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ひまわり畑の真っただ中

 永遠に変わらない碧い空と、果てしなく広がるひまわりのコントラスト。その真っただ中を、淡い影が一つ、横切っていく。

 さわさわ、さわさわ、と潮風に揺れる白いワンピース。飛ばされそうになる麦わら帽子の縁をそっと指で押さえて、少女はもと来た方向をちらりと見た。そこに道はなく、健康的な黄色の地平が続くばかり。

(誰も、追って来ない)

 大人たちが、決して近づいてはいけない、と云っていたこのひまわり畑は、あまりに美しく静かだった。まるで絵画の中のように、俗世から隔離されているかのようである。

(あんまり綺麗なものだから、知られたくない。そういうことだったりして、ね)

 このひまわり畑には、凶暴な生物・ビロスが住んでいると少女は教えられていた。

 ビロスは、姿かたちはひまわりに良く似ているが、根で大地をかけ、葉で道具を操る。そして、恐ろしいことに、人間を選択的に殺りくするのだという。

(オトナって、ばかね)

 少女はゆっくりと歩みを進める。普段病室に閉じ込められている彼女にとって、今踏みしめる一歩一歩は、とても感慨深いものだった。植生の匂いと強い日差しを引き連れて、少女は誇らしげに進んでいった。

 ふと、ガサガサ、と茂みが揺れた。

 少女は少し驚いて立ち止まったが、声も出さず、静かにそちらのほうを注視した。

 ガサ。

 一本だけ、横に移動していくひまわりが見えた。

(うそ)

 少女の視線は釘付けになった。ほどなく、茂みの影から、ビロスは出現した。

 その顔を見て、少女はつい吹き出してしまった。けばけばしいひまわりの顔に、サングラスがかかっていたのだ。

 ビロスは濃いサングラスのレンズを介して、少女のことをしかと視ていた。

「あなたが、ビロスさん?」

 少女は問いかけた。ビロスは答えない。人語を理解できないのかもしれなかった。

(まさか実在するなんて)

 少女はビロスの風貌を観察した。重そうな大輪の頭を載せているのは、ひょろ長い緑色の茎。足元には、これもまた頼りない細い根が、ちろちろと大地に降り、ビロスの身体を支えていた。そして、視線が手(葉?)に移ったとき、あっ、と少女は驚いた。黒光りする大きな銃が、しっかりと握られていたのだった。

(本物、よね?)

 しかし、少女は冷静に、ビロスに向かって微笑んだ。ビロスは何も云わず、真正面で静止している。少女は何故か恐怖というものを感じなかった。それはビロスの滑稽な姿によるものなのか、微笑んで見せたことによって、勇気が湧いてきたからなのかは知れなかった。

「こんにちは」

 ビロスの銃が少女に向けられるのと、少女がそう云ったのは、ほぼ同時だった。ビロスは、まるでその挨拶の言葉によって封じ込められたように、ゆっくりと銃口を下げた。少女はそれを見て、もう一度微笑む。そしてすぐ真剣な表情になって、尋ねた。

「ねぇ、人を殺すって本当? 私のことも殺したい?」

 ビロスは、まるで戸惑うかのように顔を逸らした。

(言葉、分かるのかしら)

 少女はビロスの薄い横顔を、ぼーっと見つめながら、もっと楽しい話をしなくちゃ……と考え至った。

「サングラス、カッコいいね」

 少女は云った。ビロスはもう一度少女のほうを向いた。今度は照れるように、首(茎?)を傾けた。

 少女はビロスの葉にそっと手を伸ばした。ビロスは一瞬、怯むように身を引いたが、ゆっくり、ゆっくりと近づき、葉で指先に触れてきた。

「あ」

 その一瞬で、少女は全てを理解してしまった。

 不条理、無抵抗、苦しみ。

 この美しい景色とは不釣り合いな負の感情が、ざらざらとした葉の表面から一気に流れ込んできたのだった。

「あなた……」

 云いかけている途中で、パン、という銃声が静寂を裂いた。

 ビロスと少女はすぐにその方向を向いた。ビロスがそちらに行こうとするので、少女は一緒に走り出した。

 急な運動のせいで、すぐに息が上がり、気怠さがこみ上げてきた。冷や汗と一緒に、鼻血がぽたりと流れ落ちた。それでも少女は、掴んだ葉がちぎれてしまわないように注意しながら、走った。

 たどり着いた先では、他のビロスが何本か集まっていた。とても背の高い者や、ハート型の顔をした者、茎が奇妙に曲がった者など、いろいろな種類のビロスがいたが、いずれもお辞儀をするように地面を向いていた。辺りには、この景色には似合わない火薬のにおいが立ち込めていた。そして生臭いにおいも。

「撃ったのね」

 少女は呟き、茂みをかき分けて姿を現した。少女とサングラスのビロスの登場に、付近はにわかにざわめきたった。しかし少女は気にするふうもなく、ビロスの輪の中に入っていった。

 輪の中心では血だまりが広がっていた。少女は服が汚れないように注意しながら、しゃがみ込んで被害者を観察した。被害者は白い服を着ていたが、少女のワンピースとは対照的にいかつい雰囲気のものだった。

 傍らに彼のものと思われる手帳が転がっている。少女はそっとそれを手に取り、風に任せるようにぱらぱらとページをめくった。

「この辺り、来週、刈り取られるそうよ」

 そして、高濃度放射性廃棄物として処分されるのだという。被害者はそのための事前調査にやって来たのだった。

 少女がそれらを告げると、ビロスたちは顔を見合わせ、さわさわ、さわさわ、とせわしなく動き出した。

「大人って、勝手よね」

 少女は吐き捨てるように呟き、ゆっくりと立ち上がる。足元が揺れ、倒れそうになるのを、何本かのビロスが支えた。

「ううん、ごめんね。そんなことより、もっと向うに行きましょう……」

 少女は歩き出す。ビロスたちもそれに従う。

 突然変異がもたらした奇跡の出逢い。

 彼らの身の内に刻まれた痛みは消えることは無い。皮肉なことに、そんな痛みと苦しみだけが命のアリバイなのだ、今は。

 せめて、憎しみの追いつかない土地へ。

 かわいそうな少女と怪物は、ひまわり畑の真っただ中をパレードする。

 終わらない、

 夏の逃避行。


 END


 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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