第6話:勇者のログ
夕暮れの町外れは、昼間の喧騒を忘れたかのように静かで、空にはゆっくりと夜の気配が滲み始めていた。西の空には赤紫の光が溶け、長い影が地面に伸びている。レインはその影の中をひとり歩いていた。冷たい風が頬をかすめるたび、追放された日の記憶が胸の奥で再び疼き、足取りが重たくなっていく。
町外れの道は人通りが少なく、時折、馬車の車輪が遠くで鳴る音が聞こえる程度だった。道の端には荒れた草が風に揺れ、夕日の名残りがその影を揺らめかせている。そんな静かな場所に身を置きながらも、レインの胸中は決して穏やかではなかった。
(……俺は、これからどうしたらいい……?)
追放されてからの日々、能力の覚醒という大きな変化こそあったものの、自分が何をすべきなのかはまだ見えていなかった。市場で見た未来ログ、深層ログ。人々のステータス。世界の裏側に触れられる力。すべてが突然で、混乱と興奮と恐怖が入り混じり、心はまとまらないまま揺れ続けていた。
そんな時――
遠くの広場に、人影が見えた。
夕暮れの逆光の中を、堂々と歩く背の高い影。背には大剣。その存在だけで周囲の空気を変える圧倒的な存在感。
レインの胸が強く跳ねた。
(……あいつ……)
わずかに目を細め、その姿を確認する。
――勇者カイル。
つい数日前まで、共に冒険し、背中を追い続けてきた英雄。世界に選ばれた存在。そして、レインを迷いなく追放した男。
夕陽が彼の背中を照らし、その影が長く長く伸びていた。歩くたびに大剣がわずかに揺れ、金属が夕陽を反射して微かな光を放つ。堂々とした姿勢、迷いのない足取り。まるで世界がカイルを中心に動いているかのようだった。
(……普通に……平然としてる……)
胸に鈍い痛みが走る。
あの日、自分を容赦なく切り捨てた男は、何一つ変わらず、何も失っていないように見える。
対して自分は――追放され、将来も見えず、やっと掴んだ力すら扱いきれていない。
気づけば、レインの足は止まっていた。
胸の鼓動が耳に響き、喉が乾く。
(……どうして……俺は……こんなところで……)
しかし、胸の奥で別の感情がかすかに動いた。
――知りたい。
この男の“裏側”を。
能力が覚醒した今なら、それが可能のはずだ。
レインは震える息を一つ整え、そっとつぶやく。
《ワールド・ログ 起動》
瞬間、視界に光の粒が広がり、勇者カイルの頭上に情報が浮かび上がる。
夕暮れの広場に立つカイルの頭上へ、まるで神々しい後光のように淡い文字列が現れる。その光は夕陽よりも白く、眩く、レインの視界にくっきりと刻み込まれる。
名前:カイル・ヴァルディス
種族:人間
職業:勇者
HP:999/999
攻撃力:極大
防御力:極大
スキル:英雄の力、特殊魔法多数
見るだけで、全身に戦慄が走る。
桁外れ。規格外。常識の外。
かつて間近で見ていた勇者の実力が、数字という形で突き付けられると、その差があまりに絶望的でレインの心臓がズクリと痛む。
(これが……勇者……俺が追ってきた相手……)
あまりに完璧なステータス。
歴戦の英雄ですら追いつけない領域。
だが――次の瞬間だった。
視界の端に赤い光が走る。
まるでノイズのように視界が揺れ、次の瞬間、先ほどとは違う質感を持つ赤い文字列が重なる。
《深層ログ閲覧》
(え……?)
赤いログは、先ほど少女の未来を映したものと同じ――いや、それ以上に重たく、禍々しい気配をまとっていた。
そして、その下に――恐るべき情報が表示される。
【未来分岐】
世界破壊:確定
発動条件:3年以内
【隠しフラグ】■■■■
その瞬間、レインの世界が止まった。
「……っ……!」
息が詰まる。
胸が凍りつく。
足の震えが止まらない。
夕暮れの空も、吹き抜ける風も、広場の空気も――
すべてが遠ざかり、現実感が薄れる。
(な……なんだこれ……勇者が……世界を……破壊……?)
その事実を理解しようとするだけで、頭が悲鳴を上げそうになる。
自分が尊敬し、頼り、ついていった勇者が――未来のどこかで世界を滅ぼす存在になる。
カイルの姿は、ただ夕暮れの中を歩いているだけだ。
だが、その背中には未来の“破滅”が確定している。
(そんな……馬鹿な……いや……でも……深層ログは嘘をつかない……)
深層ログ。
“運命の裏側”に干渉する情報。
この力が見せる未来は、単なる可能性ではなく――“確定”なのだ。
膝が笑い、レインは思わず足元を見つめ、震える息を吐いた。
(どうすれば……止められる……?)
口から漏れた声はひどく弱々しく、夕暮れの空気にすぐ吸い込まれていく。
視界にはまだ赤い警告が揺れ、カイルのステータスの上に不吉な影を落としていた。
見ているだけで心が削られる。しかし目を逸らすことができない。
(俺が……止める……? いや……そんなの……無理だ……俺みたいな……)
視界が揺れ、心の奥で恐怖と絶望が膨れ上がる。
世界破壊という言葉の重さが全身を圧迫し、細い呼吸しかできない。
それでも――。
レインは震える拳を強く握りしめた。
(でも……未来を知ったのは……俺だけだ……)
勇者カイルは何も知らず、ただ使命を背負った英雄として歩いている。
深層ログを覗けるのは、自分だけ。
この未来を変えられる可能性を持つのも、自分だけ。
それは同時に、逃げ場を失う瞬間でもあった。
「……俺が……何とかしないと……!」
声はかすれていたが、確かに自分自身へ向けて発せられた言葉だった。
夕暮れの光が完全に消え、夜の青が世界を包み始める。
その中で赤いログの残光がレインの視界に浮かんでいた。
――世界破壊、確定。
その未来を変える決意が、レインの胸で静かに、しかし確実に灯った。




