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追放された“ログ係”は、世界の裏設定を読めるようになりました  作者: トワイライト
第6章:崩壊 ――勇者最終編

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第71話:最終決戦開始

 夜と朝の境目が、崩れた都市の上でねじれていた。

 黒く割れた空からは、稲妻にも似た闇の光が何本も落ち続けている。雷鳴の代わりに響くのは、耳を裂くような軋みと、世界そのものが悲鳴を上げているような低い唸りだけだった。


 その中心に、ひとつの影が立っていた。


 かつて勇者と呼ばれた少年——カイル・ヴァルディス。


 今そこにいるのは、人の形をかろうじてなぞった“何か”だった。


 全身は黒い甲殻のような装甲に覆われ、筋肉の躍動をそのまま黒く固めたような線が、鎧と肉の境目を曖昧にしている。背中から生えた二枚の翼は羽根ではなく、ひび割れた虚空そのものが形を取ったような異形で、広がるたびに空に走る裂け目を押し広げていった。


 顔の半分はもう人の輪郭を失い、口のあったはずの位置には、黒い亀裂と牙のような影が入り組んでいる。

 そして——何より目。


 瞳は、真紅の円で塗り潰されていた。黒い甲殻の奥に浮かぶ、光だけの赤い円。そこに人間らしい揺らぎはなく、ただ世界全体をくまなく“監視する装置”のような冷たさだけが宿っている。


 喉から漏れるものは、声ではなかった。


「■■■■■■■■■■■■——」


 音にも言葉にもならない、濁ったノイズ。

 その不規則な波形が空気を切り裂き、建物の壁をビリビリと震わせ、遠くで崩れかけていた塔の残骸をついに崩落させた。


 レインは、その光景を見上げながら唇を噛みしめる。


(……ついに……ここまで行ってしまったんだな、カイル……)


 握りしめた拳が、震えている。

 恐怖か、怒りか、悲しみか——その全部が混ざり合い、胸の奥で渦を巻いていた。


 視界の脇で、自動的に文字列が走る。


《深層ログ閲覧》

【対象】勇者カイル・ヴァルディス

【魔王化進行率】100%

【精神データ】消失

【世界破壊因子】暴走状態

【危険度】最大値突破


 ログは冷徹に、“元勇者”という存在の今を評価して見せる。

 精神データの欄に残されていたべき「少年」の痕跡は、きれいさっぱり消えていた。


(……それでも。

 全部が消えたなんて——俺は信じない)


 レインは息を吸い込んだ。

 強く、浅く、何度も。


 横では、フィアが彼の手を握っている。覚醒した《運命共鳴》の余韻がまだ残っているのか、彼女の瞳は薄く光を湛え、その光がレインのログと触れ合うたび、視界の情報がわずかに安定していく感覚があった。


「……レインさん」


 呼びかけはかすれているのに、不思議と真ん中まで届いてくる。

 その声を、ゼクトの低い声が追いかけた。


「さて、と。野郎、完全に“魔王のツラ”になりやがったな」


 背後から聞こえる足音。

 ずし、と一歩踏み込むたび、地面のひび割れの上に新しい割れ目が重なる。ゼクトは黒い大剣を肩に担いだまま、カイルを見上げ、口の端でにやりと笑った。


「ここから先は、一瞬の油断が命取りだ。……いいか、ガキ共。死ぬならせめて“やることやってから”にしろ」


 乱暴な言葉とは裏腹に、その背中はどこまでも頼もしい。


 レインはフィアの手を握り返し、一歩前へ出た。


「……フィア。行けるか?」


「……はい。レインさんが隣にいてくれるなら……未来線、まだ読めます」


 フィアの声は震えていたが、その目に宿る光は消えていない。

 ゼクトが二人を横目で見て、鼻を鳴らした。


「位置取りはさっきと同じだ。レインは前で“線”を見ろ。娘はそれを補正しろ。

 俺はその先頭で、決められた未来を叩き斬る」


「……了解です」


 言葉を交わす間にも、黒い甲殻の翼がゆっくりと広がっていく。

 魔王と化したカイルが上体を反らし、真紅の円の視線を空へ向けた。


 次の瞬間——。


 空間のあちこちに、黒い円環が浮かび上がった。


 空にも、崩れた塔の横にも、瓦礫だらけの路地にも。

 リングの輪郭はぼやけているのに、内側だけが異様にくっきりとしていて、覗き込んだらそのまま吸い込まれてしまいそうな、完璧な“空白”。


「……来る……!」


 レインは反射的に《ワールド・ログ》を起動した。


《戦闘ログ解析》

【魔王技】空間分断(推測)

【効果】円環内の空間を切断・消失

【推定被害】街区単位消失

【回避条件】未来線パターン:8


 視界に、八本の光の線が走る。

 多すぎる。すべてを追うには足りない。


「フィア!」


「——右上から二本、そのあと左下に三本……! レインさん、あの角度が一番“削れる範囲”が少ないです!」


 フィアの手がぎゅっと強まる。

 彼女の《運命共鳴》が未来線の“揺れ”を掴み、それをレインのログに重ねてくる。


 レインは自分の中で、一本の線を選び出す。


(固定する……!)


《未来固定化》

【対象】魔王カイルの初撃

【未来揺らぎ】28% → 5%

【結果】分断線の角度・位置固定


 ばちん、と何かがはまる感覚。

 未来という『可能性の束』が、一瞬だけひとつの線に収束した。


「ゼクトさん——今の線です!」


「任せな!」


 ゼクトの足が、瓦礫を蹴り砕いて前へ飛び出した。

 黒い剣が、固定された“未来の軌道”へと振り下ろされる。


 その直後、空に浮かぶ黒い円環から、鋭い裂け目がほとばしった。

 空間そのものが斜めに裂け、建物の屋根を、空を、光を、何もかもを無音で切り落としていく——はずだった。


 ゼクトの剣が、その裂け目と正面からぶつかる。


「おらぁぁぁぁぁぁッ!!」


 目に見えない何かが弾けた。

 裂け目は軌道をねじ曲げられ、地面すれすれで逸れていく。削られた大地が波打ち、砂塵が吹き上がるが、少なくとも今ここで、街区ひとつが丸ごと飲み込まれることは避けられた。


 黒い円環が一斉に消える。


「……ふぅ……なんとか、初撃は……!」


 レインが息を吐く間もなく、視界から魔王の姿が消えた。


「——っ」


 目で追う前に、世界の“時間”がおかしくなる。


 風の流れが逆転し、遠くの炎の揺らめきがスローモーションになり、足元の瓦礫だけが異常な速度で転がっていく。

 視界の端で、黒い影だけが、時間の外側を滑っているのが分かった。


《エラー検出》

ERROR:時空データ破損

ERROR:行動予測不能

【原因】不明/魔王因子による干渉


「時間線……乱れてる……!」


 フィアの声も、どこか遅れて届いてくるように感じる。

 魔王の姿が、かろうじて視界の端に残した残像だけでさえ追えない。


 次の瞬間、背中、ほんの数センチのところを黒い爪が掠めた。


「……っ!」


 胸がひやりと凍りつく。

 その後ろに、斬り裂かれた空間と、遅れて崩れ落ちる建物の残骸が見えた。


「レイン——!」


 フィアの叫びと同時に、別の声が飛び込んでくる。


「油断すんな!」


 ゼクトの黒剣が横から叩き込まれ、迫ってきていた二撃目の爪が弾かれる。

 衝突の衝撃で、ゼクトの足元の石畳がひび割れた。


「ちっ……! 今の、見えたか?」


「……いいえ。ログも真っ赤で……何も……!」


 フィアが歯を食いしばる。

 共鳴が届くより速く、魔王になったカイルは“時間そのもの”を踏み越えて、こちらの背後を取っている。


(このままじゃ……押し潰される……!)


 レインは、喉の奥が乾いていくのを感じながら、視界に浮かぶログを睨みつけた。


(普通に予測して……避けて……攻撃を合わせるだけじゃ……追いつけない。

 これ以上、未来の表面だけ撫でていても勝てない……!)


 胸の奥で、別のログが静かに点滅する。

 ずっと触れるのを避けていた、“危険領域”と刻まれた項目。


《深層ログ:危険領域》

【注意】閲覧者に精神崩壊の危険

【補足】対象:魔王化した勇者

【モード】未来反転/不安定


(……ここまで来て。

 まだ温いこと考えてる場合じゃないよな)


 レインは自分に言い聞かせるように、小さく笑った。


「フィア」


「……はい」


「これから、少しだけ……危ない使い方をする。

 俺の頭がおかしくなったら、その時は……逃げてくれ」


「そんなの——」


「冗談だよ。……でも、本当に危ないから。

 だから、“俺をつなぎ止める”ことだけ考えててくれ」


 フィアの瞳が揺れ、それでも強くうなずく。


「……つなぎ止めます。絶対に。

 レインさんの未来を……手を……離しません」


 その言葉が、彼の中に一本の芯を通した。


「——行く」


 レインは自分自身の《ワールド・ログ》へと意識を沈める。

 視界が暗転し、代わりに、無数の文字列と数字と線が空間中を駆け巡り始めた。


《深層ログ 起動》

《アクセスレベル:限界値》

【警告】

・閲覧対象:魔王カイル

・未来予測データ:崩壊

・反転処理:強制実行しますか?


「——はい」


 答えた瞬間、頭蓋の内側が焼けるような痛みが走った。

 イメージではなく、実際に視界の端から黒いひびが走り、聞いたこともない雑音が鼓膜を叩く。


 それでも、フィアの手の温かさだけは、ぎりぎりの境界で現実に引き戻してくれていた。


「レインさん……っ!」


(大丈夫。まだ……ここにいる)


 深層の、そのさらに奥。

 世界の根本に近い層で、ひとつの映像が浮かび上がる。


 黒い甲殻に覆われた魔王の姿——ではない。


 旅立ちの朝。

 まだ人だった頃のカイル。

 笑いながら剣を振るっていた少年の姿。


 その背中に絡みつくように、光の線が何本も刺さっている。

 世界破壊の未来、魔王化の未来、精神崩壊の未来——様々な“終端点”へ伸びる鎖。


《深層ログ解析》

【未来鎖】

・対象:勇者カイル

・数:多数

・行き先:世界破壊/魔王支配

・状態:固定


(これが……カイルを“魔王にするための未来”の束……!)


 レインは歯を食いしばる。


(全部は無理だ。

 でも——何本かでも、ここで断ち切れば……!)


 深層ログに、今まで表示されたことのない選択肢が浮かぶ。


《深層操作》

【対象】勇者カイル/未来鎖

【操作】一部切断

【警告】世界の安定値が低下します

【それでも実行しますか?】


(世界の安定値、ね。……今さらだろ)


 レインは震える手で、「はい」に手を伸ばした。


 


 世界が、短く痙攣した。


 現実へ引き戻されたレインの視界で、魔王カイルがわずかに動きを止める。

 背中から伸びていた黒い光の線のいくつかが、ぷつり、ぷつりと音もなく切れ、その断面から黒い霧が吹き出した。


「……今だ!」


 レインは叫び、フィアの手を強く握る。


「フィア——その未来を、すり替えてくれ!」


「はいっ……!」


《運命共鳴:覚醒モード》

【対象】魔王カイル

【効果】致死未来の一部改変

【成功率】不安定 → レインとのリンクにより補正中


 フィアの周囲に、無数の光の粒が舞う。

 それぞれが、『魔王カイルが破壊する未来』というラベルを貼られた線だ。そのいくつかを、フィアは震える指でそっと撫でるように取り上げ、別の方向へと押し流していく。


「……ここじゃない……。

 この線は——“壊されない未来”へ」


 光が、軌道を変える。


 レインのログに、新たな項目が走る。


《未来連携:三位一体》

【固定】レイン

【補正】フィア

【物理破壊】ゼクト

【成功率】63%


「ゼクトさん——!」


「ああ、分かってる!」


 黒い大剣が高く掲げられ、その刃に、フィアとレインの“改変された未来”が重なる。

 ゼクトの一歩一歩が、大地を踏み割りながら魔王へ迫っていく。


 魔王カイルの胸部装甲に、わずかな隙間が生じていた。

 それは、レインが深層で断ち切った“未来鎖”の跡。

 世界が指定していた「絶対に崩れない防壁」に、一瞬だけ空いた裂け目。


 そこへ——剣が吸い込まれる。


「未来ごと——斬り伏せるッ!!」


 轟音。

 黒い甲殻が弾け飛び、魔王の胸から黒い液体とノイズのような光が噴き上がった。


「■■■■■■■■■■——!」


 世界そのものを軋ませる断末魔。

 レインは思わず耳を塞ぎ、歯を食いしばる。


(……通った……!

 本当に……届いたんだ……!)


 魔王カイルの身体がぐらりと揺れる。

 翼が一枚、バランスを崩して地面へ叩きつけられ、周囲の瓦礫が吹き飛んだ。


「レインさん……!」


「ああ……今のは——確実に効いた!」


 フィアの肩も震えている。それは恐怖だけではなく、確かな“手応え”への驚きと僅かな喜びだった。


 だが、その安堵は長くは続かなかった。


 


 胸を貫かれ、膝をつきかけた魔王の背中に——新たな裂け目が開いた。


 ひび割れる音。

 そこから、黒い骨のようなものがにゅるりと伸び出してくる。

 それは、折れた翼の代わりに成長する“第二の翼”だった。


「……まだ……!」


 レインが息を呑む。


 裂け目は、背中だけでは終わらなかった。

 首筋、肩、腰——身体のあちこちに黒い線が走り、その度に甲殻の下から何かが“本来の構造を無視して”せり上がってくる。


 顔の半分だった黒い装甲が、もう半分にも侵食していく。

 真紅の円だった瞳が二重になり、三重になり、幾つもの輪が重なった“標的の照準”のような模様へ変わっていく。


 喉の奥から漏れた音は、もはやノイズですらない。


「■■■□■□□■■■■■■——」


 聞き取れる部分と言葉として認識できない部分が混ざり合い、頭の中で直接響くような異音だけが世界を埋め尽くす。


《状態変化ログ》

【魔王形態】第2段階へ移行

【防御値】二倍化

【速度】三倍

【感情データ】完全消失

【備考】未来線:観測不能


「……第二段階……?」


 レインの喉が乾く。

 横でフィアが震えながらログを見つめ、顔を青ざめさせた。


「レインさん……未来線が……消えています……。

 “どこへ向かうか”すら……見えない……!」


 ゼクトも剣を構えたまま、苦々しく舌打ちする。


「ったく……底が見えねぇにも程があるだろ。

 これが“本当の魔王”ってやつかよ」


 魔王カイルが、ゆっくりと顔を上げる。

 幾重にも重なった真紅の輪が、レインたち三人を順に捉え——そして一点に収束した。


 殺意、憎悪、絶望。

 それすらもう、明確な感情ではなく、“世界の命令”としてそこに存在している。


 地面が鳴動した。

 瓦礫が浮き上がり、空に残った裂け目がさらに大きく開く。


 最終の段階へ向けて、世界全体が息を詰めた。


(……ここからが——本当の意味での“最終決戦”だ)


 レインは自分の震えを押さえ込み、前を見据える。

 隣でフィアが手を握り、背後でゼクトが剣を構える。


 三人の視線が、再び魔王へと重なった。


 壊れかけた都市の夜明けの中で——

 世界の行方を賭けた、最後の戦いが音を立てて動き出そうとしていた。

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