第4章 ep.19 影になれない闇夜の住人 ― ラッツとルナリアの修行
前の戦いの余波で、ルナリアもラッツも全身傷だらけだった。
致命傷こそ免れたが、まともに動けば裂けるほどの怪我。
ルナリアはラッツを庇って戦ったため、疲労も色濃く残している。
「本番までは、回復を最優先する」
焚き火の赤に照らされながら、ルナリアは低く言った。
「だが、寝ているだけでは鈍る。簡単な訓練ならば支障はない」
「か、簡単って……暗殺を仕込む時点で全然簡単じゃないっすけど!」
ラッツは慌てて声を上げた。
けれど、横顔をちらと見て――気づいた。
これは口には出さない“気遣い”だ。
自分を庇って傷だらけになったのに、それでも戦える牙を少しでも与えようとしてくれている。
ラッツは唇を噛み、拳を握った。
「……わかったよ、師匠。俺、やる。ビビるけど……兄貴のためにも、あんたのためにも!」
ルナリアは答えず、大きな布をばさりと払った。
現れたのは、筋肉のつき方から顔立ちまで瓜二つの「ガルド人形」だった。
異様なほど精密に作り込まれている。
「……あ、兄貴!? ここで何やってんすか!?
マッチョ軍団との特訓は!? なんでまた直立不動で突っ立ってんすか!」
人形は無言のまま、ぎこちなく首をかしげる。
ラッツの顔から血の気が引いた。
「……やっぱ本物じゃねぇ!? うわぁぁぁぁ!! 動くな怖ぇぇ!!」
「暗殺には実戦感覚が必要だ」
ルナリアは淡々と短剣を抜く。
「人体構造は正確に再現してある。――こうすれば確実に仕留められる」
首筋を切り裂き、腱を断ち、肋骨の隙間から心臓を突き貫く。
嫌な音を立てて人形が崩れた。
「ひぃぃぃッ!? 兄貴人形で残酷実演すんなよぉぉ!! 呪われるってぇぇ!!」
ルナリアの目が狂気に光る。
「リリアを奪う者には、これが当然の結末だ」
初日
訓練が始まった。
ラッツは気配を消すこと自体は得意だ。だが――
「う、うおおおっ! おりゃああああ!」
気合を入れて突っ込むたびに殺気がだだ漏れになる。
人形は容易に察知して避け、拳で殴り倒した。
「ぶべぇっ!? あだだだ……!」
立ち上がる → 殴られる → 泡を吹く。
その繰り返しの中で、ひとつだけ変化があった。
気絶しかけて倒れ込んだラッツの手に、いつの間にか人形の短剣が握られていたのだ。
「……【武奪の右手】」
ルナリアは低く呟いた。
「殺せぬ臆病者だからこそ、敵の牙を折る力を得たか」
二日目
それでもラッツは殴られ続けた。
刺すことはできない。だが奪うことなら――。
「俺は殺せない! でも……奪える!」
ラッツは歯を食いしばる。
「盗んで、無力化して、生き延びる! それならできる!」
ルナリアの瞳にわずかな光が宿った。
(……盗人ではない。これはもう、賊の資質かもしれない)
三日目
夜。最後の試練。
人形が突進してくる。
ラッツは殺気を消しきれず殴られ――それでも立ち上がる。
「俺は……俺は、やれる!」
人形が拳を振り下ろした瞬間。
「死ぬぅぅぅ!!」
恐怖が極限に達したその時、ラッツの姿がふっと掻き消えた。
人形は残像に拳を叩き込み、空を切る。
2秒遅れてラッツの幻影が砕け散った。
「……な、なんだ今の!? 俺、遅れて殴られてる!?」
本物のラッツはすでに背後に回り込んでいた。
「――【蜃気楼の身隠し(ミラージュ・ステップ)】」
ルナリアは目を細め、技名を告げる。
「存在を揺らめかせ、虚像を歩ませる……。臆病が極まって幻を生むか」
ラッツは汗だくで短剣を握りしめ、叫んだ。
「これが……俺の戦い方だぁ! 【スティール・ハンド】!!」
人形の武器を強引に奪い取り、丸腰にして叩き伏せる。
虚像と盗みの合わせ技――“殺さずに勝つ”戦法が形になった。
訓練場に静寂が落ちる。
ルナリアは一瞬だけ、心の中で呟いた。
(……幻惑と奪取。闇夜に生まれた新しい牙。これはもう、盗人ではない。……新しい闇夜の住人だ)
だが、表情は冷たく。
「……勘違いするな。今のはまぐれだ。次は私が相手をする」
「ひぃぃ!? いや無理ぃぃぃ!!」
ラッツは情けない悲鳴を上げ、その場にへたり込んだ。
修行が終わった拠点の隅には、無残に壊された「ガルド人形」がいくつも転がっていた。
首を折られたもの、腹を貫かれたもの、全身バラバラにされたもの――。
「……なぁにこれ、いっぱい殺してんじゃん……」
ラッツは震えながら毛布に潜り込み、小声でつぶやいた。
「兄貴、ここにいたら絶対泣くぞ……」
ルナリアはその山を見下ろし、低く囁いた。
「……リリア。絶対に渡さない。バルゴラスにも…ガルドにもね。」
その目は狂気と執着に燃えていた。
静寂に包まれた拠点に、誰にも届かない声が響く。
『……見ていたわ、ラッツ。臆病であるがゆえに磨かれた才能。
敵の刃も、自分の影も――そして死の瞬間すら、彼の手の中に奪われる。』
『ガルドがそばにいない今、通信はできないけれど……。
いずれ、あなたに“新しい道”を示さなければならないでしょう。きっと気に入るわ。
楽しみにしていてね。』
その声は霧のように消え、拠点には夜の虫の声だけが残った。




