第二十話 函館デビューって、なんか美味しそう
ストーンが無事、受胎……つまり、まあ、“このまま上手くいけば来年産まれるね”となり、静内の桜が咲き、散ったころ。
「さくー!こいつが僕のしっぽ踏んだー!」
「踏んでなーい! そっちが勝手にしっぽ置いてただけー!」
「さくー!この葉っぱおいしー!」
「おかあさーん!」
「さくー!あいつが、さっき僕の耳噛んだー!」
「噛んでなーい!ちょっと味見しただけー!」
今年生まれた当歳たちが、朝から全力で生きている。
いや、本当に元気なのはいいことなんだ。
元気なのは。
でも、あいつらは元気と騒音をほぼ同義だと思ってる節がある。
まだ親離れもしていないので、放牧地のあちこちで母親の後ろをちょこちょこついて回り、いきなり走り出し、転びかけ、また起きて、わけのわからんことで盛り上がっている。
でも、今年の当歳が特別うるさいのかというと、たぶんそうでもない。
今年は今年でうるさい。去年は去年でうるさかった。そして来年もきっとうるさい。
そういう生き物なんだろう。
「坊主ー」
放牧地の端で草を食みながら、年上の繁殖牝馬が呆れたように言う。
「今年の当歳、ちょっと元気すぎないかい」
「お前、去年も同じこと言ってたぞ」
「毎年思ってるんだよ」
「年寄りの愚痴か」
「誰が年寄りだい」
そう言われても、牝馬社会の中ではわりと古株なんだよなこの人。
で、そんな当歳たちより、最近ちょっと困っているのが別にいた。
去年の当歳だった、今年一歳の仔馬たちである。
「朔ー!」
一歳牝馬の一頭が、こっちへ首を伸ばした。
栗毛で、目がくりくりしていて、可愛げはある。
あるが、口を開くとだいたい余計なことを言う。
「なんだ」
「私さ、たぶん京都向きだと思う」
「急に何の話だよ」
「だって、なんとなく大和撫子っぽいじゃない? 私」
「知らん」
隣の鹿毛の牡馬が、得意げに鼻を鳴らす。
「俺は中山だな」
「なんで?」
「坂が似合う顔してるから」
「顔で競馬するな」
さらに別の牝馬も負けじと首を上げる。
「じゃあ私は東京。大舞台が似合うから」
「お前ら、まだ入厩すらしてないだろ」
「でもクラウン兄ちゃんも言ってたぞ」
「何て?」
「『心が王者ならだいたい王者』って」
「……あいつ後で叱る」
絶対適当なこと吹き込んでるな。
さらに別の芦毛が、いかにも賢そうな顔で言った。
「僕は一歩引いた視点で全体を見てるけど、今年の世代は粒ぞろいだよ」
「急に嘘くさいな」
「失礼な。僕は客観性がある」
「昨日、自分の影に驚いて走り出してただろ」
「それは不意打ちだよ」
全員生意気であるが、今年のセリ候補たちである。
ミスタークラウンの悪影響をもろに受けていた。
あいつは今ここにいないのに、言動だけ残ってる。
馬たちにとっても中二病って不治の病なのかな。
◇
午前の作業が一段落した頃、俺は厩舎の前で藁を束ねていた。
そんな時だった。
ジリリリリリ。
ジリリリリリ。
「あ」
なんか、こういうタイミングの固定電話は、たいていちゃんとした用事だ。
そして、ちゃんとした用事はだいたい面倒くさいか緊張するかのどっちかである。
『急にごめんね』
「いえ、大丈夫です。たぶん」
牧場がうるさいのはいつものことだ。
『クラウンのことで、ちょっとね』
その一言で、俺は少し姿勢を正した。
「クラウン、何かやらかしました?」
『ははは。いや、やらかしたっていうか……まあ、やらかしてると言えばやらかしてるかもしれないけど、悪い意味じゃないよ』
「どっちです?」
『元気すぎるだけかな』
だろうな。
想像できる。
向こうでも偉そうにしてるんだろうな、あいつ。
『調教、順調なんだよ』
「おお」
それは普通に嬉しい。
『思ったより前向きだし、気も強いし、競走馬として悪くないっていう評価でね』
「へぇ」
電話口の向こうで、岡部さんがちょっと楽しそうに続ける。
『それでね、もしよければなんだけど』
「はい」
『函館でデビューさせようと思ってるんだ。夏の開幕あたりでね』
「函館」
思わずそのまま復唱した。
頭の中に、海鮮とラッピと夜景と、あとイカがぼんやり浮かんだ。
いや、観光じゃないんだが。
『もちろん絶対じゃないよ。ここからの調整次第。でも、今の感じなら十分視野に入るかな、って』
岡部さんの言葉は、いつもちゃんと現実的だ。
“いけます!”と軽く言わないし、“無理です”ともすぐ決めない。
だから逆に、こうして言われると、かなり期待してしまう。
『もしよければ、見に来ないかい?』
「……え?」
『もちろん、現実はそんなに甘くないし、いきなり勝つなんて簡単じゃない。でも、今の段階のこの子を、一回見てもらうのは悪くないかなって』
クラウンのデビュー。
あの、放牧地で英傑ポーズを決めていたアホが、本当にレースに出る。
まだちょっと実感がない。
でも、見たいか見たくないかで言えば。
「見たいです」
それは、かなり即答だった。
『うん。じゃあ、また近くなったら詳しい日程とか連絡するね』
「はい。お願いします」
チン。
「……デビュー戦かー」
思わず独り言が漏れる。
「なんだって?」
爺さんが湯呑みを持ったまま聞いてくる。
「クラウン、順調らしい」
「そうか」
「函館でデビューさせるって」
爺さんの眉が、ほんの少しだけ動いた。
「ほう」
「見に来ないかって言われた」
「行くのか」
「行きたい」
即答だった。
爺さんは俺を見て、それから少しだけ頷いた。
「段取りはつけろ」
「はい」
「それが出来んうちは、まだ半人前だ」
「耳が痛い」
「痛いうちは大丈夫だ」
それだけ言って、爺さんはまた湯呑みに口をつけた。
このへん、ほんとに会話が最低限なんだよな。
でも、言いたいことはわかる。
見に行くなら、見に行く準備も含めて牧場主の仕事だ、ってことだ。
「函館なら飯は美味いぞ」
「行く理由が増えたな」
「減ることはない」
減ることはないのか。
いや、たしかに。
競馬を見に行って、うまい飯も食えるなら、それはもうだいぶ良い遠征だ。
レースも見たいし、イカも食いたい。
欲張りなくらいがちょうどいい。




