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完璧な私のバグ

作者: 夜嶋朔
掲載日:2026/09/06

「え、新しい彼氏?」


昼休み。


白石澪は友人のスマートフォンを覗き込み、ぱっと顔を輝かせた。


「超イケメンじゃーん!」


「でしょー!」


「前の人より好きかも。こっちの方が絶対お似合い!」


「やっぱり? 私もそう思う!」


「もう惚気始まってるじゃん」


澪が笑うと、周囲もつられて笑った。


「だって聞いてよ! 昨日も家まで送ってくれて――」


「え、待って。それ付き合ったの昨日だよね?」


「そう!」


「展開早っ!」


また笑いが起こる。


澪の机の周りには、いつも自然と人が集まっていた。


女子だけじゃない。


通りかかった男子が、


「白石、昨日の数学の課題どこ?」


と聞けば、


「そこ先生が黒板に書いてたじゃん。はい、見せてあげる」


「神」


「五百円ね」


「取んの?」


「嘘だよ」


と笑う。


誰かが話せば拾う。


輪から外れている子がいれば、さりげなく話を振る。


褒めるところではちゃんと褒める。


でも、媚びているようには見えない。


明るくて、気さくで、頭もいい。


華やかな顔立ちなのに近寄りがたい雰囲気もない。


男子からも女子からも好かれている。


教師からの評判までいい。


白石澪は、この学校ではちょっとした有名人だった。


「澪ってほんとモテるよね」


「急に何?」


「この前も二年の先輩に告られたんでしょ?」


「あー」


澪は紙パックのミルクティーにストローを差した。


「断ったよ」


「もったいな!」


「かっこよかったじゃん!」


「そう?」


「澪、理想高すぎ!」


「そんなことないって」


「じゃあ御影くんは?」


その名前が出た瞬間、女子たちの視線が教室の後方へ向いた。


窓際。


御影玲が、頬杖をついたまま外を眺めている。


大企業グループの御曹司。


容姿端麗。


成績優秀。


運動もできる。


そして、とにかく他人に興味がない。


告白された回数は誰も正確には知らない。


本人が数えていないからだ。


「御影くんならさすがに付き合うでしょ?」


「えー?」


澪は玲の方をちらっと見た。


目が合う。


玲は一秒だけ澪を見ると、何事もなかったように視線を外した。


澪も笑って前を向く。


「普通に憧れちゃうよねー!」


「だよね!」


「でも御影くん、澪より人間に興味なさそう」


「それはそう!」


「美男美女すぎる!」


「並んでるとこ見たい!」


「勝手に組ませないでよ」


澪は笑った。


「で? 新彼氏の続きは?」


「そうそう! それで昨日ね――」


話題はすぐ戻った。


澪は相槌を打つ。


笑う。


驚く。


褒める。


いつも通り。


完璧に。



放課後。


校門を出て十分。


澪はワイヤレスイヤホンを耳に入れ、スマートフォンをタップした。


慣れた声が流れる。


『おつかれさま。今日はどんな一日だった?』


その瞬間。


澪の顔から笑顔が消えた。


「新しい彼氏? 超イケメンじゃーん! ……って、何回言わせんの」


『また彼氏変わったの?』


「変わった。二週間前まで元彼しか勝たんって泣いてたのに」


『乗り換え早いねー』


「ほんとそれ」


澪はバッグを掛け直す。


『でも澪、ちゃんと盛り上げてたんでしょ?』


「まあねー」


『疲れない?』


「別に」


少し考えてから、澪はだるそうに続けた。


「どうやったら相手が気持ちいいか、どんな言葉欲しいのか拾ってるだけだけどねー」


『それ結構すごくない?』


「そう?」


『普通、そんなに分かんないよ』


「見てたら分かるじゃん。褒め待ちしてたら褒めるし、共感してほしそうなら共感するし、笑ってほしそうなら笑う。それだけ」


『だからみんな澪のこと好きなんだね』


「好きでいてもらった方が楽だし」


『合理的だねー』


「でしょ」


信号が赤になる。


澪は横断歩道の手前で止まった。


すぐ横に、黒塗りの車が静かに停車する。


学校では見慣れた車だった。


だが澪は道路を見ていなかった。


『でも友達の恋バナ、嫌いじゃないでしょ?』


「嫌いじゃないよ。聞いてる分には面白い」


『じゃあ自分は?』


「何が?」


『恋愛しないの?』


澪は露骨に嫌そうな顔をした。


「いらない」


『恋せよ! 乙女!』


「うるさい」


『アオハルだよ!』


「AIのくせにノンデリなんですけど」


『ひどい!』


澪は少し笑った。


車の後部座席で。


御影玲が、手元のスマートフォンから顔を上げる。


聞き覚えのある声だった。


窓が少しだけ開いている。


歩道に立っているのは白石澪。


学校で見る彼女とは、声の温度がまるで違った。


『でも澪、付き合ったことはあるよね』


「あるよ」


『何人もいたよね』


「いた」


『じゃあ恋愛嫌いってわけじゃないんじゃない?』


「嫌いっていうか」


澪は少し黙った。


「好きになれたこと、一回もないんだよね」


玲の視線が澪へ向く。


『一回も?』


「うん」


『付き合ってたのに?』


「告白されて、嫌いじゃないから付き合ってみたってだけ」


『それで?』


「優しかったし、一緒にいて普通に楽しかったよ」


『じゃあ何がダメだったの?』


「別にダメじゃない」


澪は信号機を見上げる。


「会えなくても大丈夫だったし、別れた時も寂しくなかった」


『それ、友達以上になれなかったんじゃない?』


「全員?」


『全員』


「確かにそうかも?」


『そうだと思うな』


澪は少し笑った。


「人として何か欠落してるのかもしれない」


玲が少し眉を動かした。


『そこまで言う?』


「だってみんな、好きな人できたら会いたいとか声聞きたいとか言うじゃん」


『言う人は多いよね』


「全然分かんない」


『そのうち分かるんじゃないかな?』


「来るかな、そんな日」


『来る来るー!』


「雑」


『恋せよ! 乙女!』


「だからうるさいって」


澪は小さく笑った。


「まあ、恋愛しなくても死なねぇって」


玲の口元が、ほんの少しだけ動いた。


信号が青になる。


黒い車がゆっくり走り出す。


玲は一度だけ振り返った。


歩き出した澪は、まだAIと話している。


学校では見たことのない顔で。



翌日。


昼休み。


女子たちが澪の机を囲んでいた。


「今日どこ寄る?」


「駅前のカフェは?」


「私はどっちでもいいよ」


澪が笑った、その時。


「恋愛しなくても死なねぇって」


低い声がした。


澪の笑顔が止まる。


玲が立っていた。


「……え?」


「昨日言ってた」


一秒。


二秒。


澪の脳内で昨日の帰り道が再生された。


信号。


黒塗りの車。


開いた窓。


御影玲。


「え? 聞いてたの?」


「まぁ」


澪は数秒固まった。


「詰んだわ……」


「澪?」


友人たちが首を傾げる。


澪は即座に笑顔を作った。


「何でもない! 御影くん、ちょっといい?」



階段の踊り場。


人がいないことを確認した瞬間、澪の笑顔が消えた。


「どこまで聞いたの?」


「恋愛しなくても死なねぇって」


「そこだけ?」


「人として何か欠落してるかも」


「最悪」


「恋せよ乙女」


「そこまで聞いてんじゃん!」


玲は少し笑った。


澪は頭を抱える。


「人生で一番油断した……」


「誰にも言わないけど」


澪が顔を上げる。


「本当に?」


「言うメリットある?」


「面白がって広めるとか」


「めんどくせぇ」


あまりにも玲らしい答えだった。


澪は少しだけ力を抜く。


「……まあ、興味無さそうだもんね」


そう言って、小さく笑う。


学校で見せる笑顔よりずっと薄い。


でも玲は、そちらの方を長く見た。


「俺もそうなんだよね」


「何が?」


「同感」


玲は壁にもたれる。


「恋愛しなくても死なない」


澪は瞬きをした。


「……御影くんも?」


「玲でいい」


「そこ今どうでもいい」


「そう?」


「うん」


澪は玲を見る。


「でも確かに興味無さそうだもんね」


今度は少しだけ自然に笑った。


玲の目が止まる。


「何?」


「いや」


「何その間」


玲は数秒考える。


「俺の前では素でいい」


「……何で?」


「そっちの方が興味あるし」


澪が黙った。


学校中の女子から好かれている男が。


よりによって。


一番誰にも見せていなかった自分を見て、興味があると言った。


「……趣味悪くない?」


「どこが?」


「普通、引くでしょ」


「別に」


玲は階段を下り始める。


途中で足を止めた。


「昨日の方が面白かったし」


「待って」


玲が振り返る。


「それ、褒めてる?」


「多分?」


「多分って何」


「じゃあ褒めてる」


「適当」


玲はほんの少し笑った。


残された澪は、その背中を見送る。


「……何あいつ」


なのに。


不思議と、嫌ではなかった。


本音を知られたのに。


肯定してもらえたような気がした。



それから数日。


澪と玲の間に、何か決定的な変化があったわけではない。


ただ、前より少しだけ目が合うようになった。


授業中。


廊下。


昼休み。


澪が誰かと笑っている時。


玲は時々こちらを見る。


逸らさない。


澪の方が先に逸らす。


それが何となく腹立たしかった。


そして、その日の放課後。


「今日カラオケ行かない?」


女子の一人が声を上げた。


「行く行く!」


「澪も行くでしょ?」


「いいよー」


何人かの男子も加わって、自然と人数が増えていく。


「玲も行く?」


クラスでも目立つ男子の一人が、教室の後ろへ声を投げた。


いつもの玲なら断る。


カフェでもカラオケでも、みんなでどこかへ行こうという誘いにはほとんど乗らない。


だから誰も本気で返事を期待していなかった。


玲は窓の外を見ていた。


それから一度だけ澪を見る。


「行く」


教室が一瞬静かになった。


「え?」


「うそ、玲来るの?」


「珍し!」


女子たちは顔を見合わせる。


「ちょっとトイレ寄ってから行こ!」


「私も」


「澪も行こー」


「はいはい」


澪も一緒に教室を出た。


女子トイレでは、さっきまで普通に帰る準備をしていた女子たちが次々にポーチを開いていた。


「待って、今日リップ薄い」


「私も前髪直す」


「鏡貸してー」


澪は手を洗いながら、その様子を鏡越しに眺める。


「てか、あんた彼氏いるじゃん」


誰かが笑った。


「え?」


「何しれっと気合い入れてんの」


「いや、御影玲は別でしょ?」


「別って何よ」


「もし付き合えたらどうすんの?」


一秒も迷わず。


「そりゃ御影玲一択っしょ」


「最低ー!」


笑い声が響く。


「彼氏かわいそ!」


「いやいや、御影玲だよ? 仕方なくない?」


「仕方なくないわ!」


澪も笑った。


「それ彼氏聞いたら泣くよ」


「澪は?」


「何が?」


「玲に告られたらどうする?」


「なんで私?」


「だって一番お似合いじゃん!」


「美男美女!」


「分かる!」


澪はハンカチで手を拭きながら笑った。


「まぁ、ハイスペだもんね」


「ほら!」


「でも玲、恋愛とか興味なさそうじゃん」


「そこがいいんじゃん!」


また盛り上がる。


澪は鏡を見る。


自分の顔はいつも通りだった。


ただ。


昨日までなら気にも留めなかった名前が。


今日は何度も耳に残った。



教室へ戻ると、玲はまだ席にいた。


澪はその横を通り過ぎるふりをして、少しだけ足を緩める。


「……なんで来んの?」


「なんとなく」


「絶対言わないでよね」


「何を?」


「この前のこと」


玲は少し考える。


「んー、多分ね」


澪が勢いよく振り返った。


「多分って何!?」


玲の口元が少し上がる。


「冗談」


「笑えないんだけど」


「澪ー! 行くよー!」


教室の前から呼ばれる。


澪はすぐに笑顔を作った。


「今行く!」


その切り替えを見て、玲が小さく言う。


「早」


澪は笑顔のまま玲を見る。


「黙れ」


玲が少し笑った。



カラオケに着くと、部屋はすぐに騒がしくなった。


男子たちは最初からテンションが高く、女子たちは選曲で盛り上がり、誰かが歌い始めれば全員で手拍子をする。


澪もいつも通り、その輪の中にいた。


笑って、盛り上げて、話を拾う。


ただ、自分では歌わなかった。


玲も同じだった。


部屋の端。


ソファにもたれながら、時々スマートフォンを見るだけ。


女子にマイクを渡されても断り、男子に「玲、歌えよ!」と絡まれても動かない。


「なんで来たんだよ!」


「俺も分かんない」


笑いが起きる。


澪は少し離れた席から、そのやり取りを見ていた。


ふと。


玲がこちらを見た。


目が合う。


何も言わず、少しだけ顎を動かす。


そのまま立ち上がり、部屋を出ていった。


澪は閉まったドアを見る。


「澪、次歌わない?」


「んー、あとで!」


少し間を置いてから立ち上がる。


「飲み物取ってくるー」


廊下へ出る。


玲は少し離れたベンチに座っていた。


「何?」


玲が顔を上げる。


「来た」


「呼んだでしょ」


「呼んでないけど」


「じゃああの目なに」


「分かったんだ」


「分かるでしょ」


玲は数秒、澪を見る。


「本当の友達っていんの?」


澪の表情が止まる。


「……なんで?」


「本音で接してないから」


「決めつけないでよ」


「違う?」


澪はすぐには答えなかった。


「あんたとは違うの」


「どう違うの?」


「玲は誰に嫌われても気にしないでしょ」


「まあ」


「私は違う」


澪は壁にもたれた。


「本当の私知られたら、嫌われると思う」


「なんで?」


「口悪いし。冷めてるし。人のことめちゃくちゃ見てるし」


「知ってる」


「だから、それ普通嫌じゃない?」


「嫌じゃない」


澪が玲を見る。


「俺はもっと知りたい」


一瞬。


言葉の意味が分からなかった。


「……何を?」


「澪のこと」


「この前ちょっと本音聞いただけじゃん」


「だから」


玲は少しだけ身体を起こした。


「もっと知りたい」


澪は何も返せなかった。


もっと笑ってほしい。


もっと優しくしてほしい。


もっと一緒にいてほしい。


そういうことなら言われたことがある。


でも。


もっと知りたい。


何を返せば正解なのか、分からない。


「……変なやつ」


「そう?」


「普通、そっち知ったら引くんだけど」


「俺普通じゃないから」


「それ自分で言う?」


「澪は言うじゃん」


澪は思わず笑った。


「それはもうバレてるから」


玲も少し笑う。


「じゃあ俺にはバレてるままでいいじゃん」


澪は一瞬、言葉に詰まった。


カラオケの部屋から、また大きな笑い声が聞こえる。


いつもなら。


あの輪の中にいる自分が、一番自然だった。


なのに今は。


何を言えば相手が喜ぶのか。


どう笑えば感じがいいのか。


そんなことを一つも考えなくていい、この静かな廊下の方が。


少しだけ居心地がよかった。



帰り道。


澪は駅を出るなり、イヤホンを耳に入れた。


『おつかれさま。今日はどんな一日だった?』


「御影玲むかつく」


『いきなり?』


「なんかいきなり下の名前で呼び出した!」


『へえ』


「馴れ馴れしい!」


『澪も玲って呼んでたじゃん』


「呼べって言うから!」


『素直だねー』


「うるさい」


澪は少し早足になる。


「しかも何あれ。“俺にはバレてるままでいいじゃん”って」


『うん』


「なんか上からな感じがイラってする」


『上からかなー?』


「上からでしょ」


『気になってる?』


澪の足が止まった。


「……は?」


『玲のこと』


「なんでそうなるの」


『今日ずっと玲の話してるから』


「今日あいつが変なこと言ってきたからでしょ」


『へえー』


「何そのへえ」


『いや別に?』


「その“別に”やめろ。玲みたいで腹立つ」


AIが楽しそうに笑う。


『で、“俺はもっと知りたい”って言われてどうだった?』


澪は黙った。


さっきの廊下。


静かなベンチ。


玲の顔。


「……知らない」


『嫌じゃなかった?』


「……まあ」


『おー』


「その反応やめろ」


『アオハルの気配するね』


「まだ何も始まってないんですけど」


その時、スマートフォンが震えた。


差出人は玲。


《着いた?》


澪は眉を寄せる。


『なんて?』


「着いた?って」


『優しいじゃん』


「いや、そもそもなんで連絡先知ってんの?」


すぐに次の通知。


《クラスのグループから追加した》


「勝手に追加してんじゃん!」


『行動早いねー』


「怖」


『返信しないの?』


「するけど」


『するんだ』


「既読無視の方が感じ悪いでしょ」


澪は、


《もうすぐ寮》


と返した。


三秒で既読。


《そっか》


「……早」


『待ってたんじゃない?』


「暇なんじゃない?」


追加の通知。


《今日は楽しかった》


澪は画面を見る。


《カラオケ一曲も歌ってないじゃん》


《澪も》


《私は盛り上げてた》


《知ってる》


少し間が空く。


《でも廊下で話してた方が楽しかった》


澪の指が止まる。


また通知。


《また話そ》


《学校で話せばいいじゃん》


《学校以外でも》


《なんで?》


《話したいから》


澪は完全に足を止めた。


『動揺してる?』


「してない」


『してるねー』


澪はもう一度画面を見る。


《連絡先、勝手に追加したから嫌なら消す》


なぜか少しだけ胸の奥が引っかかった。


《消さなくていい》


『素直』


「うるさい」


その日の夜。


寮のベッドに入ってからも、玲とのメッセージは続いた。


《玲って普段もこんなに連絡すんの?》


《しない》


《だと思った》


《返すのめんどい》


《じゃあなんで私には返すの》


少し間が空く。


《話したいから》


またそれ。


《そういうの女子に言わない方がいいよ》


《なんで》


《勘違いされるから》


《澪も女子じゃん》


澪の指が止まる。


《そうだけど》


《じゃあ勘違いした?》


《してない》


すぐ返す。


《そっか》


妙にあっさりしている。


なぜか少しだけ腹が立った。


《何その返事》


《何が》


《もういい》


《今の澪の方が好き》


《何が?》


《口悪い方》


《趣味悪》


《学校でみんなに笑ってる澪より》


数秒後。


《そっちのが好き》


澪の指が止まった。


好き。


その二文字だけが、妙に大きく見える。


『どうしたの?』


AIとの音声チャットをつないだままだった。


「……そっちの方が好きって言われた」


『おっ』


「何」


『いいじゃん』


「何が」


『そのままの澪がいいってことでしょ?』


「性格の話でしょ」


『まあ今のところはねー』


「今のところって何」


『フラグ』


「またそれ?」


『私はフラグ検知AIです』


「違うだろ」


玲からまた通知が来る。


《今笑ってる?》


澪は反射的に口元へ手をやった。


笑っていた。


《笑ってない》


《嘘》


《見えてないじゃん》


《なんとなく》


《なんとなく万能すぎ》


玲から返事が来る。


《そうかも》


澪は少し笑った。


『はい、笑った』


「うるさい」


《明日も話そ》


《学校でね》


《帰ってからも》


澪はベッドへ倒れ込んだ。


明日、学校へ行くのが。


ほんの少しだけ楽しみになっていた。



それから玲とは、自然に話すようになった。


学校では、そこまでべったりしない。


目が合えば話す。


時々メッセージが来る。


帰る時間が合えば少し一緒に歩く。


そんな程度だった。


なのに、いつの間にか玲の前では言葉を選ばなくなっていた。


ある日の昼休み。


玲が澪の机の横へ来た。


「日曜、空いてる?」


「え? 何、デート?」


「デートじゃないけど」


「いやいや、二人で出かけるならデートでしょ?」


玲は少し考えた。


「……じゃあ行かない?」


「いや、別にそういう意味じゃ――」


「他の奴らに裏の顔バラそうかなー」


澪の顔が真顔になる。


「最低」


「で、行く?」


「行くけど」


「じゃあ決まり」


玲はそのまま自分の席へ戻っていく。


近くにいた友人が寄ってきた。


「え、何?」


「何が?」


「今、御影くんと何話してたの?」


「日曜暇かって」


「は!?」


「声でかい」


「え、何それ!?」


「知らない」


「二人で!?」


「たぶん」


「え、待って待って!」


澪は笑ってごまかした。


けれど胸の奥だけ、少し落ち着かなかった。



日曜日。


澪は駅前で玲を待っていた。


約束の時間まで、あと三分。


《着いた》


顔を上げると、道路の向こうに見慣れた黒い車が止まっていた。


後部座席の窓が少し下がる。


玲がいる。


澪は数秒固まった。


「いや待って」


「何」


「これで行くの?」


「うん」


「普通に電車じゃないの?」


「こっちの方が楽じゃん」


運転手がドアを開ける。


澪は車を見て、玲を見る。


「……金持ちむかつく」


玲が少し笑った。


「またそれ」


「だってデートで送迎車って何」


「デートなんだ」


「……遊びに行くって意味」


「へえ」


「その顔やめて」


澪は観念して車に乗った。


着いたのは、市内でも有名な高級ホテルだった。


「……ここ?」


「昼飯」


案内されたのは、ホテル内の鉄板焼きレストラン。


目の前の鉄板でシェフが肉を焼き始める。


澪はその手元をじっと見ていた。


玲は肉より澪を見ている。


焼き上がった肉が皿に置かれる。


澪は一口食べた。


数秒。


動かない。


「どう?」


澪が目を見開いた。


「……こんな柔らかい肉食べたことない!」


玲の口元が上がる。


「よかった」


「何これ。歯いらないじゃん」


「いるでしょ」


「ほぼいらない」


もう一口。


澪の顔が完全に緩む。


「うま」


玲はその様子を見ながら笑った。


「何」


「楽しそう」


「だって美味しい」


「そっか」


その反応が妙に嬉しそうで。


澪は少しだけ目を逸らした。


食事のあと。


二人は街を歩いた。


特に目的もなく。


澪が気になる店に入れば、玲もついてくる。


「玲、行きたいとこないの?」


「特に」


「じゃあ何でずっとついてくんの」


「澪がいるから」


あまりに普通に言われて。


澪は返事に詰まった。


「……そういうのさらっと言うのやめて」


「なんで」


「知らない」


玲は少し笑う。


なんとなく。


玲といると、何も考えなくていい。


退屈していないか。


機嫌が悪くないか。


次に何を話すか。


そんなことを考える時間が減っていた。


大通りを歩いていた時。


澪の足がふっと止まる。


通り沿いのラグジュアリージュエリーショップ。


ガラスの向こうに、細いチェーンのネックレスが並んでいる。


その中の一つ。


小さな石が一粒だけ光る、華奢なデザイン。


澪は何も言わず、それを見ていた。


ほんの数秒。


やがて何事もなかったように歩き出す。


玲は、澪が見ていたネックレスへ一度だけ視線を戻した。


少しして。


「澪、ちょっと待ってて」


「何?」


「すぐ戻る」


「どこ行くの」


「ちょっと」


玲はそれだけ言って人混みの中へ消えた。


十分もしないうちに戻ってきた。


「何してたの?」


「別に」


「怪しい」


「そう?」


「まあいいけど」


玲は何も言わなかった。



夕方。


人通りの少ない公園。


二人は並んでベンチに座った。


玲は缶コーヒー。


澪はミルクティー。


しばらく何も話さなかった。


不思議と気まずくはない。


「寮っていつから?」


玲が聞く。


「高校から」


「その前は?」


「施設」


玲が横を見る。


「児童養護施設」


「そうなんだ」


それだけだった。


澪は少し笑う。


「反応薄」


「何て言えばいいの」


「可哀想とか言われるよりいい」


「可哀想とは思ってない」


「うん」


玲は無理に聞こうとはしなかった。


その沈黙が、逆に話しやすかった。


「お母さん、シングルマザーだったんだ」


玲は黙って聞く。


「小さい時に施設入って」


少し間を置く。


「ずっとお母さんが迎えに来ると思ってた」


風が吹く。


「今日かなーとか。来週かなーとか」


澪はいつもの軽い口調で話した。


「誕生日なら来るかなーとか」


でも来なかった。


今は恨んでいない。


大人になれば、事情もあったのだろうと思える。


でも。


「子どもの時って、そんなの分かんないじゃん」


澪は缶を両手で持つ。


「だから、いい子にしてたら迎えに来てくれるのかなって思ってた」


先生の言うことを聞く。


喧嘩をしない。


迷惑をかけない。


「愛される子になったら、迎えに来てくれるかなって」


玲は何も挟まない。


「多分、その癖が今も残ってるんだと思う」


「癖?」


「どうやったら相手が気持ちいいか、どんな言葉欲しいのか拾うの」


いつもAIにだけ話していたことを。


今は玲に話している。


「演じてるって感覚もないんだけどね」


澪は少し肩をすくめる。


「気づいたらこうなってた」


玲はしばらく何も言わなかった。


それから静かに言った。


「辛かったな」


澪の笑顔が止まる。


「……え?」


「小さい頃」


少し間を置いて。


「今でもすげー頑張ってるなって思う」


澪は何も言えなかった。


ぽろっと涙が落ちる。


「……は?」


自分で一番驚いた。


慌てて頬を拭う。


「ちょっと待って。なんで泣いてんの私」


また涙が落ちる。


「最悪。今日メイクちゃんとしてきたのに」


「そこ?」


「そこ大事だから」


玲が少し笑う。


澪も泣きながら笑った。


「……今までさ」


声が少し震える。


「可哀想とか、大変だったねとかは言われたことあるけど」


「うん」


「辛かったなって……なんか、それダメ」


「なんで」


「知らない」


本当に分からなかった。


ただ。


ずっと待っていた小さな自分を。


初めて誰かに見つけてもらったような気がした。


玲は何も言わず、ただ隣にいた。


それが、一番よかった。



帰りの車。


泣いたせいで少し目元が重い。


澪は窓の外を流れていく街の灯りを眺めていた。


不思議と気持ちは軽かった。


しばらくして。


玲が隣から小さな紙袋を差し出した。


「これ」


「何?」


「開けてみて」


澪は受け取る。


箱を開けた瞬間、目を見開いた。


昼間、ショーウィンドウ越しに見ていたネックレスだった。


「え、これ……!」


思わず玲を見る。


「さっき見てたやつじゃん!」


「うん」


「いつ買ったの?」


「ちょっと待っててって言った時」


澪はもう一度ネックレスを見る。


小さな石が、車内の灯りを拾って光った。


「えー、嬉しい」


その言葉は、考えるより先に出た。


玲が少し笑う。


「よかった」


「でもなんで?」


「なんとなく」


「なんとなくでこれ買う?」


「うん」


「金持ちむかつく」


そう言いながらも、澪は笑っていた。


箱を閉じても、すぐまた開ける。


「……ほんと可愛い」


玲はその横顔を見ていた。


「つければ」


「今?」


「うん」


澪は少し迷ってから、ネックレスを取り出した。


「つけて」


玲が一瞬止まる。


「俺が?」


「自分じゃやりにくいし」


「いいけど」


澪は髪を持ち上げる。


首元に冷たいチェーンが触れた。


玲の指が金具を留める。


「できた」


澪は胸元を見る。


小さな石が揺れる。


「似合う?」


「うん」


「そっか」


澪は嬉しそうに笑った。


その笑顔だけは。


誰かに好かれるためのものではなかった。



週明け。


澪はネックレスを制服の下につけていた。


首元から少しだけチェーンが見える。


玲はすぐに気づいた。


「つけてる」


澪は少しだけ胸元を押さえる。


「悪い?」


「別に」


「じゃあ言わなくてよくない?」


「似合ってる」


澪は一瞬黙った。


「……そ」


それ以上言えなかった。


その日の放課後。


教室の入口がざわついた。


「玲いる?」


聞き慣れない女子の声。


顔を上げる。


制服の違う女子が立っていた。


背が高く、長い髪。


整った顔立ち。


立っているだけで育ちの良さが分かる。


誰かが小声で言った。


「西園寺里奈じゃん」


西園寺家。


御影家と昔から付き合いのある家。


そして、玲の幼なじみ。


里奈は教室の中を見渡し、玲を見つける。


「いた」


玲が面倒そうに顔を上げた。


「何」


「今日うちで食事。忘れた?」


「あー」


「あーじゃない」


「里奈もうるさい」


「昔からそればっか」


そのやり取りが妙に自然だった。


距離が近い。


昔から知っている人間同士の空気。


澪は自分のバッグを閉じる。


別に。


幼なじみなんだから。


普通。


「澪?」


「何?」


「帰らないの?」


「帰るよ」


澪が立ち上がる。


里奈の視線が一瞬、澪の首元で止まった。


「あれ?」


澪も止まる。


「それ――」


「里奈」


玲の声。


「行くんでしょ」


「……うん」


里奈はもう一度だけ澪を見て、そのまま玲と教室を出た。


澪は二人の背中を見る。


胸の奥が。


嫌な感じにざわついた。



帰り道。


『おつかれさま。今日はどんな一日だった?』


「最悪」


『また玲?』


「なんで最初から玲前提なの」


『最近九割玲じゃん』


「……うざ」


『で?』


「幼なじみいた」


『女の子?』


「女」


『美人?』


「めちゃくちゃ」


『お金持ち?』


「西園寺家」


『強そう』


「強いよ」


澪は眉を寄せる。


「しかもめっちゃ自然だった」


『何が?』


「距離感」


『幼なじみならそうなんじゃない?』


「分かってるよ」


『ふーん』


「何」


『嫉妬?』


「違う」


『早』


「違うって」


『まだ最後まで言ってないけど』


「言おうとしてたじゃん」


AIが楽しそうに笑う。


『玲が他の女子といるの嫌だった?』


澪は黙った。


嫌だった。


めちゃくちゃ。


でも。


それを認めたら、何かが完全に変わる気がした。


「……別に」


『はい出た』


「何」


『恋愛初心者の“別に”』


「うるさい」


『かわいー』


「消すぞ」


『暴君』


澪は本当に画面を閉じた。



翌日の放課後。


澪が廊下を歩いていると、少し先に玲と里奈がいた。


声をかけようとした、その時。


里奈が何かを言った。


前半は聞こえない。


ただ。


玲の声だけが、はっきり聞こえた。


「……好きだけど」


澪の足が止まった。


胸の奥が、すっと冷たくなる。


里奈が何か返す。


でももう聞きたくなかった。


澪はその場を離れた。


歩きながら、自分に言い聞かせる。


別に。


何もおかしくない。


幼なじみだし。


家柄も合うし。


綺麗だし。


玲が誰を好きでも自由だ。


自分には関係ない。


なのに。


その日の夜。


玲からメッセージが来ても、返す気になれなかった。



翌日。


「白石」


「何?」


「何か怒ってる?」


「怒ってない」


「じゃあ何」


「別に」


玲の眉が少し寄る。


「それ俺の前でやる?」


澪は黙った。


玲の前では。


もう取り繕わなくなっていた。


だからこそ、誤魔化せない。


「……里奈ちゃん」


「里奈?」


「好きなんでしょ」


玲が止まった。


「は?」


「聞いたから」


「何を」


「昨日」


澪は目を逸らす。


「“好きだけど”って」


数秒。


玲が言った。


「あれ、お前のことだけど」


「…………は?」


「里奈が、お前のこと好きなんでしょって聞いてきたから」


澪は完全に固まった。


「……そこ聞こえてない」


「何で一番大事なとこ聞いてないんだよ」


「知らないよ!」


「勝手に里奈のことだと思った?」


「だって!」


「何」


「幼なじみで、美人で、仲良さそうだったし!」


言い切ってから気づいた。


玲が見ている。


「何」


「嫉妬してた?」


「してない」


「してるじゃん」


「してない!」


玲が少し笑った。


「笑うな!」


「白石でも人の気持ち読み間違えるんだな」


澪は言い返そうとして。


止まった。


そうだった。


人の気持ちなら分かるはずだった。


表情。


声。


間。


欲しい言葉。


ずっとそうやって生きてきた。


なのに。


玲のことになると分からない。


自分のことになると。


何一つ正解が見えない。


「……じゃあ」


澪が言った。


「何で私なの?」


「何が?」


「私のこと、何で好きなの?」


玲は少し考える。


「性格」


「悪いけど」


「そこも」


「は?」


「顔」


「それは知ってる」


「自分で言うんだ」


「事実だから」


「声」


「普通じゃん」


「仕草」


「何それ」


玲は淡々としている。


澪はだんだん困った顔になった。


「それ……全部じゃん」


「だから全部好きって言ってる」


言葉が出なかった。


玲が一歩近づく。


「白石」


「何」


「俺のことは?」


澪は目を逸らした。


「……分かんない」


「ふーん」


「何その反応」


「別に」


「ほんとムカつく」


「嫌い?」


即答できなかった。


それだけで、もう答えみたいだった。


「初めてなんだもん」


「何が」


「こういうの」


玲が少し目を見開く。


「恋愛したことないし」


「付き合ったことあるって言ってたじゃん」


「好きになったことないって言ったでしょ」


「ああ」


「忘れてんじゃん」


「覚えてる」


「じゃあ何」


「初恋なんだ」


澪は黙った。


「……多分」


「多分」


「うるさい」


玲が少し笑う。


「恋愛しなくても死なないから」


「まだ言う?」


「死なないのは事実じゃん」


「じゃあ俺いらない?」


澪は黙った。


一人で生きていける。


それは本当だった。


誰かがいなくても。


自分で何とかできる。


ずっとそうしてきた。


「……いらなくはない」


玲の口元が少し上がる。


「じゃあいいじゃん」


「雑」


玲は少しだけ澪を見つめた。


「澪」


「何」


「俺には隠さなくていい」


澪の目が揺れる。


「可愛くないことも言うよ」


「知ってる」


「性格悪いし」


「知ってる」


「機嫌悪い日もある」


「今日みたいに?」


「うるさい」


「それも知ってる」


「人の惚気とか普通に面倒だと思うし」


「聞いた」


「……じゃあ何がいいの」


玲は少し考えた。


「そのままでいればいいじゃん」


澪は何も言えなかった。


何を返せば正解なのか。


考えようとしたのに。


何も浮かばない。


玲が顔を近づける。


一瞬だけ。


唇が触れた。


離れたあと。


澪は完全に固まった。


玲が見る。


「何その顔」


「……知らない」


「赤い」


「うるさい」


「珍しい」


「ほんっとうるさい!」


玲が笑った。


澪は顔を隠す。


腹が立つ。


なのに。


嫌じゃなかった。


むしろ。


もう一度してほしいと思ってしまった。


それが一番むかついた。



翌朝。


「ええええええ!?」


教室に友人の声が響いた。


「ちょっと声でかい!」


「無理無理無理! え、ほんと!?」


「何が」


「何がじゃないでしょ!」


澪は机に突っ伏した。


誰かが玲とのことを聞きつけたらしい。


あっという間に女子が集まってくる。


「いつから!?」


「何で!?」


「カラオケ!?」


「日曜二人で出かけてたよね!?」


「ちょっと待って、あれやっぱデートだったの!?」


「知らないって!」


「御影くんはずるい!」


「普通にムカつく!」


「分かる!」


「え、私おめでとうって言いたいのにめっちゃ悔しい!」


「澪なら……いや、でもずるい!」


「何で澪なの!?」


「それ私も聞いた!」


「本人に!?」


「聞いた」


「何て!?」


「言わない」


「うわムカつく!」


女子たちが騒ぐ。


澪は笑っていた。


でも少しだけ。


昔なら怖かったかもしれないと思った。


誰かが自分に嫉妬する。


誰かが自分を嫌いになるかもしれない。


それなら。


最初から諦めた方が楽だった。


好きでいてもらった方が楽だから。


誰にも嫌われない方が楽だから。


「白石」


教室の入口から玲が呼んだ。


女子たちが一斉に振り返る。


「うわ、来た!」


「本人!」


「ムカつく!」


「御影くん返して!」


「元々誰のでもないでしょ」


澪が笑うと、


「それはそう!」


とさらに騒ぎになる。


玲が言った。


「行くよ」


「どこ?」


「購買」


「自分で行けば?」


「付き合って」


「何で」


「行かない?」


玲が澪を見る。


一瞬。


昔の自分なら考えた。


ここで一緒に出ていったら。


何て思われるだろう。


少し時間を置いた方がいいかな。


みんなが納得する言い方は何だろう。


でも。


「行く」


澪は立ち上がった。


「えー!」


「ずるい!」


「普通にムカつくー!」


背中から声が飛ぶ。


澪は振り返る。


「ごめんねー」


いつもの笑顔。


でも。


玲の隣へ並ぶことだけは。


誰かに合わせて選んだわけじゃなかった。



その夜。


澪はベッドに寝転び、AIを開いた。


『こんばんは』


「こんばんは」


『何か報告は?』


「何その圧」


『私は何か月この日を待ったと』


「数週間でしょ」


『体感三年です』


「知らないよ」


『で?』


「何」


『彼氏』


「……できた」


『おおおー!』


「うるさ」


『恋愛しなくても死なない白石澪さん!』


「死なないよ!」


『でも恋愛しましたね』


「……したね」


澪は笑った。


スマートフォンが震える。


玲からだった。


《おやすみ》


澪は少し笑って、


《おやすみ》


と返す。


すぐ既読がついた。


《明日》


《何》


《会える》


たった三文字。


それだけで。


明日が少し楽しみになる。


以前なら。


誰かに会えなくても平気だった。


声を聞きたいとも思わなかった。


連絡が来るのを待ったこともなかった。


恋愛しなくても、生きてはいける。


それは今も変わらない。


一人でも。


自分の人生は自分で生きられる。


ただ。


一人で生きていけることと。


誰かと一緒にいたいと思うことは。


別の話だった。


『ねえ澪』


「何」


『明日楽しみ?』


澪は少し考えるふりをした。


「……まあね」


『素直じゃん!』


「今日はね」


『青春だねー!』


「もういいって」


笑いながら。


澪は目を閉じた。


人の気持ちなら。


だいたい分かる。


欲しい言葉も。


喜ぶ顔も。


正解も。


なのに。


御影玲の前では。


何一つ正解を探さなくなった。


人生で初めて起きた。


少し厄介で。


どうしようもなく嬉しい。


完璧な私のバグだった。

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