。

 彼女こそは、雛とは比べ物にならないほどに、化粧町に縛られているんじゃないかと。

 縛られて、囚われて、それでも化粧町が好きだから、いっしょに町を変えてくれる人間を、狂おしいほどに求めてたんじゃないかと、そう思う。


 だから、笑って言う。

 彼女だって、小さいころ、いっしょに遊んだ幼馴染だ。



「安心しろ。俺の故郷は、この化粧町だけだ。当たり前のような顔して帰ってきてやるさ。町の人間に煙たがられながら、な」



 俺はこの町を嫌いになれない。

 雛を縛って壊した古くからのしがらみを憎んでも。

 おそろしい、あるいはおぞましいなにか・・・が垣間見えても。

 義盛伯父がいる、黒沼繭がいる、町のあちこちに、思い出がある。

 この、奇妙で不気味な色彩を帯びた田舎町こそが、俺のただひとつの故郷なのだ。


 視線の先に、繭がいる。

 繭は俺の言葉を噛みしめるようにして、そして苦笑した。



「時代は変わる。それに合わせて、この町も、ゆっくりと変わっていけばいい。そう思ってた。

 義盛は町を、大きく変えた。でもそれ以上に大きく、早く。若い人たちは変革を求めているんだね……雛や、仁のように。そして佐鳥ちゃんは、きっと化粧町にとっての、平忠兼たいらのただかねさまなんだ」


「平忠兼」


「この化粧谷を、人の世界に変えた人間」



 しのぶように語ると、繭はしばし目をつむる。

 まぶたの奥には、いったいなにが映っているのか。

 しばし川の音とたわむれた後、ふいに彼女は寂しげな笑みを浮かべて、川下を指差した。



「このまま龍神川を下っていけば、ふもとの町に出るよ。水は冷たいけど、夏だし、佐鳥ちゃんなら、なんとか岩伝いに下りていけるんじゃないかな」



 それは、俺が思い描いていた脱出経路だ。

 彼女にうながされるまま、川縁に向かって歩きはじめる。



 ――違和感がある。



 歩きながら、考える。

 なぜ、昔の話を思い起こすように語れるのか。なぜ、実の父を名前で呼び捨てるのか。



「繭、お前はいったい」



 たまらず振り返り、疑問を口にする。

 繭は、手にした面を、ゆっくりとかぶり。



「――昔話をしましょうか」



 ひどく優しい声で、そう、言った。



「……昔々、あるところの双子の女の子がいました。それぞれ別に育てられたけど、ある時、こっそりと出会うことにした。人の目を盗んで、西入り谷で――ここなら高い土手にさえぎられて、双子が二人でいるところは見られないしね」



 昔話。彼女はそう言ったが、雛と繭の話に違いない。

 それを語る少女の表情は、狐面で隠されて、わからない。



「――でも、双子の姉は、そこで落石に遭って死んじゃった。だから、崖様の瞳の奥に住んで、ホウジ様を見張っていた歳経としへたナニカは、悲しむ子供を思いやって……姉の体と魂を取り込んで、彼女になり替わりました」


「繭」



 絶句した。

 彼女の言葉は、相変わらず本当かうそかわからない。


 だけど、あまりにも、突拍子のない話だ。

 彼女の言葉を信じるなら、おそらくは彼女こそが、化生谷縁起の中にあった、平忠兼に焦がれた化生の娘に他ならない。


 狐面のまま、彼女は頭を下げた。



「ありがとう、あなたのおかげで、化粧町はまた大きく変わる。変わっていって……いつか、なにもかもが忘れられて、嘘がみんな消えるといいな」



 それは、なにを思っての言葉か。



「――だから、またね」



 繭はそう言って、手を振った。

 それに後押しされて、俺は振り向いて歩きだす。


 化粧町を出るために。

 この霧の町から飛び立って……愛しい少女の巣立ちを待つために。

 幽冥ゆうめいの世界にも似た霧の谷川を、外の世界に向かって迷わず進んでいく。


 外までの道は、容易ではない。

 だが、自分でも不思議なほどに、無事ふもとの町にたどり着ける、確信があった。







拝啓はいけい、青峰佐鳥様。残暑の頃、いかがお過ごしでしょうか。”



 そんな文面で始まる手紙がアパートに届いたのは、夏も終わりの頃だった。


 送り主は、黒沼繭。

 郵便受けの前でその名を見てから、自室に戻って冒頭の文を読み始めるまで、十秒とかかっていない。

 帰って以来、あちらからなんの連絡もなく、悶々(もんもん)と日々を過ごしていた俺にとって、その手紙は、干天かんてん慈雨じうだった。



“予想通りかもしれませんが、こちらではひと騒ぎでした。山鐘楼やまじょうろうが鳴ったことや、貴方が化粧町から煙のように消えたこと。果ては化物が出た、などと言う人まで出る始末。さすがに義盛も、混乱を納めるのにひと苦労でした。”



 ――伯父さん、すみません。



 義盛伯父の苦労を思い、心の中で謝ってから、再び手紙を読み進める。



“結局、一連の脱出劇は、「貴方に外で暮らす猶予ゆうよを与えるかどうかの、義盛と貴方の賭け」ということで落ち着きました。不服を唱えた人も少なくはありませんでしたが、大した問題ではないので、気にしないで下さい。”



 大した問題ではない。


 たしかに、そうだろう。

 白沢と黒沼、二家の当主がそう言って収めたのなら、収まらないことなど存在しない。

 しかし、だからといって今回の件は、軽い問題ではない。義盛伯父と繭には、相当な負担をかけたに違いない。



“これは貸しにしておきますので、きっと帰って来なさい”



 心の中を読まれていた。

 彼女が、自分で言った通りの化物かどうか、俺はどうにも信じ切れない。

 だが、彼女が年齢に似つかわしくない、老熟したものを持っているのはたしかだ。



“そういえば、屋敷の裏に、杜鵑草ホトトギスの花が咲きました。毎年この花を見ると、秋が来たんだなあと実感します”



「おい、雛より先に花の話かよ……」



 突っ込んでから、便箋をめくる。



“貴方はどんな花が好きでしょうか? 思えば昔遊んでいた時も、花の話をしたことは、ありませんでしたね”



「いや、雛は? 雛はどうなった!? いいんだよ花のことは!」



“夏の疲れが出てくる頃です。ご無理などなさいませぬよう、お願い申し上げます。 敬具けいぐ



「終わった!? いや、便箋びんせんはもう一枚――」



“――追伸ついしん。携帯などの忘れ物をお届けしますので、よろしくお願いいたします”



「どうでもいいわっ! 肝心なこと書いてねえじゃねーかっ!?」



 もっとも知りたい雛の動静が、一切書かれていない。

 全力で突っ込みながら、興奮に聞きを切らしていると、唐突に、呼び鈴が鳴った。



「なんだよ、こんなときに」



 八つ当たり気味に毒づき、玄関の扉を開く。

 そのままの姿勢で、俺は完全に固まってしまった。


 年のころは十六、七。

 目を見張るような冴えた黒髪に、優しく整った顔立ち。

 出会った頃と同じように、白いワンピースに、麦わら帽。



「忘れ物の、お届けです」



 それは、まぎれもなく。

 待っていた、待ちかねていた、愛おしい少女の姿だった。



「――サトリちゃん。わたし……飛べたよ」



 引け目からか、不安からか。

 大きなトランクを引きずりながら、遠慮がちに訴える。

 そんな少女の様子は、まるで巣立ったばかりの雛のようだった。



 ――なるほど、これは、忘れものだ。



 不意打ちだった。

 完全にやられた。

 心は気持ちいいほどにしびれている。

 想いがあふれだしてきて、今すぐ目の前の少女に抱きつきたくなる。

 きっとあのお節介な少女は、飛び立つ雛に、全力で手を貸したに違いない。


 そのことに、心の底から感謝して。

 俺はとびっきりの笑顔とともに、愛しい少女に手を差し出した。



「ようこそ。雛」





 化粧町怪奇譚――了



化粧町怪奇譚、これにて完結です!

おつきあいいただき、ありがとうございました!

楽しんでいただけたなら、下の項目から応援していただけたらうれしいです!

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