第4章 ep.21 軍神の号令 ― 闘う理由、託す背中
今回はいつもより少し長めになってます!
お時間に余裕があるときにゆっくり読んでもらえたら幸いです!
剣が交わり、火花が弾けるたび、リリアの瞳に映る自分がほんの一瞬だけ揺れる――ガルドはそれを見逃さなかった。見逃さなかったが、届かない。あと一歩。あと一手。手を伸ばせば触れられるはずの距離で、彼女は氷のように静かに剣を受け、弾き、押し返す。
(読まれている……)
奥歯を軋ませながら、ガルドは冷ややかに思考を整えた。三日の鍛錬。マッチョ軍団に混じって吐くまでスクワットし、秘薬のプロテインで筋肉を無理やり覚醒させた。腕は太くなり、剣は重さを増した手応えで敵を叩き伏せる。だが、「それだけ」で越えられる段差ではないことも、最初から知っている。
易々と行けるなんて思っていない。
リリアは、俺が「行けると思うほど軽い」女じゃない。
砂塵の向こうで、白手袋がひらりと舞った。リリアの背後――そこに滑り出る三つの影。
一人は全身を黒鉄で包んだ長躯の騎士。盾は塔のように巨大で、刃を受けるたび鈍い鐘の音を響かせる。
一人は銀の仮面をかぶった魔導師。蛇の瞳孔のような杖頭が妖光を放ち、空気ごと視界を歪ませる。
もう一人は燕尾服に身を包み、細い剣を携えた執事めいた男。所作は優雅だが、その足は音もなく砂を滑る。
バルゴラスが薄く笑みを深める。
「我が主君の警護を預かる者たち――“三従騎”。紳士にして残酷、沈黙にして迅速。勇者殿、正面からの通行はご遠慮願おう」
盾の巨人が一歩、砂をめり込ませて進み出る。
銀仮面が杖を軽く回す。砂塵が波紋のように震え、リリアの足元を揺らがせることなく、こちらだけの視界がぐにゃりと歪んだ。
執事剣士は白手袋の指を鳴らし、微笑んだ。
(分断。足止め。リリアへは、まだ行かせないつもりか)
苛立ちが胸に火を点ける。しかし焦りは剣を鈍らせる。ガルドは一度、深く息を吐いた。鼻腔に砂の匂い、鉄の匂い、血の匂いが絡みつく。
(――分かってる。簡単じゃない。最初から、そういう戦いだ)
塔盾が迫る。ガルドは踏み込み、鍛え上げた脚で砂を蹴った。
重さを増した剣が唸り、鉄壁に叩きつけられる。鐘の音。手首に痺れが走る。だが、押し込む。押し込め。押し潰せ。筋肉が吠え、肩に刺すような痛みが走る。
「ぬおおおおおッ!!」
――弾かれた。塔盾の縁が巧みに捻られ、ガルドの刃は外へ誘われる。その瞬間、仮面の魔導師が囁くように詠唱した。視界が滑る。盾の位置が一瞬わからなくなる。直感が警鐘を鳴らす。横。
燕尾服が無音で回り込み、白手袋の剣が一閃。
頬に冷たい線が走る。血が滲む。
「……チィ」
短期間で増したのは力だ。だが、技はまだ追いつかない。
あと一歩。あと一息。押し切れないもどかしさが、喉の裏に熱を溜める。
(近い。近いのに、届かない。届かないから、腹が立つ)
怒りは、剣を速くする。怒りは、視野を狭めもする。
その相克に足が鈍りかけた時――砂を蹴る音が、別方向から重なった。
「兄弟ッ! お前の“あと一歩”、持ってきてやったぞ!!」
闘気混じりの野太い声。
筋肉の山のような巨体が二つ、闘技場の喧騒を割って飛び込んでくる。上半身裸、金の装飾がやたら眩しい。スパルディアの道中で喧嘩した末、決闘して仲間になった――バルドとゴルド、筋骨双傑である。
「遅れてすまぬ、ガルド殿!」
「筋肉は裏切らねぇ! 遅れても間に合うのが“筋”ってもんだ!」
「誰がうまいこと言えって言ったッ!」
呆れ声が出たのは反射だ。だが、胸の奥で何かがほどける。くそ、ありがたい。――ありがたいけど、素直に言うと照れ臭ぇんだよ。反抗期の青臭さを誤魔化すように、ガルドは剣を握り直す。
「盾持ちは私が相手しよう!」バルドが笑う。
「蛇目の仮面はオレだ!」ゴルドが拳を鳴らす。
「優男の執事は、お前の相手だ、勇者殿!」二人が揃って顎で指す。
「言われなくても!」
三従騎の陣形がわずかに綻ぶ。手数が増えただけじゃない。背中に感じるものが違う。背を預ける感覚。押せる。今なら押せる。
バルドの両腕が塔盾にめり込み、筋肉が血管ごと裂けるような膨張を見せる。
「どっこいしょ――っとォ!」
重ねるようにゴルドが低く潜り込み、仮面の足元を蹴り崩す。蛇目が僅かに見開かれ、歪んだ視界の綻びから、本当の位置が覗く。
「――そこだッ!」
ガルドの剣が執事の白刃を弾き、頬に刻まれた傷の仕返しに肩口へ深く食い込んだ。白手袋がわずかに震え、しかし男の微笑は崩れない。
「おや……やりますね」
執事の足がふっと砂を滑る。白刃が滑空のように返ってくる。
ガルドはまとわりつく疲労に鞭打ち、追撃をねじ込む。手応え。浅い。浅いが、確実に届いている。
場の隅では、別の戦いも熾烈を極めていた。
ラッツの虚像が三つ、四つと揺らめいては砕け、いつの間にか敵の短剣が彼の手に絡まっている。「す、スティール・ハンド!」情けない悲鳴が、なぜか頼もしい。
ルナリアは血煙の中で刃を舞わせ、「邪魔だ、どけぇぇぇぇ!」と叫びながら女刺客を押し返し続ける。
モルティナは槍兵の波状突撃を前に一歩も退かず、背後から降る火球を空で弾き、「【天空の護り】!」と叫んで仲間の頭上を守っていた。彼女の背にカイがぴたりとつき、足運びを矯正する短い号令が、刹那の隙を埋める。
流れが、こちらに傾く。観客席のどこかで反乱軍の兵が叫び、太鼓が乱打される。砂を踏む足のリズムが合っていく。やれる。押せる――その時だった。
これまで沈黙を貫いていたリリアの唇が、ようやく動いた。
「――起きろ」
冷たい声。
それだけの短い言葉が、闘技場の空気の温度を変えた。兵の背筋が伸びる。血に濡れた刃が持ち直される。冷えていたはずの脳が燃える。
「立て、我が兵。ここはまだ、終わりではない」
瞬間、彼女の鎧の縁が薄く光った。
幾何学の紋様が砂に走る。兵の足元、胸板、額――目に見えぬ印が焼き付けられる。
軍神の能力。号令ひとつで兵の魂魄に火を入れる、戦場そのものを操る力。
「――【軍神の覇紋】」
名も無き兵が一人、風のように速くなる。
塔盾の巨人が、一歩で三歩分の重みを持つ。
蛇目の魔導師の幻惑が、これまでよりも深く滑らかに視界を溶かす。
執事剣士の白刃は、指の弾きだけで疾風のように加速した。
「っ……!」
優勢は、一瞬で霧散した。
バルドの腕が軋みを上げ、塔盾に押し戻される。
ゴルドが視界の歪みに足を取られ、蛇目の踵が顎をかすめる。
ガルドの刃が白刃に絡め取られ、背中へ冷たい砂が貼り付く。
(これが、リリアの――軍神の力)
立ち上がり、ガルドは唇を噛んだ。怒りが脈打つ。悔しさが喉を灼く。
届かない。さっきよりも――もっと遠い。
だが、遠さを測るために俺はここまで来たんじゃない。遠いと知った上で進むために、足に筋肉を、背中に仲間を、胸に火を入れてきた。
「バルド! ゴルド!」
ガルドが振り返る。二人の巨体が傷だらけの笑みを見せた。
「聞こえてるとも!」
「兄弟、使うか――“アレ”を」
彼らの目が、いつになく真剣に細められる。
スパルディア。筋肉の都が伝える、最後の切り札。鍛え上げた肉体そのものを術式と化し、複数の肉体で一つの回路を組む禁じ手。
バルドが深く息を吸った。
ゴルドが拳を握り、血を滴らせるほど強く爪を食い込ませる。
二人の肩と肩が、音を立てるほど噛み合った。
「――兄弟合唱の時間だ」
胸骨が鳴り、背筋が撓る。
両者の身体が、内側から光り始める。
筋繊維が一本一本、御神体の注連縄のように結ばれていく。汗と血と呼吸が同期し、二つの心拍が一つの太鼓になる。
「スパルディア最終奥義――」
砂が低く唸った。軍神の覇紋がざわめく。
塔盾の巨人が本能的に身構え、蛇目が初めて杖を握る手に力を込め、執事が笑みを消した。
「――《覇鉄連星》!!」
バルドとゴルドが、同時に地を蹴った。
踏み鳴らした足から光の脈が走り、結界のように二人を取り巻く。
次の瞬間、二つの巨体が「線」になった。
連星が接近し、重力をねじ曲げるように砂塵ごと真っ直ぐに突き抜ける。
塔盾の巨人の前に立ちはだかった鉄壁が、耳障りな悲鳴を上げた。
盾の縁がねじ切れ、腕ごと折れ曲がる。巨人の膝が崩れ、砂が爆ぜた。
蛇目の幻惑が、その速度に追いつけない。杖頭の宝玉がヒビを走らせ、光が逆流する。
執事の白刃が連星の間に差し込まれた――が、刃は“圧”に耐えきれず、根元から折れた。
轟音。
砂柱が立ち上がり、覇紋の線がいくつも断ち切られて霧散する。
三従騎の身体が、それぞれ別の方向へ投げ出され、石段を転がった。しばし、誰も動かない。
「やっ……た、か……!」
歓声が上がりかけて、喉で止まる。
バルドとゴルドが、その場に膝をついたからだ。
皮膚の下で筋繊維が痙攣し、眼球が微かに揺れている。最終奥義の反動――連鎖させた“覇鉄”の回路が、二人の体内に凶暴な静電気のように残渣を残していた。
「兄者、動くな!」ゴルドが苦笑いで兄の肩を押さえる。
「うるせぇ……! 押さえなくても……動けねぇ……!」
ガルドが駆け寄る。二人は同時に、ガルドの胸倉を掴んだ。
汗と血で滑る手が、奇妙に熱い。
「ガルド殿……」バルドが笑う。
「ガルド殿は少し不愛想だ、初めて会った時から少しそっけない。まったく勇者に似つかわしくないぞ」
「でもよ」ゴルドが続ける。
「決闘して、ぶん殴り合って、飯食って。……楽しかったんだよ。短ぇ間だったけどな。オレらの筋肉が言ってる。“こいつは信用できる”って」
喉が詰まりかける。
胸の奥で、何かが鳴った。ここで素直な言葉を出すのは、やっぱり照れ臭い。だから、ガルドは笑い飛ばすことにした。
「ああ? しょうもない筋肉どもが物を言ってんだよ。……バカか、お前ら」
「うるせぇ」
「うるせぇ」
二人の声が重なり、同時に脱力する。肩が落ち、全身から力が抜けていく。
それでも、手だけはガルドの胸倉を掴んだままだ。
「――行け。あとは、お前だ」
背後で、槍の穂先が砂を掻く音。
モルティナの「下がって!」という声。カイの低い号令。ラッツの悲鳴交じりの気合。ルナリアの刃が空気を裂く音。
戦場は、まだ終わりではない。だが“三従騎”は斃れた。軍神の覇紋は綻び、リリアの周囲にある壁はひとつ、確かに壊れた。
ガルドは二人の手を強引にはがし、そっと砂の上に横たえた。
彼らの胸が上下する。呼吸は浅いが、目はまだ燃えている。
「……恩に着る」
「言ったな。ちゃんと“連れて”戻れ」
「かならず勝つのだぞあの美女に」
笑ってやれ。軽口で返してやれ。
それが彼らへの礼だ。ガルドは口角をわずかに上げ、剣を構え直した。
視線の先――リリアが立っている。
軍神の覇紋が薄れ、鎧に映る炎の揺らぎだけが彼女を染めていた。
バルゴラスは遠巻きにそれを見て、愉快そうに掌を打つ。
「見事。これでようやく、“軍神対勇者”の舞台が整ったわけだ」
観客席のどこかで、誰かが息を呑む。
ガルドの耳の中で、自分の鼓動だけがやけに大きい。
怖いか、と問われれば――怖い。怖いに決まっている。届かないものに手を伸ばし続けるのは、いつだって怖い。
だが、それでも伸ばすのが、俺だ。
(うるさい奴らだ。偉そうで、鼻につく。……けど)
荒れていた自分を、ここまで連れてきたのは彼らだ。
短い日々だったが、楽しかった。楽しいと思った自分に、今は誇りを持てる。
「リリア」
呼びかけに、わずかに肩が揺れた気がした。
剣先をわずかに下げ、ガルドは一歩、踏み出した。
「――迎えに来た」
砂が鳴る。
リリアの視線が、ほんの瞬きほどの時間、揺れた。
それでも次の瞬間には、氷のような光を取り戻し、剣が構えられる。
太鼓が一打、乾いて鳴った。
闘技場の空気が、ぴんと張り詰める。
背後には仲間の息づかい。
足元には二人の巨体の熱。
胸の中には、まだ言葉にできない感謝と怒りと願いとが、ぐちゃぐちゃに渦を巻いている。
いい。ぐちゃぐちゃのままでいい。
剣は、真っ直ぐに振るえばいいだけだ。
ガルドは地を蹴った。
まっすぐに――リリアへ。




