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追放された“ログ係”は、世界の裏設定を読めるようになりました  作者: トワイライト
第3章:再会 ――勇者対立編

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第34話:勇者の宣告

 路地には、ついさっきまでの激しい剣戟の名残が、痛々しいほどはっきりと残っていた。割れた石畳の欠片があちこちに散り、壁には斬撃の痕が深く抉り込まれている。空気にはうっすらと砂埃が漂い、鼻の奥に鉄のような匂い――レインの頬を伝った血の匂いが混じっていた。夕暮れの光はその惨状を、どこか現実味のない絵画のように赤く染め上げている。


 レインは荒い呼吸を整えながら、剣を構えた姿勢のまま視線だけを周囲へ巡らせた。肩で息をしているが、瞳の奥はまだ戦闘の熱を失っていない。いつ再び斬りかかられてもいいように、腕と脚には力を残しつつ、ほんの少しだけ膝を緩めて反応できるように体勢を整える。


(……攻撃は……止まった……?

 いや、油断するな……まだ終わっていない……)


 背後からは、フィアの小さな息遣いが聞こえていた。震えを含んだその呼吸音は、恐怖と緊張の証。レインはわざと振り返らない。振り返って表情を見てしまえば、自分の決意が揺らぎそうな気がしたからだ。ただ、背中で彼女の存在を感じる。その温もりが、今のレインの意識をぎりぎりのところでつなぎとめていた。


 レインの正面――勇者カイルは、一歩前へ踏み出したところで動きを止めていた。剣はすでに振りかぶられていない。だが、その手から剣が離れる気配は欠片もない。刃先は微かに下がり、しかし、わずかな衝撃で再び振り上げられるだろうという緊迫が、見ているだけで伝わってくる。


 その瞳は冷たかった。

 怒りでも、憎しみでもなく、熱が完全に抜け落ちた“無”に近い冷たさ。その奥で、わずかに滲む狂気だけが赤い火種のように揺れている。


(……まだ、斬る気になればいつでも斬れる距離……

 剣を下ろしたわけじゃない……

 攻撃を止めたのは……ただの“間”……)


 レインは唇の内側を軽く噛み、冷静さを保とうとする。剣を握る指が震えないように、掌に力を込め直した。さっきまでの激しい打ち合いで腕は重く、筋肉がきしんでいる。しかし、その痛みが逆に、今もここに生きて立っているという事実を意識させてくれた。


「……レインさん……」


 恐る恐る絞り出すように呼ばれた声に、レインはほんのわずかだけ首を動かし、視線を肩越しに向ける。フィアはレインの背中に手を添え、怯えながらも必死にその足で立っていた。瞳には涙の気配があったが、溢れる前に必死に堪えようとしているのが分かる。


 レインは目で「大丈夫だ」と伝えるように、短く視線で応じた。それだけで、フィアの呼吸は少しだけ落ち着く。彼女はさらに一歩、レインの背後に寄り添い、自分から決して離れないようにする。


(……守る。

 どんな状況でも……何が相手でも……)


 そんな決意が胸の奥で熱を伴って燃え上がるのを感じながら、レインは再びカイルへと視線を戻した。


 沈黙を破ったのは、勇者の低い声だった。


「次に会ったら、殺す」


 それは、あまりにも静かで、淡々とした宣告だった。怒鳴り声でも、感情をぶつけた叫びでもない。まるで天気を告げるように中身のない声でありながら、その一語一語には、揺るぎない“決定事項”としての重さだけが詰め込まれている。


 迷いも、ためらいもない。

 そこにあったのは、ただの“結果”の提示だった。


 路地の空気が、さらに冷たくなった気がした。

 レインの背中を、氷の刃でなぞられたような感覚が走る。


(……次に会ったら、殺す……

 つまり……今はまだ“その時”ではない、ということか……)


 この場でとどめを刺すこともできたはずなのに、カイルはそうしない。その理由が何なのか――レインには分からない。深層ログを覗けたとしても、おそらくは“ERROR”と表示されるだけだろう。


 だが一つだけ、はっきりしていることがあった。


(……奴は本気で俺たちを殺すつもりだ。

 次に再会した時は、今みたいな“生き残り方”は通用しない……)


 レインは無意識に奥歯を噛み締めていた。

 唇の内側から、血の味がじわりと広がる。


 フィアは、宣告の鋭さに息を呑んだ。彼女の肩がびくりと揺れ、レインの服を掴む手の力が強くなる。瞳が揺れ、今にも崩れ落ちそうになりながらも――それでも彼女は、一歩も引かなかった。


「レインさん……」


 小さく呼んだ声には、恐怖と同じくらいの“信頼”が混ざっていた。

 レインは背中越しにその感情を受け止める。


(……もう、完全に敵だ……

 あの時、深層ログで見た“世界破壊”の未来……あれはただの可能性じゃない。

 現実の流れとして……確実に近づいている……)


 カイルはレインたちから視線を外すことなく、ゆっくりと剣を下ろした。その動きはどこまでも滑らかで、戦いが終わったと判断して力を抜いたようには見えない。ただ、次に振るうべき時ではないと、何か別のルールに従っているような不気味さがあった。


 そして――何も言わずに背を向ける。


 レインの前から、勇者カイルの背中がゆっくりと遠ざかっていく。

 その歩みは揺るがない。足取りは重くも軽くもなく、ただ一直線に、迷いもなく進んでいく。


 夕暮れの赤い光が、彼の輪郭を黒く縁取る。

 その背中には、かつて共に旅をした英雄の姿と、今や世界を壊すかもしれない“災厄”としての影が重なって見えた。


(……あれが……今の勇者、カイル・ヴァルディス……)


 レインは、剣を握ったままその背中を見送る。追いかけることも、呼び止めることもできなかった。今ここで背中を斬りつけることは――たしかに、“一つの選択”ではある。だが今の実力差を考えれば、それは無謀でしかない。カイルは背後に殺気を感じた瞬間、反射的に迎撃するだろう。結果、倒れるのは自分たちだ。


(今はまだ……時じゃない。

 だが、次は――)


 路地の奥へ消えていく勇者の足音は、やがて完全に聞こえなくなった。

 その代わりに、夕暮れの王都の生活音が少しずつ戻ってくる。遠くで子供の笑い声がして、誰かが荷物を運ぶ叫びが聞こえ、馬車の車輪が石畳を転がる音が低く響いた。


 まるで、さっきまでの死線の戦いが幻のように、日常が何事もなかったかのように流れている。


「……レインさん……?」


 フィアが、おそるおそるレインの袖を引いた。

 レインはようやく、剣を下ろす。緊張で張り詰めていた筋肉が一気に緩み、その場から崩れ落ちそうになり、慌てて一歩踏みとどまった。


「大丈夫か、フィア。

 ……ケガはないか?」


 振り返ったレインの頬には、さきほどの斬撃の余波でついた浅い傷から血が伝っている。フィアは一瞬それに目を見張り、すぐに小さな手を伸ばして、そっとその傷跡に触れるようなしぐさをした。


「レインさんの方こそ……

 すごく……傷が……!」


 フィアの声は今にも泣きそうだった。しかし、それでも泣かなかった。彼女は唇を噛み、震える指先をぎゅっと握りしめて堪える。レインはそんなフィアを見て、小さく笑ってみせた。


「このくらい……かすり傷だ。

 あいつの本気をまともに食らっていたら……こんなものじゃ済まなかった」


 冗談めかして言いながらも、胸の奥では冷たい汗が流れている。


(……本当に、紙一重だった。

 もし《ワールド・ログ》がなかったら……俺も、フィアも……)


 レインは心の中で息を詰めかけ、すぐに意識を切り替えるために視界へ意識を集中させた。


「《ワールド・ログ》……」


 小さく呟き、再び能力を起動する。


 視界に光の層が重なり、情報が流れ込む。

 さきほどまで戦場だったこの路地の状態、フィアの体調、そして――勇者カイルとの関係性。


 そこに、見慣れない表示が浮かんだ。


敵対関係:成立


 淡く光るその文字は、どこか冷酷な確定事項としてレインの心に突き刺さる。ログは事実を記録する。感情ではなく、データとして。そこに“味方”や“仲間”という曖昧な言葉は存在せず、ただ結果としての「敵対」が明確に刻まれていた。


(……これで、正式に“敵”か……

 勇者カイルは、世界を守る存在じゃない。

 今のログが示しているのは――あいつが、俺たちにとっても、この世界にとっても“脅威”だということ……)


 ログは続けていくつかの数値や状態の変化を示したが、レインはあえてそれ以上深く読まなかった。今、必要なのは“事実”だけだ。


 カイルは敵。

 そして――次に会った時、彼は殺しに来る。


 そのことさえ理解しておけばいい。


 レインはゆっくりと息を吐き、《ワールド・ログ》を閉じる。情報の層が視界から消え、現実世界の光と影だけが戻ってくる。


「レインさん……?」


 フィアの声には、まだ不安が残っていた。

 しかし、その中にかすかな決意も混ざっている。


 レインはフィアとしっかり向き合った。

 彼女の瞳の奥には、自分に対する信頼――そして、さっき勇者に向けられた殺意を見たあとの、消えない恐怖がある。


(守らなきゃいけない。

 この子の未来も……

 俺が改変して、ここまで繋いできた“可能性”も……)


 胸の奥で何度も、何度も言葉を繰り返す。


「フィア」


 名前を呼ぶと、フィアはびくっとしてから、真っ直ぐにレインを見上げた。


「……はい……」


「さっきのあいつの言葉、聞いていたな」


 フィアは小さく頷いた。

 その仕草 alone で、彼女がどれだけ恐怖を感じているかが伝わる。だが同時に、その恐怖とは別の感情――「一緒にいる」と決めた覚悟も、彼女の青い瞳の奥に見えた。


 レインはその視線を受け止め、ゆっくりと、だがはっきりと告げた。


「……次に会った時は……

 必ず奴を止める。

 この力で……《ワールド・ログ》で……世界を、守る」


 その言葉を口にした瞬間、胸の奥にあった迷いの欠片が、音もなく崩れ落ちていくのを感じた。追放された記録係としての弱さでもなく、ただ守られる側でもなく――今の自分は、“未来を変える側”に立っている。


 フィアはその言葉を聞いて、ゆっくりと頷いた。

 怖さは消えない。だが、レインの決意の熱が、ほんの少しだけその恐怖を溶かしていく。


「……私も……一緒に……」


 小さな声で、それでも確かな覚悟を込めて呟く。

 レインはその言葉に、短く笑みを浮かべた。


「ああ。一緒に行こう。

 勇者がどれだけ強くても……

 世界がどれだけ理不尽でも……

 俺たちで――書き換える」


 夕暮れの路地に、小さな誓いの声が吸い込まれていく。


 勇者との“完全な敵対”が確定した今、物語はさらに緊張感を増し、世界と運命とログを巡る戦いは、次の段階へと進んでいくのだった。

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