第21話:初めてのエラー
一筋の風が森の樹々を撫で、葉がさらさらと揺れる。その音は静かで穏やかだが、どこか緊張を孕んでいるようにも聞こえた。レインとフィアは、次なる拠点候補を探すため、まだ足を踏み入れたことのない森の奥へとゆっくり進んでいた。
フィアは新しい軽鎧の感触を確かめるように腕を振ったり、軽く跳ねたりしている。その銀髪が陽の光を反射し、まるで森の中だけ少し眩しい空間が生まれたように見えた。
「レインさん、この装備……すっごく軽いです……!」
嬉しそうな声に、レインは微笑みかける。
だが、本心では別のことを考えていた。
(……この森の奥に、何かある。
危険度、敵の種類、地形……もっと情報が欲しい)
道の先に並ぶ木々は、先ほどまでより密度を増していた。日は高いはずなのに、葉の重なりが光を遮り、森の奥は薄暗い影が濃く落ちている。その暗がりの向こうに、何があるのか――レインは本能的に警戒を覚えた。
そこで自然と、《ワールド・ログ》の起動が意識に浮かぶ。
《ワールド・ログ 起動》
視界に淡い光の窓が現れ、風景が薄い膜を通したように変わる。空気中の情報が流れ込み、森の奥の気配まで読み取れるようになる感覚が、レインの心を少しだけ落ち着かせた。
(……見えるはずだ。いつも通りなら……)
視界の中に、古びた建物の影が映る。
苔に覆われ、木々の間から辛うじてその輪郭が見える。人の手が長らく入っていないことだけは明らかだった。
(……あれを調べれば、この先の危険度も分かる……)
レインは集中し、建物に焦点を合わせる。
すると――視界が一瞬、揺れた。
次の瞬間、赤い文字がレインの視界中央に浮かぶ。
ERROR
閲覧権限がありません
「……っ!?」
思わず足が止まった。
胸がドクン、と大きく跳ねる。
視界の中心に浮かぶ赤文字は、これまでのログ表示とは明らかに質が違った。光の色も、文字のフォントも、警告音のような振動も、見る者の心を圧迫するように強烈だった。
(……見られない……?
俺のログで……? そんなこと……)
初めての体験だった。
いや、“初めて”という言葉では足りない。
これまでの《ワールド・ログ》は、まるで万能だった。人間、モンスター、環境、未来分岐――ありとあらゆる情報が覗けた。世界が透明に見えていた。
(それなのに……あれは見られない。
ログの外……? 本来の深層よりさらに奥……?)
胸の奥で、冷たい不安が芽を出す。
同時に、未知を前にした興奮のような感情も、わずかに混ざり始めていた。
「……どうかしたんですか?」
フィアの声に、レインはハッとされるように意識を現実へ戻された。振り返ると、フィアが不安そうにこちらを覗き込んでいる。その青い瞳は、ほんの少しだけ潤んでいるように見えた。
「……ああ、いや……ちょっと……見られないものがあっただけ」
努めて平静を装うが、視線は建物から離れない。
フィアは首をかしげながら、レインの横に並ぶ。
「見られない……? レインさんのログで……?」
その言葉には、素朴な驚きと、少しの不安が混じっていた。
(……そうだ。俺の力にも“限界”がある。
いや――限界というより、壁だ。
誰かが、意図的に情報を隠している……?)
胸の奥でざわつく不安が、ゆっくりと広がる。
しかし同時に、レインは自分の心が妙に静まっていくのを感じた。
(……未知の領域があるってことは……
そこには、誰かが作った“意図”がある。
そして――俺はそのルールの外に踏み込み始めている……)
ゼクトの言葉が脳裏をかすめる。
『未来を弄るなら、覚悟しろ。世界は、お前を許さない』
(……見られないのは、能力の欠陥じゃない。
“世界の拒絶”だ……)
だが、それでも進むしかない。
レインは深く息を吸い、ゆっくりと吐き出す。心臓の鼓動が少しだけ落ち着き、視界の赤文字が消えると、森の空気がまた静かに戻ってきた。
フィアは何か言いかけたが、言葉を飲み込み、レインの横顔をじっと見つめている。レインの表情がいつもより険しいことに気づき、唇を小さく噛んでいた。
「……大丈夫ですか?」
「ああ。問題はない。ただ――」
レインは建物へ視線を向けたまま、言葉を探すように続けた。
「俺のログでも見られない“何か”があるみたいだ」
フィアの肩が、小さく震えた。
しかし怯えてではなく、むしろ興味に近い反応だった。
「……そんなこと、あるんですね……」
レインは苦笑する。
「俺も、初めてだよ。
でも……逆に分かったこともある」
「分かった……こと?」
フィアが首をかしげる。レインは周囲の空気を感じながら、少しだけ声のトーンを落として言った。
「俺の力は万能じゃない。
……いや、そうじゃないな。
“世界側が隠している部分”がある。そこに触れることは、簡単じゃないってことだ」
風が通り抜け、小屋の壁のような古びた建物の表面を撫でる。木の皮がめくれ、苔が生え、水滴が光っていた。表面は老朽化しているはずなのに、どこか“生きている”ように見える。
レインの視線は、その建物から離れなかった。
(……あれは、ただの廃屋じゃない。
“管理されている”。
ログの外側にある……別の層……)
思い出すのは、ゼクトの言葉。
『未来は観測されるだけの存在。本来変えてはならない』
(……俺の力が本当の意味で“世界の深層”に触れるためには……
この壁を越えないといけないのかもしれない)
胸のどこかで、緊張と高揚が同時に膨らんだ。
フィアはレインの袖を軽く引く。
「……怖くないんですか?」
その瞳は、心配よりも純粋な疑問で満ちていた。
レインは少し驚き、そして穏やかに笑った。
「怖いさ。でも――」
レインは建物を見る目に、わずかな熱を宿す。
「限界があるなら、越えてみたい。
俺には、守らなきゃいけない未来がある。
だったら、この“壁”も必ず越えたい」
フィアも安心したように微笑む。
それはまるで、レインの決意を信じているかのような、柔らかな微笑だった。
「レインさんなら……きっとできます」
その言葉は、静かな森の空気に溶け、レインの胸に温かく染みこんだ。
(……限界はある。でも、それは“挑戦できる”ということだ)
再び、赤いログの残像が脳裏にちらつく。
ERROR
閲覧権限がありません
(……エラーか……
なら――権限を手に入れればいい)
レインは視界のログを閉じ、建物に背を向けた。
「行こう、フィア。今日の目的は拠点探しだ。
あの建物のことは……またいずれ必ず確かめる」
「はい!」
フィアは元気よく返事をし、レインの隣に並ぶ。
森を抜ける風が、二人の背中をそっと押すように吹いた。光が木漏れ日のように差し込み、先ほどまでの不穏な気配を和らげるかのようだった。
だが――レインは気づいていた。
あの建物は、ただの“隠しオブジェクト”ではない。
それは《ワールド・ログ》の外側、
**“世界の管理者層へ続く扉の一つ”**かもしれないと。
(……必ず、もう一度アクセスする。
エラーの理由も、権限の壁も、全部――突き止めてやる)
夕暮れ色の光が差し込む森を進みながら、レインは未来に広がる緊張と期待を噛み締めた。
【モノローグ】
「力に限界があるなら……それを超えるだけだ。
《ワールド・ログ》――お前の奥にある真実を、俺が暴く」
森に響く風音が、その言葉を後押しするかのように強まった。
物語はここから、**「ログの限界」「世界の隠された層」「権限の壁」**へと踏み込んでいく。




