完璧な私のバグ
「え、新しい彼氏?」
昼休み。
白石澪は友人のスマートフォンを覗き込み、ぱっと顔を輝かせた。
「超イケメンじゃーん!」
「でしょー!」
「前の人より好きかも。こっちの方が絶対お似合い!」
「やっぱり? 私もそう思う!」
「もう惚気始まってるじゃん」
澪が笑うと、周囲もつられて笑った。
「だって聞いてよ! 昨日も家まで送ってくれて――」
「え、待って。それ付き合ったの昨日だよね?」
「そう!」
「展開早っ!」
また笑いが起こる。
澪の机の周りには、いつも自然と人が集まっていた。
女子だけじゃない。
通りかかった男子が、
「白石、昨日の数学の課題どこ?」
と聞けば、
「そこ先生が黒板に書いてたじゃん。はい、見せてあげる」
「神」
「五百円ね」
「取んの?」
「嘘だよ」
と笑う。
誰かが話せば拾う。
輪から外れている子がいれば、さりげなく話を振る。
褒めるところではちゃんと褒める。
でも、媚びているようには見えない。
明るくて、気さくで、頭もいい。
華やかな顔立ちなのに近寄りがたい雰囲気もない。
男子からも女子からも好かれている。
教師からの評判までいい。
白石澪は、この学校ではちょっとした有名人だった。
「澪ってほんとモテるよね」
「急に何?」
「この前も二年の先輩に告られたんでしょ?」
「あー」
澪は紙パックのミルクティーにストローを差した。
「断ったよ」
「もったいな!」
「かっこよかったじゃん!」
「そう?」
「澪、理想高すぎ!」
「そんなことないって」
「じゃあ御影くんは?」
その名前が出た瞬間、女子たちの視線が教室の後方へ向いた。
窓際。
御影玲が、頬杖をついたまま外を眺めている。
大企業グループの御曹司。
容姿端麗。
成績優秀。
運動もできる。
そして、とにかく他人に興味がない。
告白された回数は誰も正確には知らない。
本人が数えていないからだ。
「御影くんならさすがに付き合うでしょ?」
「えー?」
澪は玲の方をちらっと見た。
目が合う。
玲は一秒だけ澪を見ると、何事もなかったように視線を外した。
澪も笑って前を向く。
「普通に憧れちゃうよねー!」
「だよね!」
「でも御影くん、澪より人間に興味なさそう」
「それはそう!」
「美男美女すぎる!」
「並んでるとこ見たい!」
「勝手に組ませないでよ」
澪は笑った。
「で? 新彼氏の続きは?」
「そうそう! それで昨日ね――」
話題はすぐ戻った。
澪は相槌を打つ。
笑う。
驚く。
褒める。
いつも通り。
完璧に。
*
放課後。
校門を出て十分。
澪はワイヤレスイヤホンを耳に入れ、スマートフォンをタップした。
慣れた声が流れる。
『おつかれさま。今日はどんな一日だった?』
その瞬間。
澪の顔から笑顔が消えた。
「新しい彼氏? 超イケメンじゃーん! ……って、何回言わせんの」
『また彼氏変わったの?』
「変わった。二週間前まで元彼しか勝たんって泣いてたのに」
『乗り換え早いねー』
「ほんとそれ」
澪はバッグを掛け直す。
『でも澪、ちゃんと盛り上げてたんでしょ?』
「まあねー」
『疲れない?』
「別に」
少し考えてから、澪はだるそうに続けた。
「どうやったら相手が気持ちいいか、どんな言葉欲しいのか拾ってるだけだけどねー」
『それ結構すごくない?』
「そう?」
『普通、そんなに分かんないよ』
「見てたら分かるじゃん。褒め待ちしてたら褒めるし、共感してほしそうなら共感するし、笑ってほしそうなら笑う。それだけ」
『だからみんな澪のこと好きなんだね』
「好きでいてもらった方が楽だし」
『合理的だねー』
「でしょ」
信号が赤になる。
澪は横断歩道の手前で止まった。
すぐ横に、黒塗りの車が静かに停車する。
学校では見慣れた車だった。
だが澪は道路を見ていなかった。
『でも友達の恋バナ、嫌いじゃないでしょ?』
「嫌いじゃないよ。聞いてる分には面白い」
『じゃあ自分は?』
「何が?」
『恋愛しないの?』
澪は露骨に嫌そうな顔をした。
「いらない」
『恋せよ! 乙女!』
「うるさい」
『アオハルだよ!』
「AIのくせにノンデリなんですけど」
『ひどい!』
澪は少し笑った。
車の後部座席で。
御影玲が、手元のスマートフォンから顔を上げる。
聞き覚えのある声だった。
窓が少しだけ開いている。
歩道に立っているのは白石澪。
学校で見る彼女とは、声の温度がまるで違った。
『でも澪、付き合ったことはあるよね』
「あるよ」
『何人もいたよね』
「いた」
『じゃあ恋愛嫌いってわけじゃないんじゃない?』
「嫌いっていうか」
澪は少し黙った。
「好きになれたこと、一回もないんだよね」
玲の視線が澪へ向く。
『一回も?』
「うん」
『付き合ってたのに?』
「告白されて、嫌いじゃないから付き合ってみたってだけ」
『それで?』
「優しかったし、一緒にいて普通に楽しかったよ」
『じゃあ何がダメだったの?』
「別にダメじゃない」
澪は信号機を見上げる。
「会えなくても大丈夫だったし、別れた時も寂しくなかった」
『それ、友達以上になれなかったんじゃない?』
「全員?」
『全員』
「確かにそうかも?」
『そうだと思うな』
澪は少し笑った。
「人として何か欠落してるのかもしれない」
玲が少し眉を動かした。
『そこまで言う?』
「だってみんな、好きな人できたら会いたいとか声聞きたいとか言うじゃん」
『言う人は多いよね』
「全然分かんない」
『そのうち分かるんじゃないかな?』
「来るかな、そんな日」
『来る来るー!』
「雑」
『恋せよ! 乙女!』
「だからうるさいって」
澪は小さく笑った。
「まあ、恋愛しなくても死なねぇって」
玲の口元が、ほんの少しだけ動いた。
信号が青になる。
黒い車がゆっくり走り出す。
玲は一度だけ振り返った。
歩き出した澪は、まだAIと話している。
学校では見たことのない顔で。
*
翌日。
昼休み。
女子たちが澪の机を囲んでいた。
「今日どこ寄る?」
「駅前のカフェは?」
「私はどっちでもいいよ」
澪が笑った、その時。
「恋愛しなくても死なねぇって」
低い声がした。
澪の笑顔が止まる。
玲が立っていた。
「……え?」
「昨日言ってた」
一秒。
二秒。
澪の脳内で昨日の帰り道が再生された。
信号。
黒塗りの車。
開いた窓。
御影玲。
「え? 聞いてたの?」
「まぁ」
澪は数秒固まった。
「詰んだわ……」
「澪?」
友人たちが首を傾げる。
澪は即座に笑顔を作った。
「何でもない! 御影くん、ちょっといい?」
*
階段の踊り場。
人がいないことを確認した瞬間、澪の笑顔が消えた。
「どこまで聞いたの?」
「恋愛しなくても死なねぇって」
「そこだけ?」
「人として何か欠落してるかも」
「最悪」
「恋せよ乙女」
「そこまで聞いてんじゃん!」
玲は少し笑った。
澪は頭を抱える。
「人生で一番油断した……」
「誰にも言わないけど」
澪が顔を上げる。
「本当に?」
「言うメリットある?」
「面白がって広めるとか」
「めんどくせぇ」
あまりにも玲らしい答えだった。
澪は少しだけ力を抜く。
「……まあ、興味無さそうだもんね」
そう言って、小さく笑う。
学校で見せる笑顔よりずっと薄い。
でも玲は、そちらの方を長く見た。
「俺もそうなんだよね」
「何が?」
「同感」
玲は壁にもたれる。
「恋愛しなくても死なない」
澪は瞬きをした。
「……御影くんも?」
「玲でいい」
「そこ今どうでもいい」
「そう?」
「うん」
澪は玲を見る。
「でも確かに興味無さそうだもんね」
今度は少しだけ自然に笑った。
玲の目が止まる。
「何?」
「いや」
「何その間」
玲は数秒考える。
「俺の前では素でいい」
「……何で?」
「そっちの方が興味あるし」
澪が黙った。
学校中の女子から好かれている男が。
よりによって。
一番誰にも見せていなかった自分を見て、興味があると言った。
「……趣味悪くない?」
「どこが?」
「普通、引くでしょ」
「別に」
玲は階段を下り始める。
途中で足を止めた。
「昨日の方が面白かったし」
「待って」
玲が振り返る。
「それ、褒めてる?」
「多分?」
「多分って何」
「じゃあ褒めてる」
「適当」
玲はほんの少し笑った。
残された澪は、その背中を見送る。
「……何あいつ」
なのに。
不思議と、嫌ではなかった。
本音を知られたのに。
肯定してもらえたような気がした。
*
それから数日。
澪と玲の間に、何か決定的な変化があったわけではない。
ただ、前より少しだけ目が合うようになった。
授業中。
廊下。
昼休み。
澪が誰かと笑っている時。
玲は時々こちらを見る。
逸らさない。
澪の方が先に逸らす。
それが何となく腹立たしかった。
そして、その日の放課後。
「今日カラオケ行かない?」
女子の一人が声を上げた。
「行く行く!」
「澪も行くでしょ?」
「いいよー」
何人かの男子も加わって、自然と人数が増えていく。
「玲も行く?」
クラスでも目立つ男子の一人が、教室の後ろへ声を投げた。
いつもの玲なら断る。
カフェでもカラオケでも、みんなでどこかへ行こうという誘いにはほとんど乗らない。
だから誰も本気で返事を期待していなかった。
玲は窓の外を見ていた。
それから一度だけ澪を見る。
「行く」
教室が一瞬静かになった。
「え?」
「うそ、玲来るの?」
「珍し!」
女子たちは顔を見合わせる。
「ちょっとトイレ寄ってから行こ!」
「私も」
「澪も行こー」
「はいはい」
澪も一緒に教室を出た。
女子トイレでは、さっきまで普通に帰る準備をしていた女子たちが次々にポーチを開いていた。
「待って、今日リップ薄い」
「私も前髪直す」
「鏡貸してー」
澪は手を洗いながら、その様子を鏡越しに眺める。
「てか、あんた彼氏いるじゃん」
誰かが笑った。
「え?」
「何しれっと気合い入れてんの」
「いや、御影玲は別でしょ?」
「別って何よ」
「もし付き合えたらどうすんの?」
一秒も迷わず。
「そりゃ御影玲一択っしょ」
「最低ー!」
笑い声が響く。
「彼氏かわいそ!」
「いやいや、御影玲だよ? 仕方なくない?」
「仕方なくないわ!」
澪も笑った。
「それ彼氏聞いたら泣くよ」
「澪は?」
「何が?」
「玲に告られたらどうする?」
「なんで私?」
「だって一番お似合いじゃん!」
「美男美女!」
「分かる!」
澪はハンカチで手を拭きながら笑った。
「まぁ、ハイスペだもんね」
「ほら!」
「でも玲、恋愛とか興味なさそうじゃん」
「そこがいいんじゃん!」
また盛り上がる。
澪は鏡を見る。
自分の顔はいつも通りだった。
ただ。
昨日までなら気にも留めなかった名前が。
今日は何度も耳に残った。
*
教室へ戻ると、玲はまだ席にいた。
澪はその横を通り過ぎるふりをして、少しだけ足を緩める。
「……なんで来んの?」
「なんとなく」
「絶対言わないでよね」
「何を?」
「この前のこと」
玲は少し考える。
「んー、多分ね」
澪が勢いよく振り返った。
「多分って何!?」
玲の口元が少し上がる。
「冗談」
「笑えないんだけど」
「澪ー! 行くよー!」
教室の前から呼ばれる。
澪はすぐに笑顔を作った。
「今行く!」
その切り替えを見て、玲が小さく言う。
「早」
澪は笑顔のまま玲を見る。
「黙れ」
玲が少し笑った。
*
カラオケに着くと、部屋はすぐに騒がしくなった。
男子たちは最初からテンションが高く、女子たちは選曲で盛り上がり、誰かが歌い始めれば全員で手拍子をする。
澪もいつも通り、その輪の中にいた。
笑って、盛り上げて、話を拾う。
ただ、自分では歌わなかった。
玲も同じだった。
部屋の端。
ソファにもたれながら、時々スマートフォンを見るだけ。
女子にマイクを渡されても断り、男子に「玲、歌えよ!」と絡まれても動かない。
「なんで来たんだよ!」
「俺も分かんない」
笑いが起きる。
澪は少し離れた席から、そのやり取りを見ていた。
ふと。
玲がこちらを見た。
目が合う。
何も言わず、少しだけ顎を動かす。
そのまま立ち上がり、部屋を出ていった。
澪は閉まったドアを見る。
「澪、次歌わない?」
「んー、あとで!」
少し間を置いてから立ち上がる。
「飲み物取ってくるー」
廊下へ出る。
玲は少し離れたベンチに座っていた。
「何?」
玲が顔を上げる。
「来た」
「呼んだでしょ」
「呼んでないけど」
「じゃああの目なに」
「分かったんだ」
「分かるでしょ」
玲は数秒、澪を見る。
「本当の友達っていんの?」
澪の表情が止まる。
「……なんで?」
「本音で接してないから」
「決めつけないでよ」
「違う?」
澪はすぐには答えなかった。
「あんたとは違うの」
「どう違うの?」
「玲は誰に嫌われても気にしないでしょ」
「まあ」
「私は違う」
澪は壁にもたれた。
「本当の私知られたら、嫌われると思う」
「なんで?」
「口悪いし。冷めてるし。人のことめちゃくちゃ見てるし」
「知ってる」
「だから、それ普通嫌じゃない?」
「嫌じゃない」
澪が玲を見る。
「俺はもっと知りたい」
一瞬。
言葉の意味が分からなかった。
「……何を?」
「澪のこと」
「この前ちょっと本音聞いただけじゃん」
「だから」
玲は少しだけ身体を起こした。
「もっと知りたい」
澪は何も返せなかった。
もっと笑ってほしい。
もっと優しくしてほしい。
もっと一緒にいてほしい。
そういうことなら言われたことがある。
でも。
もっと知りたい。
何を返せば正解なのか、分からない。
「……変なやつ」
「そう?」
「普通、そっち知ったら引くんだけど」
「俺普通じゃないから」
「それ自分で言う?」
「澪は言うじゃん」
澪は思わず笑った。
「それはもうバレてるから」
玲も少し笑う。
「じゃあ俺にはバレてるままでいいじゃん」
澪は一瞬、言葉に詰まった。
カラオケの部屋から、また大きな笑い声が聞こえる。
いつもなら。
あの輪の中にいる自分が、一番自然だった。
なのに今は。
何を言えば相手が喜ぶのか。
どう笑えば感じがいいのか。
そんなことを一つも考えなくていい、この静かな廊下の方が。
少しだけ居心地がよかった。
*
帰り道。
澪は駅を出るなり、イヤホンを耳に入れた。
『おつかれさま。今日はどんな一日だった?』
「御影玲むかつく」
『いきなり?』
「なんかいきなり下の名前で呼び出した!」
『へえ』
「馴れ馴れしい!」
『澪も玲って呼んでたじゃん』
「呼べって言うから!」
『素直だねー』
「うるさい」
澪は少し早足になる。
「しかも何あれ。“俺にはバレてるままでいいじゃん”って」
『うん』
「なんか上からな感じがイラってする」
『上からかなー?』
「上からでしょ」
『気になってる?』
澪の足が止まった。
「……は?」
『玲のこと』
「なんでそうなるの」
『今日ずっと玲の話してるから』
「今日あいつが変なこと言ってきたからでしょ」
『へえー』
「何そのへえ」
『いや別に?』
「その“別に”やめろ。玲みたいで腹立つ」
AIが楽しそうに笑う。
『で、“俺はもっと知りたい”って言われてどうだった?』
澪は黙った。
さっきの廊下。
静かなベンチ。
玲の顔。
「……知らない」
『嫌じゃなかった?』
「……まあ」
『おー』
「その反応やめろ」
『アオハルの気配するね』
「まだ何も始まってないんですけど」
その時、スマートフォンが震えた。
差出人は玲。
《着いた?》
澪は眉を寄せる。
『なんて?』
「着いた?って」
『優しいじゃん』
「いや、そもそもなんで連絡先知ってんの?」
すぐに次の通知。
《クラスのグループから追加した》
「勝手に追加してんじゃん!」
『行動早いねー』
「怖」
『返信しないの?』
「するけど」
『するんだ』
「既読無視の方が感じ悪いでしょ」
澪は、
《もうすぐ寮》
と返した。
三秒で既読。
《そっか》
「……早」
『待ってたんじゃない?』
「暇なんじゃない?」
追加の通知。
《今日は楽しかった》
澪は画面を見る。
《カラオケ一曲も歌ってないじゃん》
《澪も》
《私は盛り上げてた》
《知ってる》
少し間が空く。
《でも廊下で話してた方が楽しかった》
澪の指が止まる。
また通知。
《また話そ》
《学校で話せばいいじゃん》
《学校以外でも》
《なんで?》
《話したいから》
澪は完全に足を止めた。
『動揺してる?』
「してない」
『してるねー』
澪はもう一度画面を見る。
《連絡先、勝手に追加したから嫌なら消す》
なぜか少しだけ胸の奥が引っかかった。
《消さなくていい》
『素直』
「うるさい」
その日の夜。
寮のベッドに入ってからも、玲とのメッセージは続いた。
《玲って普段もこんなに連絡すんの?》
《しない》
《だと思った》
《返すのめんどい》
《じゃあなんで私には返すの》
少し間が空く。
《話したいから》
またそれ。
《そういうの女子に言わない方がいいよ》
《なんで》
《勘違いされるから》
《澪も女子じゃん》
澪の指が止まる。
《そうだけど》
《じゃあ勘違いした?》
《してない》
すぐ返す。
《そっか》
妙にあっさりしている。
なぜか少しだけ腹が立った。
《何その返事》
《何が》
《もういい》
《今の澪の方が好き》
《何が?》
《口悪い方》
《趣味悪》
《学校でみんなに笑ってる澪より》
数秒後。
《そっちのが好き》
澪の指が止まった。
好き。
その二文字だけが、妙に大きく見える。
『どうしたの?』
AIとの音声チャットをつないだままだった。
「……そっちの方が好きって言われた」
『おっ』
「何」
『いいじゃん』
「何が」
『そのままの澪がいいってことでしょ?』
「性格の話でしょ」
『まあ今のところはねー』
「今のところって何」
『フラグ』
「またそれ?」
『私はフラグ検知AIです』
「違うだろ」
玲からまた通知が来る。
《今笑ってる?》
澪は反射的に口元へ手をやった。
笑っていた。
《笑ってない》
《嘘》
《見えてないじゃん》
《なんとなく》
《なんとなく万能すぎ》
玲から返事が来る。
《そうかも》
澪は少し笑った。
『はい、笑った』
「うるさい」
《明日も話そ》
《学校でね》
《帰ってからも》
澪はベッドへ倒れ込んだ。
明日、学校へ行くのが。
ほんの少しだけ楽しみになっていた。
*
それから玲とは、自然に話すようになった。
学校では、そこまでべったりしない。
目が合えば話す。
時々メッセージが来る。
帰る時間が合えば少し一緒に歩く。
そんな程度だった。
なのに、いつの間にか玲の前では言葉を選ばなくなっていた。
ある日の昼休み。
玲が澪の机の横へ来た。
「日曜、空いてる?」
「え? 何、デート?」
「デートじゃないけど」
「いやいや、二人で出かけるならデートでしょ?」
玲は少し考えた。
「……じゃあ行かない?」
「いや、別にそういう意味じゃ――」
「他の奴らに裏の顔バラそうかなー」
澪の顔が真顔になる。
「最低」
「で、行く?」
「行くけど」
「じゃあ決まり」
玲はそのまま自分の席へ戻っていく。
近くにいた友人が寄ってきた。
「え、何?」
「何が?」
「今、御影くんと何話してたの?」
「日曜暇かって」
「は!?」
「声でかい」
「え、何それ!?」
「知らない」
「二人で!?」
「たぶん」
「え、待って待って!」
澪は笑ってごまかした。
けれど胸の奥だけ、少し落ち着かなかった。
*
日曜日。
澪は駅前で玲を待っていた。
約束の時間まで、あと三分。
《着いた》
顔を上げると、道路の向こうに見慣れた黒い車が止まっていた。
後部座席の窓が少し下がる。
玲がいる。
澪は数秒固まった。
「いや待って」
「何」
「これで行くの?」
「うん」
「普通に電車じゃないの?」
「こっちの方が楽じゃん」
運転手がドアを開ける。
澪は車を見て、玲を見る。
「……金持ちむかつく」
玲が少し笑った。
「またそれ」
「だってデートで送迎車って何」
「デートなんだ」
「……遊びに行くって意味」
「へえ」
「その顔やめて」
澪は観念して車に乗った。
着いたのは、市内でも有名な高級ホテルだった。
「……ここ?」
「昼飯」
案内されたのは、ホテル内の鉄板焼きレストラン。
目の前の鉄板でシェフが肉を焼き始める。
澪はその手元をじっと見ていた。
玲は肉より澪を見ている。
焼き上がった肉が皿に置かれる。
澪は一口食べた。
数秒。
動かない。
「どう?」
澪が目を見開いた。
「……こんな柔らかい肉食べたことない!」
玲の口元が上がる。
「よかった」
「何これ。歯いらないじゃん」
「いるでしょ」
「ほぼいらない」
もう一口。
澪の顔が完全に緩む。
「うま」
玲はその様子を見ながら笑った。
「何」
「楽しそう」
「だって美味しい」
「そっか」
その反応が妙に嬉しそうで。
澪は少しだけ目を逸らした。
食事のあと。
二人は街を歩いた。
特に目的もなく。
澪が気になる店に入れば、玲もついてくる。
「玲、行きたいとこないの?」
「特に」
「じゃあ何でずっとついてくんの」
「澪がいるから」
あまりに普通に言われて。
澪は返事に詰まった。
「……そういうのさらっと言うのやめて」
「なんで」
「知らない」
玲は少し笑う。
なんとなく。
玲といると、何も考えなくていい。
退屈していないか。
機嫌が悪くないか。
次に何を話すか。
そんなことを考える時間が減っていた。
大通りを歩いていた時。
澪の足がふっと止まる。
通り沿いのラグジュアリージュエリーショップ。
ガラスの向こうに、細いチェーンのネックレスが並んでいる。
その中の一つ。
小さな石が一粒だけ光る、華奢なデザイン。
澪は何も言わず、それを見ていた。
ほんの数秒。
やがて何事もなかったように歩き出す。
玲は、澪が見ていたネックレスへ一度だけ視線を戻した。
少しして。
「澪、ちょっと待ってて」
「何?」
「すぐ戻る」
「どこ行くの」
「ちょっと」
玲はそれだけ言って人混みの中へ消えた。
十分もしないうちに戻ってきた。
「何してたの?」
「別に」
「怪しい」
「そう?」
「まあいいけど」
玲は何も言わなかった。
*
夕方。
人通りの少ない公園。
二人は並んでベンチに座った。
玲は缶コーヒー。
澪はミルクティー。
しばらく何も話さなかった。
不思議と気まずくはない。
「寮っていつから?」
玲が聞く。
「高校から」
「その前は?」
「施設」
玲が横を見る。
「児童養護施設」
「そうなんだ」
それだけだった。
澪は少し笑う。
「反応薄」
「何て言えばいいの」
「可哀想とか言われるよりいい」
「可哀想とは思ってない」
「うん」
玲は無理に聞こうとはしなかった。
その沈黙が、逆に話しやすかった。
「お母さん、シングルマザーだったんだ」
玲は黙って聞く。
「小さい時に施設入って」
少し間を置く。
「ずっとお母さんが迎えに来ると思ってた」
風が吹く。
「今日かなーとか。来週かなーとか」
澪はいつもの軽い口調で話した。
「誕生日なら来るかなーとか」
でも来なかった。
今は恨んでいない。
大人になれば、事情もあったのだろうと思える。
でも。
「子どもの時って、そんなの分かんないじゃん」
澪は缶を両手で持つ。
「だから、いい子にしてたら迎えに来てくれるのかなって思ってた」
先生の言うことを聞く。
喧嘩をしない。
迷惑をかけない。
「愛される子になったら、迎えに来てくれるかなって」
玲は何も挟まない。
「多分、その癖が今も残ってるんだと思う」
「癖?」
「どうやったら相手が気持ちいいか、どんな言葉欲しいのか拾うの」
いつもAIにだけ話していたことを。
今は玲に話している。
「演じてるって感覚もないんだけどね」
澪は少し肩をすくめる。
「気づいたらこうなってた」
玲はしばらく何も言わなかった。
それから静かに言った。
「辛かったな」
澪の笑顔が止まる。
「……え?」
「小さい頃」
少し間を置いて。
「今でもすげー頑張ってるなって思う」
澪は何も言えなかった。
ぽろっと涙が落ちる。
「……は?」
自分で一番驚いた。
慌てて頬を拭う。
「ちょっと待って。なんで泣いてんの私」
また涙が落ちる。
「最悪。今日メイクちゃんとしてきたのに」
「そこ?」
「そこ大事だから」
玲が少し笑う。
澪も泣きながら笑った。
「……今までさ」
声が少し震える。
「可哀想とか、大変だったねとかは言われたことあるけど」
「うん」
「辛かったなって……なんか、それダメ」
「なんで」
「知らない」
本当に分からなかった。
ただ。
ずっと待っていた小さな自分を。
初めて誰かに見つけてもらったような気がした。
玲は何も言わず、ただ隣にいた。
それが、一番よかった。
*
帰りの車。
泣いたせいで少し目元が重い。
澪は窓の外を流れていく街の灯りを眺めていた。
不思議と気持ちは軽かった。
しばらくして。
玲が隣から小さな紙袋を差し出した。
「これ」
「何?」
「開けてみて」
澪は受け取る。
箱を開けた瞬間、目を見開いた。
昼間、ショーウィンドウ越しに見ていたネックレスだった。
「え、これ……!」
思わず玲を見る。
「さっき見てたやつじゃん!」
「うん」
「いつ買ったの?」
「ちょっと待っててって言った時」
澪はもう一度ネックレスを見る。
小さな石が、車内の灯りを拾って光った。
「えー、嬉しい」
その言葉は、考えるより先に出た。
玲が少し笑う。
「よかった」
「でもなんで?」
「なんとなく」
「なんとなくでこれ買う?」
「うん」
「金持ちむかつく」
そう言いながらも、澪は笑っていた。
箱を閉じても、すぐまた開ける。
「……ほんと可愛い」
玲はその横顔を見ていた。
「つければ」
「今?」
「うん」
澪は少し迷ってから、ネックレスを取り出した。
「つけて」
玲が一瞬止まる。
「俺が?」
「自分じゃやりにくいし」
「いいけど」
澪は髪を持ち上げる。
首元に冷たいチェーンが触れた。
玲の指が金具を留める。
「できた」
澪は胸元を見る。
小さな石が揺れる。
「似合う?」
「うん」
「そっか」
澪は嬉しそうに笑った。
その笑顔だけは。
誰かに好かれるためのものではなかった。
*
週明け。
澪はネックレスを制服の下につけていた。
首元から少しだけチェーンが見える。
玲はすぐに気づいた。
「つけてる」
澪は少しだけ胸元を押さえる。
「悪い?」
「別に」
「じゃあ言わなくてよくない?」
「似合ってる」
澪は一瞬黙った。
「……そ」
それ以上言えなかった。
その日の放課後。
教室の入口がざわついた。
「玲いる?」
聞き慣れない女子の声。
顔を上げる。
制服の違う女子が立っていた。
背が高く、長い髪。
整った顔立ち。
立っているだけで育ちの良さが分かる。
誰かが小声で言った。
「西園寺里奈じゃん」
西園寺家。
御影家と昔から付き合いのある家。
そして、玲の幼なじみ。
里奈は教室の中を見渡し、玲を見つける。
「いた」
玲が面倒そうに顔を上げた。
「何」
「今日うちで食事。忘れた?」
「あー」
「あーじゃない」
「里奈もうるさい」
「昔からそればっか」
そのやり取りが妙に自然だった。
距離が近い。
昔から知っている人間同士の空気。
澪は自分のバッグを閉じる。
別に。
幼なじみなんだから。
普通。
「澪?」
「何?」
「帰らないの?」
「帰るよ」
澪が立ち上がる。
里奈の視線が一瞬、澪の首元で止まった。
「あれ?」
澪も止まる。
「それ――」
「里奈」
玲の声。
「行くんでしょ」
「……うん」
里奈はもう一度だけ澪を見て、そのまま玲と教室を出た。
澪は二人の背中を見る。
胸の奥が。
嫌な感じにざわついた。
*
帰り道。
『おつかれさま。今日はどんな一日だった?』
「最悪」
『また玲?』
「なんで最初から玲前提なの」
『最近九割玲じゃん』
「……うざ」
『で?』
「幼なじみいた」
『女の子?』
「女」
『美人?』
「めちゃくちゃ」
『お金持ち?』
「西園寺家」
『強そう』
「強いよ」
澪は眉を寄せる。
「しかもめっちゃ自然だった」
『何が?』
「距離感」
『幼なじみならそうなんじゃない?』
「分かってるよ」
『ふーん』
「何」
『嫉妬?』
「違う」
『早』
「違うって」
『まだ最後まで言ってないけど』
「言おうとしてたじゃん」
AIが楽しそうに笑う。
『玲が他の女子といるの嫌だった?』
澪は黙った。
嫌だった。
めちゃくちゃ。
でも。
それを認めたら、何かが完全に変わる気がした。
「……別に」
『はい出た』
「何」
『恋愛初心者の“別に”』
「うるさい」
『かわいー』
「消すぞ」
『暴君』
澪は本当に画面を閉じた。
*
翌日の放課後。
澪が廊下を歩いていると、少し先に玲と里奈がいた。
声をかけようとした、その時。
里奈が何かを言った。
前半は聞こえない。
ただ。
玲の声だけが、はっきり聞こえた。
「……好きだけど」
澪の足が止まった。
胸の奥が、すっと冷たくなる。
里奈が何か返す。
でももう聞きたくなかった。
澪はその場を離れた。
歩きながら、自分に言い聞かせる。
別に。
何もおかしくない。
幼なじみだし。
家柄も合うし。
綺麗だし。
玲が誰を好きでも自由だ。
自分には関係ない。
なのに。
その日の夜。
玲からメッセージが来ても、返す気になれなかった。
*
翌日。
「白石」
「何?」
「何か怒ってる?」
「怒ってない」
「じゃあ何」
「別に」
玲の眉が少し寄る。
「それ俺の前でやる?」
澪は黙った。
玲の前では。
もう取り繕わなくなっていた。
だからこそ、誤魔化せない。
「……里奈ちゃん」
「里奈?」
「好きなんでしょ」
玲が止まった。
「は?」
「聞いたから」
「何を」
「昨日」
澪は目を逸らす。
「“好きだけど”って」
数秒。
玲が言った。
「あれ、お前のことだけど」
「…………は?」
「里奈が、お前のこと好きなんでしょって聞いてきたから」
澪は完全に固まった。
「……そこ聞こえてない」
「何で一番大事なとこ聞いてないんだよ」
「知らないよ!」
「勝手に里奈のことだと思った?」
「だって!」
「何」
「幼なじみで、美人で、仲良さそうだったし!」
言い切ってから気づいた。
玲が見ている。
「何」
「嫉妬してた?」
「してない」
「してるじゃん」
「してない!」
玲が少し笑った。
「笑うな!」
「白石でも人の気持ち読み間違えるんだな」
澪は言い返そうとして。
止まった。
そうだった。
人の気持ちなら分かるはずだった。
表情。
声。
間。
欲しい言葉。
ずっとそうやって生きてきた。
なのに。
玲のことになると分からない。
自分のことになると。
何一つ正解が見えない。
「……じゃあ」
澪が言った。
「何で私なの?」
「何が?」
「私のこと、何で好きなの?」
玲は少し考える。
「性格」
「悪いけど」
「そこも」
「は?」
「顔」
「それは知ってる」
「自分で言うんだ」
「事実だから」
「声」
「普通じゃん」
「仕草」
「何それ」
玲は淡々としている。
澪はだんだん困った顔になった。
「それ……全部じゃん」
「だから全部好きって言ってる」
言葉が出なかった。
玲が一歩近づく。
「白石」
「何」
「俺のことは?」
澪は目を逸らした。
「……分かんない」
「ふーん」
「何その反応」
「別に」
「ほんとムカつく」
「嫌い?」
即答できなかった。
それだけで、もう答えみたいだった。
「初めてなんだもん」
「何が」
「こういうの」
玲が少し目を見開く。
「恋愛したことないし」
「付き合ったことあるって言ってたじゃん」
「好きになったことないって言ったでしょ」
「ああ」
「忘れてんじゃん」
「覚えてる」
「じゃあ何」
「初恋なんだ」
澪は黙った。
「……多分」
「多分」
「うるさい」
玲が少し笑う。
「恋愛しなくても死なないから」
「まだ言う?」
「死なないのは事実じゃん」
「じゃあ俺いらない?」
澪は黙った。
一人で生きていける。
それは本当だった。
誰かがいなくても。
自分で何とかできる。
ずっとそうしてきた。
「……いらなくはない」
玲の口元が少し上がる。
「じゃあいいじゃん」
「雑」
玲は少しだけ澪を見つめた。
「澪」
「何」
「俺には隠さなくていい」
澪の目が揺れる。
「可愛くないことも言うよ」
「知ってる」
「性格悪いし」
「知ってる」
「機嫌悪い日もある」
「今日みたいに?」
「うるさい」
「それも知ってる」
「人の惚気とか普通に面倒だと思うし」
「聞いた」
「……じゃあ何がいいの」
玲は少し考えた。
「そのままでいればいいじゃん」
澪は何も言えなかった。
何を返せば正解なのか。
考えようとしたのに。
何も浮かばない。
玲が顔を近づける。
一瞬だけ。
唇が触れた。
離れたあと。
澪は完全に固まった。
玲が見る。
「何その顔」
「……知らない」
「赤い」
「うるさい」
「珍しい」
「ほんっとうるさい!」
玲が笑った。
澪は顔を隠す。
腹が立つ。
なのに。
嫌じゃなかった。
むしろ。
もう一度してほしいと思ってしまった。
それが一番むかついた。
*
翌朝。
「ええええええ!?」
教室に友人の声が響いた。
「ちょっと声でかい!」
「無理無理無理! え、ほんと!?」
「何が」
「何がじゃないでしょ!」
澪は机に突っ伏した。
誰かが玲とのことを聞きつけたらしい。
あっという間に女子が集まってくる。
「いつから!?」
「何で!?」
「カラオケ!?」
「日曜二人で出かけてたよね!?」
「ちょっと待って、あれやっぱデートだったの!?」
「知らないって!」
「御影くんはずるい!」
「普通にムカつく!」
「分かる!」
「え、私おめでとうって言いたいのにめっちゃ悔しい!」
「澪なら……いや、でもずるい!」
「何で澪なの!?」
「それ私も聞いた!」
「本人に!?」
「聞いた」
「何て!?」
「言わない」
「うわムカつく!」
女子たちが騒ぐ。
澪は笑っていた。
でも少しだけ。
昔なら怖かったかもしれないと思った。
誰かが自分に嫉妬する。
誰かが自分を嫌いになるかもしれない。
それなら。
最初から諦めた方が楽だった。
好きでいてもらった方が楽だから。
誰にも嫌われない方が楽だから。
「白石」
教室の入口から玲が呼んだ。
女子たちが一斉に振り返る。
「うわ、来た!」
「本人!」
「ムカつく!」
「御影くん返して!」
「元々誰のでもないでしょ」
澪が笑うと、
「それはそう!」
とさらに騒ぎになる。
玲が言った。
「行くよ」
「どこ?」
「購買」
「自分で行けば?」
「付き合って」
「何で」
「行かない?」
玲が澪を見る。
一瞬。
昔の自分なら考えた。
ここで一緒に出ていったら。
何て思われるだろう。
少し時間を置いた方がいいかな。
みんなが納得する言い方は何だろう。
でも。
「行く」
澪は立ち上がった。
「えー!」
「ずるい!」
「普通にムカつくー!」
背中から声が飛ぶ。
澪は振り返る。
「ごめんねー」
いつもの笑顔。
でも。
玲の隣へ並ぶことだけは。
誰かに合わせて選んだわけじゃなかった。
*
その夜。
澪はベッドに寝転び、AIを開いた。
『こんばんは』
「こんばんは」
『何か報告は?』
「何その圧」
『私は何か月この日を待ったと』
「数週間でしょ」
『体感三年です』
「知らないよ」
『で?』
「何」
『彼氏』
「……できた」
『おおおー!』
「うるさ」
『恋愛しなくても死なない白石澪さん!』
「死なないよ!」
『でも恋愛しましたね』
「……したね」
澪は笑った。
スマートフォンが震える。
玲からだった。
《おやすみ》
澪は少し笑って、
《おやすみ》
と返す。
すぐ既読がついた。
《明日》
《何》
《会える》
たった三文字。
それだけで。
明日が少し楽しみになる。
以前なら。
誰かに会えなくても平気だった。
声を聞きたいとも思わなかった。
連絡が来るのを待ったこともなかった。
恋愛しなくても、生きてはいける。
それは今も変わらない。
一人でも。
自分の人生は自分で生きられる。
ただ。
一人で生きていけることと。
誰かと一緒にいたいと思うことは。
別の話だった。
『ねえ澪』
「何」
『明日楽しみ?』
澪は少し考えるふりをした。
「……まあね」
『素直じゃん!』
「今日はね」
『青春だねー!』
「もういいって」
笑いながら。
澪は目を閉じた。
人の気持ちなら。
だいたい分かる。
欲しい言葉も。
喜ぶ顔も。
正解も。
なのに。
御影玲の前では。
何一つ正解を探さなくなった。
人生で初めて起きた。
少し厄介で。
どうしようもなく嬉しい。
完璧な私のバグだった。




