第35話:指名手配
一日の始まりを告げる鐘の音が、王都の上空に澄んだ響きを残して広がっていく。石畳の路地には朝陽が差し込み、露店の準備をする商人たちの声があちこちで飛び交っていた。焼きたてのパンの香り、荷馬車を引く馬のいななき、通りを行き交う人々の活気――王都の朝はいつもと変わらず賑やかで、活気に満ちている。
……はずだった。
レインとフィアは、その朝の空気に、普段とは違う緊張が潜んでいることにすぐ気づいた。
街の人々はそわそわと落ち着かず、何かに怯えるように声を潜めて囁き合っている。露店の準備をしていた商人でさえ、時折周囲を警戒するように目を走らせていた。
宿屋の前、レインとフィアは並んで立ち、早朝の冷たい風に身を包みながら、王都の中心へ向く視線を共有した。まるで街全体が大きな異変を抱えているかのような、不穏なざわめきが肌にまとわりつく。
「……なんだ、この空気……」
レインは眉を寄せ、宿の入り口から出たばかりのフィアも、胸の前で手をそっと握りしめながら首を傾げている。
「人が……怖がってるみたいです……」
彼女の言葉は的確だった。
人々の視線には、恐怖と警戒が入り混じっている。通りすがりの誰もが、“何か”を探しているような、あるいは“誰か”を避けようとしているような反応を見せている。
胸騒ぎを覚えたレインは、宿屋から少し離れた広場の方向へ歩を進めた。
広場は朝早くから人が集まる場所だ。情報も集まりやすい。レインたちが足を進めるにつれ、噂話の断片が風に乗って耳に入ってくる。
「……昨日の……あれって……本当に……?」
「勇者様に逆らったって……」
「赤文字の張り紙……見たか?」
嫌な予感が、レインの背骨を冷たく撫でていく。
そして――広場に到着した二人の視界に飛び込んできたのは、掲示板に貼られた一枚の大きな張り紙だった。
赤文字で囲まれ、真っ先に目を引く文章。
その中央、最も大きく記された名前。
指名手配
名前:レイン・アルトリウス
罪状:勇者カイルへの反逆行為
警告:発見次第逮捕、または討伐
「…………」
レインは息を飲んだ。
フィアは一歩後ろに下がり、唇を震わせながら張り紙に視線を奪われる。
朝の喧騒はまだ続いているのに、二人の周囲だけが静まり返っているように感じられた。
(……来たか……
勇者との衝突を見ていたのは、あいつだけじゃなかった……
王都中に、“勇者に逆らった”という事実が伝わったんだ……)
張り紙の紙はまだ新しく、風に揺れて端がひらひらと踊っている。その真下では、通行人たちが遠巻きに立ち止まり、何か恐ろしいものを見るような視線でそれを眺めていた。
「し……指名……手配……?」
フィアの声は震え、彼女の瞳には驚きと不安が入り混じっていた。
レインは唇を引き結び、張り紙に記された文字を再確認する。そこには、昨日の路地での衝突が“反逆行為”として扱われ、勇者に対する敵対者として公式認定されてしまったことが示されていた。
(……俺が……反逆者……?
あいつに襲われたのは、俺の方だってのに……)
胸の奥に苦い笑いが浮かぶ。
だが、現実は変わらない。事実ではなく“勇者の言葉”が正義として扱われる。それが、この世界の――いや、この王都の“ルール”だ。
周囲の空気が、レインを避けるように歪んだ。
近くにいた人々が、レインに気づいた瞬間、明らかに距離を取る。
「……あいつじゃないか……?」
「赤髪……特徴合うぞ……」
「目を合わせるな……! 巻き込まれる……!」
ひそひそと囁かれる声が、鋭く耳に刺さる。
レインはその視線を正面から受け止め、深く息を吸い込んだ。
(……ここに長くはいられない……)
視線を横に向けると、近くの警備兵たちが明らかにこちらを監視している。まだ声をかけてはこないが、近づく素振りを見せれば一気に囲まれるだろう。
「レインさん……どうすれば……?」
フィアの震える声に、レインはすぐ答えを返せなかった。
逃げるのは簡単だ。だが、逃げ続けるだけでは意味がない。
深く、静かに呼吸を整え――レインは決意を胸の奥に沈めた。
(……ここでじっとしていても、状況は悪化するだけだ。
俺たちは“前に進む”ためにここに来たんだ。
指名手配されようと……それは変わらない)
「……行こう、フィア。
ここに留まるのは危険だ。
でも――逃げるだけじゃダメだ。
俺たちは……先に進む」
その言葉には迷いはなかった。
フィアは驚いたようにレインを見つめたが、やがて小さく頷く。
「……はい……っ」
周囲のざわめきは強まり、警戒する視線が二人を追う。
朝の王都は活気に満ちているはずなのに、二人にとってはまるで罠のような危険地帯と化していた。
(……ログを使って……先の行動を決める……
情報を取らなきゃ、この王都では生き残れない……)
レインは張り紙から目を離し、宿へ戻る道とは逆方向へフィアを導いた。
(ここからが……本当の“逃亡”だ)
赤文字の張り紙が風に揺れるその下で、二人は王都の雑踏へ消えていった。
王都の大通りに足を踏み入れた瞬間、レインはその空気の重さを改めて理解した。
活気ある朝市の匂い、客引きの声、人々のざわめき――どれも普段なら明るく響くはずなのに、今はどこかくぐもり、重く張り詰めた音に聞こえる。
(……もう王都は俺を“敵”として扱っている……
情報はすでに広まっている……)
すれ違う人々は、レインの姿を見るなり視線をそらし、ある者は怯え、ある者は眉をひそめ、ある者は露骨に距離を取った。まるで疫病を運んでいるかのような扱いだ。それでもレインは一切表情を崩さない。フィアが不安にならないよう、冷静さを演じる必要があった。
フィアはというと、レインの腕にそっと手を添え、その指先に力を込めている。
震えは隠しきれていないが、それでもレインから離れようとしない。
「レインさん……
みんな……怖がってます……」
「ああ。
でも、今はそれより……どう動くかが大事だ」
レインは声を抑え、周囲の警備兵の動きを《ワールド・ログ》で確認する。
《ワールド・ログ 起動》
《対象を選択してください》
視界に浮かぶ情報層の向こう、街の構造が淡い光のラインとして重なり、警備兵の配置や巡回ルートが表示される。
【警備兵:巡回ルート強化】
【警戒度:高】
【不審人物発見時:即時報告】
(……やっぱり……守りが固くなってる。
このまま大通りを歩けば、確実に捕まる……)
レインは小さく舌打ちしそうになるのを堪え、フィアの肩をそっと押して細い裏路地へ入る。裏路地は薄暗く、朝陽の光も届きにくい。通行人は少なく、わずかに漂う湿気と埃の匂いが重苦しい空気を作っていた。
フィアは歩きながらも不安げに後ろを振り返る。
「……レインさん……
本当に……大丈夫なんですか……?」
「大丈夫だ。
俺にはログがある。
それに――フィアを守るためなら、何でもする」
その言葉にフィアの頬がかすかに赤く染まったが、緊張でそれを意識する余裕はないようだった。ただ、彼女の表情に一瞬だけ安堵が浮かぶ。
(……王都の中で動くのは危険だ……
だが、ここで止まっていても状況は変わらない。
次の目的地へ向かわなきゃ……)
レインは息を整え、頭の中で地図を思い描く。
第3章の目的――古代遺跡へ向かうためには、王都を出る必要がある。しかし、城門には当然警備が配置されている。正面から突破するのは無謀だ。
(……なら、別のルート……
裏門か、商人用の搬入口か……
あるいは――地下水道を使うか……)
選択肢はいくつかある。
だが、どのルートにもリスクが伴う。
その時、遠くから甲冑の擦れる音が聞こえ、裏路地の陰に複数の影が差し込んだ。
「警備兵……!」
フィアが息を呑む。レインは瞬時に彼女の手を引き、建物の影へ身を隠した。
(……このままじゃ見つかる……!)
《ワールド・ログ 起動》
→《周囲の警備兵情報取得》
【警備兵(3名)】
・発見対象:レイン・アルトリウス
・優先度:最優先
・行動予測:付近の裏路地を捜索
・接触時:拘束 or 討伐
(……見つかったら終わりだ……!)
フィアの手は冷たく震えている。
彼女の不安が痛いほど伝わる。
「レインさん……どうすれば……」
「……下を向くな。
大丈夫だ。
フィアは……俺が守る」
静かだが強い声で言い切ると、フィアの呼吸がわずかに落ち着いた。
(……まず、この包囲を抜ける……
そして、王都の外へ……)
レインは通路の先へ視線を走らせ、警備の薄い区域を探す。
ログを頼りに、兵士の視界の死角を見つける。
(……ここだ……)
レインは素早くフィアの腕を引き、警備兵がすれ違うわずかな隙を突いて路地の奥へ走る。影から影へ、息を潜めながら進む。
フィアは必死にレインの背中にしがみつくように追いかけ、二人の足音が石畳を叩く。
王都全体が敵――勇者の一言が、世界を丸ごと敵に回した。
今のレインたちは、まさに“追われる者”だ。
(……逃げるだけじゃない……
ここを切り抜けて、次の手を打つ……!)
覚悟を固めながら、レインはさらに裏道を駆け抜けた。
冷たい朝の空気が肺を刺し、遠くで警備兵の声が響く。
「レイン・アルトリウスを探せ!」
「勇者様への反逆者だ!」
その声は王都全体に広がり――
二人の逃亡劇の幕が上がった。




