第5話:能力の確認
昼下がりの市場は、太陽の光がしっかりと地面を照らし、露店の布の影が風に揺れていた。道の左右には果物、香草、工具、衣類――あらゆる商品が並び、行商人たちが力強い声で客を呼び込み、通りを行き交う冒険者は背中の武具を軋ませながら買い物へ向かっていた。子どもたちは広場の端で駆け回り、パン屋の前では焼きたての香りを嬉しそうに吸い込む老人の姿もある。
そんな賑やかで温かな日常の中を、レインはゆっくりと歩いていた。
何気なく周囲を見回すたびに、視界の端に光の粒が揺れ、人の頭上に淡い文字列が浮かぶ。その文字は風に揺れることも、陽光に焦げることもなく、ただ静かに、しかし確かな存在感をもって空中に浮かんでいた。
商人の頭上に浮かぶ情報が、目に飛び込んでくる。
名前:商人ギルド見習い
HP:45/45
職業:商人見習い
特殊スキル:鋭敏な嗅覚
数字も文字も、最初に見たときほどの衝撃は薄れたが、それでも不思議で胸がざわつく。レインは思わず歩みを止め、その商人の動きを追った。だが周囲の誰も、頭上の文字列には気づいていないようだった。商人本人も、当然ながらそれを見ていない。
(……なるほど。やっぱり、俺にだけ見えてるんだ……)
警備兵の姿が視界に入り、自然と意識を向けてしまう。
攻撃力:30
防御力:25
数字の横に、小さく「訓練中」といった細かな備考まで浮かぶ。
その正確さは、人々の顔色や雰囲気を読み解くレベルの曖昧さではなく、まるで本当に世界の裏側のデータを覗き見しているような感覚があった。
近くを駆け抜けた子どもの頭上には、たった一つの短い文字列が浮かぶ。
HP:20
特殊スキル:なし
(……なんだこれ……なんでこんな簡単に……)
レインは胸の奥が熱くなるのを感じた。
初めて能力が発現した昨晩――視界が飽和し、情報が洪水のように押し寄せて倒れ込んだ瞬間の恐怖はまだ残っている。それでも今は、その恐怖よりも“興味”が勝っていた。
通りを歩く人々を次々と観察していく。
冒険者、鍛冶屋、武器商人、旅の吟遊詩人――視線を向けるだけで、彼らのHPやステータス、時には所持スキルまでが一瞬浮かび上がる。
(……俺、今まで何も見えてなかったんだ……)
世界は本当はもっと複雑で、潜在的な数値や能力で満ちている。
レインは胸の奥から湧き上がるワクワクを抑えられず、思わず笑みが漏れた。
「……これ、使えば何でも分かる……!」
その呟きは決意というより、抑えきれない興奮の漏れだった。
だが。
その瞬間、視界が一瞬だけ暗く落ちた。
「え……?」
辺りの光が急に遠のき、世界の色が少しだけ鈍くなったように感じた。文字列がぼやけ、歪む。レインは反射的に瞳を開いて周囲を見回した。
誰も異変に気づいていない。
市場は賑わいを保ったまま、日常を続けている。
だが――視界の端に、奇妙な情報が入り込んできた。
銀髪の少女。
まだ十代ほどだろう。薄い青のマントを羽織り、少し顔を伏せたまま静かに市場を歩いている。その存在自体は珍しくもないはずなのに、レインの視界だけが彼女を特別扱いしていた。
彼女を見た瞬間――
ステータスとは異なる、赤色の文字列が浮かび上がった。
《深層ログ閲覧》
それは、一般的なステータス表示と明らかに違う色と質感を持っていた。強い光ではないものの、赤い文字の一つひとつが脈打つように震え、視界の中で異質な存在感を放っている。
レインは思わず息を呑んだ。
周囲の音が遠のいていく。
市場の喧騒も、呼び込みの声も、子どもの笑い声も――すべてが薄い膜に覆われたように曖昧になった。
(……なんだ……これ……?)
赤文字はにじむように広がり、次の瞬間、視界の中央に情報が拡大表示された。
――表示内容――
名前:不明
種族:人間
HP:未定
【未来分岐】
→ 死亡確定:3日後
→ 選択条件:未達
【隠しフラグ】■■■■
「——っ!!」
体が固まる。
思考が止まる。
呼吸が引き絞られたように浅くなる。
(な……んで……未来……? 死亡……確定……?)
理解が追いつかない。
だが、視界に映る赤文字は淡々と事実だけを突きつけてくる。
少女は何も気づかず、静かな足取りで通りを進んでいく。
その普通さが、かえって恐怖を煽った。
(これは……ただのステータスじゃない……)
レインは震える指先を胸元に押し当て、身体を支えるようにして深呼吸を試みた。
(未来……見えてる……? 俺、そんなの……)
頭がくらくらする。
しかし同時に、胸の奥が熱くなるような感覚もあった。
今までのステータス表示とは明らかに違う。
これはもっと深い――“裏の裏”の情報だ。
(……これが……俺の《ワールド・ログ》……?)
信じがたい。
けれど、否定できない現実が目の前にある。
少女の未来の選択肢、死亡確定の文字、隠されたフラグ。
これらは単なる数値ではなく、世界の“運命”に関わる情報に違いない。
目の前の少女を見失わないように視線を追うが、情報量が多すぎて頭痛がする。目の奥がじんじんと熱を持ち、吐き気すらこみ上げてくる。
(……危ない……このままじゃ倒れる……)
レインは額を押さえ、店の壁に手をついて体を支えた。
だがそれでも、次々と文字が流れ込んでくる。
通行人に関する短い未来予測。
些細な行動傾向。
潜在スキルの発現条件。
隠しフラグの断片的な情報――。
視界が揺れ、音が遠ざかり、膝が震えた。
(この力……強すぎる……)
このまま能力を使い続ければ精神が崩れそうな危険性を感じながらも、レインは確信していた。
――これは特別だ。
誰も知らない“世界の裏側”を見られる、圧倒的な力。
追放された自分に与えられた、唯一無二の能力。
(……この力で……俺は……)
少女の“未来”が表示されたあの瞬間、確かに胸の奥で何かが芽生えた。
恐怖とも希望ともつかない、しかし確かに自分を突き動かす感情。
(俺は……何ができるんだ……?)
呟いた問いは、風に消えることもなく、胸の奥深くに響いた。
市場の喧騒が少しずつ戻り、人々の声が再び耳に届く。
だが、レインの世界はもう元には戻らなかった。
視界に文字が浮かぶたび、心臓の鼓動が速くなる。
頭痛の奥に、確かな興奮が残っていた。
これは――チャンスだ。
追放され、孤独になり、何もできないと思っていた自分に残された、たった一つの可能性。
(……俺は……変われる)
その想いが、ゆっくりと確信へと変わる。
市場の雑踏の中、レインは胸に手を当て、静かに息を吸った。
世界が――動き始めている。




