27話「滅びる町」
※ 今回はちょっと長いです
1
今年の夏に実家に帰ったのは、自分の夢をもう一度見つめ直すためだった。
夏頃、幼稚園に現れたデスメアードは美しい夢を持っていたにも関わらず、歪んだ手段でそれを実現させようとして、結果的にライバルに殺されてしまった。その姿を見て、沙穂は自分の進んできた道が間違いないか、今一度振り返ることにしたのである。
将太の墓参りに通い、仏壇にも手を合わせた。母親は沙穂の夢を笑顔で応援してくれた。「沙穂ちゃんにはぴったりね」と、一緒に洗い物をしている時に言っていたのを思い出す。
一方、父親は何も言わなかった。沙穂の夢を応援するわけでも、けなすわけでもなく、ただその話題を避けるように「一人暮らしには慣れたか?」と社交辞令めいたことを述べるだけだった。
それでも高校時代の友達や母親や角平に励まされ、何よりもひたむきに頑張るライバルの姿を思い出して、沙穂は夢に燃え、再び指場の地を踏んだ。
踏んだ、はずだった。
しかし結局、沙穂は将太の影から逃れることができなかった。夢に向かって突き進む裏側で、その影は着実に育ち、いつしか沙穂を呑みこんでいった。育てたのは他の誰でもない、自分自身だ。悪夢は消えてなどいなかった。ただ、ライバルという存在に縋りつくことで、目を逸らしていただけだった。
黒く閉ざされた視界には一片の光さえない。気が付けば周囲を囲んでいた高いフェンスも、その向こうに広がっていたはずの地平線も灰色の空も、黒一色に塗りつぶされていた。
視界の限りを埋めるのは、音も匂いも風もない、単なる虚無だった。
そして冷たい手に引かれ、沙穂はさらに暗く、深い場所に連れていかれようとしている。
しかし沙穂の心は不思議と穏やかだった。悪夢に弄ばれ、夢を失った人間がたどり着く結末として、それは妥当であるようにさえ思えた。青白い腕の力に抗うことのない沙穂の体は、指先の方から少しずつ闇に溶けてなくなっていく。
青白い光に包まれた将太が、前方に浮かび上がる。彼は生きていた頃と同じ無邪気な笑顔で、沙穂を待っていた。
「将太……今まで、ごめんね。お姉ちゃんを、許して」
十二年前のあの日、もし笑顔で別れることができていたら、こんな結果にはならなかったのだろうか――そんな妄想をふと脳裏に過らせながら、沙穂は目を伏せる。
自分の胸元で、何かが強く輝いていることに気付いたのはその時だった。
光を発していたのは、角平からもらったネックレスだった。今の今まで、着けていたのをすっかり忘れていた。沙穂はふと、背後に気配を感じて振り返る。そこには一本の腕が、白い光に包まれて浮かんでいた。
沙穂を掴んでいる腕とは対照的な、温もりに溢れた輝きに沙穂は目を奪われる。
躊躇はあった。人を裏切り、夢を捨てた自分が、そんな優しい光を今更求めてもいいのだろうか、と。おそらく許されないに違いない。後戻りを請うことすら、おこがましい。
だが結局、自分の心に嘘はつけなかった。体の底から突き上げてくる衝動に動かされるがまま、手を伸ばす。逆側の手首を掴んでいた青白い腕が、徐々に引き剥がされていく。沙穂は最後にもう一度、深淵の果てに目を向けた。遠ざかっていく将太の幻影が薄らいでいく。彼は完全に姿を消してしまうその時まで、ついに笑顔を絶やすことはなかった。
光が、辺りを包み込む。暗闇がまるで、夜明け前の空のように白く滲む。景色の中に木々がうっすらと浮かび、石柱が現れ、気付いた時には沙穂は森の中にいた。
汗が噴き出すような気温や、焦げた臭いや、遠くで響くサイレンのような音が、五感に殺到する。それらの感覚から、沙穂は今まで自分のいた場所が夢の中であり、たった今、現実世界に戻ってきたのだということを悟った。
「沙穂ちゃん!」
足元の方から呼びかけられ、沙穂は視線を向ける。するとこちらに向かって走って来るヘルドリマーの姿が見えた。立っている自分よりも、さらに下に彼の姿が見えるとは、一体どういうことなのか。少し考え、すぐに結論に至る。
沙穂は宙に浮いていた。わずかに茶色みがかった半透明の球体の中に入れられ、まるで紐の付いた風船のように、一定の高さで留まっている。
沙穂ちゃん、と叫びながら走るヘルドリマーの声は、紛れもなく角平のものだった。黒衣はところどころが破け、裂けている。疲労を纏うその姿を見て、沙穂は彼が一体何を思い、何を果たしたのか瞬時に理解し、胸がいっぱいになった。
「かっくん……」
沙穂はおずおずと手を伸ばす。その指先が球体の壁面に触れた途端、球体はガラスが割れるようにいきなり砕け散り、沙穂の体は突然宙に投げ出された。
ヘルドリマーが、すかさず前に飛び出す。沙穂は吸い寄せられるように、その胸に飛び込んだ。彼は後ろによろけながらも踏みとどまり、沙穂を抱き止める。背中にまわされた腕、戦闘服ごしでも伝わってくる少し固い体の感触が、沙穂を驚くほど優しく包み込む。
「良かった。今度は……受け止められた」
安堵のこもった角平の声が、耳元を甘くくすぐる。
「あっ……」
思わず声が漏れた。温もりが余すことなく、肌に染み込んでいくのを感じる。それは真冬の陽だまりのように心地よく、心を落ち着かせた。
そして安堵すると、自分の醜くひび割れた手が目に入るようになった。こんな体に触れさせることが申し訳なく思え、身を捩る。しかし彼は逃がしてはくれなかった。
「俺、もう絶対に離さないから……沙穂ちゃんの側にずっとずっといるから……」
白いマスクによって覆われた表情を、読み取ることは難しい。しかし彼の声は、今にも崩れ落ちてしまいそうなほど震えを帯びており、今、マスクの下でどんな表情を浮かべているのか、予想することはあまりに容易かった。
「何度裏切られても、どんな姿になっても構わない。好きなんだ。沙穂ちゃんのことが。どうしようもないくらい、やっぱり……好きなんだ」
そう言って彼はさらに強く、腕に力をこめる。肩に鼻を押し付けられ、汗と泥と血の入り混じった香りが、嗅覚を衝いた。しかし沙穂はその匂いさえも、とても愛しく感じた。
「それが……俺の夢なんだ。やっと沙穂ちゃんのおかげで見つけられた、夢……」
「……かっくんの、夢……?」
強く瞬きをしながら目線を横にやると、彼は僅かに顎を引いた。
時間軸さえごちゃ混ぜになった、様々な感情が胸中に渦巻く。この温もりを受け入れるべきかどうか、それさえも判断できず、沙穂は腕をだらりと垂らしたまま彼に抱かれる。
沙穂の答えを待つこともなく、時間は容赦なく流れ、辺りの景色は移り替わっていく。周囲に鬱蒼と生い茂っていた木々が、瞬くような速度で次々と塵になっていき、空は排水溝に流される水のように、渦を描きながら色を失う。足元の地面もまた、土から石畳に変貌していく。その光景はメアード空間が解除される時に似ていた。
五つの石像も、沙穂が寝かされた石台も渦の中に巻き込まれて消え失せる。静謐な空気漂う、神聖なる世界は、十秒と経たずに跡形もなくなってしまった。
気が付いた時には、沙穂は神社の鳥居の前に立っていた。枝を広げた大木が、まるで威嚇する魔物のように闇の中に浮かぶ。吐く息は白く、冷たい空気がぴんと張りつめている。
沙穂とヘルドリマーはどちらともなく体を離し、周囲の様子を窺った。
「戻って、きたのか……?」
角平が、不安げに呟く。そして沙穂は何気なく月の浮かぶ空を見上げ、その先で――あまりにも恐ろしいものを見つけてしまった。
「かっくん……見て、あそこ!」
沙穂が指さす先を、ヘルドリマーも目で追う。芽蹟神社は商店街から少し丘を登った高台にあるため、国道付近の市街地を一望することができる。そして今、町の上空には異形が浮遊していた。気球や飛行機の類ではない。それは巨大な怪物だった。しかも一体ではない。少なくとも三体以上はいる。
突然、空が血の滲んだような赤に染まる。まるで喉に何かを詰まらせたかのような、息苦しさが襲った。空気がぐっと重たくなったような気がする。怪物たちは時が来たとばかりに、次々と町に降下していく。
やがて、まるで解体工事を始めたかのような破壊音が轟いた。状況は少しも理解できないが、指場町が危機に陥っていることだけは明白だった。
沙穂の前に二つの影が躍り出た。背姿だけでもそれがライバルとジノであることが分かる。声を掛けようとするが、真剣な顔をしたライバルは沙穂を一瞥し、親指を立てただけで、鈴の音を弾ませながら石段を下りていってしまった
「決定は……下された。ファンタジスタはおそらく、この町を滅ぼすことを選んだのね」
「……鳥川先生。大丈夫ですか?」
振り返ると、鳥川先生が神妙な面持ちで立っていた。着ている服はボロボロで、足や腕、頭からは血が滴っている。彼女は微かに微笑み、「大丈夫」という風に手を軽くあげながらも、その呼吸は痛みを堪えるように震えていた。
「一体、何が起きたのかは私たちにも分からない。だけど、今目の前にあるのがその結果。まったく、蛇渕くんも、とんでもないことしてくれたわ」
「そんな……」
先生の言葉に沙穂は絶句する。「どうやら蛇渕は失敗したようだねぇ」とどこか呑気な口調が耳に届いた。視線を向けるとそこにはキャリー・メアードと、その背に負ぶさった零香の姿があった。彼女は目を皺の中に埋め、町の方向を見やる。
「まぁそれ自体はどうでも良いが、この町を壊されたくはないねぇ。ここは たくさんの夢が渦巻く地。それを潰されるのは見るに堪えないよ」
神社の境内は、木々のざわめきと地を滑る枯葉の音だけが転がる、不気味な静けさに包まれている。怪物の目的が町の破壊である以上、時間の問題ではあったが、とりあえず今のところ、この場所は襲撃から免れているようだった。
だからといって、自分だけのうのうと安全地帯で隠れているつもりはない。事態の責任は沙穂にもある。焼けつくような熱を帯びた左目に手をやり、その存在を確認する。
意を決し、踵を返そうとしたその時、いきなりヘルドリマーに手首を掴まれた。止められるかと思いきや、彼が「俺も行くよ」と言うので困惑する。
「かっくんも……一緒に……?」
「ああ。言っただろ、もう離さないって。俺も沙穂ちゃんと一緒に、戦うよ」
沙穂は彼の白塗りの顔をまじまじと見つめてしまう。冗談や軽い気持ちで言っているのではなさそうだ。少し迷った後で、「分かった」と頷いた。
鳥川先生の方を振り向く。先生は眉根を寄せ、足を踏みだそうとする。だが零香の手がそれを制した。零香が何度か頷くと先生はため息を零し、それから前に出ると、どこから取り出したのか、靴を差し出してきた。それは沙穂が普段履いているものだった。
「裸足で行くわけにはいかないでしょ? まったく……怪我、しないでね」
「……ごめんなさい。先生。ありがとう、ございます」
ありがたく靴を受け取り、裸足の上から履いた。そして先生に深く、頭を下げる。
神社から見渡す景色から、光が一つ、また一つと消えていく。この町に来て一年も経っていないが、それでもたくさんのこと、たくさんの人と出会った。胸の中は思い出で、はち切れんばかりに膨れている。大好きな人々を、大好きなこの町を守りたい。その想いが夢を失った器に注ぎ込まれ、原動力となる。そして沙穂は、先生に腕輪を返したヘルドリマーを引き連れ、全速力で滅亡の危機に晒される地へと急いだ。
2
ガードレールを踏みつぶし、信号を叩き落としながら、怪物は道路を我が物顔で闊歩する。岩礁のようなごつごつとした体表をもつ『赤い怪物』が、口から火球を吐き出す度、夜がぱっと赤らみ、アスファルトが焼けていく。
人も車もまだ多い、午後八時にも満たない国道では、突然の怪物騒ぎに大混乱が起きている。乗り捨てられた車が道路のあちこちに放置され、追突事故も何件が起きているようだ。悲鳴をあげながら、蟻の子を散らすように逃げ出していく人々を、怪物はまるで力関係を見せつけるような悠然とした足取りで追いかけていく。
「Oh! ジャパニーズモンスター! やっぱり日本には怪獣がいたんだネ!」
「いやいや、いないよ! これ普通じゃないよローラちゃん!」
逃げ惑う人波の中には、奈々とローラの姿もあった。息抜きのためにライブ会場から出た所で、怪物に遭遇してしまったのだ。
「早く逃げないと、みんな食べられちゃ……きゃあっ!」
突然後ろから突き飛ばされ、奈々は転げる。メガネが外れ、足元に転がった。
「ナナ! 危ない!」
振り返り、ローラが叫ぶ。手探りでようやくメガネを拾い上げ、頭上を振り仰いだ奈々に、怪物の放った火炎弾が迫っていた。
「えっ……」
その光景を黒磯白村は、大学の研究室の窓から眺めていた。見れば建物の他の窓からも何人か生徒や教授が顔を覗かせ、一体何が起きているのかとそわそわしている。黒磯は口元に笑みを湛え、ワイングラスに注いだアセロラジュースを口に含んだ。
「蛇渕君、これが君の見せたかったうねりかね? 素晴らしい。いい景色だよ」
この場にはいない、土の空想者に向けて彼は語りかける。人の心を不安に誘うような怪物の雄叫びが空を伝うが、黒磯の表情に愉悦以外の感情が浮かぶことはない。
「全ては破壊から生まれる。進化にうねりはつきものなんだよ。この町が滅ぶというなら、そこまでということだ。君もそう思うだろ? フラガ」
グラスの中身を一気に飲み干し、黒磯は振り返るが、室内には誰もいなかった。廊下に繋がるドアが少しだけ開いているのを見つけ、彼は肩をすくめる。
窓の外では黒磯が目を離した隙に、怪物は姿を消していた。
まるで落とし穴にはまったかのような唐突ぶりであったが、当然、地面に穴など空いていない。空いていたとしても、あの巨体を埋めるほどの穴などそうは掘れないだろう。
怪物が落ちたとすれば、それは空間の狭間にだった。
特大の炎に焼かれる寸前だった奈々を救ったのは、一陣の黒い風だった。
風は人型の怪物の姿をしていた。額から生えたV字型の触角、口を塞いだ金属製のマスク、腹部に輝く黄金のメダル。その名はライバル・メアード。
「バルバルッ!」
ライバルは火球を腕で弾き飛ばし、奈々の盾となる。奈々は目を丸くし、何かを発しかけるが、その前にライバルは敵目がけて駆け出している。
夜空が紫色に染まる。デスメアードが備える結界の発動により、五十メートルの範囲内が、現実世界から隔離させられたのだ。結界内には奈々とローラを含む十数名の人間が囚われている。普段のように『メアード空間』を展開できないことに、やや不思議そうな顔を浮かべながらも、それでも構わないとでも言うように、戦士は地を蹴立てる。
「ラライバッ!」
全身を白く輝かせ、ライバルは跳躍する。空中できりもみ回転すると、怪物の大顎にすかさず拳を叩きこんだ。呻き声をあげ、巨体がのけぞる。ライバルは空中でさらに回転して上昇、今度は喉元に蹴りを入れた。
グオオッ! と怪物が苦しそうな声をあげる。だが怯んだのは一瞬で、その口からすぐさま火球が吐き出された。まだ片足でしか着地していなかったライバルはバランスを保ちつつ、連続宙返りを披露し、息つく間もなく放たれる攻撃を次々とかわしていく。
「バルルル!」
だが、ジノとの激闘によってすでにかなりの体力を消耗していたライバルは、火球との距離を徐々に詰められていく。追いつかれるのにそう時間はかからず、吹き飛ばされたライバルは火に巻かれ、地をのたうちまわった。
身を起こそうとしたライバルを、怪物の腕がしたたかに打ちのめす。ただ腕を振るっただけでも、その質量と重量をもってすれば一撃必殺にも等しかった。電柱を破壊し、携帯電話会社の看板を砕いて、ライバルは砂に塗れる。
「バ……ル……」
先ほどのようにすぐには体勢を立て直すことができず、仰向けに転がったまま、呻き声を漏らすのが精いっぱいのようだ。怪物は勝ち誇ったような咆哮をあげ、次こそトドメを刺そうと、黒い瘴気を纏った腕を振り上げる。
その腕を、雷撃が貫いた。
拳が爆発し、悲鳴をあげる怪物の前に、一体のデスメアードが蹄の音をたてて降り立つ。一体どこから来たのかは、空を見上げれば明白だった。灰色一色に染まったその一角に、まるでファスナーを開いたような大きな裂け目が生じている。
「助太刀に来たぞ、ライバル・メアード!」
意気軒昂と叫び、右手に構えた豪奢な槍を突き出す。槍先が数十本あると見紛えるほどの速度で放たれた刺突の連撃は、怪物を有無も言わさず打ちのめした。
全身を包む金箔の鎧に、荒涼たる景色が映りこむ。頭頂部に添えられた鳥の飾り物が、ライバルの方を向き、その下にある隻眼が真っ直ぐに彼を見据える。
「この町を救いたいと願うのは、おぬしだけではない。デスメアード全員の願いだ」
「ラ、ライ……」
「夢見る場所が同じなら、俺たちは助け合える。あの時と、同じようにな」
どこか嬉しそうにそう告げるのは、かつてライバルと一度はいがみ合いながらも、同じ夢を叶えるため共闘を果たしたメアード――祭りの守護神、ワッショイ・メアードだった。
「共に戦おうぞ。こんな有象無象共に、この町を譲り渡すわけにはいかない。そうだろう?」
ワッショイはライバルの首根っこを掴むと、自分の背中に放り投げた。ライバルは戸惑いながらも、その御輿のようなデザインの体にしがみつく。馬のような下半身を持つワッショイは前足を大きく振り上げると、声を雄々しく張り上げ、怪物目指して疾駆する。
怪物は怒号を撒き散らしながら、火炎弾で応戦してくる。だがワッショイは諾足で宙を踏み抜くように移動し、攻撃をことごとくかわしていく。
怪物は巨体が災いして、急な方向転換は苦手なようだった。ワッショイは敵の顔面を蹴りつけると、あっという間にその背後に回り込んでしまった。
「灰塵と化せ、けだものが!」
鎧の胸部に備わった、六角形の穴に明かりが灯る。そこから一筋の太い光条が放たれ、振るわれようとした怪物の尾を消し飛ばした。
「バルッ……!」
ライバルの胸の目が開く。彼の左手を真紅が染める。それは死の閃光だった。
「はあああっ!」
ワッショイの掲げた槍の穂先に、尋常ならぬ力が収束していく。怪物は怒りに燃えながら、両腕を振り回し、己に仇名す、二体の怪人を打ち落とそうとする。
しかし彼らの勢いを止めることは、怪物の圧倒的なパワーをもってしても不可能だった。
ライバルから噴き出した赤き閃光は、ワッショイの得物と絡み合い、その頭上にエネルギーで形成された巨大な槍を生成した。二つの『必殺』が合わさり生まれた煌めきは怪物の『心臓』を射止め、強大な破壊力をもって穿った。
ワッショイが着地すると、鎧の擦れ合う音と鈴の音とかが混じりあい、凛とした響きを生む。二人が見上げる前で怪物は炎に巻かれ、やがて黒い煙となって消滅するのだった。
「ブラボー! カッコイイー、ニンジャ! ミスターニンジャ!」
「う、うん。なんか、私、前にも……こんなようなの見たことあるような……」
戦士の勝利に大はしゃぎするローラ。奈々は訝しげにライバルを見つめ、ずれたメガネを直す。やがてローラの歓喜は伝染していき、周囲からも拍手喝采が起こるのだった。
3
国道からそう離れていない住宅街にも、怪物の魔の手は及んでいた。付近に住む人々はとっくに逃げ出し、怪物の甲高い唸り声を除けば、辺りは粛然としたものだった。
黄金色の皮膚をもった怪物がずるずると、蛇のような下半身を引きずるように移動し、額から放つ雷撃を躊躇なく周囲にばら撒いていく。しかしそれらの攻撃は唯の一つとして家々に当たることはなく、見えない壁によって阻まれる。メアード結界の発動により、辺り一帯を不可視の壁が取り囲んでいるのだ。結界が展開されている限り、怪物が暴れようとも町には被害が及ぶことはなく、怪物の存在がこれ以上人目に触れることもない。
「これ以上、先には進ませねぇ! この町にはなぁ、守りたいものがあんだよっ!
吼えたのはジノだった。盾を回転させ、両腕に光のドリルを発現させると惜しみなく発射する。二発とも怪物の脇腹と肩に命中するが、大して効いている様子はない。
決闘者は次々とプレートを挿しこみ、そこに封印された能力を間断なく発動させていく。鮫が地を跳ねながら突撃し、骸骨型の光弾が放たれ、雷撃が空間を貫く。だがただの一つとして、怪物を仕留める決定打とはならない。鮫は片手で払いのけられ、光弾は敵の顔をしかめさせることしかできず、雷撃は吸収されてしまう。反対に怪物の降らせた無数の雷撃が突き刺さり、ジノは悲鳴をあげてよろめいた。
「野郎っ……!」
ジノは盾に触れるが、細かに震えを帯びた手では回転させる力さえないようだ。住宅密集地にいた怪物を公園の近くまで誘いにかけ、結界を展開できたまでは良かったが、それ以上は体力もメアドリンも持たなかった。ライバルと同様、彼もあの戦いで力を使い果たしていたのだった。
その時、結界内に侵入を果たし、背後からジノに近づいてくる足音があった。足音は速いリズムでアスファルトを叩くと、彼の脇を颯爽と抜けていく。
「待たせたな!」
雌伏の時は過ぎたとばかりに声を張り上げ、ジノの前に出たのは、Tシャツにジーンズを着用したデスメアードだった。顔にはサングラスをかけ、頭からは弁髪が垂れている。彼は立てた親指で自分の胸を指し、ふふんと自信ありげに笑いを漏らす。
「だ、誰だ……」
ジノは彼とは初対面らしかった。頼もしさよりも先に、困惑した表情を浮かべるジノを置き去りにして、足音は二つ三つと数を増やしていく。それに伴って、同数のデスメアードが彼の前に姿を現していった。
「俺も忘れてもらっちゃ困るぜ!」「私も!」「俺も!」「おいどんも!」
次々と現れた総勢七体のデスメアードたちが横一列に並び立ち、巨大な怪物と対面する。ジノは展開のスピードについていけていない様子で、口をぽかんと開けて硬直する。
「いや、そう言われても、お前ら誰一人として知らねェんだが……」
「細かいことは気にすんな! ここは俺たちの町だ。壊されてたまるかよ、なぁみんな!」
弁髪のメアード、ネギナシボーイがそう鼓舞すると、デスメアードたちは拳を振り上げた。熱は高まり、気合は十分だ。「うおおお!」と雄叫びをあげ、一同は怪物に飛び掛かる。
「ガアアアアアアッ!」
直後、怪物は雄叫びをあげ、彼らの戦意を薙ぎ払うように全身から雷撃を迸らせた。
「うわああああああ!」
一瞬、強い光に景色が霞んでしまうほどの激しさを誇った雷撃は、デスメアードたちを一人残らず吹き飛ばした。
自前の耐久力で防ぎきった者や、紙一重で避けることのできた者もいたが、直撃を浴びた三体は塵一つ残さず消し飛んでしまった。さらにいくら待とうとも、砂時計型容器が浮かんでくることはない。その事実はデスメアードたちを震撼させた。
「おい! まさかこいつ、デスメアードを殺せるっていうのか! 聞いてないぞ!」
先ほどの威勢はどこへやら、ネギナシボーイはへたり込み、怪物を見上げる。さすがのジノの表情にも暗いものが過る。他の面々の表情にも深い絶望が表れていった。
一同が脅えている様子を嘲笑うかのように、怪物はくぐもった鳴き声を発する。だが誰もが恐れ慄くこの状況の中、真っ直ぐに歩を進める者がいた。
ヒーロー・メアードとチルドレット・メアードだ。二人はいつの間に結界内に侵入していたのか、デスメアードたちの前に出ると、並んで怪物を睨んだ。
「いいのか? プロデューサーがこんな前に出てきて?」
ヒーローが前を向いたまま訊ねると、チルドレットは愚問とばかりに肩をすくめた。
「そりゃ構わないだろう。ヒーローの活躍する場を守るのが私の仕事だ」
「なるほど。そりゃあ失礼」
緊張感なく会話をする二体に怒りをぶつけるかのように、怪物は再度電撃を撃ち放つ。チルドレットは素早く動くと、ヒーローと背中合わせに立った。次の瞬間、二体の体は沸き起こった光の中で一つとなり、新たなデスメアードを誕生させる。
両肩から伸びた剣状の突起。頭を包む三角形の兜。全身を包む装甲の色は深い黒だ。それはヒーローの新たな姿、メタルゾヒーローだった。
メタルゾヒーローは柄の割に、刃がとても大きい、スコップのような短剣を手にする。見てくれこそ奇妙だが、その威力は確かだ。たったの一振りで電撃を切り裂いて空に散らし、それだけでは収まらず、さらに衝撃波によって怪物の肩を削ぎ取ってしまった。
悶える巨体を前に、デスメアードたちは水を打ったように静まり返り、それから一斉に歓声をあげた。中でもネギナシボーイは身を震わせ、力いっぱい拍手を送る。
「うおおおお! さっすがヒーローさん! 一流のデスメアードは違うぜ!」
「立てるか、決闘者」
愕然とした表情のまま固まったジノに、メタルゾヒーローは手を差し出す。その声で我に返ったのか、ジノはハッと漆黒の騎士に目をやると、やがて不機嫌そうな顔になり、差し出された手を払いのけた。
「……うっせぇ。てめぇの力を借りる必要なんてねぇ。すっこんでろ!」
「そうか。なら良いんだ。元気が一番だからな」
メタルゾヒーローは短剣で飛んできた電撃を弾く。ジノはそれを横目に起き上がり、垂直に落下してきた青白い閃光を後ろに跳んでかわした。
「くそっ! カレーが……カレーがたりねぇ!」
「残念ながら、カレーも味噌汁も見当たらないな。だが、もっといいものならあるぞ」
メタルゾヒーローが短剣で何もない空間を突くと、そこに小さな穴が生まれた。その中から青色に彩色された斧が出てきて、ジノに飛んでいく。柄にリボンの巻かれているそれを、ジノは反射的に受け取った。
「……おい、こいつは何だ」
「俺からのプレゼントだ。クリスマスだからな」
メタルゾヒーローは巨体を見上げ、短剣で自分の肩を叩く。ジノはため息を吐くと、「変な野郎だ」と呆れたように呟き、手に入れたばかりの得物を構えた。
「ヒーローさん! 俺たちにも戦わせてくれ! 俺たちもこの町を守りたいんだ!」
ウナギに手足が生えたような姿の怪人が、真剣な表情でメタルゾヒーローを見つめる。その隣では「め、目眩ましなら自信があるぜ!」とネギナシボーイが膝を笑わせながら親指を立てる。メタルゾヒーローは何か言いかけたが、自分を見つめる熱烈な視線に考え直したのか、「やれやれ」とため息を漏らし、肩をすくめた。それから短剣で空間を何度も突き、生じた無数の穴から弓や槍、バットや銃などの武器を召喚していく。それらの武器はデスメアード一人一人の下へと飛んでいき、それぞれの手に収まった。
「よし! じゃあ、みんなでやるか。ま、俺が誰一人死なせはしないけどな!」
空に放たれた電撃が幾重にも分裂し、雷撃の雨を降らせる。それをかわしながら、メタルゾヒーローとジノを含めた六体の怪人たちは、共通の敵目がけて一斉に攻撃を開始した。
4
零香を背負いながらも、キャリーは機敏かつ正確な動きをみせる。手には彼専用にチューンされた金属製の棒、シャフトリムが握られており、跳びまわりながらそれを駆使して攻撃を重ねていく。
追いすがってくる怪物を、腹部から熱線を放って突き放す。白い体をもった怪物は己の周囲につむじ風をいくつも呼び出すと、一斉に解き放ってきた。
「零香さんには……指一本触れさせん!」
キャリーは声高に叫ぶと、シャフトを高速で振り回し、つむじ風を弾いていく。彼の背後にあった鳥居が、幾重にも切り裂かれ、無数の傷に塗れる。
「全く、こんな老いぼれの元に戻って来なくてもいいだろうに……もうこの町に安息の地はないってことかい!」
零香のぼやきに応じる余裕もなく、キャリーは振り下ろされた巨大な爪を回避する。エネルギーを先端部分に込めたシャフトで腕を殴りつけ、素早くその場から飛び退いた。
怪物は背中から、コウモリのような二枚の羽を生み出す。そして飛翔すると両の羽をはばたかせ、地面に強風を叩きつけた。
「零香さん! しっかり掴まってて下さい!」
キャリーは語気を強め、両手を背中に回して零香を押さえると、両足で踏ん張った。地を削りながら、徐々に後ろに押しやられていくキャリーの体。そんな彼の頭上で怪物は大きく開けた口内に黒色の光を収束させる。
風に飛ばされないよう耐えるのに精一杯で、キャリーは身動きを取ることができない。しかそのすぐ横で、よろめきながらも立ち上がる男がいた。神野だ。その男にとって風の力は、他の何よりも体に馴染むものだった。
見るからに気息奄々ながらも、神野は右手の腕輪を輝かせると、キャリーの前に立ち、吐き出されたビームを正面から受け止めた。腕輪にはめこまれた宝石の光が、シールドのように大きく広がり、攻撃を防いでいた。
「……ファンタジスタ、僕は、お前に全てを奪われた……こんな力を押しつけられて……俺は未来も、家族も、普通の生活も、僕は何もかも失ったんだ……!」
感情を剥き出しにし、肩書や立場を投げ捨て、神野は今にも泣きだしそうな声で叫ぶ。
「だけど、やっと見つけた、僕を認めてくれそうな人を! だからこれ以上、お前に奪われるのは嫌だ! ママも、沙穂も、僕が守るんだ!」
「なかなか痺れること言うねぇ。キャリー! 奴の心意気、無駄にするんじゃないよ!」
「はい! ……せいやぁああ!」
キャリーがシャフトを振りかぶり、渾身の力を込めて投げ放つ。先端にエネルギーを纏った一撃が、怪物の頬を深々と貫いた。
天の空想者の手首で爆発的に膨れあがった光が、ビームをそのまま怪物に跳ね返す。自分自身の攻撃によって、砂時計型の光ごと胸を打ち抜かれ、怪物は断末魔をあげた。そして神野もまた防ぎきれなかった膨大なビームの余波によって仮面を剥がされ、絶叫をあげながら熱で体を焼かれていった。
5
小学校の校庭に降下してきた土色の怪物を迎え撃ったのは、カラフルな色合いの巨大ロボット――ジャングルカイザー・メアードだった。
「ジャングルナックル!」
鋼の拳が唸り、怪物の鳩尾を抉る。反撃とばかりに振るわれた腕を軽々と受け止め、さらにパンチを叩きこむ。ジャングルカイザーと怪物の一騎打ちだ。ほとんど同サイズである二体の戦闘は、相応に激しく、スケールも段違いだった。二体が動く度に校舎の窓は音をたてて揺れ、腕を一振りすれば風が束になって轟音を鳴らす。
校庭の隅ではデスメアードたちが、脅えた表情を浮かべ寄せ集まっていた。その中には、怪我を負って横たわるタコデボーノと、彼に寄り添うノーフェイスの姿もあった。彼らが見上げるほどの巨体を誇る怪物には、人体模型型怪人の相手をバラバラにする能力も、試験管型怪人の相手の攻撃力を0にする能力も、全く通じなかった。学校を住処としていたデスメアードたちは半分が逃げ出し、さらに残ったうちの半分は立ち向かうも力及ばずに絶命していった。残されたのは戦闘が得意ではない者と、消滅からは免れたものの重傷を負った者だけだ。
そんな彼らにとって、ジャングルカイザーの存在はまさしく最後の希望に他ならない。
ジャングルカイザーは勇ましく声をあげながら、揃えた両拳を脳天に叩きこむ。怪物は甲高い悲鳴をあげると足元をふらつかせ、やがて大地に巨体を埋めた。
「やったか……?」
誰かが希望をちらつかせ、呟く。だがその予想を裏切るように、怪物の腹部に砂時計型の紋章が浮かび上がる。その紋章が百八十度回転すると、怪物は身じろぎ、掌を校庭に置いて上半身を起こし始めた。
飢えた獣のような鳴き声を轟かせ、怪物は太い尻尾で地面を叩く。すると校庭に強い地震が発生し、地に足をつけていた者は耐えきれずに転倒していった。
「くそっ。やっぱり俺たちじゃ、倒すこともできないのか!」
辺りから聞こえてくる嘆きに、ノーフェイスとタコデボーノは、同時に何かを求めるように空を見上げる。怪物は胸が膨れるほど大きく息を吸うと、砂嵐を吐き出した。抗いがたいほどの強風によってデスメアードたちは吹き飛ばされ、校舎に叩きつけられていく。
ただ一体、その重量を活かして嵐を耐え抜いたジャングルカイザーは背後を振り返ると、その惨状を目にするなり、怒号を放った。
「ウォオオオ! ミンナヲキズツケルヤツ、ユルサナイ!」
強風などものともせず、鋼鉄の巨神は駆ける。敵に接近するなり打ち出された豪快な拳は、守る者を背にしてより一層、威力を増すようだった。
だが怪物の皮膚もまた、復活前よりもさらに頑丈になっていた。怪物はパンチをまともに受けても怯まないばかりか、すぐに反撃に転じると、腕をドリルのように回転させ、動揺する鋼鉄の胸を貫いてしまった。
「ジャングル……カイザー……!」
地べたに這いつくばったノーフェイスが、愕然と呟く。彼の見ている前で、巨体が崩れ落ちた。地響きが走り、やがてジャングルカイザーは粒子となって、メアドリンごと消滅してしまう。機械の体に熱い心を秘めた巨神の、あまりに呆気ない最期であった。
怪物は勝ち誇るように雄叫びをあげると、さらに尻尾を振りかぶった。もう一度地震を起こすつもりらしい。校舎が原型を保っていられるのも時間の問題だろう。
その時、三角帽子を被り、左右で色合いの違うロングコートを纏ったデスメアードが、校庭の中心に向かって歩みを進めていた。
「あまりこの力は使いたくなかったが……すでに時は来ていたということか」
彼は躊躇なく怪物に近づくと帽子を外し、ロングコートを勢いよく脱ぎ捨てる。コートの下から現れたのは、白銀に輝く滑らかな肉体だった。瞳のない大きな目は赤く燃え、口は横に裂けている。頭頂部には赤い鶏冠のようなものが生えていた。全身の質感はまるで蝋人形のようであったが、両腕だけは機械を組み立てて作り上げたようだった。
彼の名前は、フラガラッハ・メアード。両手を交差させると、そのまま腕を上げ、交差した部分から光線を放った。一条の光は怪物の尾を、触れた途端に爆砕させる。
「さぁ受け切れるか、でかぶつ。みんなの痛みを、今度はお前が受けてみろ」
フラガラッハの全身が強く発光する。彼は腕を広げると、大きく張った胸の真ん中に光を集めた。怪物は地に響くような唸りと共に、砂嵐を放出する。フラガラッハもまた気迫を込め、突き出した拳から巨大なエネルギーの塊を撃ち出した。
放たれた光の弾丸は砂嵐を突き破ると、怪物の口の中に侵入し、体を内側からズタズタに引き裂いた。怪物はくぐもった悲鳴をあげてのけぞる。胸元に出現した砂時計型の光がバラバラに解けると、その体は黒い煙に変わり、ゆらゆらと空に昇っていった。
6
騒然とした駅前の広場を、ヘルドリマーが駆ける。瓶の形をした噴水を蹴って高く跳び、青色の怪物にタイブレードを突き刺す。だがその切っ先が、頑強な皮膚を貫くことはなく、ヘルドリマーは大きな手によって払いのけられる。
クリスマスムードから一転、指場の地は阿鼻叫喚の地獄絵図に包まれていた。駅から人が出てこないのは、おそらくこの町が周囲から隔絶されているためだろう。怪物たちの出現とともに発生した赤い空は、メアード空間に近い効果を備えているに違いない。この町に取り残された人々は、さながら野獣と同じ檻に閉じ込められたのにも等しかった。
「ママぁぁああ!」
幼い男の子の泣き声が耳に届く。灰色の煙がところどころから立ち昇る、惨憺たる景色を見渡した。男の子の泣き顔が目に飛び込んできた瞬間、沙穂は走り出していた。
怪物の胸からキセル貝のような形をした針が放たれる。男の子に降り注ぐそれを、沙穂は目から光を発して悉く焼き払った。
「……大丈夫?」
沙穂は振り返り、男の子に手を伸ばす。だが幼い顔は、怪物に襲われていた時よりもさらに脅えたものになり、泣き叫びながら逃げていってしまった。
「あ……」
男の子は明らかに沙穂に対して脅えていた。沙穂は自分の左目に触れ、触れている自身の左手にも視線をやる。体が震え、胸を衝かれるほどの哀しみとショックを受けたのはもちろんだったが、同時に目の前が明るく開けるような感覚にもなった。
「そうか……私……」
「フレイム・タイブレイク!」
炎の剣を叩きつけて、ヘルドリマーは沙穂の前に降り立つ。燃えた傷跡を喉元に刻まれ、怪物は海鳴りのような音を発する。そして苦々しげに口角を下げると、口を広げ、大きなシャボン玉を吐き出した。
シャボン玉は、外見からは想像できない素早さでヘルドリマーをすかさず捕えると、宙に浮き上がった。すると彼はシャボンの中で細かな泡を吐き出しながら、手足をばたつかせ、もがき苦しみだす。まるで水の中に沈められたような苦しみ方だ。どうやらシャボン玉の中身に空気はなく、液体が満ちているらしかった。
「かっくん……!」
人の心配をしている場合か、と揶揄するかのように、怪物が針を放ってくる。沙穂は必死になってそれをかわした。根元から折れたクリスマスツリーを飛び越え、辺りに転がったイルミネーションの電球を踏みつけないよう注意する。子どもが遠くまで逃げたことを確認すると、メアード空間を発動した。しかし景色が変わることはなく、紫色の空が一帯に広がり、不可視の壁が出現するだけに留まってしまう。理由は分からないが、それでも良い。結界を張れさえすれば、とりあえず外にいる人々に被害は及ばない。沙穂は怪物を振り返り、目から熱線を放って応戦する。
どんなに憎まれても、怖がられてもいい。だけどこの町だけは、この町に住む人々だけは守りたい――そんな強い感情が、沙穂の心を奮わせ、体を突き動かしていた。
シャボン玉の中で、ヘルドリマーが光に包まれた。その体色が夏の海を思わせる鮮やかな青に変化する。水属性に形態を変えたことは、一目で分かった。苦しみから逃れたらしいヘルドリマーは両手を振り回して跳びあがると、シャボン玉を突き破って脱出を果たした。宙に舞う海の戦士を、怪物はぎょっとした様子で振り仰ぐ。
「なるほど。こいつは水中に特化したフォームってわけだ。お返しにいくぜっ、渦潮のフォーメーション、オーシャン・タイブレイク!」
柄を引いたタイブレードを、ヘルドリマーは一振りする。すると剣身から水飛沫が弾け、さらに飛沫の一粒一粒が小型の剣となり、さながらミサイルのように怪物を突き刺した。
「沙穂ちゃん、大丈夫?」
倒れたツリーの上に着地し、こちらに歩み寄ってくるヘルドリマーに沙穂は頷いた。
「うん、私は全然。でも、ここで食い止めないと……」
言いかけたその時、突如、怪物がのけぞったまま咆哮をあげた。鼓膜を貫くような高音にたまらず沙穂は耳を塞ぐ。
それが合図であったかのように、町のあちこちから四色の光が立ち昇り、怪物の体に吸い込まれていく。何事かと疑問を抱いた矢先、風が唸り、目の前のアスファルトが次々と捲れあがった。紫色の空が赤に塗りかわる。結界の砕ける音が、沙穂の意識の中で響いた。
沙穂ちゃん! と角平の切迫した声が聞こえて、ヘルドリマーがこちらに飛び掛かってくるのが見えた、次の瞬間、足元を掬われるような感覚に襲われ、天地が逆転した。痛みと衝撃に叩き起こされ、気が付いた時にはアスファルトが間近にあった。
「ぐっ……あっ……!」
起き上がろうとすると、背中に激痛が走る。よろめきながら、すぐ近くにあったビルの壁面にもたれかかる。体の芯が痺れているようで、手足の自由が利かない。自分の呼気から、血の臭いがする。ぶつけた時に切ってしまったのだろう、額から流れてきた生温かい感触が、左目に沁みてとても瞼を開けていられない。どうやら衝撃波か何かをぶつけられたらしい、と理解するのに、数秒を要した。
「沙穂……ちゃん……大……丈……」
片目だけの掠れた視界の中で、ヘルドリマーが地べたを這うようにして、沙穂に近づいてくる。彼もまた動くことさえ辛そうだった。喘ぐように呼吸をする彼に肩を掴まれ、そのまま抱きしめられる。その身に纏った青い戦闘スーツが光の粒と化し、やがて霧散した。
粒子に巻かれながら間近に現れた角平の顔は、口の端が切れ、瞼も腫れ、苦痛にゆがんでいた。彼の体から赤い液体の入った容器が現れ、空に昇っていく。ブレザーのものに違いない。ダメージを受けすぎて、実体を維持することができなくなったのだ。
少年、小娘、悪いが俺は先に行くぞ――そんな声がふと、耳に過った気がした。
「かっくん……子犬ちゃん……」
「沙穂……ち……俺……」
角平は目を細めると、やがて沙穂に体を預けるようにして気を失った。何度か彼の名前を呼びかけるが目を覚ますことはない。胸が微かに上下していることだけが救いだ。沙穂は怪物のことをふと思い出し、慌てて顔を上げた。
「……なに、これ」
戦慄が全身を駆け巡る。
怪物のシルエットが、大きく変貌を遂げていた。体の大きさは以前の二倍以上あり、背中からは、色違いで目のない馬の頭が五つ、茎の長い植物のように生えている。体色は華々しくも毒々しい虹色だ。尾は二本の足に分かれ、前足と後ろ足を使って四つん這いの姿勢をとった姿は、もはや『魔獣』と呼んで差支えないものだった。
「オォォォオオオオオオオォォォオオオ!」
元々あった口と、新たに生まれた四つの口が一斉に哄笑をあげる。あまりのおぞましさに、沙穂の目から涙が溢れた。心が均整を失い、歯の根が合わず、体の震えが止まらない。
物陰に潜んでいた人々が次々と気を失い、倒れていく。周囲の静けさから、その影響は町全体に及んでいるとみて間違いはないだろう。魔獣の声は、人間の意識を強制的に断ち切るのに申し分ない狂気を孕んでいた。沙穂が正気を保っていられるのは、デスメアードの力に護られているおかげに違いない。静寂と闇に覆われた地に、魔獣の発する絶望の唄が鳴り響く。その存在は悪夢そのもの。世界の終末の具現だった。
希望を胸に戦ってきた沙穂も、この瞬間、終わりを覚悟した。町も人もデスメアードも夢も未来も、このおぞましい化け物に食い尽されてしまうことは悔しかったが、もはやどうにもならない。できるのは、この恐怖が早く終わらぬものかと祈り、願うだけ。角平の体に縋りながら、目を瞑って暗闇の中に希望の火をくべるのが精いっぱいだった。
「……バル」
声が、聞こえた。初めは幻聴かと思った。脅えるがあまり心が生んでしまった、まやかしであると。だがその声は鼓動に包まれていた。夢を抱き、希望を背負い、勝利を運ぶ、力強い、鼓動。その熱を、響きを、想いを、沙穂は感じた。
沙穂は目を開く。地獄を映したような空の果てに、救いの光を見た。人の夢を幾度となく守ってきた孤独な戦士。沙穂にとっての救世主。その登場の仕方は、芽蹟物語に出てくる馬射神の降臨シーンと重なった。沙穂は、彼の名前を叫んだ。
「ライバル!」
「バァルウウウウウウウウッ!」
空を駆けるワッショイ・メアードに跨って登場したライバルは、鈴の音を響かせながら魔獣を目指し、降下していく。
沙穂は手を伸ばす。この願いが、祈りが、彼に届くように。胸に宿した想いを、渾身の力をこめて、投げ放つ。
「ライバル! 受け取って!」
その想いは空を伝い、ライバルの持つお守りに輝きを灯した。悪夢に立ち向かう戦士の体を精錬された光が染めあげ、やがて進化に導く。純白のボディに、紅蓮で塗り固められた左腕、額には四本の角が雄々しく備わっている。
「ライッ! バルバアアアァッ!」
夢を守り、夢に応え、夢を与える救世主、ライバルセイバーの誕生だった。
魔獣は低く唸ると、馬の頭を一つ戦士に向け、その口から雷撃を撃ち放った。
ライバルセイバーが腰を叩くと、腹部のバックルに備わった円鏡にワッショイが映しこまれる。ワッショイが構えた槍に力を集中させると、ライバルセイバーも右掌から光刃を伸ばし、前に突き出すように身構えた。
「そんな電撃如きで、俺たちを止めようとは片腹痛いわ! 行くぞライバル!」
「バルル!」
二体が同時に放った切っ先は、雷を容易く破り、その向こうにあった馬頭を貫く。しかし別の馬から放たれた水流がワッショイを射抜いた。彼の背から振り落とされたライバルセイバーは、体を捻るようにして着地する。
「……ライバル、てめぇ、まさかもうへばっちゃいねぇだろうな?」
ライバルセイバーの背後から姿を見せるなり、そう挑発したのはデュエル・メアード、ジノだった。純白の戦士は思わぬ助太刀に、喜びを隠そうとはしなかった。その様子を目にし、ジノは愉しげに鼻を鳴らす。
「はっ。そう来なくちゃ面白くねぇよなぁ!」
ライバルセイバーは腰を叩く。するとバックルの鏡にジノの姿が映しだされた。二体は別々の方向に飛び退き、水流を回避すると、それぞれ両手にドリルを出現させ、一斉に射出した。螺旋を描く四つのエネルギーは馬の頭を一つ撃ち抜き、魔獣の肉体を削り取る。
その時、沙穂は背後に気配を感じた。ハッとなって振り返り、そして目を剥く。
「こんな……!」
町の空に、ビルの上に、地面に、十や二十では収まらない数のデスメアードが集結していた。その光景はまさに圧巻だった。別々の夢を抱き、別々の道を歩んできた怪物たちが今、同じ方向を見据え、町を滅ぼさんとする魔獣を前に英気を漲らせている。
誰かが「行くぞ!」と叫んだ。それを鬨の声として、デスメアードの軍勢は進撃を開始した。
怪人たちは空から、地上から、各々の能力を最大限に発揮して敵を攻めたてていく。エビや鳥やライオンの形をしたエネルギー弾が宙を横切る。様々な武器を手にした集団が、目の前を掛けていく。自前の牙や爪を使い、接近戦を持ち込む者の姿もあった。目まぐるしく動き回るデスメアードたちの動きを目で追い切れるはずもない。ただその激しさだけが、熱を帯びて沙穂の肌を粟立たせる。
だが魔獣の強さも尋常ではなかった。残り三つとなった馬の頭からは、火炎弾や殺傷能力のあるつむじ風が放たれ、また全身からは黒い衝撃波が迸る。その後ろ足を踏み込むだけで地面は激しく揺れた。地を駆ける者は、まるでゴミのように吹き飛ばされ、空を舞う者も脆弱な羽虫のように次々と打ち落とされていく。また攻撃だけでなく、その耐久力も相当なものらしい。何体ものデスメアードたちが、目を瞠るような大技を繰り出していくものの、対して効いている様子はなかった。
魔獣が火球を空に打ち上げる。それは破裂し、火炎弾となって地上に降り注いだ。
「ライバル! 僕の力を!」
まだ声変りをしていない、少年の涙声が一際大きく沙穂の耳に届いた。目をやると、予想した通り、宇野薫ことノーフェイス・メアードが肩で呼吸をしながら立っていた。
頷くライバルセイバーの鏡が、ノーフェイスを映す。そして彼は正確かつ俊敏な足捌きで高速横っ跳びを発動すると、火炎弾を全て回避した。
「ライバル、ちょっと力を貸してもらうっすよ!」
足を引きずったタコデボーノ・メアードが、頭から触手を伸ばす。彼の力を遠慮なく借りたライバルセイバーの肩からもまた、二十を超える数の触手が生え、タコデボーノと一緒に魔獣の足を絡め取った。
「せぇぇぇぇのっ! そいやっ!」「バルラッ!」
掛け声を合わせて触手を引っ張り、力任せに巨体をひっくり返す。魔獣は地響きをあげて横転し、噴き上げる砂煙の中で呻き声を漏らした。周囲のデスメアードたちから歓声があがる。四方八方から繰り出されるビームが、馬の頭部をまた一つ破壊する。
この巨体を起こすのは容易ではないだろう。沙穂だけではなく、誰もがそんな予想をしたはずだ。しかし魔獣は驚くべきことに関節を逆に曲げると、ブリッジをするような体勢で素早く起き上がってしまった。本来の頭が逆さになり、腹から馬の頭が伸びている形だ。魔獣は天に向かって吼える。その全身が黒く発光したことで、一同は身構えた。
「まったく……二人がどうしてもここに来たいと聞かなくてね。子どもの相手は疲れるよ」
おなじみの三角帽子とロングコートを纏った、メアードバーのマスターがライバルセイバーの隣にふらりと現れる。マスターは手を翳す。ライバルもまた同様に左の掌を向けた。
「バルバー!」
「さっさと終わらせるぞ。このままじゃ、商売あがったりだ」
魔獣の体から黒い衝撃波が放たれた。並び立つ二体は、掌から光線を放ち対抗する。二本の直線は途中で交じり合い、太い一本の光条と化して衝撃波を相殺させた。
「……トイレの恨みが恐ろしいことを、お前は知らなければいけないようだな……!」
そんな口上を述べつつ、どさくさに紛れてライバルセイバーの隣に立ったのは、鳩人間と称してもなんら違和感のない外見を持った変態、否、怪人だった。
「あれって、もしかしてトイレメアード……」
「ちがぁう! 私の名はダブルシー・メアード! パーティー会場という名のトイレを壊され、ご機嫌斜めの紳士さ!」
地獄耳というべきなのか、ダブルシーは沙穂を振り返り、親指で己の胸を指す。彼は何の冗談なのか、ド派手なパーティーハットを頭に乗せ、片手にはチキンを持っていた。
「んもう、それどころじゃないだろ! 行くぞライバル・メアード、共に敵を討つのだ!」
「バ、バルバル……」
一方的に共闘を叩きつけ、ダブルシーはチキンを骨ごと口の中に放り込むと身構えた。ライバルセイバーは釈然としない表情を浮かべながらも、鏡に変態の顔を映す。
「いくぞっ、紳士、百裂の舞!」
ダブルシーの肩から新たな腕が出現し、自前のもとの合わせた計四つの拳で魔獣を滅多打ちにする。ライバルセイバーは裂けた口から水流を吐き出して、間断なく発射される火炎弾を消火していく。
同時進行で別の馬の頭は地面に息を噴きかけた。すると瓦礫がまるで紙のように舞い上がり、地上に降り注いでいく。憔悴した様子のタコデボーノの上にもそれは落ちてくる。他のデスメアードたちは自分を守るのに精いっぱいで、または敵を攻めるのに必死で、彼を助ける余裕などない。沙穂は動けない自分の体を呪う。ビームを撃とうとするが、血で目がほとんど開かず、そもそも技を発動する力も残されていなかった。
タコデボーノの前に颯爽と怪人が割り込んできたのは、その直後だった。怪人は持っている剣を一振りし、自らの体よりも大きな瓦礫を簡単に粉砕する。土埃に塗れた黒い甲冑が振り返る。タコデボーノは胸の前で手を組み合わせ、甲高い声を発した。
「ヒーローさん!」
「大丈夫か? 遅くなって悪かったな。体に言うこと聞かせるのに時間がかかってね」
ヒーロー・メアードの纏う鎧の形状は沙穂が見たことのないものだった。おそらくまた別のデスメアードと融合したのだろう。彼は目の前の敵を睨みつけた。魔獣は自分を包む網目状のシールドを払いのけ、大きな手の形をしたエネルギーを火炎弾で迎えている。
「こいつが、お前を、みんなを傷つけてるんだな。なら奴は、俺の獲物というわけだ」
別のデスメアードからコピーした技で反撃を決めたライバルが、ヒーローの隣に着地する。二人は視線を交わし合った。嫌な想像を掻き立てられ沙穂は不安を覚えるが、ヒーローの手にする武器の矛先はやがて、真っ直ぐ魔獣に向けられた。
「……バル!」
その行動から何かを察したのか、ライバルセイバーもまた魔獣を睨み、光剣を掲げる。
白いライバルと、黒いヒーロー。偶然にも、互いの基本色を交換する形となった二体の戦士は、共通の敵を前に並び立つ。
馬の頭から、空気弾と火炎弾が連射されると、二体はまるで息を合わせたように地を蹴った。ヒーローは短剣で、ライバルセイバーは拳で、攻撃をはね除けながら突き進む。
魔獣の体から、人を五人くらいは軽く飲み込めそうなサイズの光球が飛び出す。ライバルセイバーは左腕を赤く燃やし、正面から光球を受け止めた。ヒーローはそれを飛び越え、空中で体を捻りながら短剣を投げつける。高速回転する刃はさながら回転鋸のようだ。宙を舞い、馬の首を撥ねて再びヒーローの手に戻る。
「バルバアアッ!」
重力法則さえも捻じ曲げそうな、重々しい波動を帯びたライバルの拳は漆黒の球を捕え、一撃のもとに砕いた。広がった破壊のエネルギーはそれだけで飽き足らず、さらにもう一本の腕も塵にする。
そしてライバルセイバーは、続けざまに右腰を叩いた。鏡に浮かんだのはヒーロー・メアードの姿だ。
「ラアァァァァァァァァ!」
左手に赤の輝きを、右手に白の輝きを噴出させ、ライバルセイバーは光の翼を背負い、飛翔する。地上に降り立ったヒーローは短剣をバックルに撫でつけ、ラッパの甲高い音色を響かせた。短剣の切っ先から光のリボンが伸び、魔獣の全身を縛り付ける。唸り、もがくが、軋んだ音がなるだけでその身が自由になることはない。
魔獣の頭上まで飛びあがったライバルセイバーの前に、赤と白、エネルギーで形作られた巨大な両拳が出現する。ライバルセイバーが腕を上げると拳は天高く昇り、彼が叩きつけるような動作をとると、魔獣目がけて急降下していく。
「いっけえええええええええ!」
沙穂は痛みさえ忘れ、声の限りを尽くして叫んだ。周囲のデスメアードからも一斉に声があがる。ジノがとび蹴りを炸裂させ、他の面々もビームや火球やエネルギーによる攻撃をつるべ打ちにする。
「バァァァァァルゥゥゥウウ!」
歓声を力に変え、殺戮の波動に満ち溢れた二つの拳が、この町を滅ぼす悪に鉄槌を下す。
ヒーローが剣先を下に向けると同時に、リボンが爆発を起こした。それはライバルセイバーの攻撃と合わせて、魔獣の肉体を完膚なきまでに破壊していく。
一瞬、静けさが町に広がった。静寂というよりも、空白、と喩えた方がより近いだろうか。まるで時が止まったような沈黙が、その瞬間にはあった。
直後、爆発が大気を、大地を、町を激しく震わせた。その中心で魔獣は光の塵と化していく。その量はあまりに膨大で、まるで地上に花火が生まれたかのような輝きようだった。
「オォォォオオオオオオオオオ」
塵の中から聞こえる、怨嗟の声のような呻きが耳を刺し、心を抉る。だが塵が空に溶けていくのに従い、その語気は徐々に弱まっていき、やがてぷつんと途切れると。
歓喜の渦が場を満たし、この町にとっての脅威は、完全なる死を迎えたのであった。
7
赤く濡れた空の色が、少しずつ薄らいでいく。崩壊の音も聞こえない。
戦いが終わったのだ。大地に深い傷跡が残されてしまったものの、破滅を食い止めることはできた。それをきっと今は喜び、安堵するべきなのだろう。沙穂はため息を零すと、目を手の甲で拭い、それから胸の中で眠る恋人の頭を撫でた。
「かっくん……終わったよ」
しかし、消滅を余儀なくされるのは魔獣だけではなかった。
沙穂の前で、ジノの体が足先から解け、粒子となっていく。そのスピードは凄まじく、あっという間に彼は宙に浮かぶ生首と化してしまう。
「どうやら、メアドリンを少々使いすぎたみてぇだな。これからって時に、しょうがねぇ」
自嘲気味に呟いた声さえ虚空に吸い込まれ、決闘者は砂時計型容器を残して消え去った。
周囲を見渡せば、他のデスメアードたちも粒子化し、次々と空間に弾けていく。
みんなとっくに、メアドリンの効果は切れていたのだろう。それでも実体を保っていられたのは、ひとえに町を救いたいという想いの結果だ。薄闇の中で燃えるように輝く粒子の群れは、思わず息を呑むほど美しかった。そして粒子が夜に溶けてしまうと、容器がまるで集団発射されたロケット花火のように、続々と飛んでいった。
「バルバル……」
そして――例外なく、ライバルもまた同様に光の粒へと変化する。その体は画素数の少ない写真のように、見る見るうちにざらついていった。
寂寞を湛えた大きな二つの目が、沙穂をじっと見つめている。一体これからどんな風にライバルと接していけばいいのか、まだ気持ちの整理がつかない。だが、これまで以上に真摯な気持ちで彼と向き合うことができるような気がした。弟の身代わりではない。一人の友達として、もう一度やり直せるような、そんな予感がする。
永遠の別れではない。また朝が来て、夜になればライバルに会える。ほんの短いお別れだ。ライバルは沙穂に近づいてくると、手を差し出してきた。沙穂は彼の手を握る。何を話そうか迷っていると、頭の中に以前交わした約束が過った。
「そうだ。ライバル、マフラー作ったんだよ。明日、渡すね。絶対にまた明日、会おうね」
「……バル。バルバル」
手を包む体温が、逃げていく。ライバルは最後に何か言いたげな顔をして、結局何も言わずに、沙穂の眼前で塵に還っていった。
砂時計がぐんと空に伸びていく。チリンと音がしたので地面を見やれば、お守りが二つ、重なり合うようにして置かれている。沙穂はそれを拾いあげ、掌の中に閉じ込めた。息を吸い、気持ちを落ち着かせる。
デスメアードたちがみんないなくなると、静寂が浮き彫りとなった。月明かりと、瓦礫の間をちろちろと舐める残り火が、荒廃の地を照らしている。遠くの方から微かにクリスマスソングが聞こえてくる。それは終わらない夢を歌っているように、沙穂は感じた。
手の甲に広がった亀裂を暫し見つめ、その手でネックレスの飾りに触れる。それには角平の温もりがたくさん詰まっていた。彼からもらったたくさんの想いをかがり火にしていけば、どんな暗闇でも怖くはない。
「かっくん……ありがとう」
寂しさはある。不安もある。しかし新しい環境の中で、新たな夢を抱いて生きることに、少しだけ思いを馳せる。もはや後戻りはできない。ならば覚悟を決めて、前に進んでいくしかない。沙穂は最後に彼の手を強く握りしめ、それから決然と顔を上げた。
目の前に、ヒーローが立っていた。
その鎧には、複雑な回路を思わせる奇妙な紋様が描かれている。彼もまたメアドリン不足の影響を受けているらしく、端のほうから徐々に粒子化が進行しているようだった。
「約束は守る。こいつが、一番手だ」
独り言のように、ヒーローはそんなことを口にする。一体何のことなのか沙穂は不安に眉を顰めるが、すぐにその疑問は解けた。
ヒーローが大きくよろけた瞬間、その背後に鳥川先生が立っているのが見えたからだ。彼女はいつもの人懐っこい笑みを封印し、怖いくらいの真顔でヒーローと、沙穂を見ていた。唇をわずかに動かし、小さく頷く。「おねがいね」――沙穂の人間離れした視力は、彼女の発した言葉を瞬時に読み取ってしまった。
「先生……?」
尋ねたのと同時に、ヒーローによって肩を押される。力こそ軽いものだったが、沙穂は自分自身から何かが零れ落ちるような、強烈な浮遊感を覚えた。視界が白み、世界が回転する。落ち着いてから目を開くと、そこには脅えた様子で尻もちをつき、あたふたと辺りを見回す怪人の姿があった。
「うあ。なんだ止めろ! ここはどこなんだ……!」
ビニールのような質感をもち、肩から黒いスプーンを生やしたその怪人のことを、沙穂は知っているような気がした。ヒーローは短剣を怪人の喉元に突きつける。ひぃぃ、と悲鳴があがる。嫌な予感がした。何か大事なものを奪われてしまうのではないかと、いう不安が立ち込める。だが体も口も動かない。
ヒーローは一旦、躊躇するように手を止めた。しかし思いを振り切るように剣をひと薙ぎすると、絶叫ごと怪人を両断した。
「悪く思うな……お前の本体はもうとっくに消えてる。成仏してくれ」
「あ……あぁ、コン……タク、ト……レンズに、愛……を……!」
深い傷を刻み込まれた怪人は、後ろによろめきながら擦れた声を発する。その肉体は薄らと煙を漂わせながら溶けだし、水彩絵具のように空気に滲んでいく。そしてそれを見ているうち沙穂の意識もまた歪み、薄らぎ、やがて遠のいていった。
8
時計の針の音が聞こえる。漂う匂いは、おかゆだろうか。沙穂は目を開いた。そのまま視線だけを動かして、辺りを見やる。それから布団を跳ねのけて起き上がった。何度か頭を振って眠気を吹き飛ばす。辺りは薄暗く、目が慣れるのに時間がかかったが、ここは自分の部屋のようだ。周囲は夜気に満ち、室内を常夜灯のオレンジ色の光が照らしている。
「……あれ?」
胸に虚空を感じた。何だか大事なものをどこかに置いてきてしまったような、不安が立ち込めている。息を深く吸うと、空気がその穴を通り抜けていくようだった。わずかな寂しさが過る。だがその正体までは分からない。
頬に触れる。昼間の熱さは感じない。頭も体も何だか軽やかで、どうやら熱は下がったようだった。だが熱の影響なのか、体のあちこちが痛かった。額に突くような痛みを感じ、指でなぞるようにする。どうやら傷になっているようだった。一体どこでぶつけたのか、見当もつかない。
それから、自分の掌をふと見やった。何の変哲もない自分の手。それなのになぜか違和感のようなものを覚える。なぜだろうと疑問に思っているうち、さらに視界の半分がぼやけていることに気付いた。少し焦ったが、何度か瞬きをすると、片目にしかコンタクトレンズが入っていないことが分かった。しかしなぜ自分がコンタクトレンズをはめたまま眠ろうとしたのか、しかもなぜ片方だけ外れているのか、謎は深まるばかりだ。いくら考えても答えは出ないので、沙穂は全ての疑問を熱のせいにすることにした。意識が朦朧としている間に、色々と記憶がごちゃごちゃになってしまったのだろう。
寝息が聞こえるので、見れば、ベッドに寄りかかるようにして角平が床に座り込んでいた。どうやらその姿勢のまま眠っているらしい。彼は風邪を引いた沙穂の看病に来てくれたのだった。「風邪ひくよ」と声を掛け、沙穂はベッドから下りようとして、ふと自分が何かを握りしめていることに気付いた。
手を開くと、そこにはお守りが二つ、握られていた。一つは『交通安全』と書かれたもの、もう一つは折り紙で使った手作りだ。どちらもひどく汚れており、また両方とも全く見覚えのないものだった。
「なんだっけ……これ……」
じっと見つめる。だがいくら頭を捻ろうとも、やはり何かが浮かんでくることはない。首を傾げ、とりあえず考えるのは後回しにすることにした。全身汗だくで、体の芯に疲労が積もっており、とりあえずコンタクトレンズを外してシャワーを浴びたかった。
お守りを枕元に置く。すると交通安全の方に付いていた鈴から、澄んだ音が鳴った。その音色はどこか懐かしい響きをもって、沙穂の胸に生じた空白を埋めていくようだった。
「デスメアード・ファイル」
メタルゾヒーロー・メアード
属性:天
AP5 DP3
身長:180cm 体重:83kg
【基本スペック】
領域(Lv4。メアード超空間を展開する)
撥水(水属性のデスメアードに対して、攻撃力2倍)
破棄(メアードを殺すことができる)
【特殊能力】
武器を召喚し、他人に与えることができる。自分のためには召喚できない。
【DATE】
ヒーロー・メアードがチルドレット・メアードと合体をした姿。
短剣『ザクトライアー』を使った、スピーディーな戦闘が持ち味。
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イクリプス・メアード
属性:火、水、雷、天、土・各種
AP5 DP5
身長:360cm 体重:300kg
【基本スペック】
領域(Lv5。町全体に結界を張る。他のデスメアードはメアード空間を展開できない)
悪夢(自分に与えられる全ての特殊能力を無効化する)
破棄(メアードを殺すことができる)
【DATE】
ファンタジスタによって生み出されたデスメアード。創造主の命に従い、町を破壊する。
火、水、雷、天、土の属性別に五体存在し、また体色もそれぞれの属性に対応するものとなっている。
そのメアドリンは永久に失われることがなく、『破棄』の能力を持つ者以外にはイクリプスを倒すことはできない。




