追放された冒険者四人、誰も近づかない赤字ダンジョンを引き受けました
《銀翼の剣》のクラン長が急死した。
前日まで元気だったため、まともな引き継ぎは何も残されていなかった。
百人を超える冒険者を抱える大手クランを急遽継いだのは、先代の息子だった。
そして新クラン長が最初に始めたのが、クランの合理化だった。
その一か月後。
私たち四人は、クラン長の執務室に呼び出された。
「単刀直入に言う。お前たちには今日限りでクランを抜けてもらう」
「……私たちが、ですか?」
「ああ」
クラン長が一枚の紙を差し出した。
そこには、私たちの昨年度の収支が記されていた。
依頼報酬、討伐報酬、素材売却。
収入――金貨四百二十枚。
対して、四人分の給与、装備、消耗品、移動費など。
支出――金貨六百十枚。
差し引き、金貨百九十枚の赤字。
「去年だけじゃない。一昨年も、その前年も赤字だ」
三年連続。
私は何も言えなかった。
自分たちが大して稼いでいないことは知っていた。
でも、ここまでとは思っていなかった。
「先代はなぜかお前たちの班を残していた。だが、理由を知る者はいない」
急死だった。
聞こうにも、もう本人はいない。
「俺は百人以上を食わせなければならない。理由の分からない赤字を、先代が続けていたというだけで残すことはできない」
正論だった。
金貨百九十枚。
新人冒険者なら何人も雇える金額だ。
「退職金と今月分の給与は規定通り支払う。長い間、ご苦労だった」
「……分かりました」
こうして私たち四人は、五年間所属した《銀翼の剣》を追放された。
少なくともこのときの私は。
その判断が間違っているとは思わなかった。
◇
翌日、私たち四人は冒険者ギルドにいた。
「さて。無職になったな」
カーラの言葉に、ミナが机へ突っ伏した。
「なったねえ。次どうする?」
一人ずつなら雇ってくれるクランはあるかもしれない。でも私たちは五年間、この四人でやってきた。できることなら、このまま一緒に働きたい。
依頼掲示板を眺めていたリリィが、一枚の紙を指さした。
《灰石の迷宮・管理者募集》
王都から徒歩半日。全六層。危険度は低く、出現する魔物も弱い。採れる素材も安物ばかり。
そして一番下には、人気がない理由がはっきり書かれていた。
《過去三年間の平均収支――赤字》
「赤字じゃないですか」
「だから残ってるんでしょ」
管理者になれば、迷宮内の素材を自由に採取して売却できる。その代わり、魔物の間引きや通路の維持、安全確認も自分たちで行う。
儲かる迷宮なら、とっくに誰かが取っている。
「まあ、見るだけ見てみるか」
カーラの一言で、翌朝、私たちは灰石の迷宮へ向かった。
◇
そして昼には結論が出た。
「赤字だね」
「赤字ですね」
何もない。本当に何もない。
弱い魔物から採れる安い素材。どこにでもある鉱石や苔。ミナが隠し通路まで探したが、宝箱も希少素材もなかった。
最下層で昼食を取りながら、リリィが採取袋を確認する。
「全部売っても、四人分の宿代くらいですね」
「食事は?」
「抜きです」
駄目じゃないか。
私は採取袋の中にあった、灰色スライムの粘液を持ち上げた。
「これって何に使うんですか?」
「革用の防水剤ですね。水分を飛ばして濃縮すれば使えます」
「じゃあ、私の乾燥魔法でも?」
試してみると、あっさりできた。
「加工済みなら、いくらになります?」
「そのまま売るより、ずっと高いですよ」
私は少し考えてから、他の素材についてもリリィに聞いた。
どれも高価なものではない。ただ、簡単な加工や選別をすれば、そのまま売るより値段が上がるものが多かった。
紙を取り出し、今日採れた量と加工後の値段を書いていく。
四人分の食費。消耗品。管理費。
計算して、もう一度計算した。
「……黒字になります」
「本当に?」
「少しだけ。でも四人なら暮らせます」
希少素材なんて一つもない。
ただ、普通の冒険者なら捨てるような安物を拾って、少し手を加えて、全部売る。
それだけだった。
「本当に売れるか、試してみません?」
◇
売れた。
しかも店の主人から、こう聞かれた。
「これ、次も持ってきてくれるか?」
「こんな安い素材を?」
「安いから困るんだよ。わざわざ採りに行く冒険者がいないから、必要なのに入荷が安定しない」
他の素材を持ち込んだ店でも、似たような反応だった。
帰り道で、私はようやく分かった。
「この迷宮、価値がないんじゃない」
「どういうこと?」
「一つ一つの価値が小さすぎるんだよ」
普通の冒険者なら、安い素材を集める時間でもっと強い魔物を倒した方がいい。大手クランなら、なおさらだ。
でも私たちは四人しかいない。
四人が暮らせるだけ稼げれば、それでいい。
「管理者、申し込みましょう」
誰も反対しなかった。
その日のうちに、私たちは灰石の迷宮の管理者になった。
◇
管理を始めてすぐ、冒険者だったころとの違いにも気づいた。
「今日はこれ以上採らないでください」
リリィに止められ、私は首を傾げた。
「まだ採れますよ?」
「来月もここで稼ぐんですよ?」
それで分かった。
私たちはもう、一度攻略して帰る冒険者ではない。
今日たくさん持ち帰ることより、来月も同じだけ採れることの方が大切なのだ。
魔物は増えすぎた分だけ間引く。素材は採り尽くさない。危険な場所を補修し、迷宮の変化を記録する。
一か月目、黒字。
二か月目も黒字。
三か月目も黒字。
大儲けではない。それでも四人分の生活費を払い、装備を整備して、少し貯金できるくらいにはなった。
そして三か月目のある朝。
「すみません。ここ、入ってもいいですか?」
迷宮の入口に、まだ新品同然の革鎧を着た三人組が立っていた。
「いいですよ。ただ、今日は第一層だけにしてください。第二層から少し危険になります」
「はい!」
嬉しそうに入っていく三人を見送りながら、私は気づいた。
弱いから儲からない。
でも、弱いからこそ新人でも入れる。
私たちは入口に地図を置き、危険な場所を示し、安全な休憩場所を作った。希望する新人には、安い料金で迷宮の歩き方も教えることにした。
さらに新人が持ち帰った素材を、その場で私たちが買い取った。
新人はすぐに現金を得られる。私たちは採取する手間が減る。加工して店へ売れば、少しだけ利益が残る。
新人冒険者が増え、素材の納品量も安定した。
半年後。
視察に来たギルド職員が、帳簿を見て目を丸くした。
「……黒字ですね」
「黒字です」
「かなり儲かっています?」
「いえ。少しだけです」
でも、それで十分だった。
一か月目も、二か月目も、半年目も黒字。
誰も欲しがらなかった赤字ダンジョンは、私たち四人が暮らしていける、小さくて安定した仕事場になった。
「正式に管理契約を更新します。今後もよろしくお願いします」
「はい。よろしくお願いします」
こうして私たちは、追放されて半年。
誰も近づかなかった赤字ダンジョンの、黒字管理人になった。
◇
灰石の迷宮の管理契約を更新するため、久しぶりに冒険者ギルドを訪れた日のことだった。
手続きを待っていると、聞き覚えのあるクラン名が耳に入った。
「《銀翼の剣》、ずいぶん儲かってるらしいな」
近くにいた冒険者たちが話している。
「新しいクラン長になってから、赤字仕事を片っ端から整理したんだろ?」
「高難度迷宮と大口依頼に人を集中させたらしい。先月なんて過去最高益だってさ」
ミナが私を見る。
「成功してるんだ」
「みたいですね」
驚きはしたけれど、不思議ではなかった。
私たち四人を追放しただけでも、年間金貨百九十枚の赤字が消える。
同じような仕事をいくつも整理したのなら、利益が増えるのは当然だ。
「やっぱり、あの判断は正しかったのかな」
ミナが言った。
私は少し考えてから答えた。
「少なくとも、《銀翼の剣》にとってはそうだったんじゃない?」
私たちは私たちで食べていけている。
《銀翼の剣》も以前より儲かっている。
それなら、悪いことは何もない。
そう思っていた。
◇
それから二か月ほど経ったころ。
灰石の迷宮へ、ギルド職員が定期確認にやってきた。
いつものように帳簿を渡すと、職員さんは確認しながら言った。
「最近、低級迷宮の管理を引き受けてくれる人が減っていましてね」
「人気ないですからね」
「ええ。以前は《銀翼の剣》がかなり受け持ってくれていたんですが」
私は顔を上げた。
「私たち以外にも?」
「もちろんです。街道沿いの巡回、小型魔物の間引き、低級迷宮の確認……あそこは大手ですから、かなり広い範囲を」
知らなかった。
私たちは自分たちの仕事しか見ていなかった。
「今は?」
「ほとんど撤退しました。採算が合わないそうです」
「それは……そうでしょうね」
私たちだって、やり方を変えてようやく黒字になったのだ。
普通に依頼として受ければ、赤字になる仕事は多い。
職員さんは帳簿を閉じた。
「仕方ありません。依頼を受けるかどうかは冒険者の自由ですから」
それだけ言って、話は終わった。
◇
さらに一か月後。
私たちは素材の納品を終え、冒険者ギルドへ寄っていた。
そのとき。
「どういうことだ!」
大きな声が響いた。
振り向く。
《銀翼の剣》の新クラン長だった。
追放された日以来、初めて見る。
「北部迷宮の攻略依頼だ! なぜ他のクランが先に準備を始めている!」
受付の職員が淡々と答える。
「依頼は昨日、掲示板に公開しております」
「そんなことは分かっている! なぜ事前に話がなかったと聞いている!」
ギルドの中が静かになった。
私たちも思わず足を止める。
「以前なら、大型依頼はこちらへ先に相談があったはずだ!」
「今回は一般公募となっております」
「だから、なぜだ!」
奥から支部長が出てきた。
「俺が話そう」
新クラン長が支部長を見る。
「最近ずっとだ。大型護衛も、新迷宮も、貴族からの討伐依頼も! 以前は《銀翼の剣》へ事前に話が来ていた。それが突然なくなった!」
「そうだな」
「理由を聞かせてもらおう」
支部長はあっさり答えた。
「お前のところを、他のクランと同じように扱うことにした」
「……何?」
「だから全部、平等にしたんだよ」
新クラン長の顔から怒りが消えた。
代わりに、困惑が浮かぶ。
「……平等?」
「続きはここでする話じゃない。来い」
支部長はそれだけ言うと、奥の廊下へ向かった。
◇
支部長室へ入ると、新クラン長は勧められた椅子にも座らなかった。
「説明してください。平等とは、どういう意味です?」
「言葉通りだよ。依頼は他のクランと同じ時期に知らせる。新しい迷宮の情報も一般公開まで渡さない。貴族や商会から相談があれば、条件に合うクランを公平に紹介する」
「待ってください。以前は違ったでしょう」
「違ったな」
支部長はあっさり認めた。
「先代のころは、大型依頼が来れば《銀翼の剣》へ先に相談することがあった。新しい迷宮が見つかれば、公開前に話を通すこともあった」
「なら、なぜそれをやめたんです?」
「信用がなくなったからだ」
「俺は何か問題を起こしましたか?」
「起こしてない」
「依頼に失敗しましたか?」
「してない」
「では、なぜ信用がなくなる!」
支部長は少し黙ってから言った。
「お前、親父さんがどんな仕事を受けていたか、全部調べたか?」
「当然です。だからこそ、採算の合わない仕事を整理しました」
「低級迷宮の巡回。街道の小型魔物の間引き。安い護衛。新人向けの仕事。全部切ったな」
「赤字でしたから」
「そうだ。赤字だった」
あっさり肯定され、新クラン長は言葉に詰まった。
「じゃあ何が悪いんです?」
「悪くないよ。依頼を受けるかどうかは自由だ。赤字仕事を断ったからって処罰する規則はない」
「なら――」
「ただな。先代は、ギルドが困る仕事をずっと拾ってくれていた」
誰も行きたがらない低級迷宮。報酬の安い街道巡回。放っておけば困るが、受けても大して儲からない仕事。
《銀翼の剣》は、そういう仕事を長年引き受けてきた。
「その見返りに、大型依頼を優先していた?」
「違う」
支部長は即座に否定した。
「そんな契約はない」
「では、なぜ?」
「信用だよ」
支部長は言った。
「こっちが困ったときに動いてくれる。いざというとき頼れる。それを何十年も続けてきた。だったら大きな仕事が来たとき、こっちだって最初に相談したくなる。それだけだ」
「……」
「新しい迷宮が見つかった。早く攻略してほしい。だったら、長年付き合いがあって信用できるクランに早めに話をする。急ぎの護衛を頼まれた。だったら、まず予定を確認する」
支部長はそこで、もう一つ付け加えた。
「あとは、いわゆる美味しい依頼だ」
「美味しい依頼?」
「どこの大手クランがやっても成功する。危険も少ない。それなのに報酬は大きい。そういう依頼だよ」
実力のある大手クランなら、どこへ任せても構わない。
だからこそ。
「そんなもの、今後も付き合いを続けたい相手に最優先で回すに決まってるだろ?」
新クラン長は黙った。
「こっちが困ったとき、採算の悪い仕事でも引き受けてくれる。長年そうして付き合ってきた相手だ。だったら向こうが喜ぶ仕事が来たときには、こっちだって最初に声をかける」
「……そんな話は、聞いていない」
「だろうな。親父さんは急死した」
「なら、言ってくれればよかった!」
支部長の眉が動いた。
「何を?」
「赤字依頼を引き受けることに、そんな意味があると! それを知っていれば、俺だって全部は切らなかった!」
「言えるか、ボケ!」
支部長の声が部屋に響いた。
「冒険者ギルドは、建前上すべての冒険者とクランを平等に扱うんだぞ! 『赤字仕事を引き受けてくれたら、お前のところには儲かる仕事を先に回します』なんて言えるわけないだろうが!」
「ですが、実際には――」
「だから暗黙なんだよ!」
支部長は大きく息を吐いた。
「先代は分かってた。俺たちも分かってた。契約なんてない。約束もない。ただ何十年も付き合って、その関係ができていた」
新クラン長は何も言わなかった。
就任して最初に見た帳簿を思い出す。
低級迷宮の巡回。
街道警備。
小型魔物討伐。
そして、エルナたち四人の班。
年間収入、金貨四百二十枚。
年間支出、金貨六百十枚。
赤字、金貨百九十枚。
切った。
全部、切った。
その結果、利益は大きく増えた。
自分の改革は成功した。
そう思っていた。
「……処罰なんですか?」
ようやく出た言葉に、支部長は首を振った。
「違う」
「では、元に戻してください」
「それも違う」
「なぜです!」
「信用ってのは、契約じゃないからだよ」
新クラン長が息を呑んだ。
「お前が赤字仕事を受けなきゃならない規則がないのと同じだ。俺たちにも、《銀翼の剣》へ先に話を持っていかなきゃならない規則はない」
「……」
「勘違いするな。クラン等級は下げない。依頼を受ける資格もそのままだ。罰金もない。何の処分もしていない」
支部長は淡々と続ける。
「大型依頼が欲しければ、掲示板に出てから応募すればいい。新迷宮も、一般公開されてから準備すればいい。他のクランと同じようにな」
それは本当に、何の処罰でもなかった。
「お前は採算の合わない仕事を切った。それで利益を増やした。経営者として間違っているとは言わん」
「……」
「ただ、お前はその付き合いをやめたんだ」
支部長は新クラン長をまっすぐ見た。
「だから俺たちも、それまで通りの付き合いを続ける理由がなくなった。それだけだ」
新クラン長は答えられなかった。
自分が切ったものは、帳簿には赤字と書かれていた。
けれど、その赤字が何を買っていたのか。
帳簿には、どこにも書かれていなかった。
◇
それから数か月後。
《銀翼の剣》のクラン長は、帳簿を前に頭を抱えていた。
赤字仕事を切ったことで、支出は確かに減っている。だが、大型護衛を他のクランに取られ、新迷宮では準備に出遅れ、報酬の大きな依頼も回ってこなくなった。
改革直後には過去最高を記録した利益も、今では改革前を下回っている。
赤字は消えた。
ただ、その赤字と一緒に消したものの方が大きかった。
◇
「エルナさん。新しい迷宮の管理をお願いできませんか?」
灰石の迷宮を黒字にしてから半年。ギルド職員が一枚の依頼書を差し出してきた。
《青苔の洞穴・管理者募集》
そして一番下には、
《過去二年間の平均収支――赤字》
私は思わず笑った。
「また赤字じゃないですか」
「だから、あなたたちにお願いするんです」
仲間たちを見る。
三人とも笑っていた。
「じゃあ、まずは見に行きましょうか」
誰にも必要とされない赤字ダンジョン。
今の私たちには、それが少しだけ楽しみに見えた。




