帰り道
夕方の校門は、もうほとんど人がいなかった。今日は部活もない。世界が1段階、音量を下げたみたいだった。
「ねえ、晃」
川橋が先に口を開いた。いつもの軽さは無くて、声は妙に真っ直ぐだった。
「僕さ、昨日ね? 女子に言われたの」
「なんて?」
「“川橋って、男なのに女みたいで可哀想だよね”って」
俺は足を止めた。
「笑って言われたからさ。悪意ない感じで。だから、僕も笑ったの。『でしょ〜?』って。」
川橋は前を向いたまま続ける。
「でもさ、家帰って1人になったら、急に息できなくなって」
その言葉が、俺の胸に落ちた。重たい音がした気がした。
「僕、もう自分が何なのか分かんないんだよね。男でも、女でも、普通でも無くてさ」
俺は何か言おうとした。でも、口が動かなかった。
「だからさ、晃がクラスのリーダーで、クラスの中心で、“ちゃ
んと男”やってんの見ると__」
川橋は一度、言葉を切った。
「……羨ましくて、気持ち悪くなる」
俺の心臓が跳ねた。
「僕、晃の前では嘘つけないんだよ。女っぽくいれば安全なのに、晃が見てくると、それすら壊れる」
夕焼けが、二人の影を長く引き伸ばしていた。
「ねえ、晃」
川橋が、初めて俺の方を向いた。
「僕が消えたらさ、クラス、平和になると思う?」
その一言で俺の中の何かがプツッと切れた。
「ふざけんなよ!」
思ったより大きい声が出た。
「あの時、お前は何も悪くなかった。だから、そんなに思い詰めなくて良いんだって!」
「……それに、消えるとか、簡単に言うなって……」
川橋が俺の声を遮って言った。
「簡単じゃないよ」
凌は笑った。
でも、その笑い方は今までで一番弱かった。
「…簡単だったら、もうとっくに消えてる」
俺は距離を詰めていた。気づいたら、俺は川橋の腕を掴んでいた。
「お前が居なくなったら、俺が困るんだって」
「…は?」
「クラスとか関係ない。俺が…俺が嫌なんだよ」
掴んだ腕が思ったより細くて、思ったより冷たかった。
「俺さ」
声が少し震えた。
「お前が女子の中で笑って話してるの、凄い嫌だ」
言ってしまった、と分かった瞬間。もう遅かった。
川橋は暫く何も言わなかった。
それから、ゆっくりと口を開く。
「…それってさ」
「ほんとに、僕のことを思って言ってる?」
その瞬間、俺の中の嫌な記憶が全部流れ出してきた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
_小学4年生の頃。
川橋と俺は同じサッカークラブに所属しており、親友だった。
俺の部屋には未だ小さい頃の川橋との写真が飾ってある。
そして、その日は試合があった。
俺らにとってこのチームで最後のトーナメント戦で、極めて大切な試合だった。
「晃、頑張ろ」
「うん!絶対勝とうな」
相手は今まで予選を通過したことが無いほどの弱小チームであったため、誰もが俺らのチームが勝つと確信していた。
__そんなこんなで試合が始まった。
川橋はキーパーを担当していた。なぜなら、このチームで一番信頼されていたから。
そして…
___結果は惨敗だった。
どうやら川橋が途中で足を挫いてしまったらしく、上手くボールを止めることが出来なかったそうだ。
それから。
チームのみんなが川橋を責めた。
コーチでさえ、川橋に怒号を飛ばした。
川橋は泣いていた。
それから、川橋はクラスで避けられるようになった。
相手のチームのクラスメイトがこれを広めたらしい。
俺はその状態でも、川橋に話しかけた。
すると、向こうから俺の友達の声が聞こえてきた。
「えー、晃って川橋の味方なん」
それを聞いて、俺は冷や汗をかいた。
次のターゲットは俺になるかもしれない。
そんなことを思うと、川橋に話しかけられなくなってしまった。
そこから、川橋は徐々に心を閉ざした。
サッカーも次の日には辞めていた。
中学ではサッカー部に入ると言っていたのに、吹奏楽部に入った。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「…ねえ、聞いてる?」
その言葉で、俺はハッとした。
「……ああ、勿論。思ってて言ってる。」
「でも僕、信じれないよ」
俺は答えられなかった。川橋の目が怖くて怖くて、言葉が出なかった。
「…お、俺は、あの頃のお前が好きだった、大好きだった」
とうとう言ってしまった。
心臓の音がドクドク聞こえる。
「運動も出来て、音楽も出来て、勉強も出来て、……なんでもできるお前が好きだった、物凄く好きだった、誰とも仲良くして欲しくなかった」
俺の口は止まらなかった。
そして、暫く沈黙が続いた。
「ねえ晃」
川橋は俺の手を振りほどかなかった。
その代わり、目を伏せて静かに言った。
「僕のこと、ちゃんと好きになってくれる自信ある?」
川橋のいつもの笑みは消えていた。
夕焼けの中で、俺の逃げ道はもうどこにも無かった。




