第4話:ログ覚醒
追放されてから数日が経った。だがレインの足取りはまだ重く、心の奥に沈む影は晴れそうになかった。昼下がりの町はいつも通りの賑わいを見せ、通りを進むと露店の呼び声が四方から重なり合い、軽やかな笑い声が風に流れていく。けれど、その賑やかさが、むしろ自分だけが置き去りにされているような疎外感を強めていた。
路地裏へ差し込む陽光は明るいのに、レインの視界はなぜか薄暗い。靴先ばかりを見つめながら歩く自分と、周囲の明るい喧騒との間には、深い溝があるように感じられた。すれ違う人々は仕事道具を抱え、仲間と談笑し、何か新しい挑戦へ向かっているように見える。一方で、自分の歩みは止まることばかりで、どこにも向かっていないように思えた。
(……俺には、もう何もできない……)
その言葉が、胸の奥で粘りつくように蘇る。
振り返っても、前を見ても、道は同じ色をしている。灰色の靄に覆われているかのような視界。追放されたという現実が、思考のあらゆる端に重く残っていた。
広場へ近づくと、子どもたちが駆け抜ける足音が聞こえてきた。笑顔で遊ぶ姿に、ほんの少しだけ心が温まるかと思えば、その光景が逆に胸を締めつける。あまりにも純粋で明るい存在が、自分の暗さを際立たせてしまうのだ。
(俺は……どこへ行くんだ?)
問いかけても答えは返ってこない。
そんな時だった。
視界の端に、奇妙な光がチラリと差し込んだ。
まるで陽光に混じって、違う色をしたものが瞬いたような――そんな微細な揺らぎ。
「……ん?」
無意識に立ち止まり、目をこする。
すると――
《ワールド・ログ 起動》
空間の一点に、淡い光を帯びた透明な文字列が浮かび上がった。
紙や看板のような物質的なものではない。光の粒子が集まり、揺らぎ、そこに文字の形を結ばせている。
(な……なんだ、これ……?)
思考が抵抗し、理解を拒む。
現実感が薄れ、足元がふらつくほどの衝撃だった。
周囲の視界を確かめるように首を動かすが、人々は誰一人この異変に気づく様子がない。行商人は客に声をかけ、子どもたちは泥の上で走り回っている。誰も、浮かぶ文字を見つめていない。
(幻覚……じゃないよな?)
息を呑む間もなく、文字が静かに揺れた。
そして次の瞬間――
通りを歩くひとりの男の頭上に、突然数字と文字が浮かび始めた。
名前:商人ギルド見習い
種族:人間
HP:45/45
職業:商人見習い
特殊スキル:鋭敏な嗅覚
「っ……!」
レインの背筋が震えた。
瞬くように、その文字列はスッと透明になり、周囲の光に溶けるように消えていく。
(え……今の……マジで?)
頭の中で考えが暴れ、整理が追いつかない。
視界に映る“情報”は、確かにそこに存在したのに、周囲の景色に違和感は一切ない。
まるで自分にだけ見えた世界の裏側。
レインは震える手を押さえつけるように胸元へ当て、深呼吸を繰り返した。
(落ち着け……俺、どうなって……)
しかし、落ち着く暇は与えられなかった。
視線を向けた別の通行人にも、同じように文字列が浮かび上がる。
警備兵:攻撃力30/防御力25
子ども:HP20/特殊スキルなし
文字は次々と現れ、消えた。
ただそれだけの動作なのに、レインの心臓は喉元まで跳ね上がるほど高鳴っていた。
(まさか……こんな……ゲームのステータスみたいな……?)
混乱。興奮。恐怖。
相反する感情が一度に押し寄せ、頭が追いつかない。
(これが……俺の力……?)
喉が乾き、膝が震えた。
だが、心の奥に微かに灯る光があった。
(……何かが……始まろうとしてる……)
息が浅くなり、肩が上下する。
視界の端には、まだ新たな文字の残光が漂っているように見えた。
視界の世界が一変したのは、その直後だった。
レインが通行人を見渡した瞬間、町の景色が文字と光で満たされ始めた。
「っ……!」
視界の上、横、斜め、遠く、近く。
人々の頭上や体の周囲に、次々とステータスや情報が浮かび上がる。
【行動予測:荷物整理 → 露店へ向かう】
【潜在スキル:未覚醒/属性:風】
【HP:70/疲労度:中】
【職業:冒険者/ランクC】
【対話傾向:強気】
数え切れないほどの文字列が、生き物のようにたゆたって動いている。
重なる視界の情報量に、頭が処理を拒み始めた。
(ダメだ……追いつかない……!)
人々の声が遠ざかり、耳に響く音が歪んでいく。
景色が二重に見え、地面と空の境界さえ曖昧になる。
やがてレインは耐えきれず、石畳の上にしゃがみ込んだ。
両手で頭を押さえ、呼吸を整えようと必死になっても、視界の文字列は容赦なく浮かび続ける。
「や……やめろ……」
誰に向けた言葉なのか、自分でもわからない。
ただ、この圧倒的な情報量が自分を押し潰しそうで、恐怖が喉を締めつけた。
それでも――恐怖の奥に、別の感情があった。
(でも……これが本当に“力”なら……)
震える手を見つめながら、レインはゆっくり息を整えた。
視界の文字列は徐々に落ち着き、完全には消えないものの、意識するたび輪郭が薄くなっていく。
まるで、自分の精神状態に呼応するように。
陽が傾き始め、町の街灯がひとつ、またひとつと灯される時間帯になっていた。空は赤紫のグラデーションに染まり、影が長く伸びていく。
通りの端へ移動し、レインは壁にもたれかかった。
呼吸を深く整えながら、夜の訪れを静かに感じ取る。
街灯がつく瞬間、薄い光が目の前の空間を照らした。
その光の中で――先ほど見た文字列の残像が、ふわりと揺れたように見えた。
「……俺……」
言葉が自然にこぼれる。
自分でも聞き取れるほど弱い声だったが、その響きは確かに胸の奥から湧きあがっていた。
「……これから……変われるかもしれない……」
震える息とともに吐き出された言葉は、確信というより願い。
だが、今のレインにとっては、それだけで十分だった。
夜空に浮かぶ月が、静かに光を落とす。
その光がレインの黒髪と頬を照らし、ぼんやり揺れる文字の残像がその上を流れた。
孤独だった路地裏で、初めて灯った小さな光。
この瞬間――主人公レイン・アルトリウスの物語は、本当の意味で始まった。




