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【6/5完結】就職先が倒産したので牧場を継いだら、俺だけ馬の声が聞こえるようになりました  作者: 萩原詩荻
最終章 エクリプス

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第九十話 ダービーで二着って、十分すごいんだけど、本馬が納得しないと意味がない

 ――東京競馬場。


 ダービーの日。


 馬主席は、相変わらず妙な空気をしている。


 落ち着いているようで落ち着いていない。


 上品そうで、全員中身はだいぶギラついている。


 何十年ここに来ても、この空気だけは慣れない。


 慣れたくもない。


 だって、ここにいる連中、だいたい全員「勝つ気満々」だからな。


 そして今、その勝負が終わったところだった。


『ゴールデンワイン!ゴールデンワインだ!!ゴールデンワイン差し切った!!一着ゴールデンワイン!!二着にサニーボーイ!!サニーボーイ無敗の二冠ならず!!』


「見たかねぇ!!!!!?」


 実況が響いた瞬間、隣で立ち上がって叫んだジジイがいた。


 金持である。


 白髪も増えた。


 顔の皺も増えた。


 でも、勝った時の声量は変わらない。


 むしろ元気すぎるだろ。


「ここにいるんだから見てるだろ」


「そうそう何度も無敗の三冠なんてさせないともさ!!」


 コイツ、飲むたびにあの頃の話をするんだよな。


 楽しいからいいけど。


「何十年それ言うんだよ」


「それだけ悔しかったんだよ!?」


 そう言い返してくる顔は、年を取っても昔のままだ。


 やたら楽しそうで、たまに素直で、やっぱり癒しだ。


「いやぁ、それにしても最高だったねぇ!」


 金持がうっとりした顔で言う。


「最後のあの脚!!見たかい!?見ただろう!?見てたよね!?」


「だから見てるって言ってるだろ」


「サニーボーイの逃げも素晴らしかった!だがしかし!!最後に勝つのはやはり我々ゴールドファーム!!」


「うるせぇ」


 だがまあ、実際問題。


 サニーは完璧に逃げていた。


 誰にも捕まらない形で、最後の直線に入った。


 でも。


 ゴールデンワインが。


 最後の最後で、まとめて全部差し切った。


 あれは……強い。


 認めるしかない。


「ほら、ワイン迎えに行ってこいよ」


 俺が言うと、金持は「そうだった!」と目を見開いた。


「では失礼するよ!!」


「転ぶなよ」


「転ばん!!」


 言うだけ言って、金持はものすごい勢いで馬主席を飛び出していった。


 見てるこっちがヒヤヒヤするくらいの速度だ。


 年齢を考えろよ、とも思うが、たぶん今のあいつにそんなことを言っても無駄だろう。


「……元気だなぁ」


 俺が呟くと、近くにいた年配の馬主さんがくすっと笑った。


「桜井さんも、昔は似たような感じだったんじゃありませんか?」


「私はもう少し静かでしたよ」


「そうですか?」


「……たぶん」


 にこやかに見られている。


 数十年前のあの頃を知る馬主さんたちからは、今でもこういう待遇だ。


 決して嫌ではない。


 ルドルフが皐月賞を勝った時、俺は馬主席から飛び出した。


 有馬記念の時や春古馬の時も、まともだった記憶がない。


 人間は、都合の悪い昔を忘れることで生きている。


「……さて」


 俺も立ち上がる。


 サニーに会いに行く。


 勝った馬を称えに行くのは、その陣営の役目だ。


 俺が今行くべきは、二着だったうちの馬の方である。



「くそぉぉぉぉぉ!!俺の無敗三冠ロードが一冠で閉じたぁぁぁぁ!!」


 うるさい。


 思ってた以上に、うるさい。


「うるさい」


 俺が近づくなり言うと、サニーがぱっとこっちを見た。


「爺さん!見てたか!?」


「見てたからここにいるんだよ」


 金持とテンション一緒か、お前。


 サニーは、汗をめいっぱいかきながら、目だけはきらきらしていた。


「いやー!!でも悔しい!!悔しいぞ!!めちゃくちゃ悔しい!!」


「そうだろうな」


「だってあとちょっとだっただろ!?俺、あそこまで完璧だったよな!?直線入った時『これ勝ったな!』って思ったもん!!」


「思ってそうだった」


「だろ!?」


 俺も思った。


「でも勝ったアイツも強かっただろ!?」


「そうだな」


 素直に答える。


「超楽しかった!」


「それはよかった」


「でも悔しいぃぃぃぃぃ!!」


「感情が忙しいな」


 そう返しながら、首筋を撫でる。


 サニーの身体はまだ熱かった。


 全力で走ってきた馬の熱だ。


 こんな熱を持ったまま、「悔しい!」と「楽しかった!」を同時に叫べるの、だいぶ特殊能力だと思う。


 少し離れたところで別の馬たちがざわざわしていた。


「サニーの奴、負けたのに元気だな」

「むしろ元気すぎるだろ」

「さっきまで三冠とか言ってなかったか?」

「言ってた」

「まあ、サニーだし」


 普段のサニーがどんな扱い受けてるか何となくわかるな。


 そこへ、少し離れたところから低い声がした。


「まったく、負けた馬のくせにずいぶん元気だな」


 ゴールデンワインだ。


 近くでは金持が、いかにも「どうだ!」みたいな顔をしている。


 お前はちょっと落ち着け。


 サニーが、ぱっとそっちを向いた。


「うるせー!!ダービー勝ったからって調子に乗るなよ!!」


「乗るに決まってるだろう。今日はそういう日だ」


 ワインの返しは、ビールより少しだけ静かに感じた。


 でも、やっぱりゴールドファームだ。


 根っこが煽り文化だ。


「皐月賞ではお前が勝って、今日は俺様が勝った。これで一勝一敗だ。綺麗な話だろう?」


「綺麗にまとめようとすんな!!」


「だが、ダービーを勝ったのは俺様だ」


「うわぁぁぁぁ!!今それ言うのずるい!!」


 サニーが本気で悶えている。


 その様子に、思わず笑いそうになった。


 でも、それでいい。


 ワインの騎手が、少し困ったように笑っていた。

 サニーの騎手も、苦笑いしながら首筋を撫でてくれている。


 みんな、言葉はわからなくともきっとわかっている。


 この二頭は、これで終わる縁じゃない。


「よく走ったな」


 俺は、少しだけ手に力を込めて首筋を撫でた。


「かっこよかったぞ」


 その瞬間、サニーの顔が一瞬だけゆるんだ。


「……へへ」


 おいおい、そんな顔すんな。


 こっちまで少し緩むだろうが。


「ダービー二着ってすごい?」


「めちゃくちゃすごい」


「でも一着じゃない」


「それもそう」


「だよなあああああ!!」


 情緒がジェットコースターである。


 金持はゴールデンワインの首筋をぽんと叩きながら、大層満足げに言った。


「いやあ!サニーボーイもさすが皐月賞馬だったが!しかし!最後に勝つのはやはり我々ゴールドファーム!!」


「うるさいぞ」


「悔しいのかね!?」


 金持はにやにやしている。


 俺も苦笑するしかない。


 昔は、こいつに勝たれるとめちゃくちゃ腹が立った。


 いや、今も腹は立つ。


 でも、それ以上に、なんか懐かしかった。


「次は、うちのサニーが勝つ」


 金持が、妙に満足そうにこちらを見た。


「いやあ、いいものだね!!」


「何が」


「若駒たちが未来を争うのは!!」


 それは、たしかにそうかもしれない。


「競馬というものはだね、ロマンだよ」


「急にどうした」


「そしてロマンとはだね!」


「話が長い」


「聞きたまえ!!」


 後でな。


 盛り上がってる二頭を見ながら他の馬たちも苦笑している。


「アイツらマジで元気だな」

「サニーはいつもああだ」

「というかサニーのとこの爺さん普通に会話してない?」

「サクライだぞ」

「ああ、なるほど」

「ワインもけっこう煽るな」

「ゴールドファームの馬だし」

「納得」


 好き放題言われてるけど、みんな仲良さそうで何よりだ。



 その日の夜。


 帰りの飛行機まで少し時間があったので、競馬場の外で金持と少しだけ話した。


 今日は勝った側と負けた側なので、普通なら気まずいかもしれない。


 でも、俺たちはそういう時期をとっくに通り過ぎている。


「いやあ、ワインは見事だった!」


「何回言うんだよ」


「何回でも言うとも!」


「昔のビールの時もそんな感じだったな」


「ビールの時は、ルドルフに何度も何度も煮え湯を飲まされたからね!」


「ジャパンカップはビールが勝っただろ」


「あれは生涯最高の酒だった」


 お互い年を取った。


 でも、こういうくだらない会話は変わらない。


 金持は少しだけ空を見た。


「しかし、不思議なものだね」


「何が?」


「君のサニーはクラウンの血だったね」


「ああ」


「正直、あのクラウンの血がここまで来るとは思わなかった」


「あの時、金持に相談してよかったよ」


 言いながら、少し笑ってしまった。


 クラウンが聞いたら絶対怒る。


『俺は最初からすごかった!!』


 とか言う。


 でも、たぶん最後には嬉しそうに胸を張る。


 そういう馬だった。


「あの頃の馬たちが生きていたら、今日はうるさかっただろうね」


「間違いない」


 二人で笑った。


 金持も、たぶん同じ景色を思い浮かべていた。


 遠い。


 でも、遠すぎない。


 血が続いている限り、あの頃は時々戻ってくる。


「次は負けんぞ」


 俺が言うと、金持はにやりと笑った。


「こちらこそ、次も勝つ」


「サニーは強くなるぞ」


「ワインもだ」


「じゃあ楽しみだな」


「うむ。だから競馬は面白い」


 その言葉には、ロマンが詰まっていた。


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― 新着の感想 ―
長い付き合いになったなぁ
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