第八話 気にしなくていいのに
ウイポの体験版が来たので、行ってきます
今日は、最北軽種馬振興公社が主催する、一歳馬のセリ市の当日だ。
会場に到着すると、そこはすでに数え切れないほどの人間と馬で溢れかえっていた。
全国から集まった馬主、調教師、エージェント。
皆、一獲千金の夢を乗せた「金の卵」を探して、血走った目で一歳馬たちを品定めしている。
桜井牧場のブースを設営し、四頭を繋ぎ、毛並みを整える。
「朔、今日の人たち、みんな目が怖ーい」
「おじさんたちが私のお尻をじろじろ見てくるんだけど。失礼じゃない?」
「朔ー、あそこのゴールドファームやばくなーい?」
「ご飯!ご飯くれ!!」
こいつらはいつもどおりで安心するな―
「おお、桜井牧場の……朔くんだったね」
振り返ると、そこにはピカピカのスーツを完璧に着こなした男が立っていた。
なんだ、金持か。
「久しぶり」
「ふふん!見てくれたまえ、このラインナップを!
うちなんて、今年は例年以上に期待馬が多すぎて、出す方も大変だよ!
スタッフの管理も、馬の体調チェックも、一秒の猶予もない!あー、忙しい忙しい!」
要するに「構ってくれ」と言っているのだ。この男、寂しがり屋か。
「うん、おつかれ。大変そうだな、本当に」
嫌味のつもりかもしれんが、いや、本当に大変そうだ。
金持の後ろに目をやると、スタッフは全員お揃いのブランドポロシャツを着こなし……なんか、不安そうにこっち見てるな。
「……君ね、もう少し羨ましそうにするとか、驚くとか、そういうリアクションはできないのかい!?これだけの良血馬が揃っているんだよ!?」
「いや、凄いのはわかるよ。みんな『僕、一億円で売れる予定でーす』って顔してるしな」
ゴールドファームの馬たちは一頭残らず「中に宝石でも入ってるん?」と思うほど発光している。
すごいなー、あの毛並みを整える技術教えてくれないかなー。
「当然だ!わかればよろしい!」
金持は満足げに胸を張ったが、ふと周囲に人がいないことを確認すると、少しだけ声を潜めて俺に近づいてきた。
「……コホン。ところで、先日のことだがね」
「先日?」
なんのこっちゃ?
こちとら毎日が光陰矢の如しなんだが。
「君がうちに来た時のことだよ!忘れたのかね!?」
金持が少し顔を赤くして詰め寄ってくる。
近寄るな、怖い。
「ああ、あの腹痛の馬どうなった?」
やっと思い出したので、聞くと、金持は一瞬、周囲を気にするように声を潜めた。
「……調べたら、軽い疝痛を起こしていた。幸い、処置もすぐに済んでね。
翌日にはケロっとしていたよ。早めに知れて助かった」
「そっか、よかったよかった」
それは良かった。
腹痛はしんどいもんな。
…………ノロウイルスに当たったときなんて、死ぬかと思ったもん。
金持は複雑そうな表情で俺をじっと見つめた。
「……君は、何か特別な相馬眼でも持っているのかね? それとも、ただの偶然か」
「あの馬が『お腹痛い』って言ってたんだよ」
金持は、信じたのか信じてないのかわからんが、
どこか悔しそうに、俺を見た。
「まあいい、…………礼はしてやろうじゃないか!」
金持が急に姿勢を正し、ビシっと指を指してきた。
「別にいいよ。気にするな」
金持が唐突に大声を上げた。俺は耳を塞ぎそうになる。
「いいや!良くない!あの後、僕は『坊ちゃん、友達は大事にした方がいいですよ』とか『坊ちゃん、お礼はきちんとしなきゃダメですよ?』だのスタッフの何人に言われたと思ってるんだ!?」
後ろのスタッフたちが、慌てた様子でこちらを見ているのも視界に入る。
「……苦労してるんだな」
誰がとは言わないけど。
「だから!一度だけ!君がゴールドファームの種牡馬を望むとき!優先的に取り計らってあげようじゃないか!」
えー、それヤバくない?
ゴールドファームの種牡馬と言えば、国内最高峰の血統が揃っている。
それを「優先的に」というのは、競馬界ではとんでもない特権である。
たぶん。
「いいのか?すごい待遇じゃないのか、それ?」
「凄いに決まっているだろう!うちのトップサイアー(種牡馬)は、一頭で何億も稼ぎ出す宝物だ。それを、君のような零細牧場の、しかも実績のない馬に優先的に回すなんて……正気の沙汰ではないよ!」
金持は自分でも何を言っているんだという顔をしている。
じゃあ、言うなよ。
「……でも、あの子はね」
金持の声のトーンが落ちる。
「……腹痛を起こしていたあの仔馬はね。僕が継いで初めて、自分の手で取り上げた馬だったんだよ」
その声は、今までの尊大なものとは違い、一人の「ホースマン」としての響きを持っていた。
「……だから。助かったのは事実だ。僕は馬に関しては嘘はつかない」
ふーん。良いやつじゃん。
「馬が好きなんだな」
「当たり前だろう!?」
そこで怒れるなら、コイツは良いやつだ。
「じゃあ、ありがたく受け取っておくよ。ありがとうな」
「ふん! それで貸し借りなしだから! それでは失礼するよ! 僕は忙しいのでね!!」
金持はマントでも翻すような勢いで、自分のスタッフたちの中へと戻っていった。
「あいつもあいつで大変なんだろうなー」
よくわからんけど。
「朔、何をやっとる。準備サボるな」
爺さんに背後から呼ばれる。
マズいマズい。
こいつらが、良い馬主さんに巡り合えますように。




