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23話「生きている幽霊」

 時計の針が進む。誰かの意思を介するわけでもなく、誰かの制止を聞き止めることもなく。刻一刻と時間は人々の上を通り過ぎていく。

 町の至るところで月めくりのカレンダーが破かれ、残すところ最後の一枚となる。十二月がやってきたのだ。街並みはクリスマスを目指して日に日に煌びやかさを増し、大みそかを目指して日に日に慌ただしくなる。

 時計の針が進む。午後六時を指し示すと同時に、本日最後となるメロディーが空に広がっていく。国道沿いで、駅前で、住宅街の真ん中で、その音楽の発信源を探すように、何人かは頭上を振り仰ぐ。寂れた公園の入り口で立ち話をしていた男女もまた、一瞬だけ空に視線を移した。

 二人は制服姿で、どうやら学校帰りのようだ。黒のラケットケースを肩に斜め掛けしている少女は目の前の少年に顔を戻すと、細い眉を上げ、「そうそう」と話の続きを始める。背の高い少年は電柱によりかかり、唇に笑みを宿しながら、少女の言葉に相槌を打つ。

 それから十分も立ち話をした後で、二人は別れた。少女は呆けた表情で、彼を見送る。薄いほくろのある左頬がほのかに赤く染まっている。彼女が少年に恋心を抱いていることは、誰の目から見ても明らかだった。

そして、にやついたまま動き出す少女を、物陰からじっと見つめる異形の姿があった。

 ガラスのように透明感のある黒。全身を覆う鋭い棘。目からは鎌が飛び出し、口は結んだ形のまま固まっている。ドッペルガー・メアードという名を持つその怪人は足音もなく、少女に接近していく。気配を悟られることもなく、まだ子供らしさの残る背中目がけて、影のような腕を伸ばす。だがその手が彼女に触れることはなかった。

少女とドッペルガーとの間に、新たな怪人が割って入ってきたからだ。

 民家の屋根から飛び降り、着地したその怪人は、人型でありながら昆虫の要素を各所に備えていた。

「綾菜、逃げろ!」

 デュエル・メアード、ジノは黒いケープを手で払いながら叫んだ。少女はその声に振り返り、自分の身に起きている事態に目を白黒させ、後ずさる。「逃げろ!」とジノがもう一度怒鳴ると、戸惑う様子をみせながらも体の向きを変えて走り出した。

「てめぇ、よりによって綾菜に手を出すたァ、いい度胸じゃねぇか! あぁ?」

「はぁ。誰を狙おうが、ボクの自由だろうが……」

 ため息混じりに肩をすくめるドッペルガー。その顔面にジノの蹴りが飛ぶ。棘に覆われていない唯一の部位である『顔』を狙ったその一撃に、躊躇はない。だが相手も自分の弱点は承知しているようで、両腕を素早く顔の前で交差させ、攻撃を防いだ。

 乾いた音が鳴る。みしり、とドッペルガーの腕が軋み、後ろに突き飛ばされる。その全身を包んでいた棘の一部がへし折れ、またジノの足を突き刺した。相討ちの形となったが、双方ともに苦痛を表情に出すことはない。

「あいつを狙うってことは、俺に喧嘩売ってんのと同義だ! 分かってんだろうなァ!」

 ジノは右手の盾を回転させる。青色のエネルギーによって形成された光のドリルが右腕を包み、デスメアード目がけて射出された。デスメアードも掌から三日月状の光刃を発生させ、飛ばす。ドリルと刃は宙で激突し、数秒のせめぎ合いを挟んで同時に砕け散った。

「……うざい奴」

「はっ。どうした! 喧嘩売った割に、この程度かよっ!」

 意気揚々を叫び、ジノは再び盾を回転させる。だが、目の前の敵に夢中になっていたジノは気付かなかった。背後から近づく、重い足音に。

 気配を察して振り返ったジノの腹部に、拳が打ちこまれる。ジノは体をくの字に折って呻いた。

「てめぇ……何者だ……!」

 ジノは腹部を押さえつつ尋ねる。彼の前に立っていたのは、栗色の鎧を纏った怪人だった。頭には大きな王冠を載せ、顔は乳白色のフェイスシールドで塞がれている。背中にはいかにも厳つそうな大剣を垂直に背負っている。

「俺の名はデスメロード。デスメアードの王となり、この町を総べる者だ」

「なんだ、と……」

 鎧の怪人、デスメロードは「行け」と、ドッペルガーを顎でしゃくって指示を出した。ドッペルガーは嘆息すると、ジノの横を滑るように抜け、綾菜を追いかける。

「綾菜っ! てめぇっ!」

「奴の邪魔をするな。大事な仕事をしている」

 デスメロードが悠然と右手をかざす。次の瞬間、ジノを取り巻く空気が火を噴いた。

「ぐあああああっ!」

 破裂音が鳴り、爆撃を受けたジノの体が炎に包まれる。アスファルトを焦がすような熱風が吹き荒れる中で、ジノは地を転げ、くぐもった悲鳴をあげながら悶えた。

ドッペルガーが走る綾菜に追いつく。その腕を伸ばし、今度こそ彼女の肩を掴んだ。

「あっ……!」

 怪人に触れられた、綾菜の目が大きく見開かれる。その足は止まり、脱力するように膝を落とす。少女の背中から黒色の靄が噴き出す。靄は螺旋を描きながら縦に長く伸びていき、少しずつその形を変化させていく。

「あや……な……!」

 ジノが名を叫ぶ前で、綾菜は崩れ落ちた。やがて霞は人間の影を立体化したような、文字通り真っ黒な『人影』に変貌した。人影はアスファルトに倒れている、自分を生んだ少女に一瞥をくれると、スキップで立ち去って行った。

「綾菜ぁぁぁあああ!」

 地面に這いつくばるジノの、血を吐くような慟哭が響く。デスメロードの惜しみなく愉悦を表現するような哄笑が轟く。二人の間には、生気に欠けた少女の白い顔。その虚ろな瞳には、ただ空白が広がっていた。


 沙穂は大学の校門から出ると、肩を軽く回して体を解した。不調がまだ体の奥底にこびりついているようで、何となく気怠い。空の色はすっかり夜のものに変わっている。冷たい夜気が内臓にまで染み渡るようだった。

 講義に出席しようと出てきたものの、体調が優れず、結局、日中をほとんど黒磯教授のソファーで過ごした。眩暈がひどく、座っていることさえ困難で、無念ではあったが早々に帰ろうとしたところ、「私の部屋で良ければ休んでいきなさい」と教授に声を掛けられたのだ。確かにバスで来たとはいえ、家まで帰りつく体力があるかも怪しい。少し悩みはしたが、ほとんど即答で教授の言葉に甘えることにしたのだった。

 携帯電話を取り出し、メールをチェックすると、奈々とローラからそれぞれ体調を気遣う文章が送られてきていた。二人の優しい心に触れる度、沙穂は胸を締め付けられる。最近では講義に出席することも、入学当初に比べてぐっと少なくなった。講義に出られないことに対して罪悪感があり、そのため最近はサークルにも顔を出していない。

 時間の経過に合わせて、自分の体から少しずつ夢が剥がれ落ちていくような錯覚を感じる。腹の底から湧き出てくる感情から逃れるように、沙穂はバス停に向けて歩き出す。一歩夜に歩み出すたび、沙穂の体は万全を取り戻していく。

「なんか、騒がしいな」

 闇の中に無数のざわめきを感じる。肌や耳ではなく、もっと曖昧な、しかし明瞭にその感覚は沙穂を包む。それらは全てデスメアードの気配だ。遠いのか、近いのかまでは判然としないが、それでもこの町で行動する彼らの鼓動を、息吹を、ひしひしと感じる。

 大学前の道を早足で一心不乱に進み、信号待ちのため横断歩道の前で立ち止まる。振り仰いだ夜空には、星が幾つか瞬いている。暗闇に目を凝らしていると、少しずつ心が落ち着いてくる。胸に手を当て、安堵の息を漏らした。

 視線を空から前方に移す。信号はまだ青にならない。右から左から次々と車がやって来て、目の前を矢のように通り過ぎていく。

「あっ」

 沙穂は瞠目した。車の波が途切れた瞬間、横断歩道を挟んだ向こう岸に、馴染みの顔を見つけた。鳥川先生だ。向こうも沙穂に気付いたようで、目を丸くしている。

 バンガルフ・メアードの一件以来、何となく気まずくなり、先生とは一度も顔を合わせていなかった。当然、会話もしていない。向こうから連絡もなかった。こうして見かけるのもおよそ二カ月ぶりだ。

 軽トラックが、ワゴン車が、軽自動車が、沙穂の視界を再び遮っていく。駆け抜けていく車と車の間から、ちらりちらりと見える鳥川先生は、相変わらず沙穂を見つめている。先生は憂いを帯びた目をしていた。見る人をホッとさせるような、いつもの笑顔はそこにない。心なしか顔もやつれたような気がする。その原因が自分にあることは明らかで、さらに沙穂の心は沈んだ。

 信号が青に変わった時、どういう反応をすればいいのか。考えるだけで憂鬱な気持ちになる。そういえば最後に、幼稚園の子どもたちと遊んだのはいつだったろうか。手の中にうっすらと残る、柔らかくて小さな体の感触を求め、沙穂は自分の掌を広げて見つめる。

「あ、サホじゃん!」

 その声に振り返ると、自転車に乗った少年の姿があった。浅黒い肌に大きな丸い目をもつ彼のことを、沙穂は知っている。指場小学校に通っている子で、バイト先のおもちゃコーナーによく来るため、何度かカードゲームの相手をしてやったことがあった。

「ああ。春樹くん」

「久しぶりじゃん! 何で急に店やめちゃったんだよー、新しいデッキ見てもらおうと思ってたのに!」

 生意気な口を利きながら、春樹はにかっ、と歯を見せて笑う。沙穂も微笑を返した。

「……まぁ、大人には色々あるんだよ。また今度、お店に行くから。その時みてあげる」

「マジで? やった! 絶対来いよな、約束破るんじゃねぇぞ!」

「うん。行くよ。だからそれまでに、もっと腕を磨いておくんだよ」

 絶対だぞ! 春樹はもう一度念を押すように言って、横断歩道を渡っていった。気付かぬうちに信号は青に変わっていたようだ。

「……あれ?」

 前方に顔を戻し、足を踏み出しかけたところで、思わず声を漏らしてしまう。

 鳥川先生がいなくなっていた。すでに横断歩道を渡り、会話をしていた沙穂の脇を颯爽と通り過ぎてしまったのか、それとも直前になって渡るのを止めたのか。辺りを見渡してみるものの、彼女の姿はどこにもなくなっていた。


「おらあああっ!」

 地を蹴り、体を空中で半回転させながら、ジノは標的に迫る。人影は走る速度を上げ、ギリギリのところで追撃をかわす。

 解体予定日の決まった廃ビルの中だ。埃とカビの臭いが染みついたがらんどうの空間を、影は跳ね回る。ジノはエネルギー・ドリルを連続して放つものの、相手には掠りもしない。

「ちっ。ちょこまかと! うざったい野郎だ!」

 痺れを切らしたジノは、ベルトから臙脂色のプレートを抜き取り、盾に備わった挿入口にはめこんだ。右腕を前に突き伸ばすと、左右の壁から伸びた鎖が影の胴体を絡め取る。

 ジノは影の背後までひと跳びで近づくと、その頭部にすかさず回し蹴りを放つ。

 だが――

「なっ……!」

 コンクリートをも砕き、屈強なデスメアードを何体も打ち負かしてきたその蹴りは、しかし影に全く通用しなかった。まるで形のない煙か何かを相手にしているかのように、決闘者の足は影を素通りしてしまう。

 影はジノを振り返ると、鎖による拘束からも解かれ、ビルの壁をすり抜けて消えていく。ジノは目を見開き、影の消えていった壁を呆然と見つめる。

「なんだありゃ。まったく手ごたえがなかった……あれに攻撃は通用しねぇってことか」

 ジノは端の焦げたケープを払う。その瞳はすでに次なる標的を見据え、暗闇の中でぎらついている。

「なら……やはり、本体をぶっ飛ばさなきゃいけねぇようだな」

 苦しげに顔を歪め、よろめきながら入り口に足を運ぶ。その胸には先ほどデスメロードから受けた爆撃による、大きな傷が生じていた。傷口からは呼吸や動きに合わせ、光の粒子が少しずつ、しかし絶えず散っていく。

 ジノは軽く頭を振ると、壁に手を付きながらビルの出口を目指す。その足取りは傷の深さを物語るように覚束ないものではあったが、迷いはみられなかった。


 吹きつける北風の中を自転車で進む。足に力を込め、一回一回、必死に漕ぎ出す。コートを買っておいて良かったと安堵したばかりだというのに、今は全身から滲み出てくる汗に悩まされている。しかしハンドルを握る指先はかじかみ、手袋も買っておけば良かったと別の後悔が頭に過った。

「バルバル!」

 荷台に座り、沙穂の腰に腕を回したライバルが声援を送ってくる。背中に伝わる確かな感触に後押しされ、沙穂はさらに力強く足を踏み込む。

「くぅ! こなくそっ! 風なんかに負けるかぁー! えいえいおー!」

「バルバルバー!」

 声を重ね、風を突き抜ける。日中ずっと寝ていたせいか、普段より息が切れるのが速い。胸に鈍い痛みが生じ、頭がくらくらする。だが弱音を吐くことはしない。ライバルを心配させるのだけは嫌だった。目的地にたどり着くまでもう少しだ、と自分を励ます。

「昨日見たジェットピーコンを思い出すよ! レッツフライ! エビフライ!」

「ババイバル! ライララライ!」

 激しく吹きつける風の音を除けば、町は澄んだ静けさに包まれている。暗闇に閉ざされた景色は、夏の同じ時間帯よりもより一層、別の町のような気配を醸し出している。

 曲がり角を曲がると、緩やかな坂道になっていて、苦行からようやく解放された気持ちになる。沙穂はペダルを漕いでいた足を休め、動力を傾斜に委ねた。

 火照った頬を夜風が撫でていく。そこでふと、ライバルの掠れた声に気が付いた。もしかしたら体が冷えたのかもしれない。自転車を漕いでいる沙穂と、乗っているだけのライバルでは同じ気温の下でも、感じ方に差がある。

「ライバル、大丈夫? 寒くない?」

「バルバル!」

「それなら良いけど……そうだ、そろそろクリスマスだしマフラー、プレゼントしてあげる! ライバルに似合う真っ赤なやつね! そう、真っ赤なあいつ~」

「バルルー!」

 二人で歌を口ずさみながら坂道を下る。周りの景色が後ろに流れていく爽快感にライバルははしゃぎ声をあげる。何だか楽しくなってきて、沙穂も童心に返り、「いやっほう!」と空に向かって叫んだ。


 それから十五分後。沙穂は水玉模様のエプロンと、手足の生えたドーナツの描かれているバンダナを装着し、キッチンに立っていた。住んでいるアパートのものよりも広く、道具も揃っており、食器乾燥機やガスコンロは使用されている痕跡があるにも関わらず、汚れ一つ見当たらなかった。初めは他人の家のキッチンを使い慣れず戸惑いもあったが、三度目ともなればある程度、調味料や調理器具の在処も分かってくる。

「ゴンザレス~ゴンザレス~酒のつまみはゴンザレス~ほいっ、できた!」

 コンロの火を止め、持ち上げたフライパンを皿の上で傾ける。いい香りのする湯気に包まれたチンジャオロースを、菜箸を使って誘導し、皿に乗せていく。隣で見ていたライバルが「ラバルー!」と歓声をあげた。

「じゃあライバル、これおばあちゃんのところにお願いね」

「バルバルッ!」

 元気よく頷き、ライバルはチンジャオロースの乗った皿を隣室に運んでいく。入れ違いに、黒いロボットがキッチンに入ってくる。黒い装甲を鉄棒で繋ぎ合わせたような形をしたそのロボットは、丸い三つの目をチカチカと瞬かせ、「ふむ」と顎を撫でた。

「どうやら、調理は全て終わったようですね。見事です。なかなか手際が良い」

 鋼鉄製の体から発せられた声は、艶やかで落ち着きのある男性のものだった。

「まぁ、普段自炊してますから。言われた通り、油少な目で作りました! 後は片付けだけなんで、ちゃっちゃっとやりますね」

「よろしい。その仕事は私が引き受けましょう。零香様がお呼びです。あなたにお話があるようなので、行ってやってください」

「あらまぁ。なんだろ。じゃあキャリーさん、お言葉に甘えて後はお願いしちゃいます」

「ええ。了解致しました」

 沙穂が拝むようにすると、ロボットは恭しく頭を下げる。ロボットというのは外見上の話で、別段、彼は機械仕掛けというわけではない。その正体は夢を動力源とする怪人、デスメアードの内の一体、キャリー・メアードだった。

 キャリーは椅子に掛けてあった群青色のエプロンを手に取り、鼻歌を口ずさみながら身繕いを始める。沙穂はそれを尻目にキッチンを出た。

ドア一枚を挟んで隣接する居間には、四人掛けのテーブルと大型テレビ、ソファーが配置されている。照明は明るく、やはり床には埃一つ落ちていない。

 テーブルの席には、肘かけのある椅子に座った老婆の姿がある。真っ白な髪を後ろで結っており、深々と皺が刻まれた顔の中で、目ばかりがぞっとするほど鋭い。老婆は目の前に並べられた料理を、検分するようにじっと見つめている。

 この老婆こそ、家主である寒澤零香だった。年齢は八十を超えているらしい。その手にはいくつものごつい指輪と共に、黄色い宝石のはめ込まれた腕輪が装着されていた。それは零香が単なる人間ではないことの証明。デスメアードの創造主、空想者の一人であることの証だった。

 ライバルは零香の後ろに回り、彼女の首に真っ白なナプキンを巻いている。ライバルがこうして生きていられるのも、雷の空想者である零香が沙穂の呪いを強化してくれたおかげだ。沙穂はそのお礼として週に何度かこの家に足を運び、左半身に麻痺を持っており、自力で移動することさえ難しい彼女の手伝いをしているのだった。

「おばあちゃん、なにー?」

「だから寒澤さんと呼びなさいと言っているのに。それ以上ふざけると、鞭で叩くよ」

 零香の剣幕に、ライバルがひっと悲鳴をあげて後ずさる。沙穂の位置からでは見えないが、彼女の膝の上には黒い鞭が置かれていることだろう。一週間前、何の説明もなくいきなりブレザーを叩いた鞭だ。しかし今日はそれを手に取ることはなく、ふんと鼻息を漏らすと、肘掛けで頬杖をついた。

「それで、調子の方はどうだい?」

「この通り! マックスですよー。寒澤おばあちゃんのおかげで。ありがとうございます。弟が帰って来たみたいで……とっても、とっても楽しいです」

「ありがとう、ねぇ。ま、それなら何よりさ。さぁて、次は客間と風呂掃除を頼めるかい?」

「よおし、合点承知しました!」

 沙穂は踵を返し、部屋のドアに向かう。しかしふと思い出すことがあり、足を止めた。

「そういや学校の図書館に、芽蹟物語って本があったけど。あれ書いたの、おばあちゃん?」

「めあと……ああ。そうだよ。十年くらい前に書いたやつかねぇ。懐かしい」

「もしかしてあそこに書いてある射馬神って、ファンタジスタのことですか?」

 ファンタジスタ、という名前を始めて聞いたのは黒磯教授の口からだった。空想者にデスメアードを生み出す力を与えたとされる存在。しかしそれ以上のことを、沙穂は何も知らないのだった。

「そうかもしれないし。そうじゃないかもしれない。射馬神も、しょせんは昔の人が考えた創作だしね。はっきりしないのさ。この私でさえ、奴の正体は分からない」

「あらら、おばあちゃんでも」

「ただ……一年に一度だけ、ファンタジスタが姿を見せる日がある。それが今月の二十四日。その時にファンタジスタは空想者の前に現れ、評価するんだ。自分の分身が、この一年でどんなデスメアードを生み出して、どのように成長したかをね」

「監査みたいなもんですか」

「そんなもんだね。だけど同時に、こちら側としてもファンタジスタと触れ合う唯一のチャンスなのさ。奴の正体を暴くことは、あたしにとって無数にある夢のうちの一つなんだよ。そこに行き着けた瞬間のことを考えるだけで……あぁ、痺れるねぇ」

「おばあちゃんの、夢……?」

 零香は膝の上に置かれた自分の左手を、肘は曲がったまま、掌は軽く握られたまま固まってしまったその手を、猫でも相手にするようにそっと撫でた。

「ああ。あたしはもう自力で立つことさえできない。人様のお世話にならなくちゃ、生きていけない立場さ。白内障やってから、目もほとんど見えないし。でもね、こんなあたしでも夢を見ることはできる。心を燃やすことができる。それは素晴らしいことだよ」

 まるで少女のように悪戯っぽく笑う老婆に、沙穂は強く引きつけられる。ライバルも同様のようで、ぴくりとも動かず、真剣に耳を傾けているようだ。

「生きることはね、夢を見ることさ。人でも動物でも物でも、それは同じ。だからあたしはこの肉体が朽ちるまで……いや、朽ちても尚、夢見ることを止めたくない。将来、物が食べられなくなっても、寝たきりになったとしても、あたしは心を燃やし続けたいんだよ」

「心を、燃やす……」

 彼女の言葉は、沙穂の心に沁み渡るようだった。沙穂は自分の胸に手を当てる。心臓の鼓動が、静かに掌を伝う。

「……おっと、ちょっとお喋りが過ぎたようだね。さぁ掃除に行きなさい。客間はこの部屋の向かいだよ。詳しいことはキャリーに訊きなさいよ」

「は、はい。わっかりました、ありがとうございます! ライバル、行こう!」

「バルバル~」

 ライバルを連れて、沙穂は居間を後にする。廊下に出て、ゆっくりと息を吐き出しながら、先ほどの零香の言葉を思い起こす。沙穂の四倍以上の年月を生きているだけあり、彼女の言葉は重く、沙穂の心を震わせた。あんな風に年をとれたら、どんなにいいだろう。この先どんなことがあろうとも、心に決めたことを手放さず生きていきたい。こちらを見上げてくるライバルを見つめながら、沙穂は彼女の生き様をしっかり胸に焼きつける。

 ドアを閉める直前に部屋の中を覗き込む。一人きりの部屋で、零香は手を合わせて「いただきます」と呟く。そして箸を手に取ると、チンジャオロースを口に運んだ。


「……さて、あの子はもう行ったよ。入りな」

 沙穂が出ていったのを確認すると、零香は細く刻まれたタケノコを呑み込んでから口を開いた。彼女の声に応じ、居間の襖が開く。隣室から現れたのは、沈んだ面持ちの鳥川美鈴だった。彼女は二歩、部屋に進み出るなり深々と頭を下げる。

「すみません、我儘を言ってしまって」

「いいよ。鳥川さんの気持ちは、分からないでもないから……座りな」

 美鈴は頷くと歩を進め、彼女の右手側の席に腰を下ろした。零香はワイドショーを映しているテレビの音量を下げると、首のナプキンで口元を拭った。

「寒澤さん、あの……」

「分かってる。そう言ったろう。確かにあんな楽しそうな姿を見たら、気持ちは揺らぐね」

 さらに陰を色濃く落とし、美鈴は俯く。テーブルの上に置いた拳が強く握りしめられる。

「沙穂ちゃん、あの一件以来、目も合わせてくれなくて。やっぱり私が邪魔なんでしょうね。だから最近、このままでいいのかもって。それが沙穂ちゃんの決めたことなら……」

「あたしが呪いを強化したのはね。あの子の目に、信念を感じたからさ」

 美鈴は顔を上げた。零香は遠い記憶を呼び戻すように目を眇める。

「人であることを捨て、自分の全てを投げ打ってまで、ライバル・メアードを助けたいとあの子は願い、あたしに縋った。あんな目で請われちゃあ、さすがのあたしでも言うことを聞くしかないね。あたしは、あの子の想いの強さに負けたのさ」

「でもあの子は、普通の女の子なんです。私みたいな幼稚園の先生になりたいって言ってくれて。とっても、優しくて、明るくて……こんな世界にいていい子じゃないんです」

 美鈴は声音を震わせながら、両手で顔を覆う。零香は唇を微かに緩ませた。

「……鳥川さん、確かに大人には子どもを導く役目がある。だがあの子はもう子どもじゃない。導く必要はないさ。あの子の行いが間違いだと思うならば、一人の人間として、あんたの想いをぶつけなさい」

「私の……ですか?」

 美鈴は指の隙間から老空想者を覗き見ると、眉根を寄せた。

「そう。空想者は夢に忠実に、自分勝手に、生きることを許されている。いや、そうやって生きなければならない。何しろあたしたちは夢の権化。生者でなくてはいけない存在だ。確かにあんたはあたしから見れば、空想者の中では一番まともさ。だけどそれじゃいけない。もっと身勝手になったらどうだい?」

 皺に覆われた両の目が炯々と光り、火の空想者を射抜く。美鈴は視線を泳がせ、それからで自分の手首にはめられた空想者の証、赤く燃える宝石を見やった。

「あの子はライバルを救うために、心を燃やした。鳥川さん、あんたはどうだい? 銀林沙穂を救いたいという信念があるとすれば、もう答えは自ずと出ているはずだ」

「私の、信念……沙穂ちゃんを救う、ための」

 美鈴は胸にその言葉をなじませるように呟きながら、目線を上げた。彼女を迎えるのは、零香の笑顔だ。

「いい顔だよ、鳥川さん。それで良い。それでこそ火の空想者だ」

「寒澤さん、私……」

「あんたもあたしに縋りに来たというなら、一つ教えてあげよう。呪いを解く力、『解呪』を持つデスメアードは現存する。それもここ最近、生まれたばかりだ」

「でも……みんな探したはず、なんですけど」

「いいや。あたしには分かる。これは確かだ。あんたはね、見えるものだけしか追っていない。真実は見えないものの中にこそ存在するもんさ。さぁ、この意味が分かるかな?」

 困惑顔になる美鈴の手を零香は握りしめ、まるで生徒に勉強を教える教師のような、厳しさの中に優しさの滲む眼差しで彼女の返答を待つ。黄と赤。それぞれの手首で光る宝石が間近で向かい合い、蛍光灯の光に照らされて虹色に輝いた。


 お屋敷とまではいかないが、寒澤家は一軒家としては部屋数も多く、並べられた調度品も高級なものばかりである。さらに部屋はどれも広く、これを掃除するのは大変そうだぞと気を引き締めたが、普段から清潔に使われているためか、汚れや埃も少なく、呆気ないほど簡単に終わってしまった。キャリーのチェックを受け、用具を片付けて居間に戻る。

 ドアを開けると、食事を摂り終えた零香が椅子の上でくつろぎながら、テレビを観ていた。一足先に戻っていたキャリーが、空になった食器を片づけている。

「おばあちゃん、終わりましたー」

「寒澤さんだってば。こちらもいただいたよ。なかなか美味しかった。ごちそうさん」

「口に合ったみたいで良かったです。でも、いつ来ても凄く立派な家ですよね、ここ。掃除してると、ひしひしそれを感じるっていうか」

「もともとは死んだ旦那の家さ。あたしゃ何もしてない。ま、あたしがいる間くらいは、このままにしておこうとは……あれ、そういえばライバルはどうしたんだい?」

 黒い戦士の姿が見当たらないことに気付き、零香は眉を上げる。沙穂は笑って答えた。

「さっき出て行きました。自分の夢のために」

 箸を取りにキッチンから戻ってきたキャリーが、沙穂の一言でぴたりと足を止める。先ほどは何の感情も見せずに接していたが、彼もまたデスメアード。ライバルの行いに恐怖を抱くのは至極当たり前のことだった。

「ついていかなくていいのかい?」

 零香が頬杖をつきながら尋ねてくる。沙穂はソファーの所まで移動すると、そこに置かれていた紙袋を持ち上げた。

「あ、これお土産の美味しいドーナツ。食べてください。ライバルなら大丈夫です。私がここで祈ってますから。絶対に負けないって、帰ってくるって、信じてます!」

「ふうん。信頼してるんだね」

 紙袋をテーブルの上に置く。そして沙穂は空いた手を胸の前で合わせた。

「はいっ、そりゃあもう! ただ白くなっちゃうと、勝っても消滅しちゃうんでその時は迎えにいきますけど。お守り、なくなったら困るだろうし」

 零香は無言のままキャリーと視線を交わらせる。その意味ありげな目配せに「なんですか?」と沙穂は尋ねたが、零香は「別に。ね?」とキャリーに話を振るだけだった。

「ですね」

 キャリーも明確な答えは口にせず、主人に同意する。言葉少なに意思疎通を図る二人を前にし、首を傾げる沙穂の頭の中は疑問符で埋め尽くされていった。


 捻じれた石柱が乱立し、飴玉が飛び交う、混沌をそのまま描いたような景色。それがライバルの生み出したメアード空間の内側にある、世界のすべてだった。

 戦士が対峙するのは、無数の鋭い棘で全身を覆った怪人、ドッペルガーだった。全身から射出されるエネルギーの針を素手で弾きながら、ライバルは敵との距離を詰めていく。右の掌に刃を発生させると、すれ違いざま、ウニのような体に一太刀を浴びせた。

 そしてこの世界に存在するデスメアードが、もう一体。

「オラアアッ!」

 右腕にエネルギー・ドリルを装着したジノが、ドッペルガーに殴りかかる。ドッペルガーは右腕を体長ほどまでに膨張させると、攻撃を受け止め、薙ぎ払った。ジノは舌を打ち、受け身をとって着地する。その表情が歪む。胸の傷から光の粒が零れ落ちていく。

「どうした? 随分深い傷を負っているようだが。お前らしくもない」

 ライバルの肩に羽織られたブレザーが、ジノの傷を見咎める。ジノは丸めていた背中を起こすと、足元に唾を吐いた。

「うるせぇ、かすり傷だ! 俺の獲物だと言いてぇところだが……ライバル、てめぇの力を今日だけは利用させてもらうぜ!」

「バ、バルバル!」

 ライバルの左手側、数メートル向こうにダッフルコート姿の女性が倒れている。ドッペルガーによる被害者で、気を失っているようだ。ライバルはブレザーを脱ぎ、女性に向けて投げつける。

「あぁ~うぜぇ。お前ら、うざすぎ。あまりボクを邪魔してくれるなよ」

 気怠そうに首を回すドッペルガーの全身が、黒く発光する。隣に残像が生まれ、やがてそれは確かな輪郭を手に入れる。二体に分裂したドッペルガーは、それぞれ右腕を肥大化させ、光刃を連射し、ライバルとジノに襲い掛かる。

「はっ。雑魚が増えて何になるってんだよ!」

「バルバル!」

 飛び交う光刃を避けるライバルの体が、無数の輝きに包まれる。そして右掌にある刃の先から、鋭利なエネルギーが突き伸びた。

「はッ!」

 ジノは背中の翅を用いて飛翔し、振るわれた剛腕を回避する。盾に新たなプレートをセットすると、右手に光り輝く巨大な髑髏が出現した。

「うぜぇのはてめぇだ! とっととくたばれ!」

「バルルンバ!」

 ライバルが腕を大きく振るう。ジノが手を突き出す。光剣が、光の髑髏が、それぞれの標的を切り裂き、押し潰した。

「やったか……?」

 ジノは着地すると咳込み、胸の傷を押さえた。ライバルは彼を気遣うように一瞥をくれながらも、油断なく身構える。

「……あーあ。あまりボクを見くびるなよ」

 攻撃の炸裂した場所から低い声が立ち昇り、大柄なシルエットが浮かび上がる。それはライバルはもちろん、二メートル近い身長をもつジノでさえも見上げるほどの巨体だった。

 外見はカマキリに限りなく近い。両腕の鎌に加えて両肩からも、先端が鎌と化した腕が生えている。体色はコーラの瓶のように黒く、透明で、それはドッペルガーの面影を唯一残している要素だった。

「ちっぽけな愚か者たちめ……ボクに手をあげたことを後悔するんだな」

 大きく変貌したドッペルガーは、驚愕を浮かべるライバルとジノを容赦なく四本の鎌で切りつける。二人はかわすものの、一撃一撃が必殺にも等しい大鎌の乱舞は、直撃をまぬがれてもなお衝撃波を生み、透明の斬撃となって襲い掛かる。ライバルは触角の右端を切り飛ばされ、さらに右手の刃を失った。傷で弱っていたジノは全身を切り刻まれ、特に右肩には深い傷を負い、さらに羽織っていたケープを裂かれた。

「バッルバルゥ!」

 腕を天に向けてかざしたライバルの頭上に、エネルギーの拳が出現する。ライバルの腕の動きに合わせて打ち下ろされた光の拳が、ドッペルガーを砕かんと迫る。

 それはライバルの数ある技の中でも、比類なき威力を誇る一撃であったが、しかしドッペルガーは四本の腕を伸ばして頭上に集めると、その先端で攻撃を受け止めてしまった。

「こんなもの、今のボクには効かないなァ!」

 刃に貫かれた拳は、視界を白く染め上げるほどの強烈な光に巻かれ、霧散する。怯むライバルと入れ替わるように、ジノは盾にプレートを挿入し、回転させた。その足元から砂煙が噴きだす。煙を突き破るようにして鮫の怪物が二匹現れ、巨大カマキリに飛び掛かる。

「大したことがないなぁ……本当に怠い奴ら……」

 ドッペルガーは冷然と吐き捨てる。そして口から、人型の時とは比べ物にならない程大きな三日月型の光刃を放った。ライバルとジノ、両者を丸々呑みこんでもお釣りがくるサイズだ。鮫を事も無げに両断すると、地面に激突し、破裂した。巻き上げられる砂塵に巻かれるようにして、ライバルとジノは激しく吹き飛ばされる。砕けた石柱が宙を舞い、光刃の直撃を喰らった地面が、広範囲に陥没した。

「バル……ラッ!」

 身を起こしたライバルは、ベルトから吊り下がっている二つのお守りを握りしめた。するとお守りは銀色に激しく燃え盛り、拳を閃光に染める。ライバルは輝きが伝播した腕を振りかざし、己の胸を叩いた。

「バァァルウウウウウウッ!」

 先ほどと同サイズの光刃が、再び放たれる。石柱をスライスし、掠めた地表をことごとく削いでいく死神の鎌は、その巨大さと速度を存分に発揮し、二人に逃げ道さえ与えない。

 そして刃がライバルに食らいつこうと牙を剥いた瞬間――彼の全身は眩いほどの純白に染め上げられた。

「バッルッ……バァアアアッ!」

 ライバルが腕を一振りすると、それだけで光刃は爆発音と共に飛散する。自分の体の倍以上もある、巨大な刃をいとも簡単に受け止めたライバルに、ジノとドッペルガーは息を呑む。周囲からの注目を浴びて佇むライバルの姿は、著しく変貌を遂げていた。

 その体色は聖なる光の如く純白。しかし裂けた口元と、雄々しくも禍々しい四本の角はむしろ悪魔のイメージに近い。さらに地獄の業火を思わせる色の宝石が、左腕全体をくまなく覆っている。

「バルバル!」

 ライバルの真の姿とも呼ぶべき形態、ライバルセイバー。彼が右腰を叩くと、バックルに装着されている円鏡にジノの顔が映し出された。

「はぁ。格好つけやがって。色が変わったからなんだっていうんだよ……」

 ドッペルガーは威嚇するように四本の腕を掲げ、鋭利な切っ先を全てライバルセイバーに向ける。だがその鎌が振り下ろされることはなかった。ドッペルガーは「何?」と驚きを漏らし、力を込めるが、ギリギリと軋んだ音が鳴るばかりで、腕は少しも動かない。

 その原因はすぐに判明した。地面から伸びた無数の鎖が、巨体の腕や胸に巻きつき、その動きを封じ込めていたのだ。

「これは……!」

「バルバルバァッ!」

 ライバルセイバーの胸から発射された土偶型の小型ミサイルが、敵の腹部に間断なく叩きこまれる。小さな、しかし無数の爆発に怯みながらも、ドッペルガーは光刃を吐き出した。しかしその時にはもう、ライバルセイバーの姿はそこにはない。

「バッルバルゥ!」

 虹色の翼を背負い、浮遊したライバルセイバーが雄叫びをあげる。彼は飛翔し、敵の背後に素早く回り込んでいた。右腰を叩き、腹の鏡にカマキリ怪人を映す。鎖の擦れ合う音を響かせながら、やっとのことで首だけ振り返ったドッペルガーに、ライバルセイバーは真紅に燃える左腕を振り上げて応じる。

「ライバ……ライバルッ!」

 ライバルセイバーの足の下から三日月型の光刃が出現し、さながらブーメランのように飛んでいく。ライバルの左腕の光が乗り移ったかのように、赤い瘴気を纏い、横に回転しながら宙を舞うそれは、即座にドッペルガーの右腕を切り飛ばした。

「ぐうっ……! お前っ、それはボクの……!」

「バルバルバル……バルウッ!」

 真紅の光を纏った光刃は、ライバルセイバーの周囲に次々と浮かび上がり、発射される。敵も反撃をするが、空を飛びまわる純白の救世主には掠りもしない。今度は左腕、次は肩から生えた腕、さらに今度は足と、真っ赤な刃が駆け巡る度、巨大カマキリの体は分解されていく。

「くそっ、なんで! なぜ! 助けてデスメロ――」

 ド、の口のまま、その顔は硬直した。撥ねられた首が転げ落ち、地響きをたてる。その後も光刃は容赦なく敵の体を切り刻んでいき、最後に内在するメアドリンごと、胴体を真っ二つに引き裂いた。

 茶色い液体がパッと空に散り、地に転がっていたドッペルガーのパーツが一斉に消滅する。ライバルセイバーは空中で留まりながら、その光景を静寂の中で眺める。地上で座り込んだジノは喉から喘鳴を漏らしながら、己の不甲斐なさを責めるように、苦々しく口元を歪めた。

「くそっ、ライバルの奴め、また新しい力を……」

 強く拳を握りしめる。それから気を落ち着かせるように大きく息を吐き出した。

「まぁいい。これで綾菜も救われたはずだ。今は、それで良い……」

 そして――ライバルたちが気付くことはなかったが、石柱の陰に潜み、戦闘の一部始終をひっそりと観戦していた人物がいた。その少年はボーラーハットを被り、左の手首には、茶色の宝石がはめこまれた腕輪をつけていた。

「あーあ。やられちゃった。でもま、こんなところかな」

少年は満足そうに微笑むと、スラックスの尻ポケットから小さなノートを抜き取る。開いたページには細い文字で、六人の女性の名前が並んでいた。

「これだけいれば十分だ。さぁクリスマスまで、これから忙しくなるな」

 呟きながら、少年――蛇渕はほくそ笑む。ノートをポケットにしまうと、灰色の風が吹く荒野を一人、歩いていった。


 沙穂が自転車に乗ってたどり着いた先は、住宅街のど真ん中だった。暗さのせいか、寒さのせいか、時間帯のせいか、あるいはその全部なのかもしれないが、町に人通りはなく、閑散とした風景が広がっている。

 止まれ、の標識の前で沙穂は自転車のブレーキをかけた。細い路地を挟んで向かい側に、長身の怪物の姿が見えた。呪いによって強化された沙穂の視力は、暗闇の中にある相手の子細な情報に至るまで読み取ることができる。それは沙穂にとって既知の怪人だった。

「あれは確か……ジノさん」

 ジノの体には無数の傷が痛々しく刻まれている。彼がライバルと共に戦っていたことは、感覚として捉えていた。ライバルが白い力を使わずにはいられなかった相手だ。強敵だったのだろう。ジノは苦しげに肩で息をしながら、沙穂の方を振り返った。

 その時彼が浮かべた表情を、沙穂はきっと一生忘れないに違いない。虫顔のデスメアードの、宝石のような目が見開かれる。口がぽかんと開かれ、喉元が僅かに震えた。

「お前……何者だ。なんだ、その体は……」

「え?」

 驚愕を通り越して、恐怖すら浮かべたジノは、しかし首を何度か振ると「いや、そんなことはどうでもいい」と独りごちた。再び沙穂に向けた表情には、平静さが戻っていた。

「持って行け。奴の、忘れものだ」

「えっ……あ、はい」

 ジノが投げてきたものを、沙穂は咄嗟に受け取る。掌を広げて見ると、それは間違いなくライバルが付けていた二つのお守りだった。

「奴は、また強くなりやがった。自分の体を投げ打ってでも、夢を叶える力……今の俺に足りないのは、あれなのかもしれねぇな……」

 ジノは踵を返し、広げた翅でふらふらと空に飛び立っていく。暗闇に紛れていく後姿を見上げながらも、沙穂の頭に過っていたのは、先ほどのジノの戦慄した表情だった。

「我が主はまたあの力を使ってしまったようだな……どうした? 小娘」

 いきなり声を掛けられ、心臓が飛び出しそうになった。振り返ると、今までどこにいたのか、足元にブレザーが立っていた。

「う、ううん……なんでもないよ」

 沙穂はお守りをポケットに入れると、不思議そうにしているブレザーを両手で抱え上げる。自分に言い聞かせるように「なんでもない」ともう一度、沙穂は呟いた。


 少女が、伊武綾菜が、寝室で深い眠りについている。中学の制服を着たまま、毛布を胸までかけ、寝息もわずかにぐっすりと寝入っていた。首元が隠れるくらいまで伸びた髪が、枕の上に広がり、常夜灯の淡い光を浴びている。

 綾菜は寝返りをうつ。彼女のことをよく知るものならばその瞬間、微かな違和感を覚えたに違いない。彼女の体から、あるものがなくなっていた。左頬に薄くあったはずの、ほくろだ。まるで初めからそんなものなどなかったかのように、消え失せている。

 部屋の窓が音をたてる。カーテンの隙間から、何者かが目を見開き、室内を覗き込んでいる。寝室は二階で、しかも窓の外に足場などないはずだ。しかし黒い影は窓に顔を寄せると、黄金に光る目で、じっと、じっと、綾菜を見つめていた。

「……ひひっ」


「デスメアード・ファイル」

ドッペルガー・メアード

属性:土

AP3 DP1

身長:158cm 体重:38kg


【基本スペック】

領域(Lv1。物音などを周囲に気付かれにくくする)

呪詛(死んでも相手に与えた特殊能力の効果は継続される)

進化(巨大カマキリ『アスターク』に変身する)


【特殊能力】

ほくろから影人間を生み出す。影人間は主人の体力・精神力を吸収しながら生きる。


【DATE】

化粧台の鏡の成れの果て。ほくろを気にし、除去手術を受けた持ち主を見て、「あまりにほくろが可哀想だ!」と悲観。

ほくろたちの独立を掲げて蘇った。夢はほくろ大帝国の建設。

口癖は「うざい」 やる気のないような言動をみせるが、内心は夢に燃えているのである。


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キャリー・メアード

属性:雷

AP2 DP4

身長:168cm 体重:48kg


【基本スペック】

領域(Lv3。場所ごとメアード空間に引き込む)

抵抗(相手の攻撃による、ダメージ以外の追加効果を一切受けない)

耐火(火属性のデスメアードから受けるダメージを軽減する。また火炎攻撃にも強くなる)


【特殊能力】

昼間でも実体を維持できる。ただし日中は全ての技を使用できず、また寒澤零香から離れて活動することもできない。


【DATE】

寒澤零香に使用されていた車椅子の成れの果て。大切に使ってくれた主人に恩義を感じ、彼女を支えるためにデスメアードとして蘇った。手先が器用で何でもそつなくこなし、寒澤家の使用人として働いている。

常に冷静沈着だが、零香が危険に晒された時だけは感情を剥き出しにする。

金属製の棒『シャフトリム』を所持。戦闘時には電撃を纏って使用する。

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