第十話 なまえをつけよう
セリが終わって、一か月くらい経った。
あの日まで四頭ぶんの騒がしさでちょうどよかった桜井牧場は、今やすっかり静か――
には、ならなかった。
「朔ー!腹減ったー!」
「朔ー!おかあさんいなーい!!」
「おかあさーん?おかあさーん!!」
「朔!朔!そういえば、お兄ちゃんたちいなくね!?」
当歳たちの親離れが始まったからである。
「……静かになったと思ったの、三日くらいだったな」
そして今日もまた、放牧地の真ん中で当歳馬たち相手に偉そうなことを言っている馬……いや、馬鹿がいた。
「いいか、お前ら」
うちにただ一人残った一歳馬の青鹿毛が胸を張る。
いや、馬に胸があるかは知らんが、とにかくそういう雰囲気である。
「俺は速くなるぞー」
当歳馬たちが「おおー」と無邪気に声を上げる。
「重賞とかもポンポン勝って、このボロ牧場おっきくして、ご飯も美味しくしてやるからなー」
「わあー!」
「ぽんぽんってなにー?」
「ごはんおいしくなるのー?」
「ぼろってなにー?」
質問の方向性が雑だな、当歳組。
というかアイツ、残るの決めた時もうちょっと賢そうだったのにな。
「お前さ」
俺が柵の外から声をかけると、青鹿毛は得意げにこっちを向いた。
「なんだ、未来の重賞馬に何か用か」
「まだ名前もないのに未来を大きく語るな」
「いや、だから名前付けてくれよ」
それはそう。
ここ一か月くらい、なんとなく「青鹿毛」とか「お前」とか「残ったやつ」とかで誤魔化してきたが、そろそろ限界だった。
当歳馬たちからも「おにいちゃん」と呼ばれ始めてるし、それはそれで可愛いけど、競走馬候補としては締まらない。
爺さんも馬房の掃除をしながらぽつりと言う。
「そろそろ付けろ」
「だよなぁ」
青鹿毛が鼻を鳴らす。
「間抜けなのは嫌だな。かっこいい名前にしろよ」
「どんな名前がいい?」
「強そうで」
「うん」
「覚えやすくて」
「うん」
「金持ちっぽくて」
「急に俗だな」
「あと牝馬にモテそうなやつ」
なんで馬も人間も、オスはこのへんの欲望が似るんだろうな。
「うーん……」
俺は青鹿毛を眺める。
青みがかった黒い毛並み。体つきは悪くない。顔つきは……まあ、なんかちょっと偉そうだな。
いや、そのくらいでちょうどいいのかもしれない。小さい牧場の馬が大きいところと渡り合うには、それくらいの図々しさが必要だ。
俺は青鹿毛の額を軽く撫でた。
こいつは妙に気が大きい。
根拠のない自信がある。
人間だったらたぶん大学一年の飲み会で「俺、社長になるから」って言ってるタイプだ。
……嫌いじゃない。
「よし」
俺は決めた。
「お前の名前は――“ミスタークラウン”だ」
一瞬、周囲が静かになった。
青鹿毛が、ゆっくり瞬きする。
「……ミスタークラウン?」
「おう」
「王冠のクラウン?」
「そうそう」
「え、めっちゃカッコよくない?」
「気に入ったか?」
「気に入った!」
ミスタークラウンは、その場でぴょんと跳ねた。
「うわー!俺、王様じゃん!」
「いや、ミスターだから王様ではない」
「細けぇことはいいんだよ!ミスタークラウン!すげぇ!」
そのテンションのまま、放牧地をぐるっと走り始める。
「おい、今走るな。飯食った直後だろ」
「うるせぇ! 俺は今日からミスタークラウンなんだぞ!」
「名前付いただけでそんな変わる?」
「変わるに決まってんだろ!名は体を表すんだよ!」
「一歳馬がどこでそんな言葉覚えたんだよ」
当歳馬たちまで「くらうーん!」「なんかすごそー!」と勝手に盛り上がっている。
うん、まあ、悪くない。
「よし、決まりだな」
「任せろ! 俺がこの牧場の未来を背負う!」
「未来を背負う前に、お前はまずちゃんとまっすぐ走れるようになれ」
俺が柵の外から言うと、ミスタークラウンは不満そうにこっちを見る。
「朔は夢がないな」
「現実があるんだよ」
「俺には夢も現実もある」
「強いな」
こいつ、妙に精神力だけはあるな。
◇
昼飯のあと、厩舎でブラッシングをしていると、ミスタークラウンはまださっきの宣言の余韻を引きずっていた。
「なあ朔」
「んー?」
「俺、どれくらい勝てると思う?」
「知らん」
「そこはさ、せめて“七冠馬くらいかな”とか言えよ」
「せめてのハードルが高い」
「夢はでっかくだろ」
「まあ、それはそうかもしれんけど」
ブラシをかけながら、俺はミスタークラウンの背中を見る。
まだ全然、完成なんてしていない体だ。
脚も細いし、筋肉もこれから。顔つきだけはやたらと大物っぽいけど、そんなもんでレースは勝てない。
でも、なんとなく。
こういう“根拠のない自信”って、悪くない気もする。
「まあ、がんばれ」
俺は正直な感想を言った。
「おお、軽いな」
「だって今のところ、お前が勝つ未来も、負けまくる未来も、両方普通に想像できるし」
「失礼だな!」
「でも、お前が速くなってくれたら助かるのは本当だよ」
「ほら見ろ! 期待してるじゃん!」
「いや、期待はしてる。してるけど、お前がさっき言ってた“重賞ポンポン勝って”はだいぶ盛ってると思う」
「ちぇー」
ミスタークラウンは唇をむにっと動かした。
「朔は現実主義者だな」
「お前が夢見がちなんだよ」
隣の馬房から、年上の繁殖牝馬が口を挟んでくる。
「坊主ー。そのぐらいの歳の馬って、だいたい自分が最強だと思ってるから放っとけばいいよ」
「そういうもん?」
「そういうもん。大人になると現実が見えてくる」
「なんか深いな」
「深くないよ。ストーンブレイクのガキんちょも一歳の頃はそんな感じだった」
「ストーンの姉ちゃんはすごいんだぞ!」
ミスタークラウン……クラウンでいいか、が言い返すと、繁殖牝馬たちは微笑ましいものを見るような顔で笑っている。
ミスタークラウンは耳まで赤くしていた。たぶん赤くなってた。青鹿毛だからよくわからんけど。
◇
夜。
俺は母屋の机で血統表とにらめっこしていた。
「……ノーザンダンサー多すぎない?」
この世界、だいたいどっかにノーザンダンサーいるじゃん。
なんかダビスタでもウイポでもお世話になった記憶だけはある。
あるが、俺は配合は適当かつロマン派だったんだよ。
そんなことをぼやきながらメモを取っていると、固定電話が鳴った。
このご時世に固定電話というのもどうなんだと思うけど、牧場にはまだ普通にある。
俺が立ち上がって受話器を取る。
「はい、桜井牧場です」
『あ、朔くん?岡部です』
「あ、岡部さん。どうも」
ストーンブレイクを預かってくれている調教師さんだ。
俺みたいなペーペーに対しても相変わらず柔らかい声でありがたい。
『急にごめんね。今、大丈夫?』
「はい、なんとか」
なんとか、って言いながら、机の上に広がってる資料はまるでなんとかなってないけど。
『一回、トレセンに来られるかなと思ってね』
「トレセン?」
トレーニングセンター。
競走馬がいる、いわば競馬関係者の本拠地みたいなとこだ。詳しくはまだよく知らん。
『うん。ちょっとストーンブレイクのことで話があってね』
俺は一瞬、姿勢を正した。
「ストーンが何かやらかしました?」
『ははは、やらかしたと言えば、やらかしたのかもしれないし、そうじゃないのかもしれない』
「どっちです?」
『悪い話じゃないから気にしなくてもいいよ。来月くらいまでに来てくれるとありがたいかなー』
うわ、気になる言い方するなあ。
「わかりました。近いうちに行きます」
『ありがとう。じゃあ、待ってるよ』
電話が切れる。
……まずい。
「トレセンって何かってのがふわっとしかわからん」
流石にウマ娘みたいな場所ではないはずだ。
少しくらい勉強してから行かねば。
まあ、でも。
たぶん、そこにいる馬の声も聞こえるだろうし。
「なんとかなるべ」




