第4章 ep.25 怪腕の第二相 ― 残光の咆哮
正面突破の衝突から幾合重ねたのか、誰も数えられなくなっていた。
剣と拳が交差するたび、砂が爆ぜ、午前の冷気は熱に変わる。
――だが、決着だけは来ない。
(……くそ。変わらねぇ)
ガルドは舌の奥で血の味を噛みながら、じり、と一足詰めては押し返される均衡に苛立ちを募らせた。
踏み込みの深さも、刃筋の迷いも、昨日より確かに削れた。それでも、バルゴラスの拳は、受ければ骨に響き、いなせば風を裂く。
増した筋肉が剣を重くし、リリアの号令が迷いを削ってくれるのに――「状況」は一歩も動いていない気がした。
観覧の端で、仲間たちもまた息を呑む。
ラッツは震える手を握りしめ、「兄貴、マジで互角……?」と自分に問うた。
モルティナは盾の縁を強く掴み、唇を噛む。(わたしも強くなった、はず。三日の修行で、全方位に備える動きも、仲間を守る位置取りも磨いた。――それでも、ガルドはその“先”に行ってる)
置いていかれる、という感覚が、誇りと悔しさを同時に刺した。
カイは目を細め、均衡の中に潜む「崩れ」を探し続ける。(互角に見えるが、わずかにこちらが息を上げている。――決め手が要る)
ルナリアは相変わらずリリアだけを見ていた。硬い軍服の背中が、かつての冗談好きの影をまったく宿さないことが、彼女の瞳に狂気めいた温度を与えている。
「勇者殿! すばらしい!」
バルゴラスは涎で濡れた牙を覗かせ、拳を鳴らすたびに空気を震わせる。
「互角の舞。武の詩。なんと美味なる均衡か!」
(美味だと……ふざけんな。俺は舞いに来たんじゃない。迎えに来たんだ)
苛立ちが、刃を速くする。だが速さは、焦りと紙一重。肩がわずかに上がった瞬間――
「ガルド、肩が浮いた。――修正」
背から、短く鋭い号令。
意識を「肩」に落とすだけで、軸が戻る。呼吸の三短一長に合わせ、刃が自然に芯へ乗った。
(……やっぱり、動きやすい)
お茶らけた声じゃない。軍人の命令だ。なのに、背中を押す力は同じだ。
懐かしさと、違和感。その両方が、足を前へ出させた。
ガルドは刃を浅く滑らせ、拳をはじく。バルゴラスは前腕の鱗で受け、逆の掌底を腹にたたき込む。
内臓が揺れ、視界が揺らぐ。それでも踏み止まって、肩で押し返す。
均衡。均衡。均衡。
汗が目に入り、金属の味が喉に残る。
――その時、リリアの睫毛が一度、震えた。
「……見えた」
彼女の声は、氷のように冷たく、火のように速い。
「隙、右脇。呼吸の“長”にわずかな緩み。――強化付与、対象:ガルド。出力八〇、持続三拍。発動」
砂の上にうっすらと紋が走った。
ガルドの皮膚の内側で、目に見えぬ線が描かれる。胸骨に刻印、肩に印、肘に刃。心臓の鼓動と号令が同調し、体内の「軸」が一段深く噛み合った。
(――来る)
身体が先に理解し、脳が遅れて頷いた。
呼吸三短――一長。
その「一長」に、全身の重みを束ねる。
「今だ、ガルド」
リリアの指先がわずかに前を差す。「正面突破。狙いは右脇下――撃」
ガルドは踏み込んだ。
刃が黒と金を纏い、残光が空に刻まれる。
振るえば一条、だがその軌跡は虚空に固定され、もう一振りの剣と化す。
一撃が二撃に、二撃が三撃に――重なり合い、時間差で敵を襲う「連斬」へと昇華する。
「――ヴァレリアン流剣術! 二の型――《残光連断》ッ!!」
黒銀の大剣が咆哮した。
残光の層が幾重にも積み重なり、視覚と時間を錯乱させる。
バルゴラスは最初の斬撃を腕で受け止めた――だが、その直後、二撃目、三撃目の残光が遅れて襲い、右脇を抉り、肋を切り裂いた。
鱗が砕け、骨が割れ、黒い血が噴き出す。
巨体が沈み、翼が痙攣し、片膝が砂に突き刺さる。
観覧の兵たちがどよめき、仲間たちの胸に衝撃が走った。
ラッツは涙目で「い、いったぁぁ!」と叫び、モルティナは盾を抱えて嗚咽をこらえた。
カイは短く「よし」と呟き、ルナリアの口角はわずかに歪んだ。
――致命傷。
誰の目にもそう映る一撃だった。
だが、バルゴラスは笑った。
歯の間から血混じりの涎を垂らし、紅い瞳孔が針のように細まる。
その全身が歓喜に痙攣していた。
「はは……っ、ははははは! これだ……これだよ勇者殿! この痛み、この喪失、この均衡の崩壊――至福だァァ!!!」
狂気と歓喜が渦を巻き、観覧の兵が思わず身を引く。
彼は右脇を押さえながらも、確かに立っていた。
その姿は“敗北”ではなく、“歓喜の前触れ”だった。
「勇者殿。あなたは私を“ここまで”連れてきた。舞台は次だ」
彼はゆっくりと両腕を広げ、翼を大きく打ち、角を天へ向け――そして、静かに言った。
「第二階位――人型戦闘適性」
低い唸りが大地の底から昇ってきた。
鱗がざらりと逆立ち、次いで一枚一枚、乾いた音を立てて砂へ落ちる。
角に亀裂が走り、砕けた光が霧のように宙へ散った。
翼は内側へ折りたたまれ、骨が短く縮むたびに筋肉のラインが滑らかに変貌する。
巨体が「収束」していく。
三メートル近い怪躯は、二メートルほどの輪郭へ。
黒鋼のような鱗は黒髪へ、岩のような拳は血色を帯びた人の手へ。
皮膚に刻まれた戦いの紋様だけが残り、そこに人間離れした密度の筋肉が均整よく張り付いた。
――マッチョな、イケメン。
だが、ただのイケメンではない。瞳の奥に、あの怪物の火がそのまま宿っている。
呼吸一つで、闘技場の空気の重心が変わった。
「これが私の“実戦仕様”だ」
口調は相変わらず紳士的。だが、声の質量が違う。
喉の奥で獣が笑い、人の仮面が微笑む。
観覧の端で、担架の上のバルドが上体を跳ね起こし、目を剥いた。
「ま、待て……その顔、筋肉、肩幅、その“立ち方”……!」
声が裏返る。包帯がきしむ。
「……スパルディアの初代国王の肖像画に、そっくりではないか!」
どよめきが走る。
ゴルドも思わず呻いた。「二百年前の建国王? あの“拳で山を割った”って伝説の……?」
反乱軍の古参が顔を見合わせ、「まさか」と口の中で呟いた。
リリアの睫毛が、短く震えた。
軍人の顔の奥で、氷がわずかにひび割れる。(資料――一致。体格比、骨格、眼光……確率、七割超)
だが彼女は声に出さない。出すべきは号令だけだ。
「ガルド、警戒度最大。――相手の“密度”が変わった。間合いを一段短く。接触時の反発に備えろ。呼吸、三短一長、維持」
「了解」
ガルドは唾を飲み込んだ。喉が乾いているのに、心臓だけがやけに湿った音を立てている。
嬉しさと恐怖が同時に胃の裏を掴む。(やっと“動いた”。均衡が――変わる)
人型のバルゴラスが、一歩、砂に足を置いた。
たったそれだけで、砂の目がすり鉢のように沈む。
拳を握る音が、耳ではなく骨に触れた。
「先ほどの一撃、礼を述べたい。私の中の“人”が、喜んでいる」
彼は笑う。涎は垂らさない。
代わりに、笑みの端に「理性ごと喜ぶ」という不気味さが乗っていた。
「さぁ、続けよう。勇者殿。君の剣と、彼女の号令で――どこまで来られる?」
ガルドは剣を構え直し、顎を引いた。
昨日の悔しさは、もうない。
代わりに、燃えるような集中だけがあった。
(俺は行く。どれだけ相手が化けても、行く。背中で“指揮官”が見ている。隣で“仲間”が息を止めている。――迎えに、行く)
リリアの声が、短く落ちた。
「開始」
砂が、再び熱を帯びた。
人の姿になった怪物と、剣を握る若き勇者。
軍神の号令が二人を束ね、観る者の鼓動が同じテンポに整っていく。
第二相の戦いが――始まる。




