表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/13

第拾弐話 けしょうまち


第拾弐話 けしょうまち



 外に飛び出す。

 庭先には、深刻な様子で出発を待つ、客人たちの姿。

 驚きの表情を向ける彼らに構わず、正面門まで一直線に駆ける。



「みなの衆! 佐鳥さとりを取り押さえろっ!!」



 義盛伯父の号令が飛ぶ。

 一瞬にして、全員目の色が変わる。

 俺を捕えんと動きはじめた彼らの表情には、ひとかけらの迷いも浮かんでいない。



 ――怖いな。



 身震いする。

 相手は百人近い。

 町の名士だ。みな若くはないが、それでも顔色を変えて襲いかかってくる怒涛どとうのごとき人の波には、恐怖を覚えずにはいられない。


 実際。

 この状況では、十歩先へ進むことすら困難だ。

 数の暴力。まともに行って門まで到達する可能性は、情けなくなるほど低いに違いない。



 ――だが、勝算はある!



 心の中で叫びながら、俺は群衆に突っ込んでいく。


 化粧町の人間は迷信深い。

 山鐘楼やまじょうろうが鳴った時の反応を見れば、それは瞭然。

 だから、初めて出会った時の白沢雛しらさわひなのように赤谷仁あかだにじんのように。



「うわあぁっ!? 首が!?」


「首が落ちたっ!?」


「ひえええっ!?」



 ――いとも簡単に騙される。



 仁少年にも使ってみせた、首が落ちる手品。

 羽織が崩れないように、シリコン素材で固定して、身をかがませる。

 準備さえ万全なら、むしろ簡単な部類のマジックだが、それも技量次第で真に迫る。


 山鐘楼が鳴って、その後現れた首なし男。

 ふいを突かれた化粧町の男たちは、のけぞるしかない。


 その隙を縫うように、逃げる。

 門を出た。すぐさま左手に折れて、三段になった石垣の、中段を走る。

 目指すは裏庭。薄くなった霧の中を、首を元の位置に戻しながら全力疾走。


 裏庭に出た。

 すでに備場(そなえば)の人間は、ほとんど出車している。残っているのは数人程度だ。



「――おうい、備場の衆! そいつを捕まえてくれえ!」



 後ろから、声が投げかけられる。

 我に返った男たちが、追いすがってきたのだ。


 しかし、遅い。

 とっさに反応できないでいる備場の衆を尻目に、一直線に奥へ、奥へ。

 全力疾走でトップスピードに乗った人間を、なんの準備もなく立ち止まっていた人間が、そうそう捕まえられるものではない。


 彼らが戸惑いながらも追いかけだした時には、俺は裏庭を駆け抜けている。

 向かう先は――



「くっ、御神所ごしんじょに行くつもりだ! 誰か車を出せ! 御神所に入られる前に捕まえるんだ!」


「無理だ! 道が細すぎて軽トラでも通れん!」


「追いかけても無理だ! さきに御禁所に入っちまう!」


「おい、誰か、白沢の御当主に! 独断じゃ入れん!」



 ――白沢家影仏の洞、ではない(・・・・)







 考えてみよう。

 青峰佐鳥は追われている。

 この場だけで百人近く。時間がたてば町中の人間に追われるだろう。

 そんな状態で、「町の人間が容易に入って来れない場所」に篭もる意味はあるか。



 ――無い。



 すこし考えればわかることだ。

 だが。全力で、迷いなく、一直線に神域へ向かう。

 そんな姿を見て、俺がとっさにそこまで考えていると気づく人間はいるだろうか。


 状況もよかった。

 霧はまだ薄く残っている。

 すこし距離が空けば、俺が途中で密かに走る方向を変えたことなど、容易に気づけないだろう。


 だから、相手の心理の虚を突けた。

 幼いころの記憶をたどりながら、草むらをかき分け、木々をくぐって向かった先は――白沢家別宅。



 ――常識的に考えて・・・・・・・羽織袴に足袋での逃走・・・・・・・・・・などあり得ない・・・・・・・


 万全の逃亡を図るなら、まずは服と靴の確保が最優先だ。

 だから。そこから目をそらすために、追手を別方向へと誘導したのだ。


 割り当てられていた部屋に入り、着替えを漁って、あたりの気配を探りながら、外に出る。

 別宅で、着替えと最低限の荷物を選別するのに要した時間は、約五分。逃走開始からは二十分弱。

 まだ追っ手は川上原(かわかみはら)白沢の御神所に、入ってすらいないだろう。第一関門突破、といったところだ。



 ――だが、そろそろ化粧町各所に、俺の捜索依頼が回っていると思った方がいい。



 脳内に化粧町の地図を描く。

 最短の逃走経路は、このまま白沢本家の屋敷の横を通って舗装道路まで出て、そこから北へ一直線。境峠(さかいとうげ)まで走り抜けるルート。


 所要時間は走って二時間。

 だが、そこまでの要所に、おそらく見張りが配される。

 優先する場所は、白沢本家、川上原一帯。川下原かわしもばらに向かう龍神川(りゅうじんがわ)の橋すべて。舗装道路ほそうどうろ南端にあるバス停。そして境峠。


 近場の要所は、すでに人が向かっていると思った方がいい。

 だから、俺が逃げるのは――南。脱出とは逆方向。川上原と奥の居(おくのい)へだてる、人を寄せ付けない、深い山林地。



 ――だが、道は……ある。



 別宅を出て、その道を探す。

 生い茂った草に隠れるように、それはあった。

 別宅の南側、そびえる山林へと登ってゆく小道。

 町の南へとつながっているであろうそれは黒沼繭が、赤谷仁が、白沢家の目を盗んで別宅に近づくことができた、奇術のタネ。


 途中張ってあるロープをくぐって奥へと進んでいく。

 しばらくして、遠くふもとで、数人の声が聞こえてきた。


 間一髪。

 もう五分、もたついていれば、捕まっていたに違いない。


 手荷物を最小限にとどめたのも正解だ。

 バッグと着替えが残っていれば、俺が別宅に寄った事実を悟られるのが遅くなる。

 羽織袴だけは、どこに隠してもバレる可能性を否定できないため、やむをえず持ってきたが。



 ――まだ、捜索の中心は白沢家の御神所周辺だ。



 音を立てないよう、慎重に進みながら、考える。

 これから連中は、川上原を封鎖して、中をしらみ潰しにするに違いない。


 だから、その間に。

 比較的警戒が緩い南側、奥の居方面から龍神川を渡る。

 そうすれば、第二関門も突破だ。すべての橋を押さえられる前に龍神川の外に出られれば、そこは包囲網の外。行動の制約は、飛躍的に軽減される。


 それを確信し、ふもとから十分距離をとってから、山道を駆けだす。

 祖父に連れられ、野山を駆け回った経験に感謝しながら、走り抜けて。



「――きた。どんぴしゃ」



 広がった視界に、山鐘楼のある御山おやまが入る。

 手前には龍神川。橋は目の前、人の姿はない。

 右手に奥の居の沼沢地を見るその場所に、民家はない。田舎万歳だ。


 橋の下にも、人の姿はない。

 息を殺し、左右を慎重に確認しながら、橋を渡る。



「第二関門……突破」



 口の中でつぶやきながら、にじんだ汗をぬぐった。

 霧はまだ晴れない。奥の居が近いこの近辺では、とくに霧が深い。

 そろそろ11時だ。この時間になっても一向に晴れない霧を不思議に思いながら、同時に感謝する。


 この霧では、遠くから見られても、俺が誰だかわからないだろう。

 なら、民家さえ避ければ、自分が見つかったことを知覚できない、などという最悪の事態は避けられる。



「――とにかく、龍神川からは離れないとな」



 橋の周りには必ず人が来る。

 避けた方が無難だ。となると、御山の尾根伝いを北へ向かうのが良策だろう。


 なにしろ、町の危機を知らせるという山鐘楼が鳴ったのだ。

 多くの人間は家に篭もるか、集まって警戒か、あるいは俺が逃走した事実を聞いて、捜索に出るか。いずれにせよ、御山付近は空白地だ。

 そこからホウジ稲荷のきわを通って北上、くらまし地蔵尊あたりまでは、ほとんど田園地帯なので、霧が続けばそこまでは進める。万一霧が晴れていれば……第二の経路で行くだけだ。



「そういえば、仁は無事なのか」



 ふと、山鐘楼を鳴らした少年について考える。

 大目玉は確実だろう。それでも俺よりはましな立場だろうが。

 俺が捕まれば……よくて一生、座敷牢ざしきろう暮らしといったところか。


 そんなことを頭の片隅に考えながら、早足で御山に向かう。

 走りはしない。音で異常を知らせてしまうのは、極力避けるべきだ。


 どの道、逃走開始から一時間も経っている。

 早ければ白沢の御神所に、俺が居ないことも気づかれたころだ。

 警戒網を広げ始めたであろうこの時期、目立てば通報の恐れがある。


 だから、ゆっくりと、急ぐ。

 遠目からはけっして怪しまれないように、早足。


 御山の際に達し、そこから北上する。

 人には出会わない。だが、ときおり遠くを車が通る音がする。



「……捜索の人間か?」



 警戒混じりにつぶやきながら、なお進む。

 しばらく行くと、遠くに自動車の、フォグランプの光が見えた。

 明かりの数から、車は三台。ときおり光をさえぎる、いくつかの人影が見える。


 位置を考えれば、上川原のバス停。

 こちらはまだ、気づかれていない。

 話し声らしきものが聞こえてくるが、距離が離れているため、拾える言葉は断片的でしかない。



「新婿が逃げた」「羽織姿」「白沢にはいない」「境峠に行った連中」「ひょっとして、川上原から出ている」



 単語から予想するに、だいたい想像通りの流れらしい。


 すでに境峠は封鎖された。

 町唯一の出入り口が封鎖された以上、どんなに他所がざるでも脱出しようがない。


 と、普通なら考えるだろう。

 だが、別の道は、なくはない。

 境峠の際の山道を抜けていくという手もある。

 いま考えれば、来る時寝ていて地形を覚えていなかったのは、手痛い失敗だったが。


 だが、まあ、いまさら言っても仕方ない。

 とりあえず、この場を脱出するのみ。

 と、振り返って。



「ふー、すっきりした……」



 至近距離に、男の顔があった。

 沈黙は一瞬。我に帰るまでもう一瞬。



「わあっ!? い、いた――」



 叫ぶ男を突き飛ばすようにして走る。



「おい、どうした!」


「何かあったか?」


「い、いたんだ! 見ない顔だ、白沢の御当主が言っとった新婿に違いない!」


「おい、御当主に連絡だ! 俺らは追うぞっ!」



 声を背後に聞きながら、東と思われる方向へまっすぐ走る。

 人の目など関係ない。とにかくいまは、逃げること最優先だ。


 走る。走る。

 今度は靴ばきだ。不案内な場所、霧の中とはいえ、簡単に追いつかれはしない。



「おい、あいつ」


「とまれっ! そっちはホウジ様だぞ!?」



 わかっている。

 だから行くのだ。

 なにしろホウジ稲荷は“影仏の洞”や“泥仏様”と同じ、一般人が容易に入れない神域。急場に追手を撒くのに、うってつけだ。



「待てーっ!」



 声が、しだいに遠くなっていく。

 早足ながらも、すこし休めたせいで、体力は残っている。

 短く息を切らしながら、重くなってきた手足を振り抜いて、ついに目的の場所に到達した。







 霧の中、なお暗い。

 そんな状態を、どう表現すればいいのだろう、

 とにかく、不吉な存在感をもって、その小さな森は存在した。


 ホウジ稲荷。

 かつて化生谷にんでいた化物を封じた神社。

 一度来れば、もう一度来ようとは思えない、不吉で異質な場所だ。


 もし、黒沼繭くろぬままゆの正体がわからないまま。

 あの正体不明な狐面の化生のままだったなら、この状況でも、けっしてこの場所へは来なかっただろう。

 だが、彼女の正体が判明して、彼女がもたらす奇妙な惑いは、半ば消えた。そのぶん、ホウジ稲荷への恐れも軽減されている。



 ――そう。なにも恐れることはない。



 自分に言い聞かせながら、不気味の森に足を踏み入れる。

 気のせいか、肌が泡立つ。


 怖気おぞけ

 耳鳴り。

“禊の儀”の時の比ではない、おぞましい気配。


 だが、追手はじき来る。

 まずは森の入口近くの木陰に、持ってきていた羽織袴を吊るして、人がいるように偽装。



 ――このままホウジ稲荷を横切って、裏手から、抜ける。



 不吉な予感をごまかすように、段取りを考えながら、進む。

 覚えのある、逆向きの狛犬。しめ縄で何重にも封じされたホウジ稲荷が見える。


 寒気がする。

“禊の儀”の時感じたものと同質の。


 体が熱い。

 肌が、ごわごわする。

 まるでゴム製の全身スーツでも着ているような違和感。



 ――体が、熱い。



 しかし魅入られたように、前に進む。

 吸い込まれるように、足は社に向かってしまう。


 そして、見えた。

 ホウジ稲荷の格子扉の向こうから。

 ナニモノかが、こちらを覗きこんでいるのが。


 からだが。

 すいこまれる。


 うごかない。

 なのにあしがすすんで。


 こわい。

 とびらのむこうになにかが。

 ……いる。


 したなめずりしながら。

 おいでおいでとよんでいる。



 ――怖い。



 その時、鐘が鳴った。

 七色の鐘の音。山鐘楼の鐘の音。

 魅入られていたと感じ、とっさに走る。

 逃げる。逃げる。町の人間に捕まってもいい。



 ――あれにだけは捕まっちゃいけない!



「おい、また鐘が!」


「山鐘楼が!」


「霧が! 霧が! 前が見えない!」


「何かが! 白い何かが!」



 跳んで逃げる。

 あそこは怖い。無我夢中むがむちゅうで走る。

 田んぼの泥がつくのもかまわない。


 視界は真っ白。

 わずか数十センチ先が見えない。

 だが、恐怖が、耐えがたい衝動が背中を押す。

 自分がどこへ向かっているのかもわからない。



 ――とにかく、遠くへ。



 それだけしか頭にない。

 自分がどんな道を通っているのかもわからない。

 だけど気づいた時には。目の前に。六体のお地蔵様が……並んでいた。



 ――くらまし地蔵尊は、なにをくらませるんだろうね?



 ふいに、黒沼繭の言葉を思い出す。

 その瞬間。地蔵の口が、三日月をかたどったように見えた。



「ひいっ!?」



 四つん這いになって駆けだす。

 怖い。見る位置を変えるたび、姿をあらわしたり消したりする地蔵。

 それが、振り向けば追ってくるような錯覚に囚われ、泣きながら逃げる。



「うわ、なんだ!?」


「おい! いま、何か通ったぞ!? 新婿じゃないのか!?」


「無茶言うな! この霧だ! なんにも見えねえよ!」


「いや、俺は見たぞ! なにかが頭の上を跳んでいったんだ!」



 逃げる。逃げる。

 行きついた先には、湖。

 水の江神社。そこに住むのは、龍神川の龍神。

 光はない。だから、木漏れ日が描く龍神が、出現するはずもない。


 だというのに。

 霧の中に、光が波打って。

 こちらに向かって、鎌首をもたげて。



「うわああああっ!!」



 山鐘楼は鳴り続ける。

 それから逃げるように、めちゃくちゃに走り回る。

 自分がどう逃げたのかも、すでにわからない。だけど、気がつけば。俺は、そこに居た。


 さらさらと、沢の音。

 足元は、ごろごろとした石。

 まるで、三途の川に迷い込んだかと錯覚するような光景。


 頭上には、巨大な気配。

 いつでも、どこでも、こちらを向いている、摩崖仏まがいぶつ。崖様。


 そして彼女は。

 あたりまえのように、そこに居た。


 黒装束。

 狐の面。

 奥の居黒沼家当主。

 入れ替わった双子の姉。

 人を惑わす化物のような少女。

 奇妙で不気味なおとぎ話の語り手。



 ――黒沼、繭。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ