表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/13

第拾壱話 籠の鳥


第拾壱話 籠の鳥



 朝、目を覚ます。

 湿った空気が、鼻孔びこうをくすぐる。

 いつもより湿気が濃い。起き出して、縁側に出る。


 白い世界が、外に広がっていた。



「これは……」



 時期外れのひどい霧。

 手を伸ばすと、指先がぼけて見える。

 しばらくそうしていると、居間から人が出てくる気配があった。



「おはようございます、旦那様」



 近づいてきて頭を下げたのは、お手伝いの少女、うめだ。

 このひどい霧の中でも、生真面目な顔はまったく崩れていない。



「――朝餉あさげの準備が整いましたので、いまお呼びしようと思っていたところです」


「ああ、ごめん、すぐ行こう……しかし、ひどい霧だな」


「そうですね。化粧町は霧の深い土地柄ですが、この季節にこれほど深い霧は、記憶にありません」



 そろって居間に向かいながら、話す。

 話しながら、振り返り、霧に向かってもう一度手を伸ばす。



 ――この霧は、俺にとって悪いじゃないな。



 心の中で、そうつぶやいて、踵を返した。


 朝食は、ご飯と油揚げの入ったみそ汁。

 ほうれん草の白和えに、生卵、火でさっとあぶってパリパリにした海苔と、焼き鮭。

みそぎ”が終わったからだろう、魚が入っている。喜ばしいことなのだが、どうも素直においしいと思えない。



 ――雛の料理、本気でツボだったからなあ。



 しみじみと考えながら箸を進めていると、お手伝いの少女が、唐突に口を開いた。



「今朝は顔色がよろしいですね。失礼ですが、昨日は死人のようでした」



 当然だろう。

 信じていた、しかも惚れた女に裏切られたのだ。平気なはずがない。

 だが、すでに覚悟を決めた。やるべきことを正面から見据えて、そこから逃げるつもりはない。顔色が戻ったのは、それだけ腹を据えたからだろう。



「そういえば、俺の携帯は? 儀式のあいだ、預かっててもらったんだが」


「お嬢さまより、旦那様が携帯電話を所望された時にと、言伝ことづてを預かっております……“駄目だよ”と。

 もとより旦那さまの携帯電話は、お嬢様が持ち出されていますので、梅ではどうにもなりませんが」



 さりげなく尋ねたが、先回りされていた。

 雛にしてみれば当然の備えだろう。こちらにしても、取り戻せればもうけもの、程度の話。



「梅は」



 考えていると、少女が口を開いた。

 実直な瞳は、まっすぐこちらを向いている。



「――梅は、お嬢さまには幸せでいて欲しいと願っています。旦那さまは、お嬢様が不満なのですか?」



 その問いは真摯しんしで、まっすぐで。どこかうような。

 だから俺も、本音を口にする。



「いや。俺も、雛には幸せになって欲しい。でも、雛は――そう思ってないんじゃないか?」


「お嬢さまが?」


「ああ……雛は、俺と幸せになりたいんじゃなくて、いっしょに不幸になりたいと思ってる。そう感じた」



 しばらく、無言で視線を交わす。

 ややあって、少女はくるりと首をひねると、口を開いた。



「旦那さまは、お嬢さまを幸せにするおつもりですか?」


「ああ。当然だ」



 それが一番重要だというような、明快な問い。

 それに対して俺もまた、まっすぐに答えた。







 食事の後、梅とともに本宅へ向かった。

 着せられた羽織袴はおりはかまは、人生の大事をあらわすようだ。

 時刻は九時を迎えようというのに、霧はまだ晴れない。

 それでも多少は晴れてきた視界の端に、列をなす車群があらわれた。


 位置的に、白沢家本宅の裏庭。

 だとしたら、客人の車だろう。見える範囲で、すでに二十台は止まっている。

 それを横目に見ながら、三段になった石垣の中段を通り、本宅の正面に回り込む。


 すでに多くの客が集まっていた。

 梅いわく、その多くが川上原の住人ということだ。

 彼女が俺のことを「白沢本家の新婿にいむこ様です」と紹介すると、みな喜色を隠さず、「おめでたい」と祝福してくる。


 笑顔に影はない。

 純粋に白沢家の祝事を喜ぶ。

 あるいは新たな人間を迎え入れる喜びにあふれている。


 だから。

 もし俺が雛を、そしてこの化粧町を裏切れば、この好意はたやすく反転するだろう。

 無限の喜びを反転させた、無尽蔵の怒りと憎悪を、迷いなく叩きつけてくるだろう。


 当たり前のように、そう思った。



「――おお、佐鳥、待っていたぞ!」



 屋敷に入ると、広間で客の応対をしていた伯父、白沢義盛しらさわよしもりが出て来て、上機嫌で手招きする。



「伯父さん」


「こら、これからは義父ちちだろう」


「すみません、いきなりで慣れていないもので」


「娘の我儘を押しつけたようで、悪く思っていたが……腹を決めてくれたか」



 こういう言い方をするからには、伯父はなにもかも承知だったのだろう。

 こっそり相談くらいはして欲しかったが、それを止めたのも、おそらくは雛か。



「ええ。腹を決めました」



 俺は伯父の顔を真正面から見つめて、言葉を返す。


 そう、俺はすでに腹を決めている。

 ただし、伯父の思っている腹とは、すこし違うけれど。


 それにしても人が多い。

 差しで込み入った話は、やはり出来そうにない。



「御当主様、すみません。お嬢様がお待ちです」


「ああ、すまん。佐鳥、雛のところへ行ってやってくれ」



 梅は伯父にことわると、俺の羽織のすそを引いて、奥へと誘う。

 広間の上座かみざには、小さな舞台が出来ていて、その上に、雛がすまし顔で座っている。


 白無垢しろむく姿の雛は、見惚れるほどきれいで。

 だけど、泣き笑いのような表情を、隠しきれずにいた。

 目が合ったが、視線を逸らされる。まるで俺に言葉をかけられるのを避けるように。


 糾弾されることを、怒りを向けられることを、恐れているのだろうか。

 苦笑しながら、花嫁と肩を並べ、堂々と舞台に座る。雛は、わずかながら、おびえるように身をすくめた。



「宴の最初、みなさまが集まったところで、挨拶を求められるかもしれませんが、基本的には、ここに座って挨拶を返してお酒を飲むだけです」



 説明してくれた梅は、そのまま台所へ向かった。

 台所で獅子奮迅の働きをしているというお久さんの、手伝いのためだ。

 川上原(かわかみはら)の奥様方も総出になって今日の準備をしているのだが、それでも手が足りない。そう言われて納得できる混雑ぶりだ。



「佐鳥、こちらが川下原(かわしもばら)の自治会長の――」



 来客はますます増えていく。

 この様子では裏庭も、すでに満車状態だろう。

 そんなことを考えながら、ときおり伯父が連れてくる化粧町の名士に挨拶を返す。

 挨拶を交わす人が増えるたびに、この化粧町に縛られてゆく錯覚を覚えずにはいられない。


 籠の鳥。

 雛がそう言った気持ちがわかる。

 因習を、理不尽なしきたりを、当然のように思う人間の、好意の檻に、雛は囚われているのだ。

 彼らにとってのあたりまえが、彼女をどれほど苦しめているか、わかりもせずに。寄ってたかって彼女を好意の檻に閉じ込めた。


 誰も悪人などいないのだ。

 だからこそ……救えない話だ。そう思う。



「――みな、本日は我が娘と婿のために集まりいただき、感謝する」



 頃合いになって、義盛伯父の挨拶が始まった。

 広間には、すでに百人を越える人間が集まっている。

 その中には、“禊の儀”の御当人の幾人かや、黒沼家当主、黒沼繭(くろぬままゆ)の姿もあった。



「知っての通り、先日、娘雛を御伽人(おとぎにん)に立て、“禊の儀”が執り行われた。御当人(ごとうにん)、そして黒沼家当主に置かれては、その助力に感謝し――」



 俺は考える。白沢雛のことを。

 雛は、別宅に押し込められて育てられたせいか、幼いところのある少女だ。

 次期当主として教育を受けてきた。化粧町の奥の人間に接して、伝統の大切さを、伝承のありがたさを、そして郷土に対する愛を教えられてきた繭とは、そこが違う。


 だから、雛は憎んでいる。この町のあり方を。

 そして、望んでいる。このやさしくて不気味な、小さな世界から逃れることを。

 でも、世界が壊れるのが怖いから。でも、たった一人、世界を憎むのは心細いから。


 だから、俺を引きずりこんだ。

 いっしょに逃げることはできなくても、いっしょにこの町を、憎むことはできると信じて。



 ――バカヤロウ(・・・・・)



「紹介しよう。わたしの娘婿として白沢家を継いでもらう――」



 伯父が俺を紹介しようとした、まさに直前。


 鐘の音が響いた。

 波のように、動揺が広がる。

 そんな中、鐘は鳴り続ける。七色に(・・・)

 化粧町の危機を七色の音で知らせるという山鐘楼(やまじょうろう)が、まさにその役目を果たしているのだ。



「……おい、山鐘楼が」


「いったいどういうことだ!」


「山鐘楼が! 山鐘楼が!」



 混乱が、しだいにパニックへと変わっていく。

 それが喧騒と怒号の合唱にかわる、まさに直前。



「静まれいっ!!」



 白沢義盛の大喝が、一瞬にして場を鎮めた。

 しん、と静まりかえった広間に、義盛伯父が檄を飛ばす。



「白沢家当主として命じる。山鐘楼が鳴った! 危機に備えよ! まず備場(そなえば)の衆は急ぎ戻って変に備えよ! 川上原、川下原の衆はまず備場の衆を先に送り、混雑を避けて順次持ち場につけ!」


二江(にえ)奥の居(おくのい)の衆も同様に、備場の衆が車を出すのを邪魔しないように」



 続いて繭が静かな、だが通る声で号令する。

 人々は二人の命令に従い、緊張と混乱の余韻を残して、あわただしく出ていった。



「お前たちは、ひとまず待機しておくように」



 言い置いて義盛伯父が。それに従い繭も外へ向かう。

 繭は去り際に、非難がましい視線を残していった。


 明敏な彼女は、察したのだろう。

 山鐘楼を鳴らさせたのは俺で、実行犯は、彼女の許嫁、赤谷仁(あかだにじん)だと。


 昨夜、俺のところを訪れた仁は、披露宴をぶち壊しにするという俺の提案に、もろ手を挙げて賛成した。

 仁少年は俺のことを憎んでいるが、俺と雛との結婚を邪魔するようなことならば、むしろ喜んでやってくれる。


 平たく言えば、俺は仁少年を巻き込んだのだ。

 この馬鹿げた世界に風穴を開けるために。



「……サトリちゃんがやったの?」



 繭の視線の意味に気づいたのか、雛が、剣呑な視線を向けてきた。

 それを跳ね返すように、俺は胸をそらして言う。



「そうだ」


「どうして?」


「……逃げるため」



 にやりと、意地の悪い笑顔を向ける。

 雛が顔色を変えた。



「いまさら、町中を敵に回すつもり?」


「ああ。そのつもりだ」



 悲鳴めいた雛の言葉に、俺は笑って返した。

 理解できない、でも言いたげな表情の彼女に、俺は続ける。



「――お前は、怖いんだろう? この町の風習が嫌でも、そこから逃げるのが、怖いんだ」



 雛が息をのむ。

 図星を指されたような、それでも認めたくないような、そんな情けない表情。


 なんとなく、思い出す。祖父、青峰晴峰(あおみねせいほう)のことを。

 昔、両親が死んで、壊れた世界の中で途方に暮れていた自分。

 あのときの俺は、祖父からはこんな風に見えていたのかもしれない。


 そう思いながら、にやりと笑う。

 笑いながら、俺は祖父晴峰に倣って声をかける。



「俺が教えてやるよ、雛。この小さな世界が絶対じゃないって。外にはもっと大きな世界があるって。誰だってそこへ飛び出せるってことを」



 立ち上がりながら、雛に拳を伸ばす。



「来いよ雛。いますぐじゃなくっていい。自分の羽で飛びあがって見せろ。俺が先に飛んで見せてやる。俺がお前に――飛び方を教えてやる!」


「嫌、だ……置いてかないでよ。行くのなら、いっしょに連れてってよ……」



 その姿は、飛び方がわからず、巣の中でただ震える雛のよう。


 出来れば、いっしょに行きたい。

 でも、それでは駄目だ。意味がない。

 自分で選ばなくては、雛はまた、別の籠に囚われてしまうだろう。


 だから、俺は笑って首を横に振る。



「やだね。自分で飛んでこい」



 衝撃を受けたように、雛は呆然と座りこむ。

 そんな彼女に背を向けて、俺は外に向かって駆けだす。



「サトリちゃん」



 弱弱しい声には、俺を止める力などない。

 だから、迷わず駆ける。出口に向かって。羽ばたくために。


 そのまま外に出ようとして、足を止める。

 玄関口に、一人の男の姿があった。義盛伯父だ。

 その面には、かつて見たことのないような、厳しい表情が張り付いている。



「お前の仕業か、佐鳥」



 すべてを聞いていたのだろう。深い怒りを含んだ声。

 百の人間を圧した迫力が、ただ一人、俺だけに向けられている。

 だが。



「そうですよ、義父さん」



 俺はまっすぐに視線を返す。

 覚悟は、とうに定めている。



「貴様――」


「俺はね、義父さん。許せないんですよ。雛をがんじがらめに縛って病ませた化粧町が、大好きだけど、大嫌いです。だから」



 だから、俺は、布告する。

 化粧町の権化ごんげのようなこの男に。



「雛が自分の羽で飛べるようになるために、俺はこの町の風習と、化粧町すべてに――喧嘩を売ります」


「行かせると思うか? この場にはいまだ百近い人間が居るんだぞ?」


「上等。でなけりゃ雛に、勇気なんてあげられないっ!!」



 慎重に背を向けて、それから走りだす。

 背後から、つぶやくような声がきこえる。



「昔は父を、古い因習に縋りついた頑固ジジイと罵ったものだが、仁といい、おまえといい……」



 聞きとりきれないつぶやきの後、義盛伯父の、雷鳴のような声が背中から飛んできた。



「みなの衆! 佐鳥を取り押さえろっ!!」



 屋敷から飛びだしながら、俺は心の翼を広げる。

 惚れた女のためだ。怖いものなど何もない。



 ――さあ、化粧町三千人を相手にした、鬼ごっこの始まりだ!




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ