13話「男心、夏祭りに爆ぜる」
1
熱気に満ちたざわめきと煌びやかな光が、くすんだ夜に彩りを添えている。暗闇に漂う香ばしい匂いが胃袋を刺激し、食欲を誘う。沙穂はたまらず生唾を飲みこんだ。
「ねぇ、かっくん。たこ焼きさんが私を待ってるみたい。はんぶんこして食べようよ!」
「そっか。俺にたこ焼きの声は聞こえないけど。いいよ、食おう。腹減った」
角平の手を引き、沙穂は前方に見えるたこ焼きの屋台に並ぶ。先客は小学生の集団だけで、この分ならすぐにありつけそうだった。右手のカゴバッグから財布を取り出して待つ。
沙穂は白地に青い花柄、角平は紺地にストライプの入った浴衣をそれぞれ着ていた。周囲を見渡せば多くの人が柄や色こそ異なるものの、似たような恰好をして歩いている。
指場町の商店街を使って行われる夏祭りは、沙穂の想像を超えて大規模なものだった。このあたりの地域が一丸となって開催しているらしく、町の外からはおろか、市外からもこの祭りを目当てに人が集まるらしい。
それほど幅の広くない道に人がごった返し、道に沿って屋台がずらりと並ぶ光景からは、普段の寂れ、物哀しい姿を晒している商店街は想像できない。まるで町そのものがこの日を待っていた、とばかりに色めき立っているかのようだ。
パック詰めにされたたこ焼きを受け取ると、とりあえず腰を落ち着けることのできる所を探すことにした。真っ直ぐ進むことさえ難しい人ごみの中を、はぐれないように注意しながら移動する。道を一本外れ、暗がりを目指して歩いていくと、多少なりとも喧騒からは解放された。誘われるように、自動販売機でペットボトルの冷たいお茶を買う。喫茶店らしき建物の前にある、花の植わっていない花壇のへりに並んで腰掛けた。
ハンカチで額の汗を拭い、それからペットボトルのキャップを開く。お茶を一気に口の中へ流し込むと、細胞一つ一つに水分が染み渡り、潤っていくような気がした。
「ぷはぁー、効きますなぁ! 本当に人ごみって暑いねぇ」
「本当だよ。あっちぃ。もう汗だく」
二人して暑い、暑い、と言い合っていると目の前を、青いはっぴを着た集団が通り過ぎていった。女性やまだ幼稚園くらいの子ども、老人など年齢層、性別に至るまで様々だった。そのはっぴを着ている人々は、祭りの色々なところで見かけることができた。背中には墨絵風に馬が描かれ、その下に『MEATO』と流れるような文字で書かれている。
「さっきから気になってたんだけど。この町って、馬を祀ってるのな」
角平は興味深そうにはっぴの集団を目で追っている。沙穂は膝の上にたこ焼きを乗せながら、あぁ、と声をあげた。
「ここらへん一帯を守ってる神様が、馬の姿をしてるんだって。ばさすしん、っていうんだっけ。記憶曖昧だけど。指場っていう町の名前もそこからきてるって、友達が言ってた」
「ふぅん。でも祭りの名前は、指場祭りじゃないんだよな。あれ、なんて読むんだっけ」
「めあとだよ。芽蹟祭り。うちの大学と一緒の名前。このあたりの昔の地名なんだって」
「それも友達が?」
「うん、そうよく分かったね。ようやくかっくんにも、たこ焼きの声が聞こえたかな?」
「それはわかんねぇけど、沙穂ちゃんの声はよく聞こえたよ」
「たこ焼きさんはこう言ってるよ。『おい、かくへいのダンナァ。呑気に茶なんかのんでねぇで、さっさとこいつをつけてぇ、くださいまし』」
パックを小刻みに揺らしてたこ焼きの声を代弁すると、沙穂は先ほどから後ろ向きに二枚付けていたお面を一枚外して角平に差し出した。アニメ、『ドーナツランド』に登場するキャラクターのもので、沙穂の頭に残っている灰色毛のネズミはドリッキー、今頭から外した、赤毛のネズミがグリッダーだ。どちらも先ほど露店で購入したものだった。
「たこ焼きがんなこと言うかよ。嫌だよ、恥ずいじゃんお面なんか。ガキじゃあるまいし」
「一周回っていいもんだよ。それにこういう時にハジケないで、いつハジケるの。ほら、つけてあげるからさ。きっと似合うよ、カクヘイッダー!」
「変なあだ名つけんなよ……てか語呂悪りぃな。せめてカクヘッダーにしてくれよ」
不満そうに顔をしかめる角平を無視し、沙穂はたこ焼きを彼に渡すと腰をあげた。座ったままの角平の前に立つと、腕を伸ばし、彼に覆いかぶさるようにして頭にお面の紐をくぐらせてやる。文句を言っていた割に抵抗することもなく、角平は間近から沙穂の喉元を見つめながら、黙って身を任せている。
「ほら、これでお揃い。いいよ、似合ってる似合ってる! 可愛い可愛い!」
付け終わり、後ずさって少し遠くから角平を見る。正面ではなく、少し斜め、耳の側にあたる位置に付けてやった。沙穂が親指を立てると、角平はなぜか焦った様子で視線を落とした。口をもごもごさせながら、額に掛かった紐を指で弾く。
「……こういうの、なんか、いいな」
頬を緩め、ぼそりと角平は呟く。沙穂は手を叩き合わせた。
「でしょ? かわいいでしょ、グリッダーくん。ドリッキーとは腹違いの兄弟なんだよ」
「そうじゃなくて、あーもう! ちょっとトイレ行ってくるわ! これ持ってて。巾着も見張っててよ!」
角平は癇癪を起こしたように立ち上がると、沙穂にたこ焼きを押し付け、少し遠くに見える公衆トイレに走っていった。沙穂は首を傾げ、遠ざかっていく彼の背中を見つめる。
「もう。トイレ我慢してたなら、早く言ってくれれば良かったのに。タコー」
2
足早に公衆トイレの中へ駆け込むと、角平は電気を点け、まず洗面台の鏡と向き合った。両手を使って、軽く髪型を整える。蛇口のあたりにカマドウマが這っているのを見つけると、途端に口を歪めた。トイレ内は明かりが灯ってもなお薄暗く、不潔さが壁や天井や空気に至るまで根深くこびりついているかのようだった。
角平はしばらく鏡の中の自分と見つめ合った後で、ため息を一つ零し、小便器の前に立った。大便器が設置されているのであろう個室には先客がいるようで、ドアは閉められ、鍵もかけられていた。電気の点いていなかったトイレで用を足していることに、角平が疑問を覚えたのかは定かでない。しかも個室からは何かを食べているような音とともに、「このじゃがバタはいい。いちごオ・レによく合う。実に紳士的な食べ合わせだ!」と声が漏れていて、不審なことこの上なかった。
小便をしながら、角平は個室の方をじっと視線を向けていた。しかし用を足し終えると、前に向き直り、何事もなかったかのような顔で、便器から離れた。そして洗面台に向かおうとしたところで、ちょうど入ってきた人と鉢合せになった。
角平がびくりと体を震わせ、身を引いてしまったのはその人物の風貌があまりに奇怪なものだったからだろう。夏だというのに分厚い紫色のロングコートを着ていることをはじめとして、頭にはとんがり帽子を被り、横に大きく裂けた口だけが顔の中で冴え冴えと輝いている。どう見ても人間ではない、異種の存在であることは明らかだった。硬直している角平をその存在は見下ろし、さらに彼に向けて話しかけてきた。
「待っていたぞ。お前と二人きりになれる、この時を」
発せられたのは外見に似合わぬ、鼓膜をくすぐるようなハスキーボイスだ。そして金属でできた右腕を、彼の腹にいきなり押し当てる。まるで古い洗濯機を駆動させた時のような、けたたましい音が鉄色に輝く腕全体から聞こえてきた。
角平の胸に、時計の形をした円形の光が浮かぶ。二本の針が十二時と九時を指すと、光は薄れ、彼の体内に溶け込んでいった。
手が離れると、角平は目をこれ以上ないほどに見開き、鼻の穴を膨らませた。こめかみから汗が滴り落ちる。それはまるで、夢から覚めたような表情だった。
「思い出したか? この町でお前が経験した全てを」
「……おま、デス、メアード? お前もあいつらの……」
角平の口から、彼の知るはずのない単語が飛び出す。ロングコートを着た怪人は満足げに銀色の牙を剥き出しにした。
「お前に訊きたいことがある。手短に話そう。銀林沙穂のことだ」
「沙穂、ちゃんの?」
帽子を押さえ、怪人は頷く。角平は表情を強張らせ、瞳に不安を滲ませた。
3
お茶をちびりちびりと飲みながら、沙穂は右足の親指を撫でていた。親指と人差し指の間が擦り剥け、痛みを発しているのは履き慣れない下駄のせいだ。店で試しに履いた時は大丈夫だと思ったのだが、しばらく歩いていると徐々に痛みが出てきた。角平の前では我慢していたが、これを期とばかりに下駄を脱ぎ、指を休ませる。
「あー。舐めてた。高校時代は大丈夫だったのに、指の皮が薄くなったかな……」
遠くから聞こえてくる祭囃子は、さながら海中から見上げる陽の光のようだ。無数の明かりに照らされていた道を仮初の夜とするならば、ここには静謐な、本物の夜が流れていた。人ごみから抜け出してきた直後こそ涼しく感じたが、やはり湿度も気温も高く、じっとしているだけで汗が滲み出てくる。
「なぁ、俺、可愛いかな?」
突然聞こえてきたかすれ声に、沙穂は顔をあげた。するとこちらに近づいてくる、くたびれたブタの着ぐるみと目が合う。着ぐるみの布で作られたまん丸な目には寂寥感が漂い、口から赤い舌のようなものがだらりと垂れているのがどことなく不気味な印象を抱かせる。
「今の声、ブタちゃん……ですか? もしかして、私に訊いてる?」
「他に誰がいるんだよ。なぁ、俺って可愛いよな? お前なんかよりもずっとさぁ」
着ぐるみは問いを重ねながらじわじわと近づいてくる。そして沙穂は先ほどまで遠くで鳴っていたはずの祭囃子が、いつの間にか聞こえなくなっていることに気付いた。見上げてみれば空はわずかに紫色を帯びている。その光景を沙穂は前にも見たことがあった。立ち上がると、膝の上に置いておいた巾着とたこ焼きが足元に滑り落ちる。この着ぐるみがデスメアードであるという事実を認めるまでに、そう時間はかからなかった。
「……黙り込みやがって。あぁ、嫌になる。ふざけやがって。お前も、可愛い俺になれ!」
着ぐるみは怨嗟を吐き散らし、いきなり走り出すと沙穂に殴りかかってきた。あまりの急展開に、沙穂は咄嗟に動けない。ブタの暗く歪んだ表情が視界に迫る。
ちりん。鈴の音が軽やかに宙を跳ねる。その音を合図に、周囲の景色が荒野に変貌した。植えられたサンマ。宙を漂う飴玉。捻じれた石柱。灰色の空には雲一つ浮かんでいない。
沙穂の前にライバルが降り立つ。彼は羽織ったブレザーで拳を受け止めると、着ぐるみの脇腹に蹴りを浴びせた。
「ライバル!」
ライバルは振り返ると親指を立て、ブレザーを沙穂に投げつける。「ククク……なんだ小娘、お前か。本当に良く巻き込まれる奴だな」とブレザーはいつもの調子でほくそ笑みながら、宙を掻き、こちらに向かってくる。そしてあと数センチで沙穂の体に触れようというその時――ぽん、と音がしてブレザーは白煙に包まれた。
煙が晴れるとそこにブレザーはいなかった。
代わりにブタの着ぐるみが、苛立ちを誘うようなポーズで沙穂の隣に立っていた。
「えぇ、なんで! 子犬ちゃんが子豚ちゃんになっちゃった!」
「げげぇ! なんだこれは! おい、プリティアーとかいう奴、これはどういうことだ!」
ブタと化したブレザーは驚嘆し、自分の体を撫でまわしている。。その様子を見たブタの着ぐるみ――プリティアー・メアードという名前らしい――は陰鬱な笑い声をあげた。
「可愛いだろ? 俺が殴った奴はみんな俺になるんだ。女、お前も俺にしてやるよぉ」
「バルバルッ!」
そうはさせない、とばかりにライバルが飛び掛かる。敵の頬を殴りつけるライバルは普段と違い、黒地に銀縞の甚平を着ていた。昨日、沙穂がプレゼントしたものだ。聞く話によると、祭りという行事はデスメアードを興奮させるらしく、ハメを外す者も少なくはないらしい。だから必然的にライバルも忙しくなる。祭りを楽しむ暇などもちろんないだろう。だからこそ、慌ただしい中で少しでも祭りの気分を味わってもらおうと、沙穂はデパートで買った甚平を彼に渡したのだった。だが本当に着てくれているとは思っていなかったので少々驚いた。そして嬉しかった。採寸をとったわけでもないのに、甚平はライバルの体にぴったりで色合いもよく似合っていた。
「なにがバルバルだ。可愛いつもりか? お前、俺とキャラが被っていやしないか?」
プリティアーがゆらりと、体の割に大きな頭を揺らすようにして顔を上げる。光の浮かび上がったその右手に、一振りのナイフが出現した。
「お前は俺にならなくていいよ。何度もぶちやがって。俺の可愛さの前に滅びてしまえ!」
ライバルは右掌から発生させた刃で、突き出されたナイフを防ぐ。刃同士が二度、三度とぶつかり合い、火花が散った。双方ともに剣捌きならぬ刃捌きがあまりに見事なので、沙穂の目には銀色の光が瞬いているようにしか見えない。
「ふん。プリティアー、土属性か。祭りに浮かれて、随分おかしな奴が出てきたようだな」
沙穂の前に立つブタが腕を組み、不遜な態度で鼻を鳴らす。沙穂はしたり顔で解説するこのブタこそが、一番おかしいのではないかと指摘したかったが、ただの悪口になってしまうので黙っておいた。
沙穂は咳払いをし、戦闘に意識を戻す。ライバルはタイミングを計って後ろに飛びのき、宙返りでプリティアーの頭上を飛び越えた。振り向きざまに回し蹴りを放ち、敵の手に握られているナイフを弾き飛ばす。相変わらず無駄のない、鮮やかな動きだ。敵の拳をかわし、刃を振り下ろす。しかしその攻撃は、空より落ちてきた衝撃音によって遮られた。
沙穂とブタはほとんど同時に頭上を見上げた。そしてどちらともなくハッと息を呑む。灰色の空にはいつの間にか、雷鳴轟く巨大な裂け目が生まれていた。
その裂け目の内側から、何かが飛び降りてくる。ライバルの世界に侵入を果たしたのは、神輿を思わせる兜と鎧に覆われた上半身と、馬のような下半身をもつ怪人だった。これがばさすしんか、と一瞬思うがそんなわけはなく、おそらくデスメアードだろう。そのシルエットは神話に出てくる半獣半人の種族、ケンタウロスを彷彿とさせる。右手には黄金の槍を携えており、石突には馬の頭を模した重りが備わっている。柄には呪文じみた装飾がびっしりと彫り込まれていた。
デスメアードは戦う二人を真っ直ぐに見据えると、後ろ脚で踏み込み、高く跳躍した。プリティアーの背後に着地するや否や両手で槍を握りしめ、石突で頭部を殴りつける。
めこり、と鈍い音を発して、ブタの顔がひしゃげる。悲鳴をあげて転がったプリティアーを、石突から放射された光が続けざまに襲った。すると悶える桃色の体から青白い炎のようなものが噴き上がり、槍に吸い込まれていった。
ぽん、とすぐ側で音が聞こえたので沙穂が目をやると、ブレザーが元に戻っていた。自分の袖を眺め、「おお! 紛うことなく俺の体だ!」と感激する彼に沙穂は「良かったね」と声を掛ける。一方でプリティアーは倒れたまま呼気を荒らげ、喚き立てていた。
「か、可愛い俺の顔を殴るなんて。と、とんでもないやつだ! 嫉妬か? 俺に嫉妬か?」
「とんでもないのはおぬしの方だろう。祭りを汚す、うつけ者めが!」
デスメアードは胸に構えた砲口から、真紅に燃える弾丸を放った。金属ではなく、エネルギーによって構成された弾はプリティアーの腹部を易々と貫通した。喉奥から振り絞ったような絶叫が響く中、デスメアードは沙穂とライバルの方に顔を向ける。兜の隙間から緑色の隻眼が覗き、沙穂たちを見渡した。
真っ先に反応をみせたのはブレザーだった。
「久しぶりだなちょうど一年ぶりか、ワッショイ・メアード、今年もいると思っていたぞ」
「当然だ。祭りを護るのが俺の使命。そのためだけに、この世に存在している」
毅然とした態度でワッショイ・メアードは言い放つと、ライバルに視線を移した。
「こうして会うのは初めてだが、話には聞いている。おぬしがライバル・メアードだな」
ライバルは力強く頷いた。するとワッショイは何を思ったのか、槍の穂先をライバルの顔面に突きつけた。ライバルはびくりと体を震わせながらも、無言で相手を見上げる。
「人を襲うデスメアードを狩っているそうな。大層な夢である。あっぱれだ。だが……今日、この場所でおぬしは不要。祭りは俺が護る。手出しは一切許さん」
「おい、貴様。何を血迷ったことを……」
宙をふわりと浮いたブレザーが抗議をしようとしたその時、ワッショイは両手を用いて槍を百八十度回転させると、石突に備わった馬の頭部から強烈な光を放射した。
眩く、それでいて禍々しい輝きはライバルとブレザーを包んだ。沙穂は反射的に腕で顔を覆いながらも、二人の体から先ほどのプリティアーと同様、青白い炎が噴きだし、ワッショイの持つ黄金の槍に流れ込んでいった。
「今、おぬしらの力を奪ってやった。これで満足に戦うことはできまい」
「バル……!」
ライバルは顔色を変え、ワッショイに近づこうとするが途中で躓き、転んでしまう。沙穂はすぐさま駆けつけ、彼の手をとった。ワッショイはぴくりとも動かなくなったプリティアーの腹を穂先で刺すと、そのまま槍ごと担ぎ上げた。
「ライバル・メアード。甚平姿、なかなか似合ってるではないか。後のことは俺に任せておけ。おぬしはそこの浴衣美人と一緒に祭りを楽しんでいればよい」
ソイヤ! と雄叫びをあげ、ワッショイは槍で宙を裂く。そして切りつけた箇所から生々しい切り傷のような裂け目が生じると、蹄を鳴らしながら外の世界へと立ち去って行った。
裂け目は主人を外に出すと急激に萎み、すぐに消滅してしまう。ライバルはがっくりと頭を垂らすと、自分の掌を見つめた。沙穂は彼の小さな背中をゆっくりと撫でてやる。
「まったくもう、乱暴なんだから。やってることが同じなら、仲良くすればいいのに……」
「夢見る者同士は時にぶつかり合うものだ。その夢が大きければ大きいほど、妥協などできなくなる。争いは避けられんさ」
ブレザーは悟ったような口を利くが、沙穂はいまいち納得できない。甚平の裾についた汚れを払ってやっていると、突然、ライバルが顔をあげた。その使命感を宿した、燃えるような瞳の内に沙穂は全てを理解する。
「……ライバル、やっぱり行くんだね。でも、大丈夫? そんな体で」
「笑止! 無謀だろが夢に向かって進むしかない。それが俺たちだ。ゆくぞ、我が主よ!」
「バルバルッ!」
ライバルは沙穂に向けてサムズアップをした。それから立ち上がると背を向け、鈴の音を残して去っていった。沙穂は不安を胸に抱いたまま、跳ね回る黒い甚平を見送ることしかできなかった。
4
元の世界に帰って来た時、沙穂はすぐ近くでざわめきが聞こえ、目の前を多くの人が通り過ぎていくのを認識しながらも、寂寞とした思いを禁じ得なかった。息を深く吸っても不安な気持ちは消えない。整理のできない、名前のない感情が心を黒く濁らせる。
「沙穂ちゃん!」
「……かっくん」
角平がこちらに走り寄ってくるのを目にして、沙穂は我に返った。ひたひたと鳴る彼の足跡はどこか頼りない。履き慣れない雪駄はやはり動き辛そうだった。沙穂は足元に落ちた巾着とたこ焼きを慌てて拾い上げる。
「ごめん。思わず落としちゃった。まだ食べられると思うんだけど」
「そんな、こと、どうだっていい……大変なんだ!」
沙穂の前で立ち止まると、角平は息を切らせながら、何かを言おうとする。きょとんとしていると、彼はいきなり沙穂の両肩を掴んで顔を寄せてきた。鼻先に吐息がかかる距離までいきなり近づいてきたので、沙穂は思わず体を引いてしまう。
「なに? どうしたのかっくん。そんな近づくと、私、今汗臭いかも」
「そんな馬鹿な。いい匂いだよ。いや、いいんだ! そんなことより!」
間近にある角平の瞳は不安に淀んでいた。実に思い詰めた表情だ。彼の何やら不穏な言動にただならぬ事態が発生したことを察し、沙穂は眉を寄せた。
「どうしたの? なんか、あった?」
「ああ。あのさ……あれ?」
途端に角平は言葉を濁らせ、視線を下向かせた。顎に手を当てるのは、彼が何かを思い出そうしている時の仕草だった。
「あれ、なんだっけ。なんかあったような気がするんだけど。あれ? あれれ? ……おかしいな。ごめん、忘れちゃった」
「あらまぁ」
角平は不安に歪んだ表情を消し、釈然としない様子で首を捻る。まぁ、そんなこともあるよ、と沙穂は彼の頭を撫でると一歩後ろに下がった。
すると足元で音がした。見ると、下駄の鼻緒にちょこんと飴玉が乗っていた。どうやらライバルの世界に飛んでいたものが袖に入りこみ、ついてきてしまったらしい。沙穂は膝のあたりに付いた砂を払うついでに、飴玉を拾い上げた。
「なんでこんなところに飴が……足から生えてきたのかな」
飴玉を握りしめ、顔を上げる。その瞬間、角平が下唇を軽く噛んだのを沙穂は目にした。彼はどこか哀しげな顔で、沙穂を見る。だがすぐにいつものしかめ顔に戻ると、明かりに満ちた方向を顎でしゃくった。
「……たこ焼き食ったらさ。祭り、戻ろうぜ。次、何食べる? 俺はまだまだいけるけど」
「え? あ、うん。じゃあ私、かき氷、とわたあめ。それから忘れずにドーナツ!」
「ここにきてもドーナツかよ。ほんとに好きだな、沙穂ちゃん」
そう言って笑うと、角平は花壇のへりに腰を下ろした。彼の隣に座り、たこ焼きのパックを開けながらも、沙穂は先ほど角平が見せた表情を忘れることができなかった。ちらりと上目づかいで角平を見やると、彼は俯き、思い詰めた表情を浮かべていた。その唇が動き、「俺が守るんだ」と蚊が鳴くほどの小声で呟く。沙穂は何だか申し訳なく思い、それを聞かなかったことにして、膝の上に広げたたこ焼きに楊枝を突き刺した。
5
たこ焼きを食べ終えると、沙穂と角平は人ごみの中に再び舞い戻った。前方を神輿が移動しているようで、道はまるでピーク時の満員電車のような有様だった。押されて思う方向に全く移動できない。沙穂は角平とはぐれないように注意しながら、やっとのことで神輿の進行方向とは違う道に逃れた。
「マジとんでもねぇよ……どんだけ人がいるんだ。こいつら普段はどこにいるんだよ」
「そう愚痴んないの。しょうがないよ、かき氷でクールダウンしよう。ね?」
「今度はかき氷が何か言ってるのかよ」
「うん、ゴリゴリ言ってる。何言ってるのかよく分からないけど」
「それはきっと通りすがりのゴリラだ。かき氷じゃない」
沙穂は人の流れに乗りながら、かき氷の屋台を探した。空いている店をすぐに見つけることができたので、そこに並ぶ。順番を待っている最中も、角平は絶えずきょろきょろと周囲を気にしていた。トイレから帰ってきて以来、ずっとこんな感じだった。何か探しているのかと尋ねても、要領を得ない答えしか返ってこない。さらに沙穂の手をずっと握っており、片時も離そうとはしなかった。握る力もいつもより強い気がする。様子がおかしいとは思いつつも、順番がまわってきたので、沙穂はメロン味のシロップを選ぶ。角平はブルーハワイ味をかけてもらったらしい。カップの中に積まれた氷が青く染まっている。
先で掬えるようになっているストローを使って氷を口に運びながら、屋台の裏にまわる。普段は歩道として使われている場所によけ、饅頭屋の壁に寄りかかった。
「あ! ねぇ、かっくん、口開けてみて」
沙穂が頼むと、角平は渋い顔をした。しかしすぐに上下の唇を離してくれる。沙穂はストローをかき氷に突き刺すと、彼の口の中を覗き込んだ。
「ほら、やっぱり青くなってる! 私はどうかな、緑色っぽくなってる?」
べっ、と舌を出して見せる。すると角平は眉をぴくりと動かし、下唇を軽く噛んだあとで、なぜか視線を逸らした。
「なぁ、沙穂ちゃん」
彼は雑踏を見つめたまま、改まった口調でそう切り出す。屋台からの光で照らされたその横顔は、ひどく強張っているように見えた。
「やっぱり沙穂ちゃんもさ……本当は、もっと大きな夢をもってる奴に守って欲しいよな」
沙穂は眉を寄せた。質問の意味というより、意図が分からなかった。なぜいきなりそんなことを言いだすのかが分からない。彼の目が焦りと脅えを孕んでいることが、さらに沙穂を困惑させる。問い質そうとしたその時、子どもの泣き声が人ごみに弾けた。
声の方を見ると、人ごみを行く五歳くらいの男の子が泣きべそをかいている。足元には男の子のものだろう、チョコバナナが串に刺さったまま落ちていた。「落ちちゃったもんは仕方ないでしょ」と母親らしき女性がなだめ、駄々をこねる男の子を引っ張っていく。
そして今度はその後ろを歩いていた小さな女の子が、持っていたクレープを落とした。沙穂はあっ、と声をあげてしまい、思わず足を踏み出しかける。だがその前に青年が泣き喚く女の子を負ぶって行ってしまった。
沙穂は瞠目した。目の前を歩く人々が、立て続けに食べ物を落としていったからではない。女の子が食べ物を落とす寸前、向かいにある商業ビルの屋上から白いピンポン玉のようなものが飛んできて、その背中にぶつかるのを見たからだった。しかし女の子自身やすぐ後ろを歩いていた青年が、全くそのことに気付いていない様なのが妙なところだ。
見間違いかと思った直後、またしてもビルの上から地上目がけてピンポン玉が放たれた。今度は中学生くらいの少女に当たり、その手からわたあめが離れる。
「な、なにこれ……」
「ああ。なんかみんなよく物落とすな。変な偶然。沙穂ちゃんも気を付けてよ」
角平の的外れな反応に、沙穂は戸惑い、同時に納得した。ピンポン玉は、人々の記憶をすり抜ける存在――すなわちデスメアードに関わる物体の可能性が高い。だが、それ以上考えている暇はなかった。三度放たれたピンポン玉は真っ直ぐ、沙穂目がけて飛んできた。
沙穂は横に跳び、危うくそれを回避する。さらに続けて飛んできたものを、紙一重でかわす。その直後、急激な眩暈に襲われた。景色が遠くなり、右手を包む角平の体温だけが明瞭としていた。そして気付いた時には、周囲は祭りの会場ではなくなっていた。
「ここって……」
ひたすら静寂の支配する薄暗い空間に、靄が浮いている。祭囃子も人ごみも熱気もここには一つとしてなく、灰色の世界に角平と二人きりだった。彼はここでも沙穂の手を握ったままだ。沙穂ちゃん大丈夫だよ、と言いながら険しい顔つきで、あたりを見渡している。
その瞳が驚愕に染まる。沙穂は振り返った。初め、それが何か分からなかったが、やがて全貌を捉えられるようになる。目の前に聳える白い壁は、豊満な肉体をもつ巨大なデスメアードだった。
身の丈は二、三メートルくらいなのだろうが、全身にたっぷりとついた肉のせいでさらに大きく感じる。体の色は白く、体型とも合わさって、湧き上がる入道雲を思わせた。顔らしい顔はないが、頭のてっぺんから胸にかけて刻まれた、三つの切れ込みが目と鼻に見えなくもない。足は短く、頭から腕が一本、触角のように生えていた。
「マロッ……マロマロン!」
デスメアードは不思議な鳴き声を発しながら、自分の肩の肉を太い腕でむしり取り、沙穂たちに投げつけてきた。肉片は空中で白いピンポン玉に変化する。それは雑居ビルの屋上から飛んできたのと同じものに違いなかった。
庇うつもりなのだろう。角平は持っていたかき氷と巾着を投げ捨てると、沙穂を痛いほどに、きつく抱きしめてきた。はだけた胸元に鼻を押し付けられ、かき氷の水滴で浴衣が濡れてしまうのは申し訳ないなとどうでもいいことを思いつつ、沙穂は角平の頭越しに見上げた空に巨大な裂け目を見つける。それはつい数十分前にも見た光景だった。
「ソイヤソイヤソイヤアッ!」
咆哮をあげ、裂け目の中から現れたのは、絢爛な鎧と馬のような下半身を備え、黄金の槍を構えた怪人。霞がかった景色に降り立つ戦士の名前を、沙穂は角平の胸の中で叫ぶ。
「ワ、ワッショイ・メアード!」
ワッショイは沙穂に投じられたピンポン玉を、槍で切り払う。そして緑色に光る隻眼で沙穂と角平を見た。
「おぬしら、怪我はないか? 楽しんでいたところ悪い。待っておれ。すぐに排除する」
そう言い放つと敵の方に体を向け、胸の砲口からエネルギー弾を撃ち放った。弾はデスメアードに直撃するも、その巨体はびくともせず、攻撃が効いている様子もない。
「俺のワッショイキャノンを弾くとは、なかなかやる……だが、こいつならいかがかな!」
ワッショイは蹄を鳴らして駆けると、槍の穂先を大きく突き出した。気迫のこもった一撃であったが、刃は敵の肉体に刺さることさえなかった。弾かれたワッショイに、触角じみた敵の拳が振り下ろされる。
「バルバルッ!」
沙穂の耳に跳ね回る鈴の音が飛び込んでくる。疾風の如く姿を現したライバルは沙穂の横を通り過ぎると、ワッショイを飛び越え、いきなりデスメアードに躍りかかった。敵の懐にもぐりこみ、すかさずパンチの連打を浴びせる。鞭を打つような激しい打撃音が響くものの、やはり巨漢のデスメアードは平然としている。沙穂の胴回りよりもまだ太い腕が眼前に迫ると、ライバルは後ろに飛び退いた。巨大な拳が地面を衝き、砕く。飛び散る破片を彼の肩に乗ったブレザーが、袖で防いだ。
「バルゥ!」
ライバルの右腕に赤い光が集まる。かと思いきや、すぐさま霧散し、輝きは失われてしまった。やはりワッショイの能力によって、技は封じられているらしい。ライバルはすぐに姿勢を直すと、放たれた二撃目の拳を宙返りで回避した。
「……ライバル。あいつがいれば、俺は……」
耳元で囁かれた言葉に、沙穂は肌が粟立った。聞き間違いでなければ、確かに角平は今、ライバルと言った。だが、それは彼の知るはずのない名前だ。デスメアードに関する記憶は全て失われている、はずなのだから。角平は沙穂がこれまで見たことのない怖い顔をしていた。彼はある一点に強く視線を注いでいる。その先にはライバルがいた。
「ククク……マシュマインか。こいつも久しいな。人を選んで取り込むメアード空間といい、打撃の効かなさといい、蕎麦の奴を思い出す。主よ、対抗策は解っているな?」
ライバルは頷くと、掌から刃を発生させた。空気の層を突き破るようにして飛んでくる拳骨をぎりぎりまで引きつけ、見切る。掠めてさえいないのに甚平の袖口が千切れた。
片足で着地しすぐに身構えるライバルを、背後に立つワッショイは冷淡な姿勢で迎える。
「ライバル・メアード、なぜここにいる? 俺は祭りを楽しめと言ったはずだが?」
「ククク……生憎、人に言われて諦めるような夢は持ち合わせていないものでな。ディア、我が主! そういうわけで助太刀させてもらうぞ、ワッショイ!」
「バルバル!」
「……戯れ言を。助太刀無用と言ったはず。そこで見ていろ。俺の本領発揮はこれからだ!」
ワッショイはライバルを突き飛ばすと、槍に備わった馬の像を光らせた。ライバルたちと同様にこの敵、マシュマインの力をも奪うつもりなのだ。沙穂がその思惑に気付いたのと同時に、マシュマインは何かを頭上に投げた。そして次の瞬間、ワッショイの胸を白い球体が衝いた。押しやられた先でその手から槍が離れ、落ちた。
「なん、だと……!」
マシュマインはまるでバレーのスマッシュのように、打ち上げた肉片を叩き落としてぶつけてきたのだった。ワッショイは慌てて身を屈めると、槍を拾い上げようとした。しかし岩石のような拳に身を打たれると、鎧の一部を砕かれながら吹き飛び、地面の上で悶えた。
「バルラライッ!」
入れ替わるようにライバルが跳躍し、刃を一閃する。銀の輝きが闇に翻り、マシュマインの胴体に流れるような傷をつけた。ところが、豊満な肉体はそれさえも意を介さない。お返しとばかりに攻撃を喰らわされ、ライバルの体は衝撃に地を弾んだ。
「ライバル!」
沙穂は角平の体から離れると、ライバルのもとに駆けつけようとした。しかし足を踏み出しかけたところで、ライバルと分離し、飛んできたブレザーに行く手を阻まれる。
「何のために主がここに来たと思っている? お前は黙って我が主の勝利を信じていろ」
「でもライバル、技もコピーもできないのに……」
「もう一度言う。心配は無用だ! むしろ自分の心配をしろ。このメアード空間は特殊だ。取り込まれたら最後、俺でも脱出できない。奴を倒すしか、ここから出る方法はない!」
「……ってことは、奴をぶっ倒すしか沙穂ちゃんを救う方法はないってわけか」
沙穂とブレザーは角平を一斉に見た。彼の口元は険を含み、瞳は黒く濁っている。その表情に沙穂は胸を絞めつけられるような不安を覚えた。ライバルがワッショイに拒絶された時に感じたのと似たような気持ちが、心を覆っていく。
角平はブレザーを片手でつまむと、顔の前まで持ち上げた。ブレザーが「おぉ少年じゃないか」と喋り出すのと同時に、角平もまた口を開く。
「おい、ブレザー。俺も戦う。力を貸してくれ」
「戦うって……おい。お前、なぜ覚えている! 俺と合体したあの思い出を!」
「つべこべ言わずにさっさとしろよ! 俺に沙穂ちゃんを守る力をよこせ!」
まるで恫喝するような、角平の剣幕に圧倒されたのだろう。ブレザーは黙ったあとで「あ、ああ」と脅えるように返事をすると、大きく跳び上がり、彼の胸に重なった。
眩い光が角平とブレザーを包み込む。数秒の後、光輝に鎖されていた輪郭が爆ぜ、人とデスメアードが合わさりし戦士、ヘルドリマーが顕現を果たした。彼は振り返ると「沙穂ちゃん。そのかき氷、落とさないようにしっかり持ってろよ」と沙穂を指さし、駆け出した。彼を呼び止めようとしたが、その時にはすでに彼は真紅の剣、タイブレードを召喚し、マシュマインに向かっている。柄を引くと、剣身に業火が纏われ、熱く滾った。
「俺は確かに空っぽな人間だ……夢もない。だけど今だけは! この手で沙穂ちゃんを!」
ヘルドリマーは猛々しく唸る炎を操り、敵を一閃した。焼けた傷が刻まれると、巨体から苦悶の叫びがあがる。だがその動きを止めるまでは至らなかったようだ。マシュマインは喚き散らしながら、狂ったように体中の肉をむしり取り、次々と放り投げてきた。
これまでとは段違いの数の肉片がヘルドリマーを襲う。剣を振り回し、次々と叩き斬るもののそれでも捌ききれず、肉片が胸を掠めると、その手からタイブレードが零れ落ちた。ヘルドリマーは舌打ちすると、地面を転がるようにして肉の雨を回避する。
そしてマシュマインはヘルドリマーが姿勢を崩したところを狙ったかのように、肉片を沙穂目がけて投げつけてきた。沙穂は迫ってくる球状のそれをスローモーションで捉える。実際には目にも止まらぬ速さなのだろう。その証拠に、両の目は危機を捉えているにも関わらず、体は石のように動かなかった。
沙穂と肉片との間に黒い影が割って入ってくる。何者かを確認するまでもない。甚平を羽織り、鈴の音を響かせる背中は、ライバルに違いなかった。
「ララライッ!」
ライバルは掌の剣で肉片を打ち落とした。沙穂が礼を言う間もなく、ライバルは怒声を張り上げるマシュマインに体を向ける。
「沙穂ちゃん! くそっ! またあいつに!」
ヘルドリマーは地面を拳で叩いて怒りをぶつけると、タイブレードに手を伸ばした。「なんだこれは!」と絶叫したのは、同じように自分の得物を掴もうとしたワッショイだ。その手は槍に触れているはずなのに、なぜか指先がすり抜けてしまっている。まるでホログラム映像を相手にしているかのような奇妙な光景だった。
ヘルドリマーはハッと息を呑み、震える手でタイブレードに掌を重ねようとする。だがその手はワッショイと同様に、柄を突き抜け、床に触れてしまった。
「なんだこれ……どういう、ことだ」
「ちっ。言っておけば良かったな。三秒ルールだ。奴の能力で手放してしまったものは、時間を過ぎると持ち主は触れられなくなる。俺たちも奴も武器を失ったというわけだ」
ヘルドリマーの顔面に描かれた狼の口が動き、ブレザーの声が解説する。「そんな」と今度は角平の声が失望に染まる。ワッショイはもう一度、槍に触れようとしてそれが叶わぬことを再度認めると、悔しげに呻き、マシュマインを睨んだ。
「くそっ! 俺から槍を奪ってこの屈辱……全くもって許しがたい!」
ワッショイは大きく跳びあがると、前足でマシュマインに蹴りかかった。何度も蹄を打ち鳴らすものの、やはり全く攻撃は通じない。苦戦するワッショイを見上げ、後に続こうとするヘルドリマーの腕を、後ろからやってきたライバルが掴んだ。
「やめろ、触るな!」
ヘルドリマーは相手の体がよろけるくらいに力強く、ライバルの手を振り払った。だが、ライバルはすぐさま彼の腕を掴み直す。
「バルバル」
ライバルは自分の胸を叩くと、ヘルドリマーを濁りのない赤い瞳でじっと見つめた。ヘルドリマーは肩で息をしながら、砂まみれの甚平を着た戦士と向かい合う。そうしているち、その体から徐々に怒りや憎悪といった感情が萎んでいくように沙穂は感じた。
ヘルドリマーは舌打ちをすると、ライバルから視線を逸らし、拳を握りしめた。
「……ったく、むかつくんだよ。綺麗な目、しやがって」
ワッショイが地面に激突し、けたたましい音をたてて転がる。巨大な拳の次なる標的はライバルたちだった。ヘルドリマーは沙穂を一瞥すると、攻撃の矢面に自ら立つ。
「分かってるさ。こいつを倒したいのは、俺だって同じだからな!」
ヘルドリマーは両手を大きく広げた。するとその黒一色だった体が茶色と金に塗り替わった。同時に拳骨がヘルドリマーの胸に叩きこまれる。衝撃に空気が震えた。
「かっくん!」
「案ずるな小娘。龍脈のフォーメーションは最も装甲が厚い形態、この程度何でもない!」
ブレザーの言う通り、ヘルドリマーは腕を広げた恰好のままびくともしなかった。両腕で抱えるように拳を受け止め、マシュマインの動きを封じてしまった。
「さっさとしろよ! 夢見る場所は違っても、交わる道があるなら、俺たちは助け合える! 夢のない俺でさえ分かったんだ。でかい夢持ったお前らが、わからねぇなんて嘘だろ!」
「かっくん……」
角平の言葉に、沙穂は自分の中で燻っていたわだかまりが、抱えていた違和感が溶けていくのを感じていた。窮地に立たされていることは変わらないのに、沙穂は笑みを浮かべてしまう。安堵が胸の内で、静かに膨らんでいくかのようだ。
角平の主張を背に、ライバルはワッショイに手を差し伸べた。ワッショイはそれには応じす、自分で立ち上がる。両足で踏ん張り、歯を軋ませながら巨大な力に耐えるヘルドリマーを見つめ、やがてライバルの亀裂が走った額に視線を転じた。
「……随分傷ついているな。祭りを護りたいのはおぬしとて同じ、ということか……」
ヘルドリマーの肉体から軋んだ音が鳴る。もう限界が近いのだろう。ワッショイは呼気を震わすと、少し逡巡をみせたあとで、決心したかのように頷いた。
「……乗れ、ライバル・メアード。睨みあうのは、あやつを滅したあとにしようぞ!」
「バッルバル!」
ライバルは首を縦に振ると、タイブレードを拾い上げ、ワッショイの背中に飛び乗った。ワッショイは馬蹄で地面を叩き、マシュマインを回り込むようにして、駆ける。ライバルはその馬上で右手に刃、左手にタイブレードの二刀を構えた。
「狙うは一つ! 先ほど切りつけたときに生じた、焼けた傷跡だ。叩きこむぞ!」
「バルライッ!」
ライバルは右手の刃を一薙ぎする。ワッショイは高く跳躍した。ライバルはその背中から飛び降りると、両手を頭の上で合わせ、回転をかけながら敵目がけて飛び込んでいった。
「いっけえええええ!」
気付けば沙穂はかき氷の入ったカップを握りしめ、叫んでいた。そこに歯を食いしばる角平の声、そしてブレザーの声も重なる。
周りの期待に応えるかのようにワッショイは身を捩ると、後ろ足でライバルの足裏を蹴りつけた。急加速したライバルの体は、空気を劈き、マシュマインの腕を貫通する。
「ライッ、バルウウウッ!」
もはや彼を阻むものは何もなかった。投擲された一振りの槍と化したライバルはマシュマインの傷口を穿つと、肉を抉り、体内から引き裂いた。背中を突き破ってライバルが飛び出してくると、たちまち体中から白い液体が噴きだし、巨体は地を揺らして倒れ込んだ。
6
夜空に青紫色の花が咲く。数秒遅れて、腹の底に響くような破裂音が鳴った。星もまばらな暗闇に灰色の煙が漂う。
祭りのフィナーレを飾る四十発の花火は、指場町の夏を代表する風物詩なのだと以前、奈々から聞いたことがあった。この花火が終るとき、町は再び眠りにつく。沙穂と角平、ライバルとブレザーは祭りの会場から少し離れた、小さな公園で空を見上げていた。
「たまやー!」
「バルルー!」
沙穂が声をあげると、隣でライバルも真似をしたので、二人で笑いあった。ライバルの甚平は破れ、汚れていたが、彼は満足そうにそれを着続けてくれている。それがたまらなく嬉しかった。来年もまた着てもらおうか、とこっそり考える。
「もうそろそろ、行くの?」
「ああ。祭りはもう終わりだが、こういう時こそメアードは荒ぶるのだ。ワッショイも張り切ってるしな。我が主と俺も、もうひと頑張りだ。お前たちも気を付けて帰るがいい」
「バルバルー」
甚平の袖を揺らして親指を立てるライバルに、引きずるような足音をたてて角平が近づく。その表情は険しく、口元も歪んでいる。
「沙穂ちゃんは、俺が守る。俺の大切な彼女だからな。お前に手を借りる必要はない」
「バル……」
「……そう、思ってた。さっきまではな」
角平はふぅと吐息を零し、頬を緩めた。浴衣で拭った手を、ライバルに差し出す。
「沙穂ちゃんを守る。その一点だけなら、俺たちの思いは同じだ。だからこれからも、よろしくな」
「ラッ、ライバルライ!」
ライバルは角平の顔を見上げ、少し戸惑ったあとで、彼の手を力強く握りしめた。なぜ彼がデスメアードのことを覚えていたのか、疑問には思うがここで尋ねるのは野暮だろう。緑色の光を帯びる空を背景に握手を交わす二人を、沙穂は微笑ましく思う。もう不安は押し寄せてこなかった。別れの言葉とともに、闇に消えていく甚平を、数十分前とは異なる満ち足りた思いで見送ることができた。
二人きりになった沙穂と角平は、少し遠くの方で打ちあがる花火を仰いだ。光が散り、音が闇に吸い込まれたかと思うと、再び空が煌びやかに染まる。夏の夜に流れる幽玄な時を、沙穂は静寂の内に満喫する。
「……あのさ、沙穂ちゃん」
気付くと角平がこちらを見て、真剣な顔をしていた。沙穂は「ん」と短く返事をする。彼は花火を一瞥し、それから言葉を探すような間を挟んで、鼻の頭を掻いた。
「沙穂ちゃんはこんな俺でも、いいのかなって。俺は夢なんかないし、大きな目標があるわけでもない。でも、そんな俺でも沙穂ちゃんを守って、いいのかな」
しどろもどろに話す角平に、沙穂は微笑みかける。それは彼の本音なのだろう。いつも強がってばかりいて、だけど人一倍心配性で、照れ屋で、思いがけないことを悩んでいる。
そんな角平だからこそ、沙穂は惹かれたのだ。
「当たり前だよ。そんなかっくんだから、私は一緒にいるんだもん。色々心配かけると思うけど、これからもよろしくね」
胸を打つような残響と、空を照らす虹色の輝きが、しめやかな夜に彩りを添えている。
角平は沙穂をそっと抱いた。沙穂は身を委ねながら。花火の音を瞼の中に閉じ込めた。
「デスメアード・ファイル」
ワッショイ・メアード
属性:火
AP4 DP2
身長:182cm 体重:102kg
【基本スペック】
領域(Lv2。メアード結界を張り、外部からの侵入を防ぐ)
侵食(他のデスメアードが生み出したメアード結界・空間に出入りできる)
雷泡(雷属性のデスメアードに対して、攻撃力2倍)
【特殊能力】
他のデスメアードの能力や強力な技の発動を封じる。普段は3割程度の成功率だが、芽蹟祭の時は必ず成功する。
【DATE】
芽蹟祭で使われていた提灯の成れの果て。芽蹟祭を心から愛しており、不届き者たちから祭りを護るために蘇った。
柄に呪文のような文字がびっしりと書かれた黄金の槍「大鳥」を所持する。
-----------------------------------------------
プリティアー・メアード
属性:土
AP3 DP2
身長:170cm 体重:80kg
【基本スペック】
領域(Lv2。メアード結界を張り、外部からの侵入を防ぐ)
回帰(二日酔いにならない)
風化(土属性のデスメアードに対して、攻撃力2倍)
【特殊能力】
右手で殴った相手を自分と同じ姿に変える。デスメアードを変化させた場合、基本スペックはプリティアーと同じものになる。
【DATE】
豚のキャラクター「プティ―君」のTシャツの成れの果て。
プティー君は、芽蹟祭りの日にオープンした雑貨屋のオリジナルキャラクターである。
しかし祭りの日に開店してしまったがために店は初日から躓き、わずか半年で閉店してしまう。
そのため祭り自体に嫉妬しており、自分はもっと愛されるキャラクターだったはずなんだ、という信念に従って行動する。
自分を世界で一番可愛いと思いたいが、いまいち乗り切れていない。
中には誰かが入っており、毎週金曜日に出てくる。
-----------------------------------------------
マシュマイン・メアード
属性:天
AP5 DP6
身長:320cm 体重:450kg
【基本スペック】
領域(Lv3+。メアード空間を展開する。選択した対象のみを引きずり込める)
弾性(肉弾攻撃によるダメージを半減する)
包囲(このデスメアードの発生させたメアード空間からは逃れられない)
【特殊能力】
マシュマインの投げた肉片に当たった相手は、持っているものを落としてしまう。3秒以内に回収できなければ、落としたものは二度と拾えなくなる。
【DATE】
縁日で食べられることなく道端に落とされてゴミになった、わたあめの成れの果て。
なぜ自分だけが! と憤り他の食べ物たちも落下させようとする。ほとんど知能はなく、本能的に夢を叶えていく。
言葉は喋れず、「マロマロ」という鳴き声のみ発する。重い体重と肉のせいで、自分ではほとんど身動きがとれない。




