第4章 ep.22 氷刃の心臓 ― 勇者vs元勇者
砂が鳴る。
ガルドは一直線に駆け、リリアと正面から対峙した。剣を交わす瞬間、世界は狭まり、音も匂いも、互いの鼓動だけになった。
リリアは冷徹な瞳でガルドを射抜く。
「三日でここまで上げたか。筋力、踏み込み、刃筋……成長を確認」
それは褒め言葉ではなかった。報告のように、無機質に切り捨てる声。
ガルドは息を吐き、剣をわずかに下げる。
「だからこそ、降参しろ。お前は軍神だ。兵を指揮する者であって、俺と殺し合う必要はない」
「誤認だ」
リリアは即答した。
「私は兵士。命令を遂行する。勝敗の判断は私が下す」
言葉と同時に踏み込み。
砂が弾け、剣閃が走った。
リリアの剣は速い。
ただ速いだけではない。常に最短距離で急所を狙う軌道。肩、喉、手首、肋。ガルドが反射で剣を合わせるたび、骨に響くような衝撃が腕を痺れさせた。
(……こんなに強いなんて、聞いてねぇぞ!)
リリアは軍人らしく、一手ごとに状況を分析して告げる。
「攻撃、重いが鈍重。隙多し。撃破可能」
報告のように、冷静に。
その言葉が、逆に胸を抉る。
受けるだけでは押し切られる。ガルドは自分の筋力を信じて踏み込む。剣を振り抜くたび、風圧が砂を巻き上げた。だが――
「無駄だ」
リリアは剣を半歩でずらし、崩した体勢に肘を打ち込んでくる。
肺が震え、呼吸が乱れる。
さらに蹴り。刃。肩口に浅く線を刻まれ、温かい血が流れる。
そのすべてが「致命」から外されていることが逆に恐ろしかった。彼女は意図的に急所を外し、戦闘不能に追い込む戦術を取っている。
「降伏を勧告する。これ以上は無駄死に」
氷のような声。
だがその瞳の奥に、ごくわずかに揺らぎが見えた。
(やめろ……そんな顔すんなよ。お前に止められて……俺が止まれるわけないだろ!)
ガルドは剣を高く掲げ、荒々しく振り下ろした。
だがリリアは冷徹にさばく。
「力任せ。予測済み」
弾かれる。よろめいた足を狙い、彼女は刃を突き出す。
間一髪で退き、頬を掠められただけで済む。だが、その紙一重が積み重なっていく。
体は悲鳴を上げていた。腕は鉛のように重く、足は砂に沈む。
それでも、退けない。退いたら、彼女を迎えに来た意味が消える。
(俺が立ってるのは……仲間が信じて背中を預けてくれたからだ。
バルドもゴルドも、動けねぇ体で“行け”って託してくれた。
ここで止まったら――全部無駄になる!)
怒りと悔しさが胸を灼き、視界が赤く滲む。
だがその炎が、思考を突き抜けた。
ガルドは呼吸を整え、足の位置を微調整する。
増した筋力で「耐える余白」を作り、細かな技を支える。
左足を砂に沈め、右足で半円を描く。
剣を大きく振るわず、肩で押すように小さく打ち込む。
リリアの瞳がわずかに細められた。
「……動作修正。先ほどまでと違う。対応に切り替え」
彼女は突きを繰り出す。狙いは手首。
ガルドはあえて刃を捨て、踏み込み、彼女の手首を掴んだ。
驚きがほんの一瞬、その瞳を走る。
「――っ!」
ガルドは力で捻じ伏せ、肩をぶつけ、胸が触れ合う距離まで押し込んだ。
喉に刃を向ける代わりに、短刀の柄頭を押し当てる。
(殺さない。折る。止める。連れ戻すための一撃だ!)
届く――!
短刀の柄頭が喉元に届く――その瞬間。
「――そこまで」
軽やかな拍手と、紳士的な声。
闘技場の緊張が、無理やり切断された。
バルゴラスが砂の縁から進み出てくる。白手袋をはめた手には砂時計。最後の一粒が落ちるのを見届けて、満足げに笑んでいた。
「勝負あり。勇者ガルドの勝利とする」
リリアの瞳が大きく揺れる。
「お待ちください、上官殿! まだ私は――」
「黙れ!」
バルゴラスの声が闘技場を震わせた。
「上官の決定に口を挟むな! お前は軍神であろうと兵の一人だ。規律を乱すな!」
リリアは言葉を詰まらせた。
瞳の奥で氷が砕けそうに揺れる。だが、軍人としての習性が勝った。
唇を噛み、姿勢を正し、敬礼に近い仕草で頭を垂れる。
「っく!……了解いたしました。」
声はかすかに震えていた。
ガルドは息を荒げたまま、ただその光景を見ていた。
喉に突きつけた短刀の感触がまだ残っている。勝った。――そう言われた。だが。
(……これで終わり、だと? ふざけんな)
腕は震え、肺は焼けるように痛む。
必死で掴んだ一瞬が、バルゴラスの一声で幕を下ろされる。
勝利だと言われても、胸の奥は空っぽで、悔しさと苛立ちだけが渦を巻いていた。
(俺は……まだ終わってない。リリアは、まだ――)
背を向けるリリアの姿勢は、氷の仮面を取り戻していた。
それでもほんの一瞬、彼女の肩が震えたように見えた。
ガルドは拳を握りしめた。
勝利を告げられても、納得などできはしなかった。




