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逆光のまま、名前を呼ばずに  作者: 月食ぱんな
均一な光に、名前を与える
15/27

1話|職業、アイドル

「アイドルだって、職業の一つじゃんね」


  ステージの袖、出番を待つ静寂の中で、ピンク担当の菜々子は、衣装の色に似合わず、少しだけ皮肉っぽく笑った。


 菜々子は、衣装のフリルを無造作に整えると、手元のマイクを軽く握り直す。


「夢とか、希望とか、そんなキラキラした言葉でパッケージングしなきゃ売れないのはわかるけど。結局は需要と供給、感情の等価交換でしょ?」


 客席からは、彼女たちの登場を待ちわびるファンの地響きのようなコールが聞こえてくる。それは熱狂という名の、巨大なエネルギーの塊だ。


 菜々子は鏡も見ずに、手慣れた動作でリップグロスを塗り直しながら続ける。


「夢を与えるのが仕事って、まぁ、実際そうではあるんだけどさ」


 ピンク色のシフォンが幾層にも重なったスカートを、慣れた手つきでパサリと広げた。意外と重い。この可愛さの重みは、そのまま肉体への負荷だ。


 朝五時に起きて、喉を潰さないように加湿器ガンガン焚いて、週末は一日中立ちっぱなしで笑顔を振りまく。これって結構なハードワーク……いや、完全にブラックだ。


 このキラキラした衣装だって、奈々子にとっては、ファーストフードでバイトした時に貸し出される制服と同じ意味しか持たない。


 ステージの上で流す涙も、時には演出だ。もちろん本当に涙を流すことはあるけれど、それは計算された感情のピークであって、決して制御不能な情緒じゃない。


「やだ、ナナってば、今日はめちゃくちゃ荒れてるじゃん。大丈夫そ?」


 黄色担当の陽葵ひまりが、隣でストレッチをしながらクスクスと笑った。彼女は菜々子とは対照的に、いつも太陽のような明るさを振りまいている。


「でもさ、最近全然タイプじゃない人に笑顔を振りまく意味、ちょっとわからなくなってきちゃった」


 青い衣装に身を包む梨花の言葉に、陽葵は、少しだけ首を傾げてから答えた。


「えー? そんなの、お金のため以外にある? 梨花ってば、考えすぎだよ」


「考えすぎ、ね……」


 梨花は小さく溜息をつき、青の袖口を整えた。


 奈々子は、二人の会話を聞きながら、ステージ脇に置いてある鏡に映る自分を見つめる。


(うん、完璧)


 可愛いを具現化したような奈々子は、その容姿を「資産」として最大限に運用している。


 カメラがどこから狙っているか、どの角度で首を傾ければ、照明を味方につけて一番「応援したくなるヒロイン」に見えるか。それを計算するのは、彼女にとって売上表を分析する事務作業と同じだ。


 マメができるまでダンスを練習した足も、何百回と繰り返した愛嬌の練習で引き攣りそうになった頬の筋肉も、全部経費。ファンに見せるための、目に見えないコストでしかない。


「アイドルがファンに笑顔を振りまくのは、お金を使ってくれるからしかないじゃん。……ま、そのための残業代アンコールなら、私はいくらでも付き合ってあげるけど」


 菜々子は、青い衣装の梨花の肩に、わざと自分のピンクの衣装を重ねるようにして寄り添った。


「しんどい時も『仕事だから』って思えば踏ん張れるでしょ?」


  少なくとも奈々子は、仕事だと割り切れば、自分の感情に振り回されることはない。対価を支払ってもらっている以上、不細工なパフォーマンスを見せるわけにいかないと思える。


「……それはそうだけど。でも、人間だから無理な時もあるくない?」


 梨花は納得がいかないように、青いフリルをいじった。


「ダメだよ、あんまり感情移入しすぎると、この仕事はメンタルが保たないよ」


 菜々子はそう言って、梨花の頬をわざとらしく指先で突いた。


「ファンが注ぎ込む熱狂と、私たちが差し出す『理想の偶像』。取引成立、ハイ終わり。それ以上を求めたら、お互い不幸になるだけ」


 菜々子は、胸の奥に生まれかけた違和感を、ステージ照明の眩しさで上書きしている。


 光は強ければ強いほど、余計な影を消してくれる。そうしていないと、客席から向けられる視線の重さを、そのまま受け取ってしまいそうだから。


「ま、梨花みたいな不器用なのが一人くらいいた方が、商品価値としては『天然物』っぽくていいスパイスになるけどね」


 赤色担当の真緒は、ステージ袖から客席を見つめた。


「仕事だ、ビジネスだ、そんな理屈で片付くなら、こんなクソ熱い衣装を着て、心臓が爆発するまで踊る必要なんてないじゃん。……私は、あいつらが絶叫して、喉を潰して、明日からの生気を全部使い果たす瞬間の『共犯者』でいたいだけ」


「……真緒は、やっぱり一番の熱血漢(ブラック企業気質)だね」


 陽葵は肩をすくめたが、その口元は少しだけ綻んでいる。


 理屈で動く奈々子、楽しさで動く陽葵、迷いながら進む梨花。

 そして、全てを焼き尽くす覚悟で立つ真緒。


 性格も、アイドルという職業に対する向き合い方もバラバラだ。

 それでも四人で並ぶと、ステージは成立する。


 スタッフが暗闇の中でライトを回し、スタンバイを促した。


「……あ、もう時間だね」


 奈々子は衣装のふわふわしたスカートを最後にもう一度整え、ピンクのマイクを握り直した。


「じゃ、稼ぎに行こうか。 世界で一番綺麗な『夢』を見せてあげないとね」


 菜々子は吐き捨てるように呟くと、その瞬間に意識のスイッチを切り替えた。


 死んでいたはずの瞳に、キラキラとした、それでいて空虚な光が灯る。

 背筋をピンと伸ばし、顎を引いて、口角を黄金比の形に固定する。


 一歩、闇から光の中へ踏み出した。


「みんなー! 会いたかったよぉーっ!」


  マイク越しに放たれた声は、キャンディのように甘く、毒々しいほどに愛くるしい。


 先ほどまで「仕事」だと冷たく言い放っていた少女の姿はどこにもない。そこには、観客が何万円払ってでも見たいと願った、夢そのものの「ピンク担当・ナナちゃん」が完璧に立ち現れていた。



 *



 ステージに出てからの記憶は、いつも途切れ途切れになる。


 歌って、踊って、名前を呼ばれて、笑って。順番も構成も、すべて決まっているはずなのに、終わったあとで思い出せるのは、いくつかの断片だけだ。


 最前列の、やけに背の高い男。

 二列目、ペンライトの色を一拍遅れて切り替えた女の子。

 サビ前、梨花がほんの少しだけ遅れたステップ。


 菜々子は、それらを「失敗」や「出来事」としてではなく、単なるログとして処理する。


 修正が必要かどうか。

 次に活かすべきかどうか。

 それだけだ。


 照明が一段落ち、曲が終わる。


 拍手。

 歓声。

 アンコールを要求する、予定調和の声。


 菜々子は、いつも通り一拍だけ間を置いて、もう一度マイクを口元に寄せた。その一拍で、客席の期待値が跳ね上がることを、彼女は知っている。


「……しょうがないなぁ」


 甘えた声を作る。

 語尾をほんの少しだけ伸ばす。

 頬の筋肉を限界まで使って、笑う。


「じゃあ、もう一曲だけだよ?」


 客席が沸く。

 条件反射のような反応。


(残業成立)


 そう頭の中でだけ付箋を貼って、菜々子は身体を回転させる。


 次の曲は、振りが多い。

 息が上がる。

 それでも表情は崩さない。


 歌詞の意味は、考えない。

 考える必要がない。


 必要なのは、音程と立ち位置。それから、カメラを抜かれる瞬間の角度。


 それだけだ。


 ステージの端で、スタッフが小さく合図を出す。

 終わりが近い。


 曲が終わり、深く一礼して、ライトが落ちる。

 暗転すると、その瞬間、世界は急に静かになる。


 菜々子は、舞台袖に戻ると同時に、肩で大きく息をした。

 喉が熱い。太ももがじんわり痺れている。


「お疲れー」


 陽葵が、タオルを投げてよこす。

 菜々子は受け取り、「おつかれ」と返しながら首にかけた。


「今日も完璧だったじゃん。さすがセンター」


「今日のセンターは、梨花でしょ」


 即答する。冗談でも、そこは曖昧にしない。


「次は私がセンターになるから」


 赤色担当の、真緒まおがペットボトルのキャップを小気味よく鳴らして割り込んできた。


 彼女は、このグループで唯一と言っていいほど「野心」を隠さない。菜々子がアイドルを「ビジネス」と捉えるなら、真緒にとってアイドルは「勝ち取るべき椅子」だった。


「菜々子は、今日もあざとさ百点だったね。悔しいけど、あれで客の財布の紐が緩む音が聞こえた気がするわ」


「……褒め言葉として受け取っておくよ」


 菜々子は、タオルで顔を覆い、滴る汗を吸い込ませる。タオルの奥で、ようやく「アイドルの顔」を解く。


「でも、次はもっと高くつくよ。私の残業代は、日増しに上がってるから」


「いいよ、私がその価値を上書きしてあげる」


 真緒は不敵に笑い、先に楽屋へと続く廊下を歩き出す。


「……あーあ。脚、パンパンだよ」


 新たにセンターになった梨花は、少し困ったように笑っていた。まだステージの余韻が抜けきっていない顔だ。


「……今日、ナナは楽しかった?」


 唐突に聞かれて、菜々子は一瞬だけ考える。


 楽しかったかどうか。

 そんな指標は、使ったことがない。


「売れたよ」


 代わりに、そう答えた。


 梨花は何も言わなかった。

 それ以上、聞いてこなかった。


 それでいい。


 菜々子は、ペットボトルの水を一口飲む。

 喉を通る冷たさが、現実を呼び戻す。


 ステージの外では、ファンたちがまだ騒いでいる。出口で待っている人もいるだろう。SNSには、もう感想が流れ始めているはずだ。


 それらを思い浮かべても、胸は動かない。


(私は、ここまで)


 今日の役割は、ここまでだ。


 菜々子は、鏡の前に立つ。照明のない場所で見る自分は、驚くほど普通だった。


 メイクを落とせば、衣装を脱げば、ただの若い女の顔になる。


 それを確認すると、少しだけ安心する。


(まだ、戻れる)


 戻る必要がある場所なのかどうかは、考えない。


 バッグを持ち、控室を出る。

 廊下の先で、スタッフが軽く会釈した。


「お疲れさまでした」


「お疲れさまです」


 定型文を返す。


 そのまま歩きながら、スマホを取り出す。

 通知がいくつか溜まっている。


 タグ。

 メンション。

 生誕の告知。


 その中に、見慣れたアカウント名があった。


 ——なとくん@ピピドッター。


 《生誕祭、連番してくれる人見つかった! ナナちゃんに会えるまであと少し。バイト頑張れる》


 菜々子は、立ち止まらずに画面をスクロールする。


 読むけれど、留まらない。


「へー、来るんだ」


 それだけを確認して、スマホを伏せた。


 次の仕事が、もう決まっている。だから、今日の仕事は終わり。

 照明の下に立つ準備は、また明日すればいい。


 廊下の奥で、誰かがスマホの音量を上げた。

 一瞬だけ、耳に引っかかる声色がした。


(——違う)


 何かを探すように、視線が一度だけ揺れる。


 奈々子は、すぐに、首を振る。


(見つかるはずがない)


 足を一歩踏み出して、菜々子はその場を離れた。


 ヒールの音が、静かな廊下に硬く響く。 それは、自分を追い立てるような、何かから逃げ出すような、急ぎ足のビートだった。


 逃げなければならない。この、自分の輪郭を曖昧にする正体不明の揺らぎから。


 影のない蛍光灯の下で、正しく、美しく、平坦に整えられた「ナナちゃん」の領域へと。


 明日になれば、また新しい照明が自分をフラットにしてくれる。


 だから、もう、何も探さなくていい。


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