表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

5/12

第五話 ストーンブレイク

 ゲートの中ってのは、何度入っても嫌なもんだ。


 狭い、暗い、落ち着かない。


 隣の馬がガタガタ騒いでやがる。


「おい、静かにしな。心臓の音がうるさいよ」


 あたしは隣の若造に一喝してやった。


 今日は札幌競馬場、芝1200メートル。

 あたしたち馬にとって、ここは「職場」であり「戦場」だ。


「……だってよー、ストーンの姉御。今日、客席のヤジが怖くて」


「うるせえ。客なんか見てんじゃねえ。お前を引っ張ってたジジイの顔を思い出せ。あいつ、さっきお前の脚を念入りにさすってただろ?」


「……あ」


 ブヒンと一喝してやると、若造が黙る。そうだ、それでいい。


 あたしたちは走るために生まれてきた。

 理屈じゃない、本能と、ほんの少しの「義理」で動いてる。


 ……たまに、それ以外の馬もいるけどな。


「落ち着け、ストーン」


 鞍の上の騎手が、あたしの首筋を軽く叩いた。


 あーあ、全く。あたしだって緊張してんだ。でも、今はそれどころじゃない。


 さっきの坊主……朔の顔。


 せっかくあたしたちの声を信じて、勇気を出して人間に話しかけたのに、鼻で笑われやがって。


「……よし、いい子だストーン。行こうぜ」


 騎手が優しく声をかけてくる。


 気合を入れなおしたあたしを、落ち着いたと判断したらしい。


 こいつはあたしの言葉は分からない。

 でも、いい勘をしてる。


 ファンファーレの音。


 この音、でっかいレースだともっと豪勢で長くなるらしいけど、正直うるさい。


 音楽が止まり、静かになる。


 別に重賞でもなんでもないレースだ、大きな歓声なんて上がらない。


 でも。


 ……。


 ガシャンッ!!


 ゲートが開き、視界が開ける。


 蹴立てる音。風が耳元を叩く。


 一気に体中の血が沸点まで上がる。これがレースだ。


「どけ!そこはあたしの進路だよ!」


「うわっ、ストーン!速いって!」


 前を行く先行集団のケツを睨みながら、あたしは中団につけた。


 4コーナーを回るまでが勝負だ。


 ふと横を見ると、さっきの8番――左脚が痛いって言ってたアイツが、無理に脚を伸ばそうとして顔を歪めていた。


 かわいそうに。人間が鞭を入れりゃ、馬は走るしかない。


 でも、あたしたち馬ってのの身体は大切にされている。


 牧場の爺さんの愛情。坊主が毎日せっせと運んできた干し草。

 調教師のおっさんの厳しい訓練。


 それらが全部、今のあたしの筋肉の「燃料」になってる。


 第4コーナー。外側に膨らもうとする他馬を、肩で押し返す。


「そこをどきな!」


「くっ……なんだよお前、なんでそんなやる気出してんだよ……!」

「たかがこんなレース真面目にやってんじゃねーよ」


 その程度の気合の奴らに返す言葉はない。


 直線。目の前が開けた。


 ターフの向こうに、あの坊主が、朔が見ているはずだ。


 あたしは肺が弾けそうなほど息を吸い込んだ。


 脚が重い。地面が泥のようにまとわりつく。


 でも、後ろから来る馬たちの気配が、あたしのプライドを突き動かす。


 ゴールドファームの馬か?知るかよ。


「……あたしを誰だと思ってんだ」


 あたしの背中には、桜井牧場の看板が乗ってんだ。

 あのボロい厩舎と、不器用なじいさんと、働くとこもねぇ情けない孫の希望が乗ってんだよ!

 無駄に優しい調教師のおっさんが、毎日毎日磨き上げたこの馬体を、甘く見るな!!


「どけぇぇぇぇ!!!」


 嘶きにならない叫びが漏れる。


「行け!ストーン!」


 騎手があたしの身体をグイグイ押してくる。


 いいぞ!あんたはいい騎手だ!!


 一歩ごとに、景色が後ろに飛んでいく。


 先頭を走っていた馬が、ゆっくり後退していくように見える。


 残り100。


 あたしの願いに応えるように、背中に一発、魂の入ったムチが飛んだ。


 隣で必死に食らいついてくる馬が、驚いたような声を上げた。


「マジかよ……どこにそんな力が……!」


「意地だよ、意地!あんたも覚えときな!」


 あたしは馬だ。


 血統がどうとか、賞金がどうとか、そんな小難しいことは知らねえ。


 ただ、一つだけ確かなことがある。


 あの牧場に戻ったとき、爺さんと坊主に「おかえり」って言ってほしいんだ。


 歓声が聞こえる。

 でも、あたしの耳にはもっとはっきりした声が聞こえていた。


 幻聴じゃねえ。


 観客席で、喉を枯らして叫んでいる坊主の声だ。


 ゴール板が、スローモーションのように通り過ぎる。


 突き抜けた。


 ……。


 ……。


 ……。


 止まらない勢いのまま、あたしは首を振って汗を飛ばした。

 肩で息をしながら、ゆっくりと歩調を緩める。


 あー、疲れた。

 でも、気分は最高だ。


 騎手があたしの首筋をポンポンと叩いた。


「……よくやった。お前、今日は凄い気迫だったぞ」


 あんたも良い騎乗だったよ、という思いを込めてブヒンと鳴いてやるが、多分伝わってない。


 検量室の方へ戻っていく道すがら、さっきの8番がとぼとぼと歩いているのが見えた。


「脚は大丈夫だったかい?」


「ああ、相変わらず違和感はあるけど、たぶん大丈夫だ」


「それならよかった、ちゃんと診てもらうんだよ」


 会話をしながら検量室へ歩いていく。


 多分、この会話も騎手二人には、何言ってるかわかってない。


「この二頭、仲いいですね」

「んー、前見た時、特にそんなことなかったんだけどなー」

「なんかあったんですよ、きっと」


 ほら、わかってない。


 間抜けな顔でこっちを見ている坊主の姿があった。


「……見たかい、坊主」


 あたしは誇らしげに鼻を鳴らした。


「馬の言葉を聞けるなら、次はあたしの勝利宣言も、ちゃんと通訳しなよ?」


「さすがに無茶言うな」


 もちろん、周りの奴らには、あたしたちが何を話しているかなんて分かりゃしねえ。


 でも、あたしは決めた。

 この坊主の言うことを周りが信じるように手伝ってやる。


 あたし程度じゃ、どこまで勝てるかなんて知らん。


「もっともっと勝ってやるからな、表彰式出たかったら来るんだよ」


「毎回来てたら、交通費で破産するわ」


 ケチくせぇ坊主だ。

 わざと鼻息をぶっかけてやる。


 ちょっとよろけている。

 面白い。


「まだまだだな」


 あたしの心臓はまだ、誇らしく鳴り響いていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ