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25話「ファンタジスタの住む森」

 指場町の公民館には、全ての照明が落とされ、入り口が施錠された後にも、闇に息づく気配があった。

 普段はあまり使われていない中広間。その床の間付近に、ヒーロー・メアードは寝そべっていた。そば殻の枕に頭を置き、仰向きになって天井を見つめている。手には青い表紙の分厚いファイル。傍らにはプラスチック製の飼育ケースが置かれ、その中で二匹の蟹がかさかさと動き回っている。

 畳を踏み鳴らす音がヒーローに近づいていく。真っ暗な空間を二歩足の影が移動する。刀剣の形をした頭部が、闇にうっすらと輪郭を描く。

「調子はどうだ。少しは良くなったかい?」

 ヒーローは視線だけを声の方に向ける。その先には腕組みをして立つ、チルドレット・メアードの姿があった。明かりと呼べるものが一切存在しない空間は、人間であれば己の手の形を認識することさえ難しいが、闇の住人であるデスメアードであれば昼間とほとんど変わらずに行動できる。

ヒーローは視線を天井に戻すと、ため息混じりに口を開いた。

「なぁ、ソードマン」

「何だ」

「お前の中で、俺はまだヒーローでいられているのかな?」

 その質問の意図が掴めていないのか、チルドレットは無言のまま首を傾げた。

「……よく意味が分からないが」

「こうしている間にも、ライバルはメアードを何体も殺してるんだろう。だが俺はどうだ? 戦うことはおろか、起き上がることすらままならない。この一か月間、こうやってほとんど寝転んで暮らしている。そんなことしている間に仲間さえも失って……こんな男を、誰がヒーローと呼んでくれる? 名前負けもここまでくると、笑うしかないだろ」

「あぁ、なるほど。そういうことか」

 チルドレットは肩から吊り下がったマントを払い、その場であぐらを掻いた。蟹の入った飼育ケースを指で小突く。ヒーローは相変わらず天井の一点を見つめ続けている。

「そういうことなら、問題ない。私はお前に絶対無敵のヒーローなど期待していない。私が欲しいのは挫折や敗北を経験しながらも、必ず立ち上がる不屈の戦士だ」

「それもそれでハードルが高いな。俺のイメージと真逆だ。お門違いも甚だしい」

「そんなことはないだろう。昨日の話、耳にしたぞ。エビグルマたちにかけられた呪いを解く力が、お前にはあるそうじゃないか。本当だとしたら、私の望む展開におあつらえ向きだ。それで、その力とやらは使えるようになったのか?」

 チルドレットの声には並々ならぬ期待が込められているようだ。ヒーローは気怠そうに腕を上げると、広げた掌を見つめた。

「いや、まだだ。だが昨日、あの奇妙な女と会話をしているうち、あることに気付いた」

「ほう?」

「俺はメーデルを殺した時に、全てを思い出した。もうこれ以上、忘れていることはないはずなんだ。だからさ、どちらかというと俺の力は他の誰かに奪われた、としたほうがしっくりくる」

 それはチルドレットに、というよりも、自分自身に念を押すような言い方だった。しかしその語調に迷いはなく、確信めいたものさえ感じられる。

「奪われた、か。だが、誰が何のために? 他のデスメアードによる攻撃を受けたとでもいうのか?」

「いや、多分デスメアードじゃない。もっと、上の存在だ」

 ヒーローは掌を胸の上に置き、長い息を吐き出した。かさかさと音が聞こえる。蟹がケースの内側を足で引っ掻いているのだ。チルドレットの息を呑む気配が、静寂を伝う。

「俺は一度、そいつに会ったことがある。圧倒的な存在だった。文字通り、俺は手も足も出なかった。だが確かに奴なら、俺の力の在処に心当たりがあってもおかしくはない。俺から力を奪うことなど造作もないはずだ」

 胸の上の手をヒーローは固く握りしめる。その手は微かに震えている。そして彼は、ずっと逆の手に握っていたファイルを離した。そして太腿のハッチを開き、ナイフを取り出す。血を吸い、わずかに錆びたその凶刃を闇に透かす。

「なぜ俺の力を奪ったのかは分からんが……実際に持っていたとしても、奴は簡単には渡さないだろう。そうなれば戦闘になる。だが正直……奴に勝つ自信はない。あの時のことを思い出すと、怖気が走るんだ。なぁ、ソードマン。俺はそんな奴に敵うと思うか?」

 体の不調も相まって、ヒーローの声音はひどく弱弱しいものに聞こえる。事実、彼は精神的に疲弊していたし、自信など皆無だったのだろう。

 だがチルドレットはそんなヒーローの様子を目の当たりにしてもなお、肩を揺すって笑った。顔の切っ先を撫でつけ、それから右の人差し指を立てる。

「ならばあえてこう返そう――私はそれを、望んでいる」

 チルドレットは立てた指を、顔の前で左右に振った。

「きっとそれを乗り越えれば、お前は真のヒーローになれる。それは素晴らしいことだよ。力を取り戻すことで、お前はまた進化するんだ。興奮するじゃないか」

「……俺は別にヒーローになりたいわけじゃない。ただ……」

 ヒーローは、飼育ケースの中を這い回る蟹を見つめる。その憂いを秘めた眼差しには、迷いと、一握りの決意が含まれているようだった。

「……俺はただ、自分の夢を取り戻したいだけだ」

 

 森を貫く一本道を、ただひたすらに進む。外灯も月もないのに、真の暗闇が訪れていないことが不思議だった。どこまで行っても似たような景色が続いているためか、時間の感覚が麻痺している。森に入って五分しか経っていない気もするし、一時間以上こうしている気もする。自分で歩いていない分、余計かもしれない。体に感じるわずかな震動だけが、前に進んでいることを知る唯一の手がかりだった。

 数分前か数十分前、空間に開いた穴を通り抜けて沙穂がたどり着いたのは、芽蹟神社の境内だった。一体自分がどこに連れてこられたのか、到着した直後は混乱したものの、鳥居が目に入るとすぐに検討が付いた。沙穂はほとんど成されるがまま、デスメロードに抱きかかえられると、石段を上り、拝殿を回り込んで、気付けば深い森の中を進んでいた。

 俗に言う、お姫様抱っこの姿勢で沙穂はデスメロードに運ばれている。鳥のさえずりもなければ、虫の鳴き声もしない。風も吹いていないため木擦れの音もせず、森は死んだように沈黙している。

 少し息苦しく感じるのは酸素が薄いせいではなく、この場所にひしめく厳かな空気のせいだろう。境内では優しい言葉を掛けてくれた蛇渕も、森に立ち入ってからは無言だった。乳白色のフェイスシールドが敷かれているため、表情を読み取ることもできない。だが彼もまた、森に漂う不気味な緊張感を肌で感じているのは間違いなかった。

 神社の限られたスペースに、これだけの森が広がっているとは思えない。メアード空間のような現実外の場所と考えた方がいいだろう。ここが一体どこで、自分がどこに連れて行かれるのかさえ、沙穂は知らされていなかった。蛇渕に一度尋ねたが、答えを濁されてそれっきりだ。彼があからさまに行き先を秘密にしている以上、尋ね直すのも気が引ける。

 体はだいぶ楽になっていた。おそらく熱もない。頭痛も止んでいる。少し気怠さは残っているものの、日中に比べれば大したことはなかった。

 ただ胸の疼くような痛みだけは、時を追うごとに増していった。傷ついて横たわる角平の姿が頭から離れない。彼の力のない瞳が脳裏に過るたび、どろどろとしたものが喉元に突き上げてきて、泣き喚きたくない気分になる。

 だがそんな我儘は許されないだろう。泣き出したいのは角平の方のはずだ。自分は彼の気持ちを裏切り、踏みにじった。ならば自分自身の下した選択を受け容れ、罪悪感に身を啄まれながら生きていくのが道理というものだろう。涙を流すことも、後悔することも、身勝手に過ぎる行為であることを沙穂は自覚していた。

 それに――

 沙穂は自分の頬に触れる。指先でなぞると、その部分が深くひび割れているのが分かる。ヒビは顎先まで続いており、鏡を見なくても、自分が化け物のような顔をしていることは想像できた。こんな姿に成り果てた自分を、角平がこれまでと同じように愛してくれるはずもなかった。この別れは正しかったのだ、と何度も何度も自分に言い聞かせる。

「そのネックレス、いいね。とっても似合ってるよ」

 蛇渕の声がいきなり上から降ってきた。ずっと言葉を封印してきたのに、なぜ今さら、と少し当惑しつつ「ありがとうございます」と返す。ネックレスのアクセサリー指で摘まみ、その存在を意識すると角平のことを思い出し、胸の苦しさはより一層強まった。

「さぁ、沙穂ちゃん。長い間、ご苦労様。ようやく着いたよ」

 その声に従い進行方向に視線を向けると、目の前には深閑とした空間が広がっていた。

 ぞわりと、全身の肌が粟立つのを感じた。これまでの一本道とは比べものにならない緊張感。この場所には幽玄な雰囲気が満ちている。

そこは円の形に森を切り開いてできたような、広大なスペースだった。木々もこの地を忌避していて、それによって、このような空白のスペースが森に生まれてしまった。そんな逸話があったとしても、おそらく疑うことはしないだろう。

 デスメロードは空白の地へと歩を進めていく。

 五十メートルほど前方に、奇妙なものが置かれていた。それは石で作られた台のようだった。大人一人が寝そべるくらいの大きさがあり、高さは一般的な勉強机くらいだろうか。さらにその台を取り囲むように、全部で五体の石像が配置されている。一体何を象ったものなのかまでは、今の沙穂の位置からでは分からない。簡素な造りではあったが、沙穂はその石台に、『祭壇』という印象を持った。森の雰囲気といい石像といい、何かが祀られているような気配があった。

 石像の付近にはいくつかの人影がある。近づいていくにつれ、やがてその正体が明らかになる。黄色いマフラーとセーターを着込み、車椅子に乗った寒澤零香、彼女の傍らに立つキャリー・メアード、そして神野の計三人だった。

「神野さん……それに、おばあちゃんまで……」

「ふん。そりゃいるさ。あんたの方こそ、まさか本当に来るなんてね。驚いたよ」

 零香は車椅子のアームレストに頬杖をついたまま、全く驚いてなさそうに言う。何と返したらいいものか分からず「私も驚きました」と答える。続けて神野に顔を向けるが、彼は沙穂から目を逸らすと、石像の後ろに隠れてしまった。

 一同の間をすり抜け、沙穂は先ほど祭壇と形容した台の上に寝かされる。首筋や背中に固く、ひやりとした感触が伝わってきて、そこで沙穂は自分がパジャマ姿のままで、靴さえ履いていないことを思い出した。寒さを感じなかったので、全く気付かなかった。どうやらデスメアードになると、ある程度寒さや暑さにも耐性ができるらしい。

「あの……」

 そろそろここに連れてこられた目的を尋ねてもいい頃合いだろう。沙穂は頭を上げ、上半身を起こそうとした。デスメロードは背を向け、五体の石像のうちの一つに触れる。すると沙穂の前に薄茶色をした、半透明の膜のようなものが出現した。前方だけではない。光で構成されたそれは石の台ごと沙穂をぐるりと取り囲んでいた。

「蛇渕さん、これって……」

「気にしなくていい。このシールドは君を守ってくれるんだ。今の君は大事な体だからね」

「シ、シールド? あの、蛇渕さん、そろそろ教えてもらえないですか? 一体ここはどこなんですか? 何が始まるんですか?」

 質問を畳み掛けると、デスメロードは声を出して笑った。鎧が外れ、中から蛇渕の端麗な顔立ちが現れる。数十ものパーツに分解された鎧は、出てきた時の逆回しをするように、彼の影の中に沈んでいった。

「ふぅ……やっぱり鎧は肩がこるよ。さて説明が遅くなって悪かったね。ここは空想者にとっての聖地なんだ。沙穂ちゃん、君はこれからファンタジスタの評価を受けるんだよ」

「ファンタジスタの……?」

 沙穂は何度も瞬きをする。蛇渕は膜に鼻先が触れるギリギリまで沙穂に顔を寄せると、形の整った眉毛を、おどけるように上げた。

「うん。でも心配しなくてもいい。別に君に危害を加えたりはしない。ただ、見て、触れるだけだ。そしてファンタジスタは判断する。君が評価に値する存在であるかを……そして、俺がこの町の王にふさわしい存在であるかをね」

 彼の口から語られたのは、あまりに突拍子のないことだった。しかし耳にしていくうち、沙穂の脳裏には少しずつ、以前零香から聞かされた話が蘇っていった。

 十二月二十四日。それはファンタジスタが現れ、空想者の業績を確認するという日。つまり今日だ。その瞬間、沙穂は自分の置かれた立場を理解する。同時に、なぜこの場所に空想者が揃っているのかという謎も氷解していった。

 デスメアードの存在を認知できる人間は珍しい、と色々な人から何度も言われてきた。今考えてみれば、そんな沙穂の体質は空想者たちにとって願ってもない、絶好の研究対象だったことだろう。

「……まさか私が、蛇渕さんの、作品……?」

 彼が否定してくれることを心のどこかでは望みながらも、恐る恐る尋ねる。蛇渕は沙穂から離れると、頬を緩めた。しかしその目は少しも笑っていなかった。

「ああ。ごめんね。別に騙すつもりはなかったんだ。だってそうだろ? 俺は一つも嘘はついていない。君の夢はどの道、ここで叶うんだから」

 その発言があまりにも自信に満ちたものだったので、沙穂は二の句を継げなくなった。彼はさらに淀みなく話を続ける。

「この場所はね、デスメアードの力を高めてくれる、いわばパワースポットなんだ。ここにしばらくいるだけで、君はデスメアードとして完成する。俺の夢が叶うと同時に、君の夢も叶うのさ。誰も損はしない。そうだろう?」

 そうだ。これは自分の望んだことだった。鳥川先生や角平を裏切り、友達との生活を捨ててまで、欲していた結末だったはずだった。彼の言うことに間違いはない。

それなのになぜだろう。胸騒ぎが止まない。煮え切れない想いが腹の底に居座っていた。

「この数か月、たくさんの人に呪いをかけてみたけど、誰一人して君みたいにはならなかった。多分、君が弟を亡くしたことと、ライバルの存在がどこかでうまいところ重なり合って……それで偶然、君の力は生まれたんだろうね。君はまさに特別なんだ。そしてそんな君に出逢えた俺は、最高の幸せ者なんだよ」

 膜に手をかざしながら、蛇渕はその言葉通り、至福の笑みを浮かべる。だが横から割り込んできた老婆の声が、彼の浮ついた気持ちを容赦なく削ぎ落とした。

「蛇渕、あんたも必死だねぇ。やはり去年のフラガラッハの件が、そんなに堪えたのかい?」

 車椅子のアームレストに頬杖をつきながら、零香が唇の片端を上げる。

「フラガラッハって……もしかして、マスターのことですか? メアードバーの」

 沙穂が尋ねると、零香は彼女特有の悪戯っぽい目をして笑った。

「ああ。そうさ。一年前、こいつはあのメアードのある能力に目を付け、ここに連れてきたのさ。そしてファンタジスタの評価を受けた。まぁ結果は……ご察しだけどね」

「やれやれ。やっぱり零香ちゃんは生粋のサディストだよ。あまり古傷に塩を塗らないで欲しいな。俺ってこう見えてナイーブなんだから」

 蛇渕は肩をすくめた。自分の手首にある腕輪に触れながら、過去を懐かしむように遠い目をする。

「まぁ、零香ちゃんの言う通り。去年のあれは確かに失敗だった。それは認めるよ。奴は俺に何ももたらさず、余計な火種を巻いただけだった……」

 どこか含みのある物言いに沙穂が眉を顰めると、蛇渕は形のいいウィンクを放ってきた。

「うん。だけど、それはもう過去のは・な・し。今年は違う。なんたって幸運の女神が俺にはついてるんだからね」

 そんな彼のさりげない仕草に、沙穂の胸の鼓動は意思とは関係なく高まってしまう。隣で、零香がいかにも不機嫌そうに息を吐き出した。

「そうかい。ま、あたしらは結果を眺めているよ。手出し口出しはしないから安心しな」

「それはありがたい。さすが零香ちゃん。話が分かる」

「あんたも頑張りなよ。ここまできたら、なるようにしかならないからねぇ」

 沙穂に忠告めいたことを残し、零香は意味深な笑みを浮かべながら車椅子のコントローラーを操作し、下がっていく。キャリーも彼女に続いた。神野だけは少しも動かず、石像によりかかりながら頭上を仰いでいる。一体何を思いこの場に立っているのか、仮面の下に秘められた思いを読み取ることは、あまりにも困難だ。その時。蛇渕が突然表情を固くし、気乗りしなさそうに呟いた。

「……来たか」

 直後、重々しい着地音が聖地に響く。蛇渕はハットを手で押さえるようにしながら振り返る。沙穂は目を見開いた。驚愕のあまり言葉がすぐには出てこない。喉奥に落ちていこうとするものを掴みあげ、口の外に投げ放つ。

「ラ、ライバル……!」

 この場に漂う静謐な空気など歯牙にもかけないような、威風堂々とした佇まい。迷いのない足取りで近づいてくる漆黒の矮躯は、間違いなくライバル・メアードだった。その肩にはボロボロのブレザーを羽織り、彼が足を踏み出すたびに、袖が力なく揺れる。

「バル……」

「やぁ、ライバル。おめでとう。沙穂ちゃんはお前を選んだんだ。これからもずっと、彼女と一緒にいられる。嬉しいだろ? 俺に感謝して欲しいな」

 突然の侵入者相手にも、両手を広げ、にこやかに応じる蛇渕。しかしライバルは頷くことをしなかった。それどころか右手から刃を伸ばし、臨戦態勢をとる。彼の双眸は『敵』を映して真紅に燃え盛っていた。

「おいおい。正気? 刃を向ける相手が違うだろ。どちらかといえば、俺はお前の味方だ」

「ライバル!」

 名前を呼ぶと、ライバルは足を止めた。沙穂は無意識のうちに拳を胸に乗せている。それだけで体内を這いまわる、ざらついた感触がほんの少しだけ収まるような気がする。

「ライバル……聞いて。蛇渕さんは、敵じゃない。私は自分でここに来たの。望んで、ここまで来たんだよ」

「バル……?」

「私、ライバルからたくさんの強さをもらったよ。ライバルに会う度に夢に向かって頑張ろうって気になれたし、夢を諦めちゃいけないって心が燃えた。だけどね、気付いちゃったの。やっぱり幼稚園の先生になりたいって夢は、結局ただの罪滅ぼしだった。分かる? 将太から許してもらうだけの、単なる手段に過ぎなかったんだよ」

 沙穂は深く息を吸う。薄い膜の向こう側に立つライバルがじっとこちらを見つめている。彼は腰にぶら下げたお守りを、強く握る。それは沙穂が祈りを込めて作ったものだった。

「だからね、今なら分かる。私の夢はライバルと一緒にいることだったんだって。将太との夢の続きを見ることだったんだって。そのためだったら私、何でも捨てられる」

 もう一度、深呼吸。それから時間をかけて、最後の言葉を紡ぐ。口にしてしまえばもう戻れない。自分の心音を耳にしながら、最後の一線を決然と、またぐ。

「だから私は……デスメアードになる。私の新しい夢のために。怖くなんか、ないよ」

「だってさ。ライバル、聞いただろ? ここには沙穂ちゃんが自分の意思で来たんだ。分かったら早く剣を下ろせよ。お前に睨まれる筋合いはないな」

 蛇渕が勝ち誇った笑みを浮かべる。沙穂は目を瞑った。もはや何も考えたくはなかった。騒々しく体内を巡るこの感情の正体が、後悔なのか、歓喜なのか、悲哀なのか、もしくはその全てがない交ぜとなっているのか、もはや沙穂自身にさえ判別不可能だった。目を開けたら、何もかもが終わっていれば良いのに。そんな身勝手な願望を抱えながら、思考を闇に追いやる。しかし瞼の裏に聞こえてきたのは――

「バルウウウウッ!」

――いきり立つ、戦士の雄叫びだった。

 沙穂は驚愕に目を開ける。視界に飛び込んできたのは、凶刃を振りかざし蛇渕に飛び掛かるライバルの姿だった。

「ライバル……?」

「……そうか。お前の目に、俺は沙穂ちゃんをさらった化け物に見えてるわけね……まったく、融通の利かない奴だな!」

 蛇渕は冷然と吐き捨て、指を鳴らした。パチン、と弾けるような音と共に、彼の前に何かが降ってくる。それが背丈の高い怪人であることが判明した時には、ライバルの体は後ろに突き飛ばされていた。

「もう一度確認する……こいつの足止めをすれば、綾菜を元に戻してくれるんだな?」

 怪人は纏ったケープを翻し、振り返る。沙穂はその怪人のことを知っていた。虫のような顔。鋼のような筋肉。右腕に装備された円形の盾。足にはスニーカーを履いている。

 それはデュエル・メアード、ジノだった。蛇渕は唇を緩め、帽子の唾を引く。

「ああ。約束は守るよ。だから頑張ってね、用心棒さん。相手は強敵だよ」

「知っているさ。てめぇに言われなくてもな」

 ジノは体の向きを前方に戻す。ケープの中からウィスキーボトルを取り出すと、中身を一気に飲み干した。ボトルを投げ捨て、それから盾を回転させる。右腕から青い光が噴き出し、エネルギーのドリルが出現した。

「バルル……!」

「ライバル。今日は決闘じゃねぇ、てめぇを全力でぶっ潰す。どんな手を使ってもなァ!」

 さらに左腕からも同様に閃光が湧き、ドリルに変わる。両手に得物を纏ったジノは飛びあがると、ライバル目がけてその切っ先を突き出した。


 その部屋には沙穂のベッドがある。彼女が使っていた家財がある。天井には蛍光灯が吊り下がり、床にはテニスシューズの入った紙の箱が置かれている。

 ススキのように生え並ぶ青白い腕の群れも、空の裂け目からこちらを覗き込んでいる赤ん坊の姿もすでに見当たらない。何事もなかったかのように、全てが元に戻っていた。

 ただ一つ、この部屋の主人がいないことを除いて。

「大丈夫? 痛いところ、ない?」

 美鈴は倒れていた角平を、ゆっくりと抱き起こした。角平は床に手を付いて「自分で起きられます」という意思表示をみせる。自分の体を見下ろし、肩を軽く回した後で、美鈴を見上げた。

「とりあえず、大丈夫、みたい……あなたは確か、沙穂ちゃんの昔の……」

「鳥川です。会うのは三度目、かな。そういう君は角平君、だっけ。沙穂ちゃんの彼氏の」

「……はい。あの、沙穂ちゃんは」

 角平は辺りを見回しながら力なく尋ねる。美鈴は目を細め、ベッドの方を見やる。

「連れて行かれたわ。かなりメアード化が進んでたみたいだから、急がなきゃまずいかも」

「メアー……ってもしかして、沙穂ちゃんがあの姿のことですか……?」

「うん。簡単に言えば、沙穂ちゃんは、人間を捨てて怪物になろうとしているの。まぁ、それもあの娘自身が選んだ道なんだけど……」

「人間を……沙穂ちゃんが……?」

 角平は瞠目し、それから何か辛いことを思い出したように顔を歪めた。

「……とにかく早く行きましょう。あの子が連れて行かれた場所なら、案内できるから。沙穂ちゃんを助けなくちゃ」

 立ち上がる美鈴。しかし角平は動こうとしなかった。俯き、床を見つめている。

「どうしたの? やっぱりどこか怪我を……」

「……そんなの、知らなかった。沙穂ちゃんがそんなこと考えてたなんて。俺……今まで何を見てたんだろ。沙穂ちゃんの全部を知った気になってて、みっともない……」

 面を上げた角平の目には、涙が溢れていた。美鈴は虚を衝かれた様子で目を丸くする。

「沙穂ちゃんは、自分の意思で行ったんでしょ? 俺より、あいつを選んだ。なら俺に追う資格なんて、ない。俺はもう……彼氏じゃ……!」

 角平は拳を床に置き、再び俯いた。彼は肩を大きく上下させながら、しゃくりあげる。突然の失恋に打ちひしがれる彼を、美鈴は表情を曇らせ、立ったまま見下ろす。

「……ねぇ、君はそれでいいの?」

「いいも悪いも、沙穂ちゃんがそうしたいって言うんだから、それが正しいんだ! そうでしょ? 今までも、これからも……だから俺の気持ちなんて!」

 拳が、微かに震えている。拳だけではない。吐く息も、その体も、まるで寒さに凍えているかのようだった。美鈴はため息を漏らすと、彼の前に移動した。その場で腰を下ろす。

「前に沙穂ちゃんから聞いたんだけど……君、夢がないって、本当?」

 角平は顔を上げ、胡乱な目つきで美鈴を見た。それから顎を引くようにする。

「そう……以前、私の知り合いがこんなことを言ってたわ。生きるということは、つまり夢を見ることだって」

「……じゃあ俺は、死人だってことですね」

「違うって。私にはね、君が死んでいるようには、どうしても見えないの。だから自分が気づいてないだけで、きっと角平君にも夢があるんじゃないかって思うんだけど」

 アパートの前の道を、救急車のサイレンが通り過ぎていく。唸り声のような響きが、近づき、遠ざかる。程なくして静寂が戻ってくる。そして美鈴は言葉を続けた。

「夢って、すごく大袈裟で、曖昧な言葉だと思わない? でも、例えばこう言い換えてみたらどうかな? 胸を熱くさせるもの、どうしてもやりたいこと……そんな風に考えれば、君にも心当たりがあるんじゃない?」

「胸を、熱くさせるもの……」

 角平は鼻をすすりながら、自分の胸に手をやる。それはまるで、心音の中に答えを探るような仕草だった。美鈴は微笑みを浮かべ、「そう」と小さく頷いた。

「確かに沙穂ちゃんは強い決意をもって、蛇渕君についていったのかもしれない。それもまたあの子の夢なのかもしれない。だけど……だからって幼稚園の先生になるっていう夢が嘘だったようには、私は思えない」

「それは……俺も同感です」

「沙穂ちゃんは、人一倍頑張って夢を叶えようとしてきた。中学の頃だったかな。先生みたいな人になるにはどうしたらいいんですかって、いきなり訊いてきて。びっくりしちゃった。でも、あんな目で見つめられたら、協力しないわけにはいかないわよね」

「ちょっとした、時間の合間見つけては勉強してたり、子どもとすごく楽しそうに話してたり……そういう時の沙穂ちゃん、すっごくキラキラしてるんだ。そういう顔みてると、夢に向かって頑張るって良いなって思ったりして。だから俺は……」

「そんな沙穂ちゃんのことが好きになった、でしょ?」

 図星だったのか、角平の頬が見る見るうちに赤く染まっていく。彼は鼻をすすり、唇を固く結ぶと、好奇の目から逃れるようにして、ベッドに顔を向けた。

「本当に好きなんだね、沙穂ちゃんのことが」

「それは……まぁ……はい」

「ふふ、妬けちゃうわねぇ。それで、どう? 君が心を燃やすものの正体、少し分かってきたんじゃないかな?」

 美鈴は角平の視線が指す先を見やる。角平は自分の胸を上から下に、ゆっくりと撫でた。そうしながら、テニスシューズの入った箱に視線を移す。

「……なんかちょっとだけ、分かった気がします。なんか、ですけど」

「良かった。なら、後はその想いに向かって進むだけね。沙穂ちゃんのためじゃない。私のためでもない。君が今、一番やりたいことをやるんだよ」

「俺の、やりたいこと……」

「うん。寄り添うだけが信頼の形じゃない。時には想いをぶつけることも必要だよ。それを乗り越えた先で、君はきっと夢を見つけることができるはずだから」

 角平は頷く。目元を腕で拭うと、シューズの箱を自分の元に引き寄せた。


「てめぇも気づいてるだろ? この地は、特殊な気配に満ちている。だからメアード空間を展開することはできねぇ。だから、少し小細工を使わせてもらうぜ!」

 ジノの両腕から射出された光のドリルを、ライバルは引きつけてから横に跳んでかわす。爆砕音と共に地面が抉れ、粉々になった光の残滓が宙に弾けた。

 腰から金色のプレートを一枚引き抜くと、盾にセットし発動した。

 ジノを中心として環状に、黒い衝撃波が走る。ライバルはジャンプでそれをかわす。衝撃波に撫でつけられた地面からは、真っ黒な煙と真っ赤な炎が噴き出す。業火は瞬く間に二人を取り囲んでしまった。

「即席のメアード空間、ってところだ。火を超えれば大丈夫だなんて考えるなよ? こいつはただの炎じゃねぇ、俺を倒さなきゃてめぇはここから出られねェってわけだ」

「バルバル……!」

「はっ。てめぇが俺に関心がないことは承知してる。だがな、俺にだって抜き差しならねェ理由があるんだよ! だから……荒ぶらせてもらうぜ!」

 翅を広げ、ジノが舞い上がる。そのつま先を光のドリルが包んだ。両手を広げ、片足をぴんと伸ばすと、気迫を声に変え、地上の敵目がけて蹴りかかる。

「バルルッ!」

 ライバルの胸の目が展開し、その左腕を赤い光が覆った。

 正面から激突する蹴りと拳。赤と青。相対する光輝は熱を孕み、やがて爆散する。大きく宙を舞い、地面を転げるライバル。一方のジノは表情を歪めながらも、片足で着地する。

「おいライバル、舐めてんのか? この前、俺に見せつけやがった白の力はどうした?」

「バル……!」

 ライバルは腰から吊り下がったお守りに触れる。だがいくら待てども、それが輝きを放つことはなかった。彼の不安げな表情から状況を察したのか、ジノは鼻で笑う。

「はっ。なるほどあれはてめぇでも、扱いきれねぇ力だったってわけか。なら……恐れるに足りねぇよなァ!」

 ジノは羽織っていたケープを脱ぎ捨てた。鍛え上げられた肉体が露わとなり、同時にその体の上に何かが浮き上がってくる。輪郭を結び、やがて実体化を果たしたそれは金属製の黒い鎧だった。デスメロードのものに酷似しているが、ジノはそれを胴体のみに纏っている。ジノは驚いた様子で、自らの体にいきなり現れた鎧を見下ろし、その胸元を叩く。そして肩越しに背後を一瞥する。

「奴か……まったく、無粋な野郎だ」

 面白くなさそうに吐き捨てながら、ジノは地を蹴り、ライバルに急迫した。その拳には、夜闇よりもまだ深い色の瘴気が渦巻いている。一目見て、その力を察したのだろう。ライバルは全身に星を散りばめると、胸の前で腕を組み合わせ、敵の攻撃を受けた。

 ライバルの目測は正しかった。アスファルトを叩き割るような衝撃音が森をざわめかせ、ライバルは大きくバランスを崩した。

「なるほど、確かに強烈だ……これならてめぇをぶっ飛ばすのも容易いかもな」

 ライバルは一旦後ろに跳ぶ。それからすぐに前に足を踏み込むと、拳の連打を叩きこんだ。だが、その猛襲は黒色の鎧によって阻まれてしまう。ジノの顔色は変わらない。ダメージが一切通っていない証拠だ。

「バルバル!」

 それならば、とばかりにライバルはバックルを金に染め、左手に青色のドリルを生成した。腕を引き、ドリルに覆われた拳を解き放つ。

 しかし次の瞬間、ライバルの表情には戦慄が浮かんでいた。粉々に砕けたのは鎧ではなく、ドリルの方だった。ジノはどこか退屈そうに口を結んだまま、鼻息を漏らす。鎧全体が黒に輝いたかと思うと、漆黒の瘴気が噴き出し、ライバルを突き飛ばした。

「その程度かよ? なら……今度はこちらから仕掛けさせてもらうぜ」

ジノは盾を回転させ、右腕にドリルを発現させる。ただしその色は、先ほどまでの澄んだ『青』ではなく、身に着けた鎧と同色の『黒』に変貌していた。

 掌から光の剣を伸ばし、ライバルは応戦する。右拳を振り抜くジノ。ライバルもまた右腕を大きく横に薙ぐ。白く燃える剣身と、螺旋を描く切っ先とが接触。擦れ合い、火花が闇に踊り、甲高い音が宙に鳴り渡る。

 だが凌ぎ合ったのは、ほんの一瞬だった。回転する暴力的なエネルギーに押し負けた光剣が、無残にも砕け散ったのだ。したたかに「押しのけられるライバルの体。

「ふん。こんなのはどうだ?」

 鎧が黒く明滅する。ジノが腕を前に突き出すと、その掌にバレーボールサイズの火球が生まれる。ジノは火球を鷲掴みにすると、肩を大きく使い、ライバル目がけて投げつけた。

 息つく間もない連撃に、ライバルはかわす暇さえ与えられない。だがその時、ここに来て以来、ずっと彼の背で押し黙っていたブレザーが動いた。

「我が主よっ……! 俺が……守る……!」

主人の体から分離し、宙をひらりと舞うと、袖を広げて火球を受け止める。ブレザーは大きく吹き飛ばされ、地面をごろごろと転がった。

「バ、バルル!」

 ライバルは自らを庇った相棒を振り返るが、あまり気に掛けている余裕もなかった。黒いドリルを構え、躍りかかるジノをライバルはすんでのところでかわす。

 その時、決闘の地に管楽器の音が鳴り響いた。反撃に転じようとしていたライバルは急に膝を落とし、頭を抱えて苦しみだす。二体を閉じこめて燃えさかる火炎のリングの外側で、トランペットを吹き鳴らす神野の姿が見えた。

「おい、てめぇ、何のつもりだ! 助けなんていらねぇよ、こいつは俺の獲物だ!」

 しかし天の空想者による助太刀は、ジノにとって望まぬものであったらしい。神野はトランペットから口を離すと、失望した、とばかりにため息を漏らした。

「遅すぎる。遊んでないで早くとどめを刺せよ。蛇渕から受けたその鎧さえあれば、一捻りできるはずだろ。ほら、早く。俺の手を煩わせていることを自覚しろ、塵が」

 そして神野は深く息を吸い、再び演奏を始める。甲高い音色が響き渡ると、それに応じてライバルもまた悶える。神野のトランペットが吐き出す音にはデスメアードの動きを止める作用がある。動きを止める対象は音の波長によって自在に選択することが可能で、ジノに全く効果がないのはそのためだった。

 耐え難い苦痛に身を啄まれるように、激しく呻く姿は、もはや戦士のものではない。ジノは憎々しげに舌を打つと、もはや戦闘不能に等しいライバルにドリルの先端をかざした。

「……そうだ。俺はライバルに勝たなくちゃいけない。そうしなけりゃ、綾菜が……!」

 苦しげに歯を食いしばり、歩を進めるジノ。しかし何かに気付いたように歩みを止め、足元を見下ろした。そして目を丸くする。履いているシューズの紐が、一本切れていた。

「綾菜……お前」

 そのシューズは生前、懇意な間柄だった少女からジノが受け継いだものだった。このタイミングで紐が切れてしまったことが、百戦錬磨の決闘者の表情に困惑を浮かばせる。

 顔を上げたジノは、さらに驚愕することになった。頭を抱え、激痛に堪えるように低い唸り声をあげながらも、ライバルは立ち上がっていた。業火の照り返しを受けてなお輝く瞳は、ジノを映して燃え盛る。その目はけして、敗北を認めた戦士のものではなかった。

「なんだよ……おい、なんだその目は」

 さらにライバルの体を白色の輝きが埋め尽くすと、ジノの顔は色をなした。

「なんだその輝きは! てめぇはそんな体で、まだ勝つ気でいるってのか!」

「バ……バルバル……」

 声音こそ弱弱しいが、その目は彼の心に宿った信念を如実に語っている。そんなライバルの想いを正面から受けたジノは、明らかに狼狽えていた。指一本一本を折り畳むようにしてその拳は徐々に握られていき、口元には引き攣った笑みが広がっていく。

「そんな目で、俺を見るなよ」

 感情を持て余すように、ジノは身を震わせる。その瞳に野生動物のような炯々とした光が灯る。強固な鎧に塞がれた胸元に、拳で触れた。

「お前にそんな顔をされたら……俺も、燃えてきちまうだろうが」

 苦しみ喘ぎながらも、濁りのない瞳で敵を見上げるライバル。焦れた眼差しで、彼を見下ろすジノ。

 手を止め、無言で視線を交わし合うデスメアードらを外野から眺めていた神野は、トランペットから口を離し、理解できない、という風にかぶりを振った。

「命じられたこともこなせないとは……クズめ。何であんな奴らに沙穂は……」

 ぶつくさと呟き、神野はトランペットのピストンに置く指の位置を、先ほどまでとは変える。また別のパターンの波長を奏でるつもりなのだろう。

しかし顔を上げたところで、神野は何かに気付いたようだった。ハッと息を呑んで体を反らすと、彼の目の前を白い光弾が駆け抜けていく。自分が攻撃の対象にされたということにすぐさま神野は勘付いたようで、弾が飛んできた方向にすぐさま顔を向けた。

 森の一本道を抜け、この『開かれた地』に差しかかるちょうど入り口のあたり。そこに一体のデスメアードが立っていた。

 純白の装甲に身を包んだその怪人は、助走もなしに跳躍すると、数十メートルばかりの距離を超え、神野の前に着地した。大きなヘッドホンを頭に付けており、それで耳を塞いでいる。外に漏れるほどの大音量で音楽を流しているようだ。

「ヒーロー・メアード……さっきの攻撃はお前か? 一体何のつもりだ。ここはお前のような酔っ払いが来ていい場所じゃないはずだが」

 神野の揶揄も、ヒーローにはおそらく届いてはいない。彼は右手にI型の棒を掴んだ。その先端から白色の光刃が飛び出す。

「俺の夢を返してもらいにきた。お前が持っていると風の噂で聞いたからな」

 感情を全く読み取らせない、平坦な語調でヒーローは問う。神野は首を傾け、仮面の内側で小さく笑い声を漏らした。

「さぁ……どうだか。持っていたとしても、お前にやる義理はないがな」

 いかなる答えが返ってこようとも、果たすことは一つと決めていたに違いない。ヒーローは光剣をいきなり突き出した。鋭利な切っ先はトランペットを掠め、民芸品じみた仮面を僅かに削る。さらに左手の銃の引き金に指をかけ、至近距離から発砲しようとする。しかし神野はそれを予想していたのか、相手の左腕の動きにいち早く反応し、蹴りでヒーローの手から銃を弾き飛ばしてしまった。

「はぁ。仕方がない。儀式が終わるまでの間、少し遊んでやるとするか」

 神野は後ろに跳ぶと、手首に食い込んだ白色の宝石を光らせ、掌から空気弾を放った。半透明の球は途中で六つに分離すると、四方八方からヒーローの全身を打った。呻き、足を止めるヒーロー。神野は息を吸い、トランペットを構える。

「俺の音を恐れてヘッドホンなど備えてきたようだが……さて、そんな玩具でどこまで防げるか、試してみるのも面白いかもな」

 息が吹きこまれ、トランペットから美しくも歪んだ高音が奏でられる。ヒーローはぐっ、と苦悶を漏らし、こめかみのあたりに手をやった。しかし苦しみを吹き飛ばすように腕を大きく振ると、剣を握り直して躍りかかる。神野は演奏を止め、トランペットを構える。白色に輝く刃と、黄金に煌めく楽器がぶつかり合い、二人の戦いは異質な鍔迫り合いに持ち込まれた。


 一方、燃え盛る火炎によって縁取られたリングの内側で、ジノは吼えた。それは心のしがらみを吹き飛ばし、感情を曝け出すような咆哮だった。音の呪縛から解放され、身を起こしたライバルは疲れ切った表情で、ジノを見守る。

 ジノは長い叫びを終えた後で、低く唸りながら、力強く胸を張った。すると鎧が、まるでゴムのような質感に変わり、瞬く間にどろどろに溶けて消滅してしまった。

「ライバル……お前を倒すのに、こんなもの必要ねぇ」

 ジノは息を深く吐き出すとベルトから金属製のプレートを一枚取り外し、盾に装填した。

「俺は俺の力だけで、てめぇに勝つ! それだけだ!」

盾が回転するのと同時に、鳥の羽を模した無数のエネルギー弾が虚空に生まれる。それらは一斉に、ライバル目がけて放たれた。

「バルバル!」

 身を翻しつつ、ライバルはジノから得たドリルを両手に生み出し、射出した。ドリルは光弾を瞬く間に薙ぎ払うと、勢い収まらず、その向こうに立つジノを続けて襲う。だがジノもまた同形状のドリルを生成、撃ち出して相殺させた。

「はっ! こいつはこっちがオリジナルだ! 偽物に譲るかよ!」

 ジノは悪態を吐きながらたった一歩で、ライバルの眼前まで詰め寄る。長い足から繰り出された回し蹴りは、必殺の威力をもってライバルの頭部を揺さぶった。

 重い蹴りをまともに受けた小さな体が、堪えきれずに宙を浮く。しかし倒れ、転げそうになるのをライバルは片足で踏みとどまり、次の攻撃に備えた。ジノは新たなプレートをはめこんだ盾を回転させ、右手を前に突き伸ばす。

「サンダー・タイブレイク!」

 ジノが叫ぶと同時にその指先が閃光に包まれ、収束された一条の電撃が空間を貫いた。ライバルは構えを取りながらも、ただの拳では受け切れないと判断したらしく、胸の目を開眼させる。すぐに左腕を真紅が包む。充填した殺意を振りかざし、電撃を打ち落とした。

 だがライバルに安堵は訪れない。ジノの蹴りが今度は顔面を狙って放たれる。ライバルはかわす。決闘者は足を素早く引き戻し、抜群のバランス感覚を発揮しながら、盾で殴りつけてくる。ライバルは右の手刀でそれを受け流す。一斉に飛び退き、距離を取り合う二人。まるで図ったかのような同タイミングで互いにドリルを生成し、腕を振り抜いて、ぶつけ合う。力は完全に互角。飛び散った光の破片が、空を幻想的に輝かせる。

 二人を赤々と照らし、なお燃え続ける火は、不思議なことにそれ以上周囲の木々に移り広がることはなく、森を焼くこともなかった。それ以上強まることも、弱まることもなく、火は一定の勢いを保ち続けている。そんな不滅の猛火に捕えられたライバルとジノの戦いもまた、永久に終わることはないのではと思わせる。

 交差する拳と蹴り。一方が技を繰り出せば、もう一方がそれを超える技で応える。理屈や技術などかなぐり捨てた、力強い激突は辺りの煙を散らし、火をさざめかせた。

「あぁ、楽しいなぁ! 楽しくて楽しくて、仕方がねェよ!」

 ジノの腹部に拳がめりこむ。ライバルの頬に蹴りが入る。森と火に飾り立てられたリングの内側を、異形の影が舞い踊る。

「可笑しいよなァ! もう、綾菜のことなんてどうでも良い……ただただお前との戦いに満足している俺がいる! 強ぇえ奴と全力で殴り合える。それを超える快感がどこにあるっていうんだよなァ! おい!」

「バルバル!」

 片手に出現させた骸骨型のエネルギー弾をジノは投擲する。ライバルはコピー能力を発動させて体から無数の鳥型エネルギーを飛び立たせると、それをぶつけてエネルギーを少しずつ削っていき、最後に回し蹴りを叩きこんで霧散させた。

「どうしようもねぇくらい、俺は根っからの決闘者らしい。そしててめぇも、俺をどかさなきゃならねぇ理由がある。そうだろ? なら受けざるを得ねェよな、俺との決闘を!」

 ライバルは目の前の敵ではなく、その背後、炎の先にあるものに目をやった。それからジノに視線を戻し、決然と頷く。ジノはにっ、と鋭い歯を見せつける。

「この瞬間だけは、てめぇの視線を独り占めにさせてもらうぜ。さぁ――」

 中指を軽く噛み、その手の先をライバルに向ける。そして己を鼓舞させ、相手を強者として認めるあの言葉を、ジノは心底満足そうな笑みさえ浮かべて、高らかに唱えた。

「――デュエルの時間だ!」

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