22話「救世主の夢」
1
水底から浮き上がるような感覚の後、沙穂は目を覚ました。
仰向けになったまま瞳だけを左右に動かして、辺りを窺う。カーテンの隙間から僅かに射しこむ光。1時過ぎを示す青色の壁時計。ここが自分の住んでいるアパートの一室であることは、すぐに把握できた。寝そべっているのは確かに馴染みのあるベッドであるし、天井には見覚えのある染みがついている。
だがそれが分かってもなお、沙穂は安堵することなどできなかった。押し寄せる恐怖に、たまらず飛び起きる。額に浮かぶ汗を拭い、吐息を震わせながら、その手で顔を覆った。
「ライバル……」
忘れようとしても、脳裏には昨夜の光景が浮かんでくる。押し寄せる絶望は、数か月前まで苦しめられてきた悪夢の再現、もしくはそれ以上の戦慄だった。
どうにかしなければ、と心のドアを激しく叩く音がする。
どうせ何もできないよ、と頭の中で囁く声がする。
せめぎ合う二つの感情に沙穂は翻弄される。だがどちらを選ぶにせよ、後悔している場合でないことは分かっていた。
窓際に湛えられた陽だまりを見やる。真夏とは違い、冬に片足を突っ込み始めた今の季節は、陽が落ちるのも早い。すぐに日差しの色合いも夕方のものに変わってしまうだろう。
残された時間はあまりにも少ない。再び夜が来るまでに対策を考えなければならない。
自分の体を見下ろし、そこでようやく私服のまま眠ってしまっていたことに気付く。スカートのポケットに入れたままだった携帯電話を取り出す。開くと着信が五件あった。確認すると全てバイト先からで、今日は朝の十時からシフトが入っていたことを思い出す。
普段ならば慌てふためき、急いで店に謝罪の連絡を入れるところだったが、今日ばかりは焦りも罪悪感も浮かんではこない。別種の焦燥が胸を満たし、それ以外の関心をことごとく断ち切っていた。
ライバルの赤い瞳が脳裏を過る。哀しみに染まったその色が、沙穂の中に住まう亡霊を血に濡らしていく。
「……なんとか、しなくちゃ」
自分に言い聞かせるように呟く。時間はない。しかし今の頭で、状況を打開できるようなアイディアが浮かぶとも思えない。ならば誰かに相談するのが最善の手だろう。
だが、一体誰に――
とりあえず携帯電話の電話帳を探ろうかと、ボタンを押しかけたところで、沙穂は床に落ちている紙片の存在に気付いた。途端に数日前の出来事が雷のように体の芯を貫く。沙穂は腕を伸ばすと、指先で紙片を拾い上げた。
それはメモ帳の切れ端だった。薄い文字で電話番号が記されている。その瞬間、頭の中に、美しい肌をもつ少年が飛び込んできた。
「そうか……蛇渕さんなら」
枕の上にメモを置き、番号を打ちこむ。いつでも駆けつける、という甘い囁きと共に渡された連絡先。彼の言葉に甘える時。それは今以外に考えられなかった。
2
午後二時を示す優雅なメロディーが町の空に広がっていく。穏やかな秋晴れの下、紅葉を果たした木々が、陽光に照らされて燃えるように輝いている。
昼下がりの公園には、三輪車に乗った男の子と、それを追いかける母親の姿がある。そのあまりにも長閑な光景に、沙穂は眩暈すら覚えた。自分の置かれている状況から、あまりにもかけ離れた景色だったからだ。親子との距離は十メートルと離れていないはずなのに、別の世界の出来事のように感じる。
沙穂は公園の片隅に設置されたベンチに腰かけていた。時折、背後に伸びた道路を車が通り過ぎる程度で、辺りはとても静かだ。小さな園内を眺め回しているうち、以前ここで、こうしてベンチに座りながら、ライバルと話をしたことを不意に思い出す。
「ドーナツ、好きだったよね。買ってきたよ」
そして今、隣に座っているのはライバルではない。ボーラーハットを被った痩身長躯の少年が、小さな紙袋を沙穂の膝に乗せる。袋に描かれたロゴは沙穂の行きつけの洋菓子店のもので、中を覗くと、チョコを纏ったドーナツが二つ入っていた。
「……ありがとう、ございます。蛇渕さんもどうぞ」
「ありがとう。それで、何があったの?」
沙穂からドーナツを一つ受け取りながら、蛇渕が尋ねてくる。蛇渕は沙穂が連絡をすると、用件も聞かずに、すぐに待ち合わせ場所を指定してきた。こちらの声だけで切迫した状況を感じ取ったのだろう。その迅速な対応に驚くと同時に、沙穂は感謝を抱いた。彼ならばこの事態を打破できる妙案を持っているのでは、という期待が胸の内で膨らんでいく。
「ライバルの正体が、分かったんです」
沙穂の言葉に、蛇渕はドーナツを口に運ぼうとした手を止め、細い眉を上げた。沙穂は俯くと目を閉じ、昨晩の光景を――思い出すのも恐ろしいあの告白を、瞼の裏に蘇らせた。
――お前、あいつか……!
光刃の切っ先をライバルに突きつけた銀色の騎士が、不敵に呟く。夜の校舎。静寂に満ちた空間。困惑する沙穂の前で、ヒーローはいきなり頭を押さえて苦しみだした。剣先だけは逸らさず、喘ぎながら、周囲を見渡す。
――血まみれ。人が、たくさん倒れている。叫び声。悲鳴。悲鳴。悲鳴。そして……!
ヒーローはライバルに視線を戻す。その体がびくりと震えた。重い息を吐き出し、後ろによろける。手を下ろし、廊下の果てを見据えるその表情は晴れやかで、どことなく解放感に満ちていた。
――そうか。ようやく思い出せた。俺は……俺は、人間だったんだ
ヒーローは剣を握る手に、力をこめる。そして相変わらず脅えた目をしたライバルに向けて、これまで闇に塞がれていた真実を叩きつけたのだった
――俺はお前に会ったことがある。お前は……あの時のガキだ。駅前で俺が殺した、ヒーローの人形を持っていた。あいつだ
「駅前……? まさか、三年前の事件の?」
沙穂の口を通じて語られた昨夜の出来事に、蛇渕は眉を顰める。
「はい。多分……ヒーローは、あの犯人だと思います。それで、ライバルは」
笑顔を浮かべる少年が、むせび泣く女性が、花の供えられた樋川家の墓が、頭の中に浮かんでは混ざり合い、沙穂の心を重たく、冷たく沈めていく。ヒーローの口が紡ぎ出した解答を、沙穂は以前から予想していた。だがその哀しく、あまりにも救いのない予想が外れることを切に願っていた。こんな偶然は起こり得ないと決めつけ、自分自身を欺いてきた。だが現実はあまりにも非情で。
沙穂の悪夢はその瞬間、現実のものとなってしまった。
「……神野さんの、言った通りでした。ライバルの恐怖は私がどうにかできるもんじゃないって。恐れは自分で乗り越えるべきものだって……本当に、その通りでした」
今になって、神野の言葉が胸を抉る。ライバルを侵す闇はあまりにも巨大で、陰湿とした空気を孕み、底を覗き込むことさえ許されない。その闇の深さは、沙穂が干渉できる範囲をおぞましいほどに逸脱していた。
「ライバルは……あの子は、自分を殺した相手に脅えてたんです。当たり前ですよ。怖いに決まってますよ、そんなの。なのに乗り越えられるって、簡単に思ってた。何も知らないくせに、安易に励まして……バカみたいですよね、私。何でもライバルを知った気になって……本当にどうしようもない」
樋川少年の、ライバルの気持ちを思うだけで、心臓が締め付けられ、視界が滲む。彼の境遇を憐れんでいるせいではない。無力な自分がただひたすらに、悔しい。頬を伝う感情の昂ぶりは、次々と膝に染みを作っていく。
「昨日は、ヒーローも傷ついていたし、宇野君の助けもあって、逃げられたけど、何度もそんな風にはいかない。夜になればヒーローが来て、ライバルは今度こそ、殺される」
自分自身の言葉に、沙穂は寒気を覚える。ライバルが死ぬ。もう会えなくなる。それは幼少時代の再現。二度と味わいたくない感覚だった。
「ライバルがいなくなるなんて、嫌だ。そんなの耐えられない。だって、だって……!」
「沙穂ちゃん、落ち着いて」
肩に手をのせられ、顔を上げると、そこに蛇渕の真剣な眼差しがあった。彼は沙穂の目元に指を伸ばすと、そこに浮かぶ涙を優しく掬い取った。
「泣かないで、沙穂ちゃん。大丈夫。ライバルは殺させないよ。そのために俺がいる。約束通り、君を助けに来たんだ」
「蛇渕、さん……」
鼻をすすり、目をごしごしと擦る。たとえその場しのぎの慰めに過ぎなかったとしても、彼の言葉は嬉しかった。蛇渕は朗らかな笑みを漏らすと、見た目通りの滑らかな掌で沙穂の手を軽く握る。彼の色素の薄い瞳を、沙穂は痺れるような思考とともに見つめ返した。
「思い出してごらん。神野さんはきっと、こうも言ったはずだ。ライバルのために祈ることが大切だって」
確かに神野はそんなことも言っていた。一緒にその夢を願うこと、その行動を認めることこそが、何よりも彼のためになるのだと。
「……祈り」
だがライバルのために祈り、願うことは、これまでもしてきたつもりだった。それなのに彼が窮地に追い込まれるのは、沙穂の気持ちが足りないのか、それとも方法が違うのか。
「今のライバルは、言っちゃえば、夢よりも恐怖が勝っている状態にある。君の言う通り、恐怖を拭うことは正直、難しいだろう。なら逆の発想だ。夢の力を高めてやればいい」
蛇渕の言うことは、一見、理路整然としているようにも思える。恐れをなくすことができないなら、それ以上の想いで塗り潰してしまえばいい。単純だが、これまで考えもしなかった、あまりにも突飛な発想だった。
「でも、そんなこと、できるんですか?」
「できる。それも沙穂ちゃん、ならね」
蛇渕が不敵に笑う。その指先が、沙穂の手の甲に浮いた血管をくすぐるようになぞる。
「私、なら……?」
沙穂は尋ねる。間近にある少年の瞳が、神妙な色に染まる。
「沙穂ちゃんの中にある、呪いを利用してやるんだ。ライバルの閉ざされた扉をこじ開けてやる。そこに君の願いを、祈りを、直接打ちこんで、夢を目覚めさせる。ライバルを心の底から想える沙穂ちゃんだから許された、とっておきの荒療治だよ」
「私の、呪い……私、だけの」
沙穂は胸に手を当てる。激しく打ち鳴らされる心音が、体の芯を震わせる。これまで恐怖の対象でしかなり得なかった、自身の体を蝕む呪いが、もしライバルの役に立つならばこれほど幸いなことはない。すぐに気持ちは固まった。即答しかけた沙穂に、しかし蛇渕は「だけど」と声を重ねてくる。
「だけど残念ながら今のままじゃ、無理だ。まだ足りない。それを可能とするには……呪いをもう少し強化してやる必要がある」
沙穂はえっ、と声を出してしまう。嫌な予感がした。体内で熱く滾っていたものが、急激に冷え込んでいく。蛇渕は決まり悪そうに足元を一瞥すると、哀しげに目を細めた。
「君の呪いは雷属性を秘めている。だから、雷の空想者の手にかかれば呪いを強めることはできる。その代わり……沙穂ちゃんの体は、さらにデスメアードへと近づくことになる」
「そんな……」
ドーナツ入りの紙袋を、強く握りしめてしまう。デスメアードの存在を記憶できることから始まった、体の異変。少しずつ自分の心が怪異に侵されていく恐怖に、沙穂の精神は絶えず削られ続けてきた。ここで蛇渕の提案を受けてしまえば、その症状はさらに進行し、沙穂はまた自分自身を失ってしまう。怖くないわけはない。
だが、今の沙穂には体を奪われる恐怖よりも、もっと恐ろしいことがある。母親に追いかけられ、はしゃぐ男の子を見ているうち、湧き立つ想いは揺るがぬものになっていく。
「どうする? あとは沙穂ちゃん次第だ。本当にライバルを助けたいと願うなら……俺ができるのは、それくらいのもんだけどね」
それでも、口に出すことには最後まで迷いがあった。だがこれ以外に方法がないのであれば、もはや答えは決まっている。瞼を閉じ、深く息を吸い込む。蛇渕の手首に巻かれた腕輪の輝きを見やる。真っ直ぐに彼の目を見据え、決意を胸に、沙穂は口を開いた。
「私は……」
3
鬱蒼とした木々に囲まれたその家は、まだ太陽の高い時刻にも関わらず、濃い影に覆われていた。昔ながらの外装は年月を窺わせるが、むらなく塗装された屋根や、整えられた庭木のせいだろう、老朽化は感じさせない。
しかし一歩、敷地内に足を踏み入れれば、そこが外界から隔絶された空間であることが分かる。明らかにその家は異界に建っており、流れる空気は人の世のものとは違っていた。
その家の中心部には、緑色のカーペットの敷き詰められた部屋がある。十畳ほどの広さの室内には本棚やタンス、ワインセラーなどの調度品が並べられ、その一角は白いカーテンで仕切られていた。
部屋のドアが、慌ただしく開かれる。現れたのは人ではなく、猫でもなく、痩せたロボットだった。
頭部や胸部、腰部は西洋の鎧を思わせる黒い装甲で形作られており、それらは細長い鉄棒で繋がっている。顔にはヘッドランプを思わせる、大きく丸い目が三つ並んでいる。
それはけして、優秀な人工知能によって動いている高性能なロボットというわけではなく、この町に住まう怪人、デスメアードの一体に他ならなかった。ただしこの怪人は、昼間のうちは活動できないというデスメアードのルールを無視している。夜を待つことなく自らの体を手に入れ、自らの意思で行動できる力こそ、鋼鉄製の異形に備わった固有の能力だった。
五本の指が生えたその手には、今、固定電話の子機が握られている。皮靴じみた足でカーペットを踏みしめるように移動し、部屋の一部を覆い隠す白いカーテンの前に立つ。「失礼します」と断りを入れてから、丁重な動作でカーテンを捲りあげた。
「零香さん。蛇渕からお電話です」
カーテンの向こうには、リクライニングベッドが一台置かれていた。そこに寝そべる人物は、緩慢な動作でデスメアードに目を向けると、細い腕を伸ばす。その骨ばった手首には、中心に黄色い宝石のはめこまれた、銀の腕輪が装着されていた。
4
太陽が沈み、藍色の空に月が浮かぶ。
午後六時を知らせる哀しげなメロディーが、地上に燃えるような魂を降らす。外灯や家々の明かりが一つ、また一つと点灯するのに合わせ、町の至るところで、一度失われたはずの命が次々と輝きを取り戻していく。
デスメアードの時間が、やって来たのだ。
怪物たちは無意識のうちに感じ取っているのだろう。不自然なほどの夜の静けさを。今夜、世界を揺るがす出来事が起きるという気配を。
そして駅前に聳えるビルの屋上から、不穏な夜を見下ろす二つの影があった。
「どうだ? 体の方は。万全かい?」
フェンスに指を絡ませ、町を見渡す白い背中に、チルドレットは尋ねる。ヒーローはちらりと肩越しに振り返るものの、すぐに前方に視線を戻してしまう。
「まずまずだ。昨日の傷も問題ない。この分ならメアード空間も展開できそうだ。あとは邪魔が入らなければ良いが」
「そこは問題ない。お前のファンたちも協力してくれる。今日は私のプロデュースで最高の夜にしてやる。楽しみだな。悪夢の終わる日がくる。お前の力で、終わらせるんだ」
ぎしっ、とヒーローの手がフェンスを軋ませる。その目は変わらず遠くを見つめている。腿のハッチを開き、そこからくたびれたナイフを抜き取ると、強く握りしめた。
「ありがとうソードマン。お前の心遣い、無駄にはしない。俺はここから、始まるんだ」
使命感を帯びた口調で、ヒーローは感謝を告げる。チルドレットは「ああ」と満足げに応じると、どこからかデジタルビデオカメラを取り出し、鼻歌交じりに調整を始めた。
5
そよ風に撫でられ、草木が揺れる。冷えきった空気が闇に形を与える。香るのは大地に沁みこんだ線香の香り。月の明かりに照らされたライバルが、一人佇む。
彼の前には、樋川家の墓石が建っている。真紅の双眸が捉えるのは、そこに眠る自分自身の亡骸か。それとも、自らの命を奪った殺人鬼か。
「やっぱり、ここにいたんだね」
無言のまま、ぴくりとも動かないライバルに、沙穂は声を掛ける。まるで地に足が着いていないような浮遊感に襲われながらも、それを悟られないよう、背筋を伸ばしながら彼に近づいた。ライバルは振り返り、沙穂の姿を認めると小さく頷いた。腰に下げたお守りの鈴が、存在を誇示するように透き通った音を鳴らす。
「ここに眠ってるの、ライバルだったんだね。自分のお墓参り、してたんだ」
なぜライバルがこの場所に足繁く通っていたのか、その謎がようやく解けた。沙穂はライバルの横を通り過ぎると、胸に抱えていた花を花瓶に挿す。それから墓石の前でしゃがみこみ、手を合わせた。
「ライバル、寂しくない?」
両親が離れた地で、幼い魂は一人取り残されてしまった。その心中を思うだけで、こちらまで胸が締め付けられるようだ。ライバルは自分の心を探るような間を空けた後で、「バル」とだけ返事をした。沙穂もまた「そうだよね」と短く言葉を返す。
「……私ね。昔、弟がいたんだけど。私が小さい頃に事故でいなくなっちゃったの」
目を閉じ、口を開く。ライバルの視線を、背中に強く感じる。
「だからライバルと一緒に遊んで、一緒に色々なことを話して……すっごく楽しかった。弟が戻ってきたみたいで。もしあの子が生きてたら、こういうことしたかったんだって、ずっと想像してたから……夢が叶ったんだって、思った」
胸でもやもやと燻り続けていた想いに、ようやくはっきりとした輪郭が描かれる。目を開けて立ち上がると、ライバルの方を振り返った。赤い大きな瞳が、沙穂を見上げている。その表情は、人を守るために拳を振るう戦士のものではなく、同族の命を狩る死神のものでもなく、志半ばにして短い生涯を閉じられてしまった、幼い少年のものだった。
「もっともっとライバルと一緒にいたい。二度もあんな思いをするなんて、絶対に嫌だ」
「バル……」
「だから私が守る。今まで私を助けてくれた分だけ、今度は私がライバルを助けるから」
口だけではない。今の自分には、それを成し遂げるだけの力がある。胸に手を当てると、体の中に巣食う『悪夢』の存在を、はっきりと感じる。ゆっくりと息を吐き、恐怖を身体になじませるようにした。
「ククク……小娘、お前だけにいい恰好をさせるわけにはいかないな!」
活気溢れる声と共に、ライバルの背後に植わった灌木の中からブレザーが飛び出してきた。ブレザーは草むらを這うように移動し、ライバルの肩に飛び乗る。いつもより少しだけ色あせた生地が、昨夜受けたダメージの大きさを物語っていた。
「ククク、ここで引いたら、コロちゃんに顔向けできないからな。死など怖くはない。夢を叶えられないことのほうが、よっぽど恐ろしいわ。俺の魂は我が主と共にある。最期の時まで、付きあわせてもらうぞ」
「子犬ちゃん……」
揺るぎのないブレザーの態度は、沙穂に勇気を与えてくれる。ライバルもまたその気迫に感化されたように決意を漲らせ、「バル!」と声をあげた。
「そういえばこれ、ちょっと不格好なんだけど……」
沙穂はトートバッグの中から、赤い折り紙を取り出した。長方形に折られたそれは手製のお守りだった。表に『安全祈願』という文字と、ライバルの顔がマジックで書きこんである。紐を付けておいたため、ベルトに下げることも可能だった。
「バルルッ」
ライバルは驚いたように声を高くし、沙穂からお守りを受け取る。自分の手から離れてしまうと、それはひどく粗末なもののように思えて、何だか恥ずかしくなる。迷惑ではないだろうか、と不安が過る。
「バルライ……!」
しかし、どうやら心配は杞憂に終わったようだ。瞳を輝かせ、ライバルはお守りを月に透かすように掲げる。彼は興奮した様子で「バルバル」と沙穂に顔を戻し、深々と頭を下げる。そこまで喜んでもらえるとは予期しておらず、沙穂は安堵と共に自分の顔が綻ぶのを感じた。
「良かった。喜んでくれて。作った甲斐があったよ」
それからしばらくの間、ライバルは嬉しそうにお守りを眺めていたが、足元を強い風が吹き抜けると突然弾かれたように顔を上げた。その意味を、沙穂は瞬時に理解する。
「行くんだね……人を、守るために」
ライバルは頷く。やはりその目に恐れや迷いは窺えない。純粋なまでに自らの進むべき道だけを捉えている。沙穂はライバルの手からお守りを取ると、それを彼のベルトにくくりつけてやった。沙穂が手を離すと、二つのお守りが揃って微かに揺れる。
「……これでよしっ、と。じゃあ頑張ってね。私、応援してるから。ずっとずっと、ライバルの味方だから。どんなに離れてても、私が、ついてるから」
ライバルは親指を立てて応じた。沙穂もまた同じようにして返す。
おそらくライバルの向かう先には、ヒーローも待ち受けていることだろう。あの怪人もまた、デスメアードを殺す能力を得た。今日がライバル最期の日と信じているに違いない。そもそもデスメアードの出現自体が罠である可能性もある。
だが、彼の夢を阻むことは誰にもできない。沙穂もまた彼の無事を、夢の成就を祈ることしかできない。だがそれでいい。
「いってらっしゃい」
さようならとは、口が裂けても言わない。彼は必ず生きて戻ってくる。彼を信じることができるのは自分以外にいないと、沙穂は己を鼓舞する。
「さぁ、いくぞ! 我が主よ!」
「バッルバル!」
戦士は意気揚々と駆け出していく。鈴が踊るように揺れ、甲高い音を撒き散らす。沙穂は胸の前で手を組み合わせた。目を閉じ、暗闇の内に居座る住人に祈りを捧げる。
6
男が追われている。鳥が羽ばたく音。鋭利な刃物が、短髪の頭に迫る。
女が悲鳴をあげる。ロングヘアーに花柄のカチューシャ―を付けた女性は、男に鳥の怪人が襲い掛かろうとしているのを驚愕の面持ちで見つめている
だが男がすぐに追いつかれるのは、誰の目から見ても明らかだった。なにせその場所は五メートル四方しかスペースのない、小さな部屋の中なのだから。広さの割に天井だけはやけに高く、果てが見えない。壁は無数の鏡が組み合わさってできており、細かい毛のようなものが無数に飛んでいる。
程なくして、男は壁際に追いつめられた。叫び声をあげながら壁を必死に叩く男を、怪人は宙に留まりながら見下ろす。その両腕は翼となっており、両足の先端には鋏のような形をした、鋭い爪が伸びている。目が非常に大きく、人間の拳くらいのサイズはある瞳がぎょろぎょろと動き、憐れな獲物を射抜く。
「ん~そう逃げるなよ。俺の鋏はお前を怪我させやしない。ただお前の毛をハゲ散らかしてやるだけなんだからよっ!」
鳥の怪人は流暢に言葉を喋り、宣告を下すと、男に両足の鋏を突きつけた。男の顔色がさっと青ざめる。限界まで見開かれた目に、研ぎ澄まされた二枚の刃が迫る。
「そうはさせんぞ!」
「バルバルゥ!」
その時、矩形に切り取られた、暗い空の果てより落ちてきたライバルが、怪人の頭部を踏みつけた。突然の衝撃によって床に叩きつけられる怪人。ライバルは両足で着地する。肩に羽織ったブレザーの袖が独りでに動き、敵に向けて構えるようなポーズを決めた。
「またお前か、バーバドル・メアード! まだ我が主にやられ足りなかったか!」
「いてて……それはこっちのセリフだ。ヒーローを恐れて逃げ出したハゲが、生意気な口を利くもんだ!」
身を起こし、バーバドルは額から電撃を放射する。ライバルは横に跳んでかわした。敵に言われたことを気にしてなのか、自分のつるりと滑らかな頭を呻きながら撫でる。
電撃が再び宙を掻く。ライバルは右手から短い刃を射出した。敵を貫こうと弾丸のような速度で飛ぶそれは、電撃を突き破り、バーバドルの胸に真っ直ぐ吸い込まれていく。
だがライバルの攻撃は、どこからか飛んできた白色の光弾によって打ち落とされた。
甲高い足音が響く。音が一つ、空気を震わすたびに世界が変質していく。壁が消失し、周囲に広大な大地が広がる。床が剥がれ、荒れた地表に塗り替わる。
「おっと、そこまでだ」
世界に解き放たれた声が、ライバルの身を、心を震わせる。
バーバドルの後方から、純白の鎧を纏った戦士、ヒーロー・メアードが歩いてくる。
彼一人だけではない。右隣にはタイヤを回転させて進むエビグルマ・メアード、左隣にはわざとらしくマントを払うチルドレット・メアードの姿がある。一同はバーバドルを加えて並び立った。壁の如く立ちはだかる四体のデスメアードを前に、ライバルの表情にも苦悶が浮かぶ。
「全部罠だったんだよ。まんまと引っかかりやがってこのハゲが! 残念だったなァ!」
地上から十センチほど浮いたバーバドルが唾を飛ばす。
「ついに役者が揃ったようだな。ライバル、お前の最期を映画にしてやる。敏腕プロデューサーの処女作だ。ありがたく思え!」
そう高笑いをあげるチルドレットの右手には、小型のデジタルビデオカメラがある。どこに目があるのかは分からないが、ファインダーを覗き込むようにし、レンズ越しにライバルを見据える。
「ユリコーンの無念、今日で晴らしてやるからなァ。覚悟しておくといい……!」
エビグルマが声を低くし、瞳を憎しみにぎらつかせる。
ヒーローはやれやれとばかりに、肩をすくめ、それから左腿のハッチよりI字型の棒を取り出した。片手で振ると、先端から白い光刃が突き伸びる。
「ま、さっさと終わらせようぜ少年。俺の夢のために、もう一度死んでくれ」
冷然と言い放ち、ヒーローはライバルに近づいていく。正体不明の衝動とは違う、明確な恐怖に射竦められたライバルは顔を引き攣らせ、ゆっくりと後ずさった。
瞼の裏側に沙穂はライバルを見つけた。血のように赤い空。光を淘汰しようとするような深い暗闇。その中で背中を丸めて座り込んだ後姿からは、覇気の欠片も見受けられない。親とはぐれて哀しみに暮れる、小さな子どもを思わせた。
「……ライバル」
そっと声を掛けてみる。しかし耳か、もしくは心を塞いでいるのか、ライバルが振り返ることはない。
左目に焼きつくような痛みを感じる。涙が溢れだし、とめどもなく頬を伝う。片目だけで泣きながら、沙穂はライバルに近づいていく。顎先から零れ落ちた黄色い滴が、沙穂の歩いた跡を点々と辿っていく。
「ライバル。私は、ここにいるよ」
足を止めてしゃがみこみ、ライバルの体に腕を回す。強く抱きしめ、背中に頬をすり寄せた。頭上を覆っていた血の空が少しずつ薄らぎ、地上に光を降らす。闇が、溶けていく
7
エビグルマと融合し、ドライブヒーローになった鎧の戦士が、ライバルを蹂躙する。ライバルもまたヘルズライバルとなって対抗するも、その動きは明らかに悪い。記憶を取り戻したことが、彼の気勢を削ぐ原因になっているのは明らかだった。かつて苦痛を与えられ、命を奪われた相手を前に、ライバルの心は拒絶反応を起こしている。その影響は体や能力にも及び、全力を発揮することができずにいる。
ヘルズライバルはシールドを発生させ、敵の猛攻を止めようとするが、ドライブヒーローの移動速度はそれを上回っている。シールドが実体化を果たした時には、すでに光刃は振り抜かれていた。
「バルウウウッ!」
一体、何太刀浴びたのか。装甲の厚さを自慢とするヘルズライバルの口から、ついに悲鳴があがった。地面を激しく転がり、融合が解除される。分離したライバルとブレザーは共に呻き声を漏らしながら、のたうちまわった。
「おっとぉ、ヘルズライバル撃沈! もうこれでピリオドだというのかぁ!」
カメラを回しながら、チルドレットが実況する。ドライブヒーローは何か気付いたように鼻を鳴らすと、背後の仲間に呼びかけた。
「バーバドル!」
「んっん~、分かってるって旦那ァ!」
バーバドルは嘴をぐにゃりと歪め、翼をはためかす。そして逃げ出そうとする人間の男女を追いかけた。宙を切り裂くように移動して、あっという間に二人の前に回り込み、彼らに向けて翼を大きく羽ばたかせる。まるで台風の真っ只中にいるかのような、抗いがたい風力を叩きつけられ、人間たちは紙屑のように吹き飛ばされた。
「んっんっん~、さぁて、豪快にぶった切らせてもらうぜぇー!」
「バ……バッバルゥ……!」
ライバルの制止を求める叫びも虚しく、バーバドルは両足の鋏を男目がけて振り回した。刃が触れたか、触れないか、という曖昧な距離だったが、程なくして男の頭が破裂する。黒々と生えていた髪の毛が、頭皮から一斉に飛び散ったのだ。
男は目を丸くし、それから恐る恐る自分の頭に触れる。そして己の身に起きたことを徐々に理解していき――白目を剥いて、倒れてしまった。
「さぁてと。次はお楽しみ、お嬢さんだ。あんたはゆっくりと時間をかけてハゲ散らかしてやるからなァ~」
羽ばたくこともせず浮遊しながら、バーバドルは瞳を好奇に輝かせる。女性は腰を抜かし、もはや悲鳴をあげることもできないようだ。喘ぐように口をぱくぱくとさせ、引き攣った呼吸を漏らすその顔に、無情な刃が押し当てられる。細やかな風に吹かれた黒髪が、慄くように震える。
「バル……!」
ライバルは拳を握りしめ、ゆっくりと身を起こす。吐く息は震え、傷に塗れた体を押して立ち上がるその姿には、悲壮感すら漂っている。しかしヒーローを睨むその双眸は、恐怖に立ち向かおうとする意志に燃えていた。
「バルバルッ! ライバルッ!」
ライバルは雄叫びをあげる。そして自分の胸に爪を立てると、そのまま腕を斜めに下ろし、肉を引き裂いた。痛みで恐怖を紛らわせようという魂胆なのだろう。新たな傷を身に刻み、己を最大限鼓舞して、ライバルは地を蹴立てる。口から迸る叫びは、もはや悲鳴に近い。固めた拳をヒーローの腹部目がけて叩きつける。
だが、ヒーローは左手一本でライバルの闘志を受け止めた。
「奮闘してこの程度とは……悲しいな」
冷然と言い放ち、右手に握っていた光剣で腹部を一閃する。よろめくライバルに、さらに高速移動で近づき、蹴りを打ちこんだ。軌跡すらも読み取れない速度で放たれた、その技の威力にライバルの体は宙を浮き、置いてあったライオンの石像を砕いて地を転げる。
「お前は俺には勝てねぇ。そんなのとうの昔に分かり切っていることだろうが」
「バ、バル!」
ライバルはヒーローの言葉を跳ねのけるように地を殴りつけ、立ち上がる。その足元に何かが落ちる。それはかつて沙穂から受け取った、ジェットペッカーのフィギュアだった。吹き飛ばされた時の衝撃で、しまっておいたのが零れ落ちたのだろう。だがライバルは気付かない。ヒーローは舌を打つ。左腿のハッチから専用の銃を取り出し、発砲する。
ライバルとヒーローが不毛な戦いを繰り広げている背景で、女性の髪が舞った。腰の辺りまで伸びていた髪の毛が、左半分だけ、ばっさりと切り落とされたのだ。
「んっん~? いいねぇ、俺は女が坊主になっていく過程に、最高に燃えるんだよなァ! 楽しませてもらうぜぇ~!」
「や……いや……!」
尻もちをついたまま、女性は必死に後ずさる。バーバドルはにやにや笑いながら、彼女との距離を詰めていく。シャキ、シャキ、と聞こえるのは絶えず開閉されている鋏の音だ。
涙を浮かべた表情を視界の端で捉えながら、ライバルは目の前の敵に何度も、何度も立ち向かう。白い銃弾が、その体を貫き、破壊する。しかし彼は立ち上がる。人を救うために。この町から悪を消すために。
「ライバルはね、私にとっての救世主なの」
暗闇の中で二人きり。ライバルを抱きしめながら、沙穂は彼の耳元に話しかける。
「ライバルは私を救ってくれた。怪人からだけじゃないよ。悪夢だって、見なくなった。もう叶わないと思ってた夢も、見せてくれた。私、ライバルには感謝してもしきれない。だから今度は、私の番」
ライバルの細い肩が、ぴくりと微かに動いた。沙穂は腕の力を強める。彼の存在をさらに強く、胸に抱きしめる。
「あなたの夢を、教えて。何でこの町に戻ってきたのか、あなたの口から聞かせて」
瞳から流れた黄色い液体は、もはや影のように二人の足元に広がり、留まっていた。体からは、止めどもなく砂がこぼれ落ちていく。まるで体内に溜まった『人間としての』老廃物を吐き出しているかのようだった。沙穂の体は人を捨て、別の何かに生まれ変わろうとしている。沙穂はそれを恐れない。選んだのは、自分なのだ。
ふと、腕の中の感触が変化したことに気付く。これまでのどこか無機質な固い感触から、弾力性のある柔らかなものに変貌していた。
ゆっくりとライバルが振り返る。しかしその姿は、ライバルではなくなっていた。
短髪、丸っこい耳、大きな目、薄い唇。青いTシャツ。お菓子の匂い。
そこにいたのは、人間の少年だった。沙穂は彼のことを知っている。頬と頬が今にも触れあいそうな距離にあるその顔を、沙穂は写真の中で見たことがあった。
「おねぇちゃん、きいて。あのね。ぼくのゆめはね――」
少年は笑いながら話しかけてくる。沙穂は彼を抱きしめたまま、耳を傾ける。その唇から紡ぎ出される言葉を、一字一句聞き逃すまいと聴覚を研ぎ澄ます。
「さぁ、そろそろトドメといこうじゃあないか」
ビデオカメラをまわしたまま、敏腕プロデューサーが指示を飛ばす。ヒーローはため息を零しながら、左手に持った銃の先端に光剣の柄を取り付けた。
「やれやれ。やっと許可が出たか。主演俳優も、楽じゃない」
銃と剣の柄を合体させることで完成したライフルから、ラッパの音が鳴り響く。その銃口に膨大なエネルギーが充填されていく。
ライバルは呼気荒く、もはや起き上がる体力すら残されていないようだった。それでも闘志の残り滓を極限まで燃やし、顔を上げ、地に爪を立てる。
ライバルの視線の先で、女性がまたも髪を切り裂かれる。外れたカチューシャが彼女の足元を跳ねた。今度は頭の逆側を刈られ、黒い塊にしか見えない髪の束が落下する。
「んっん~じゃあこっちも、フィナーレといこうぜぇ、お譲さん! 大事な髪ともこれでおさらば。これからのハゲライフを楽しみな!」
「助けて……嫌だ……嫌ああっ!」
遂に追い詰められ、救いを請う女性の叫びに、ライバルは瞳に焦燥を燃やす。だが身体がついていかない。悔しげに歪んだ彼の表情に、チルドレットは心底愉しげに嗤う。
「ふふっ、夢を遂げられず、お前は人間の悲鳴を聞きながら、絶望の中で死んでいくんだ。どうだ、素晴らしい演出だと思わないか? 最高だろう!」
ヒーローの構えるライフルに収束する光が、徐々にその大きさを増していく。地に這い蹲ったまま動けないライバルに、ブレザーは全身を引きずるようにしてにじり寄り、そして彼の肩に覆い被さった。
「主は……俺が、俺が守る……これ以上、手出しはさせない……」
覚悟のこもった言葉ではあるが、しかしその声は弱弱しい。その時、ライバルは視界の隅に、地面に落ちたジェットペッカーの存在を認めた。赤い瞳に、彼そっくりの姿をした戦士が映り込む。
「バル……」
ライバルはジェットペッカーに手を伸ばす。己の存在をそこに見出そうとするかのように。夢の在処を求めるように。そしてその指がフィギュアに触れた瞬間――沙穂からもらったお守りが、右腰で強い輝きを放った
「ぼくね、おおきくなったら、みんなをまもる、せんしになる! ジェットペッカーみたいに、どんなくるしいことにもまけない、ぜったいにあきらめない、せんしになるんだ!」
ドライブヒーローは何の前口上もなく引き金を引き、光の砲撃を放った。宙を駆け抜けた破壊の渦は、白い螺旋を描きながらライバルまで到達する。
爆発音が轟く。光線が四方八方に飛散する。舞い上がった砂塵と、破裂した光によって混濁していた景色が、時間の経過とともに晴れていく。
その景色の中に人型の影を見つけた時、二体のデスメアードは一斉に息を呑んだ。
「何……!」
踏み出される足は、抜けるように白い。ベルトのバックルには円鏡が備わっており、今その表面にはドライブヒーローの姿が映し出されていた。胸には、大きく見開かれた単眼が描かれている。左腕は赤く燃える宝石を纏っているかのようだ。ごつごつとした岩肌のようなその表面は、おぞましいほどの殺意によって形成されている。
「バル!」
それはライバルの新たな姿だった。額にあったV字型の触角は四本に増え、さらに大きく、太くなり、角のような形に変貌している。さらに口元を塞いでいた鉄製のマスクが外れ、頬まで裂けた三日月状の口が露わとなっている。
これまでの闇よりも深い黒から一転、純白の体を獲得したライバルは静かに息を吸い込んだ。その体の周囲を、無数の輝きが舞う。ドライブヒーローは脅威を察したように無言のまま宿敵を見据えている。
「白いライバルだと? なんだそれは! こんなの私は聞いていない!」
予想外の展開にカメラを下ろし、狼狽するチルドレット。驚愕したのは敵のみならずブレザーも同様らしく、初めて見る主人の雄姿を足元から呆然と見上げている。
「その姿……まさか進化したというのか。救世主、ライバルセイバーといったところか!」
「バルバルバル、バルライ!」
白いライバル――ライバルセイバーが足を踏み出す。前方に体重移動を果たす過程で、その姿はおぼろげな影と化す。そのまま残像さえも追いつかない速度で突進し、ドライブヒーローとチルドレットをまとめて跳ね飛ばした。ひしゃげたビデオカメラが、半ばからへし折られたライフルが、音をたてて地面に転がる。
次にライバルセイバーが実体を取り戻したのは、バーバドルの眼前だった。宝石に覆われた左腕で殴りつけ、両足の鋏を一撃でへし折る。バーバドルはよろめき、顔を歪めた。
「くっそ、マジかッ! ハゲかッ!」
想定外のダメージにバーバドルは翼をはためかせ、女性を置いて空に逃げた。遠ざかっていく敵影をライバルセイバーは振り仰ぐ。
「バルウッ!」
白き戦士の背中に、まるでオーロラのような光の揺らぎが出現した。地を蹴って跳びあがると、オーロラの中から虹色の翼が展開され、矮躯を空に打ち上げる。
「バルッ! ライバルゥ!」
飛行能力を得たライバルセイバーは、光の翼をはためかせ、バーバドルを追う。バーバドルは背後を振り返り、ぎょっと目を剥くと、後ろ向きに飛びながら電撃を放射した。
「おいおい! ライバルが飛べるなんて聞いてねぇーっての! 落ちろよハゲカスが!」
だがライバルセイバーは、紫電に絡みつかれても顔色一つ変えない。電撃を跳ねのけながら、右腰を軽く叩く。腹部の円鏡が今度はバーバドルを映し出した。
「バァァァアアルゥゥッ!」
白色のエネルギーがライバルセイバーの両足で渦を巻き、やがてそれは一本の巨大な鋏の形を成した。翼を宙に叩きつけることによって生じた風を推進力として、ライバルは敵目がけて降下する。墜落するジェット機のようなスピードで迫る戦士に、バーバドルは逃げる暇さえ与えられなかった。刃の間に目標を捉えると、ライバルセイバーが足を蹴り出すのに合わせて鋏は閉じ、バーバドルの胴体を有無もいわせず両断してしまった。
「馬鹿な……俺は、その技を、まだ、見せていない、はずなのに――」
自分の身に起きたことの不可解さに、バーバドルは上半身と下半身を分かたれ、地上に落ちていきながら、目を丸くする。しかしその答えに行き着くことはなく、黄色い液体を撒き散らすと、粉々に砕けるようにして消滅した。
ライバルセイバーは緩やかに着地すると、安心していいよとでも言うように、女性に向けて頷いた。それから息をつく間もなく、次なる標的に視線を向ける。右腰を叩き、バックルの鏡面にドライブヒーローを出現させる。
「ライバルメアードッ!」
先手を打ったのは、白銀の騎士の方だった。もはや瞬間移動としか思えない速度で接近し、光刃による刺突を放ってくる。ライバルセイバーはそれを横によろけるようにしてかわし、顎を狙った蹴りで反撃する。だがその時にはすでに、ドライブヒーローはライバルセイバーの背後に回り込んでいる。繰り出されるハイキック。ライバルもまた、相手の技を模倣して得た高速移動を行使し、後ろに跳ぶ。ドライブヒーローは追いすがる。振り回される光刃。ライバルセイバーもまた深紅に輝く左腕で応戦する。戦士が掌から極太の光線を放ち、騎士が避ける。騎士が殴りかかり、戦士が受け止める。激しくぶつかり合い、せめぎ合い、弾かれ合う。
第三者から見れば二人の戦いはただ時折、火花が散り、打撃音が響き、足音が刻まれているようにしか見えない。二人の姿を視認することは叶わない。高速移動を持つ者同士の対決は、文字通り別次元にて繰り広げられていた。そのあまりの壮絶さに、髪を切られた女性だけでなく、ブレザーもチルドレットも呆けて見ている他ない。
そして乱立する石像をいくつか破壊した後に、二人は元の次元に帰還する。互いに疲労が色濃く、その身には深い傷跡がいくつも刻まれていた。
「俺への恐怖を完全に脱したようだな。本当に気に食わねぇ奴だ、お前は」
「バルバルッ!」
「だが、お前はここで確実に始末する……俺の夢を守るために!」
ドライブヒーローは後退しながら光剣を投げ捨てると、右肩のタイヤを回転させた。火花が飛び散り、右腕全体にエネルギーが満ちていく。
対するライバルセイバーもまた敵に飛び掛かりながら、左の拳を握る。赤い瘴気が腕全体から噴き上がり、翼のように広がった。戦慄が実体を伴い、世界を震わせる。
「ウォオオオオオオオッ!」
「バルウウウウウウウウッ!」
白の光輝が、赤の閃光が正面から激突する。拮抗したのはほんの一瞬だった。踏みとどまったライバルが拳を振り抜くと、ドライブヒーローは砕けたエネルギーの残滓に巻かれながら吹き飛ばされた。
ドライブヒーローは背中から地面に落ちた。起き上がろうと地に手を這わすものの、その輪郭は指先から粒子となって綻びていく。そして全身が塵と化してしまうと、後には二つの砂時計型容器が現れ、虚飾の空に昇っていってしまった。
主人を失ったことでメアード空間が解かれ、辺りの景色は溶けていく。ブレザーはライバルセイバーに駆け寄り、チルドレットは悪態を吐きながら逃げ出していく。
「バ……ル……」
そしてヒーローを倒したライバルセイバーの体は、限界を迎えていた。実体を維持するために必要なメアドリンを、戦闘に注いだツケが回ってきたのだ。
彼が砂時計型容器を残して消滅してしまうまで、それから十秒もかからなかった。ブレザーは主の魂を見送ると、残された二つのお守りを袖で引っ掻けるようにして拾い上げた。
8
夜の墓地で、銀林沙穂が倒れている。固く瞼を閉じ、草むらに体を投げ出している。どうやら眠っているようだ。その頬にはまるで砂場に指で線を引いた時のように、涙の痕跡がはっきりと残されていた。
しかしその表情は、幸福に満ち溢れている。楽しい夢でも見ているのだろうか。口は笑みの形をとり、目じりは穏やかに下がっている。冷たい風が肌を撫でていっても彼女は目覚めるどころか、体を震わせることさえしなかった。
深い暗闇と沈黙が、この場所を外界から切り離すことに成功している。射しこむ月の光は、さながら明と暗を繋ぐ架け橋のようだ。
そして外の世界からやってきた男が、目覚める気配のない沙穂を見下ろす。仮面で表情を塞いだその男、神野は手を伸ばし、しばらく躊躇ってから沙穂の額を指で突いた。
「……ようこそ、こちら側の、世界へ」
誰に向けたわけでもなく、くぐもった声を漏らす。沙穂は寝言でも呟いているのか、口をもごもごと動かしている。そんな彼女の様子が可笑しかったのか、神野は「ふふっ」と笑みを漏らすと、沙穂に触れた指を月明かりに照らし、愛おしそうに眺めた。
「デスメアード・ファイル」
バーバドル・メアード
属性:雷
AP2 DP3
身長:150cm 体重:30kg
【基本スペック】
領域(Lv3。場所ごとメアード空間に引き込む)
浮遊(宙を浮くことができる)
飛行(空を飛ぶことができる)
【特殊能力】
両足の鋏で毛髪を器用に狩ることができる。毛髪以外のものには効果がない。
【DATE】
理容師に使われていた鋏の成れの果て。生前より豪快な性格で、ちまちまと髪を切ることにストレスを感じ
ていた。廃棄された後、デスメアードとなって蘇り、思う存分に髪を切ることを願う。
女性を丸坊主にするのに興奮するタイプ。
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ライバルセイバー・メアード
属性:天
AP5 DP4
身長:150cm 体重:53kg
【基本スペック】
領域(Lv3。メアード空間を展開する)
回帰(二日酔いにならない)
破棄(デスメアードを殺すことができる)
【特殊能力】
腹部の鏡に映した他のデスメアードの特殊能力・技を全て使用することができる。
【DATE】
沙穂の祈りによって、ライバルが到達した新たな形態。かつてデュエル・メアードを倒した際に得た、進化の光による影響で大幅に姿が変わっている。
スペックが軒並み上昇しているがメアドリンの消費も激しく、戦闘終了後は体を維持できずに消滅してしまう。




