第18話:変化するログ
街外れの小屋は、一本の長い街道から少し離れた場所に建っていた。周囲は草の匂いが漂う静かな平原で、木製の壁には夕刻の光が柔らかく染み込んでいる。外では風がそよぎ、草原をさらさらと揺らしながら奥へ流れていった。
小屋の中は薄暗いが、その静けさがレインとフィアにとっては心地よい安らぎだった。街の喧騒から離れ、二人だけの時間――そのはずだった。
フィアは椅子の上で鎧についた埃を丁寧に拭き取り、時折レインへ微笑みかける。その笑顔は穏やかで、昨日までの不安を少しでも忘れようとしているかのようだった。
一方、レインは窓際に座って《ワールド・ログ》を起動し、いつものように周囲の状況を把握していた。癖になりつつある確認作業。敵の気配、周囲の魔物の出現率、フィアの状態――ログは、旅の安全を確保するためのもっとも重要な手段であり、もはや手放せない存在になっていた。
だがその日、ログはいつもとは違う反応を見せた。
「……あれ?」
レインは無意識に眉をひそめる。
視界に浮かんでいるはずの情報の波が、かすかな揺らぎを見せた。
普段のログは淡い青白い光で整然と並び、静かに情報を提示してくる。しかし今回は――光が赤く滲み、脈動するように明滅していた。
(こんなの……見たことがない……)
胸の奥がざわつく。
レインは息を呑み、視界の中心へ意識を集中させた。
《ワールド・ログ 起動》
《解析中……》
ログの文字列が一度すべて崩れ、霧のように揺らぎながら再構築されていく。
その様子は、まるで“誰かがログの奥に手を伸ばして書き換えている”かのようだった。
嫌な予感と共に――
赤く光る一文が、ゆっくりと視界に浮かび上がる。
《監視対象に指定されました》
その瞬間、レインの背中を冷たいものが走った。
(……監視……対象……?)
その一文だけが異様な威圧感を放ち、周囲のログ情報と明らかに性質が違っていた。
視界の端で、色を失ったログが揺れ、沈黙しているように見える。
レインは硬直した。胸の動きが一瞬止まり、喉が乾く。
(だれが……? 何のために……?)
これまで、ログは“見る側”がレインであり、一方的に情報を得る道具だった。それが、今は――自分自身が“誰かに見られている”。
この不自然さに、恐怖がじわりと胸へと広がった。
「レインさん……?」
フィアが心配そうに声をかけてくる。
「……あ、いや……ちょっと……」
レインは答えながらも、視界から消えない赤文字に意識を奪われ続けていた。
《監視対象に指定されました》
その文字は、まるで“注視しているぞ”と告げるように、淡く揺れ続ける。
(俺が……見られている……? いったい、誰に……)
フィアの未来ログ、勇者カイルの世界破壊ログ、そして自分が初めて改変した未来。その全てに何か共通する“異常性”があった。
もし――誰かが世界の未来を監視していて、
何かが世界のログを操作していて、
自分が“その領域に踏み込んだ”としたら――
(……気づかれた……? 俺の存在に……)
その考えが浮かんだだけで、背中を冷たい汗が滑り落ちた。
ログの赤文字は消えず、視界の中央で静かに震え続けていた。
それは、ただの注意喚起ではない――“意図ある意思”のようにも見える。
レインはゆっくりと息を吸い、小屋の木の壁に背中を預けるように寄りかかった。
外では風が草原を撫で、さらさらと優しい音を立てている。
なのに、小屋の中は一気に温度が下がったような感覚すらあった。
(……俺は今まで、未来を変えることを成功させた。
あの子供の運命を回避し、フィアも救った。
でも……それは“許されていた”ことだったのか?)
未来を書き換えることは、本来――“世界のルールに干渉する行為”だ。
勇者カイルのログで目にした『世界破壊』という未来。
そのログは、誰かが定めた“運命の設計図”のようなものだとレインは直感していた。
もしレインがその流れを変え続けることで、
“本来予定されていた未来”が狂っていくとしたら――
(……誰かが、その異変を察知した……?)
胸がざわつき、不安と恐怖が入り混じる。
レインの視界は赤文字に支配され、風の音さえ遠く感じる。
「レインさん、本当にどうかしたんですか……?」
フィアが近づき、心配そうに覗き込む。
その青い瞳は不安に揺れながらも、レインの手にそっと触れようとする。
レインは一瞬迷ったが、結局フィアには笑顔を向けた。
「……うん、大丈夫。ちょっと……気にかかるものがあって」
それだけを伝えると、フィアは小さく頷き、また椅子に戻って装備の紐を整え始める。
彼女は何も知らない。その無垢な横顔と、《監視対象》という冷たすぎるログの対比が、レインの胸をさらに締めつけた。
(フィアは何も悪くない……
なのに、もし俺の行動が原因で“監視”が強まるのだとしたら……
この子まで巻き込みたくない……)
レインは、ログに意識を集中させる。
赤文字に触れるように手を伸ばすが、いつもなら反応するログは今回だけは沈黙した。
まるで――“返事をする必要はない”と言われているようだった。
(……俺を監視しているのは、ログのシステムそのものか……
それとも……もっと上位の存在……?)
かつて勇者カイルのログで見た《深層ログ》の奥――
あの時感じた“システム的な存在”の気配が、再び胸の奥で疼く。
(……世界に、俺たちが知らない“管理者”がいる……
そんな気配を……感じる……)
レインは拳を強く握りしめた。
恐怖は確かにある。胸を荒らし、呼吸を浅くするほどに。
だが――それ以上に、強く湧き上がるものがあった。
(……逃げない。
監視されても、怯えていても……
フィアを守るために、この力を使い続ける……!)
ログに赤文字が点滅し、まるでレインの決意に反応するように揺れた。
夕暮れの光が窓から差し込み、部屋の中に長い影を作る。
その影の中で、レインの表情は静かだが、瞳だけは確かな強さを宿していた。
【レインの内心】
「……誰が見ていようと……
俺はもう、引き返せない。
運命を変える力を持ってしまった以上……
守るために前へ進むだけだ……」
赤文字の《監視対象に指定されました》が、
小さく、しかし確かに揺れながら――次章の“脅威”を予告していた。




