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【6/5完結】就職先が倒産したので牧場を継いだら、俺だけ馬の声が聞こえるようになりました  作者: 萩原詩荻
最終章 エクリプス

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第九十五話 サニーボーイ

『さあ宝塚記念、スタートしました!好スタートを切ったのはサニーボーイ!サニーボーイが行きます!』


 実況の声が遠くで弾む。


 そうだ。


「よっしゃあああああ!!」


 叫ぶ。


 横から一頭、前へ行きたそうな馬がちらっと来た。


「譲れ、サニー!」


「嫌だ!!」


「即答かよ!」


「逃げるのは俺の仕事だ!!」


 無理はしない。


 でも、譲らない。


 騎手もわかってくれている。


 行くべき時に行かせてくれる。


 いい人だ。


 好きだ。


 こういう人間は、すごく好きだ。


「大丈夫だ、サニー。楽しく行こう」


 おう。


 任せろ。


 楽しく行って、勝つ。


 最高じゃないか。


 向こう正面。


 観客席の歓声が横を流れていく。


 まだ最初なのに、もう熱い。


 人間たちも、今日のレースがただの一戦じゃないとわかっているんだろう。


『サニーボーイ、快調に飛ばしていきます!後続との差は二馬身ほど!ゴールデンワインは三番手の外!エクリプスは中団やや後ろ、落ち着いています!』


 春のグランプリ。


 古馬も混ざるGⅠ。


 そこに、無敗の三歳馬エクリプスが来ている。


 ダービーまで全部圧勝してきた化け物が、ここにいる。


 人間たちは、きっとそれを見に来ている。


 でも。


 ここにいるのは、エクリプスだけじゃない。


 ワインもいる。


 俺もいる。


 他の馬たちもいる。


 全員、自分のために走りに来た。


 誰かの伝説を飾るために来たんじゃない。


「今日の主役は俺だ!」


 俺は叫ぶ。


 他の馬たちが後ろで笑う気配がした。


 馬鹿にする笑いじゃない。


 全員「主役は自分だ」って思ってる気配だ。


 いいよな、こういうの。


 三コーナー。


 騎手の手綱が変わる。


 合図。


 ここからだ。


 ここからが、本当の勝負だ。


「行くぞ、サニー!」


 背中の声が、いつもより熱い。


「おう!!」


 俺は答えた。


 人間には聞こえないだろうけど。


 たぶん、伝わっている。


『さあ四コーナーを回って直線へ!先頭はサニーボーイ!ゴールデンワインが並びかける!二冠馬とダービー馬がここで激突だ!』


 ワインが来る。


 横に並ぶ。


 息が聞こえる。


 脚音が重なる。


 俺も譲らない。


「ここからだああああ!!」


 叫ぶ。


 身体の奥に残していたものを前へ押し出す。


 ワインの声が低く響く。


「勝負だ、サニー」


「勝負だ、ワイン!」


 直線。


 ゴール板が見える。


 短いようで、長い。


 逃げ馬にとっては、永遠みたいに感じる場所。


 ――勝負だ!!


『サニーボーイ先頭!ゴールデンワイン並んだ!二頭の叩き合い!!』


 脚の回転を上げる。


 お互いの熱がぶつかる。


 これだ。


 これが楽しい。


 先頭で一頭だけ走るのも楽しい。


 でも、こうやって横に強いやつが来るのはもっと楽しい。


 抜かせたくない。


 負けたくない。


 でも、来てくれて嬉しい。


 変な気持ちだ。


 でも、それが競馬なんだと思う。


 並ぶ。


 横一線。


 観客席が爆発する。


 たぶん、人間たちは今、俺たちの名前を叫んでいる。


 サニー。


 ワイン。


 逃げる二冠馬。


 迫るダービー馬。


 カッコいいじゃないか!


 楽しいじゃないか!!


「勝つぞ、サニー!」


「俺がな!」


「俺様だ!」


「俺だ!」


 だが。


 その瞬間。


 外から。


 何かが来た。


 ――速い。


 違う。


 速いって言葉じゃ足りない。


 まるで、俺とワインの叩き合いがスローモーションみたいになる。


『外から来た!!エクリプス!!エクリプス一気に来た!!』


 実況が叫ぶ。


 歓声が、悲鳴に近くなる。


「……っ!」


 ワインが、珍しく声にならない息を漏らした。


 俺も同じだ。


 だが、届かない。


 並ばせてもくれない。


 俺たちの勝負なんて関係ない。


 ――俺たちを一瞬も見ない。


 そのまま、“世界ごと置いていった”みたいにゴールへ飛んでいく。


『エクリプス!!エクリプス先頭!!』


 実況が壊れた声になる。


 ワインが食らいつこうとする。


「待てコラ!!」


 俺も脚を伸ばす。


「まだだ!!」


 でも。


 前に出たエクリプスは。


 俺とワインを置いて。


 さらに加速した。


「嘘だろ……」


 ワインの声が漏れる。


 俺も、同じ気持ちだった。


 まだ伸びるのか。


 まだ。


 まだ、先へ行くのか。


『エクリプス圧勝!!これはすごい!!』


 ゴール板。


 エクリプスが先頭で抜けた。


『なんと三歳馬史上初の宝塚記念勝利!!そして未だ無敗!!これは皇帝を超えたか!?』


 実況が叫ぶ。


 観客の歓声が、また一段上がる。


 俺は、その後ろでゴールした。


 ワインとほとんど並ぶように。


 でも、前には遠い影があった。


 勝負にならなかった。


 そう言いたくなるくらいの差だった。


 エクリプスは、ずっと遠くにいた。


「……強ぇな」


 ワインが、荒い息のまま呟いた。


 その声には、悔しさがあった。


 でも、それ以上に、認めざるを得ない重さがあった。


「強いな」


 俺も答えた。


 それしか言えなかった。


 俺は、遠くにいるエクリプスを見た。


 観客席から、ものすごい歓声が降っている。


 エクリプス!


 エクリプス!!


 エクリプス!!!


 勝った馬なのに。


 歓声の中心にいるはずなのに。


 あいつは、静かだった。


 誇るでもなく。


 喜ぶでもなく。


 ただ、勝ったという事実を受け入れているようだった。


 ワインが少しだけこちらを見る。


「……あいつ、危ないな」


 たぶん、同じことを感じていた。


 エクリプスは強い。


 圧倒的に強い。


 でも。


 このままじゃ、あいつが壊れてしまいそうに感じた。


「ったく、ウイスキの奴、何してんだ馬鹿が」


 ワインが八つ当たりするように言った。


 ……ウイスキ?



 検量室へ向かう道は、やけに長かった。


「よく走った」


 乗ってくれた騎手の声は、そう言っていた。


 わかっている。


 俺はよく走った。


 でも。


 胸の奥が、すっきりしない。


 とぼとぼ。


「サニー、お疲れ」


 聞き慣れた声がした。


 朔だ。


 俺の爺さん。


 ――いや、厳密には種族すら違うけど、俺や牧場の馬たちにとってはもう「爺さん」なんだ。


 爺さんが、俺の首筋に手を置く。


「……爺さん」


 俺は、思わず声が落ちた。


 人間にはただの嘶きに聞こえるだろう。


 でも爺さんには、ちゃんと届く。


「……あいつ、やっぱりこのままじゃダメだぞ」


 爺さんは、小さく息を吐いた。


「知ってる」


 その一言は、重かった。


「……強すぎるからか?」


 それが答えなのかはわからない。


 でも、そう思った。


 強すぎるから。


 誰も横にいないから。


「かもしれん」


 その返事が、妙に重かった。


 強すぎる。


 それは俺たち馬にとっては祝福だ。


 本能が「走れ」と言ってくる俺たちにとって羨ましがられることだ。


 でも、同時に呪いにもなっている。


 誰にも並ばれず。


 誰にも追いつかれず。


 誰も見ずに。


 ただ勝って、勝って、勝って。


 それで、いつか。


 本当に一人きりになっちゃうんじゃないか?


「……わかった」


 俺が、牧場の後輩を一人にする?


 桜井牧場に生まれた馬が、桜井牧場に生まれた馬を孤独にする?


 ――そんなの絶対にダメだ。


 うちの牧場の馬はそんなことは教わってない。


 そうだろ、クラウンの曽爺ちゃん?


「……頼むぞ」


 爺さんの声が、ほんの少しだけ柔らかくなった。


 その瞬間、胸の奥が少し軽くなった。


 勝った負けたよりも、今はそれでよかった。


 そのまま爺さんが最後に首筋をぽん、と叩いてくれる。


「よく走った。かっこよかったぞ」


 ……ああ。


 その一言は、ずるい。


 悔しいのに、少しだけ笑ってしまった。


「へへ」


 人間にはただの鼻息にしか聞こえないだろうけど。


 でも、たぶん伝わってる。


「よし、じゃあ俺はエクリプスも褒めに行ってくるな」


「うん、あ、爺さん!」


「ん?」


 これだけは言っておかねば。


「俺がエクリプスに『楽しい』って言わせたら銅像建ててくれよな!?」


「……いいぞ」


「本当か!?本当だな!!約束だぞ!!」


 爺さんが初めて銅像の許可出した!?


 俺がんばるぜ!!

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