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第4章 ep.24 怪腕と剣 ― 指揮の下で

翌朝。

 闘技場に立った瞬間、ガルドの肺は凍りついた。

 昨日の戦いで汗も血も染み込んだ砂の円形舞台。その中央に、漆黒の巨影が悠然と立っている。


 ――四天王、バルゴラス。


 漆黒の鱗が朝日を反射し、まるで鋼鉄の板のように鈍い輝きを放つ。

 背からは巨大な翼が折りたたまれ、二本の角が天を突き、眼光は燃えるように紅く灼けていた。

 武器は何ひとつ持たない。ただ握りしめられた両の拳と、指先に覗く鋭い爪。大地を抉るそれこそが彼の武器であり、世界を叩き潰す軍刀だった。


「昨日は見事でありましたな、勇者殿」

 バルゴラスの声は意外なほど低く穏やかで、丁寧な紳士の響きを持っていた。

「短き修行でよくぞここまで力を伸ばした。――本日は、その成果をこの拳で試させていただきましょう」


 その巨影を前に、ガルドは剣を握り直した。

 背後では仲間たちが息を殺して見守っている。

 カイは眉をひそめ、モルティナは盾を握りしめ、ラッツは汗を拭うことも忘れて口を開けていた。ルナリアはリリアだけを射抜くように見つめ、バルドとゴルドは包帯のまま拳を握ってうめき声を漏らしている。


 そして、背中にはリリア。

 軍人の声で短く告げる。

「――開戦」


 乾いた声が、鐘よりも重く闘技場に落ちた。


 先に動いたのはガルドだ。

 砂を蹴り、低い姿勢で斬りかかる。

 鍛錬と筋肉強化の果てに得た力は、刃を戦槌に変える。

 空を裂き、風が悲鳴を上げる。


 しかし、バルゴラスは剣を持たぬまま一歩前に踏み込むと、鱗に覆われた前腕で刃を受けた。

 耳を裂く金属音。火花が散り、剣が石壁に弾かれたような感覚がガルドの腕を痺れさせる。


「ほう……っ」

 巨躯の口角が吊り上がり、白い牙がのぞく。

「実に重い。勇者殿、これは良き剣ですな」


 続けざまに繰り出されたのは拳だった。

 ただの一撃。だが、その速度は視線を置く暇すらなかった。


「――くそっ!」

 反射で剣を盾代わりに構えた瞬間、衝撃が全身を襲う。

 鈍器で殴られたというより、大地そのものに叩きつけられたかのような一撃。

 足裏の砂がすべて吹き飛び、背骨が鳴った。


「ガルド、後退禁止。――右足、軸固定。力は逃がすな」

 リリアの声が背から落ちる。冷たい、だが迷いを削る声。


 ガルドは呻きながらも足を踏み込み直す。

 肺の奥で血の味が広がる。それでも身体は、彼女の言葉に従った。


(……動きやすい。昨日と同じだ)

 号令に従うことで、迷いが消える。

 リリアが指揮を執る時、かつて一緒に旅をした頃の懐かしさが蘇る。お茶らけた冗談を飛ばしてくれた頃とは違う。だが「共に動いている」という感覚だけは、確かにそこにあった。


 ガルドは呼吸を整え、刃を横薙ぎに振るった。

 バルゴラスは鱗の拳で受け流し、逆の掌底を腹に叩き込む。


「ぐっ……!」

 内臓が揺れ、膝が沈む。


 すかさずリリアの号令。

「耐えろ。呼吸を刻め。三短一長――維持」


 言葉が落ちる前に、肺が自然とそのリズムを刻んだ。

 痛みは消えないが、動ける。剣を握れる。


「いい……実にいい!」

 バルゴラスは涎を垂らし、爪をカチカチと鳴らした。

「昨日よりも確かに重い。勇者殿、これは愉悦! これぞ武の舞!」


 次の瞬間、巨腕が唸る。

 爪が閃き、砂塵が竜巻のように巻き上がる。

 ガルドは身を屈め、間一髪で斬り上げる。火花が散り、爪が欠ける。しかし、その隙を突かれて逆の拳が頬を打ち抜いた。


「がはっ……!」

 視界が白く弾け、砂の匂いが鼻に刺さる。


「ガルド、下がるな! 左回り! 背後は取らせない!」

 リリアの声に従い、よろける身体を無理やり左へ回転させる。剣を振り、拳を弾く。

 思考よりも先に身体が動く。まるで「一緒に戦っている」感覚。


(そうだ……お前と一緒なら、俺は――!)


 攻防は激しさを増した。

 剣と拳。火花と砂塵。

 ガルドの斬撃がバルゴラスの鱗をかすめ、黒い血を散らす。

 だがすぐさま赤黒い瘴気が傷を塞ぐ。


「やはり……! これで終わりではありませんな!」

 バルゴラスは笑い、翼を広げて空気を震わせた。


 拳が雨のように降る。

 剣が応える。刃が弾かれ、受け流され、すべての一撃が命を狙う。

 観覧席から息を呑む音が漏れ、勇者一同は拳を握りしめた。


 モルティナは盾を抱え、「守りたい」と叫ぶ心を必死に抑えた。

 ラッツは「死ぬなよ兄貴!」と叫びかけて喉を詰まらせた。

 ルナリアはリリアを見つめ、「あれがお前の敵……殺すべき怪物」と呟いた。

 カイは歯を食いしばり、指揮官と勇者が噛み合う様を無言で見守った。


 剣と拳が交差し、互いの影が重なる。

 ガルドの腕は痺れ、脚は鉛のように重い。だが瞳は燃えていた。

 昨日の悔しさを晴らすように。

 リリアの号令に応え、もう一度踏み込むために。


「リリア! 指示を!」


 振り返らずに、彼女は短く言った。

「――正面突破。恐れるな」


 その言葉に、ガルドは迷わず前へ出た。

 砂が爆ぜ、翼が鳴り、剣と拳が正面からぶつかる。


 闘技場全体が揺れた。

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