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第4章 ep.11 反乱軍との邂逅 ― 銀髪エルフは語りたがる

山の腹に口を開けた洞窟は、遠目にはただの獣穴にしか見えなかった。

 だが中は広く、無数の松明が壁面に炎の帯を揺らしている。

 そして――。


「いちっ……にっ……さんっ……(小声)」


 洞奥から、抑えた掛け声が波のように重ね掛けで響いてくる。

 岩棚の上では、男たちが口に布切れをくわえ、沈黙腕立てをしていた。

 床のあちこちでは、足袋の底に羊毛を貼った消音スクワット。

 丸太と鎖に革を巻いた唸らないデッドリフト。

 バーベル代わりの鉄棒には鈴が括りつけられているが、音が鳴らないよう鈴の中にも綿が詰められている。用意周到にもほどがある。


「……なあバルド。これ、“隠れてる”って言うのか?」

 カイが眉間を押さえた。


「当然だ」バルドは胸を張った。「反乱軍は気配を消す。声は……消せぬ」


「そこも消してくれ!」

 カイの悲鳴は、消音の洞窟にむなしく吸い込まれていった。


 反乱軍の男たちはみな上半身裸、だが目は奇妙に伏し目がちだ。

 理由は洞窟の入口でわかった。掲示板には墨痕も新しくこう記されている。


隠密鍛練規定

一、声量は「控えめ雄叫び」まで。

二、ポージングは禁止(反射でバレる)。

三、パンプアップの直後に外へ出ることを禁ず(血色でバレる)。


「規定が生々しい……」モルティナは肩を抱き、こそこそ声で震えた。


「泣くな」ガルドが短く言う。が、その声は心持ち低かった。

 彼は洞窟の闇の奥へと視線をとがらせ、右手の指先にじっと汗を浮かべている。

(……動くなよ。あの“匂い”がある)

 砂浜で嗅いだ潮の匂いにまじった、赤い金属の匂い。

 砂丘の影からこちらを射抜いた、凍てつく殺気――銀髪のエルフ。

 海風に髪をなびかせ、弓を引くのではなく、素手で矢より速い殺意を放ってきた女。

 その像が胸骨の裏側に焼き付いている。


「……あなたたちが勇者一行ね」


 洞穴の灯に、すっと銀が揺れた。

 長い睫毛、氷の刃のような瞳。足音はまるで夜の猫だ。

 ルナリアが現れた瞬間、ガルドの首筋の汗がひと筋落ちる。

 あの“海”の殺気だ。間違いない。


「リリアは――私のものよ」


 最初の一音から、殺すか救うかしかない声音。

 ルナリアの視線がガルドの喉ぼとけを、軽く、しかし確かに撫でた。

 思わず足裏に力が入る。砂浜で見た時と同じだ。一歩でも踏み違えれば首が飛ぶ――そんな気配。


「っ……」

(やべぇ。こいつは本物だ)

 ガルドが珍しく、ほんの指先だけ怯む。

 その揺れを見て、カイが目を丸くした。あのガルドが――だ。


 だがルナリアはモルティナを見るや、表情をふっと緩めた。

 毒の抽選会から救われた幼子を抱くように、柔らかい声で近づいてくる。


「あなたがモルティナね。大丈夫? この筋肉だらけの国で、女の子一人は息が詰まったでしょう」


「ひっく……う、うぇぇ……女子力が、女子力がぁ……!」

 モルティナはぽろぽろと涙をこぼした。

 ルナリアはそっと肩に腕を回し、髪を撫でる。完璧なお姉さんムーブ。

 ……が、次の瞬間、指が微かに震え、抱きしめる腕に力がこもりかける。

 ルナリアの喉元が鳴った。(だめ、落ち着け。リリアが見る)

 自分で自分の手首を軽くつねると、すっと一歩だけ距離を置いた。目尻がわずかに赤い。


「……あの、俺は?」

 ラッツが、勇気を振り絞って半歩前に――。


「…………」

 銀色の瞳はラッツの存在を標識ほどにも認識しなかった。

 ラッツは塩にまみれた小魚のようにしゅんとなって後ろへ下がる。

 カイが肩をぽんと叩いた。「……どんまい」


 反乱軍の筋肉たちは、空気を読まずに控えめ雄叫びを上げ続ける。

「いち……に……(小声)」「ナイスフォーム……(ささやき)」

 忍びのくせに全員でハイタッチ。ハイタッチの音だけはやたらでかい。

 洞窟にパシン、と響くたび、ルナリアの目尻がぴくっと跳ねる――が、彼女は深呼吸で殺気を収め、振り返って一行へ向き直った。


「自己紹介が遅れたわね。私の名はルナリア。銀弓の森の出。

 夜の狩りでは“闇夜の支配者”、あるいは“暗殺王”とも呼ばれたわ。」


 さらりと物騒な肩書きが出る。

 その瞬間――


『あ、合流できていてよかったです!』


 空から明るい声が降ってきて、一同がのけぞった。

『彼女が敬虔なる信徒にして闇夜の支配者、暗殺王、ハイエルフのルナリアです!』

「肩書き盛りすぎ!」カイが即座にツッコむ。

 女神の通信は、言いたいことだけ言ってさっさと切れた。洞窟に軽い残響だけ残る。


 ルナリアは唇を湿らせて、すこし遠くを見る目をした。


「……それで、リリアのことだけど」


 そこからだった。長い長い、情報共有が始まったのは。


「リリアは拷問に耐え、笑顔を崩さず、誰よりも毅然としていたの。

 たとえ心を壊されても、それを隠して周りを安心させようとした――その姿はまさに聖女……いいえ、軍神。

 泣きながらも微笑みを保つその強さ。あの背中がね、すべてを許して、なお折れないの。

 で、あのね、とても美しいのよ。瞳は蜂蜜色で、朝日の角度によっては琥珀に変わる。可愛さも兼ね備えていて、目尻が笑うとね、ほっぺのここが、こう――ちょっとだけ持ち上がるの。

 でもね私が言いたいのはそこじゃなくて――リリアの一番可愛いところは仲間思いのところなの。

 彼女ったら、自分が痛いのに人の痛みを先に気づく。

 例えば、あの日の食堂で――あ、食堂と言っても軍の食堂で、彼女の席は窓際から二番目なんだけど、窓際の席は朝の光が強すぎて、彼女は眩しいの苦手で――でもそこでいつも背伸びしてカーテンを直す姿がまた可愛くて――って違う、今はカーテンの話じゃなくて。

 その日、隣の兵士がスプーンを落としたの。彼は新兵で恥ずかしがって、拾うタイミングを失っていてね。

 リリアは何も言わずに、自分のスプーンを差し出して、床に落ちたほうで食べたの。自分のが汚れるのに。ほら、そんな人、いる? いるの、リリアは。

 あと、足音。行進のとき、全体のリズムが乱れそうになると、彼女の踵が半歩だけ遅れて全体をそっと合わせ直すのよ。これはね、誰も気づかない。私だけが見てる――いえ、見守ってる――観察してる――いや愛してる――あ、今のは忘れて。

 それから、彼女の寝息。ブートキャンプのあとで疲れて寝ちゃうんだけど、呼吸は四拍なの。吸って、吸って、吐いて、吐く――あれは多分、筋肥大と精神統一を両立させるために……って違う、あの、呼吸の話じゃなくて。とにかくリリアは、仲間のためなら自分の呼吸すら整えるのよ。

 朝の髪もね、寝癖がぴょこんってなるの。それを慌てて抑える指が――いや違う、髪質の話じゃなく――

 わかる? 彼女は、世界の重さを自分の肩で受け替える人なの。私だったら、彼女の肩をさするためにこの手が――いや違う、私は冷静。私は理性のエルフ。私は夜の支配者……私は……リリア……」


「まって、話が全然頭に入ってこねぇ」

 カイが両手でこめかみを押さえた。

 ラッツが小声で「寝息四拍は情報として濃いっす」とメモを取る。


 ガルドは、彼女の言葉の隙間を縫う殺気の揺れを観察していた。

 リリアの名を口にするときだけ、ルナリアの殺気は冬の湖みたいに静まる。代わりに、熱が上澄みに溢れる。

 海辺で感じた刃は、彼女の護る対象を中心に丸みを帯びる――

(こいつの刃は誰に向く? 敵か。それとも、彼女を傷つける“何か”全部か)


「状況説明を、もう一度、端的に」

 モルティナが袖で涙を拭い、やんわり合いの手を入れた。やっぱり優しい。

 女子力が生き返ってきている。


「端的に。そうね、端的に――リリアが尊い」

「端的すぎる!」カイのツッコミが岩盤に反響した。

「でも情報はあるわ。全部リリア経由だけど」

 ルナリアはすっと手を振ると、洞窟の壁に簡略地図を描いた。

 軍の見張り台、巡回のコース――そしてところどころに小さなハート印が付く。


「ハートは何だ」

「リリアが通る場所」

「役に立つけど、なんか嫌だ!」

「消しても、私の心には刻まれている」

「心に刻まれてる宣言やめろ!」


「ブートキャンプは四時半集合、五時から各班に分かれて地獄。七時にプロテイン補給。

 八時から軍事教練、十時から“リラクゼーション・ユニット”(エステ)と“心の講義”。

 十二時の昼食時、彼女は窓際から二番目。十四時から野外訓練、十八時に点呼。二十二時消灯――ただし、二十二時半、彼女は必ず二分だけ見回りに出る。

 あの歩幅、音、呼吸――四拍――いえ、呼吸の話じゃなくて。そこが狙い目。一瞬だけ彼女の周囲が薄くなる。護衛は筋肉兄ちゃん二人、でもプロテインでお腹がゆるくなりやすいから片方は毎日トイレに行く。そこが空白」


「情報の質がアンバランス!」

「でも使える」ガルドが短く言った。

 彼は地図のハート印ひとつに親指を当て、視線でルナリアを促す。

「ここが“薄い”のは本当か」


「リリアのためなら嘘はつかない」

 瞬きもせず、彼女は答えた。

 ガルドはふっと鼻で笑い、腰の剣の柄――いや今日は素手だ。手を軽く握り直す。

「いいだろ。手は組む。条件はひとつ。指揮は俺が執る。お前は刃、俺は鞘だ」

 銀の瞳が、氷鳴りする。

「……鞘、ね。包み、守るもの。――気に入った」


「お、おいおい、待て待て」カイが慌てて割り込む。「反乱軍とも組むのか? この“隠密雄叫び集団”と?」

 振り返ると、反乱軍は控えめハイタッチで「イェー……(ささやき)」と喜びを表現していた。忍べ。


「もちろんだ」ゴルドが涙をぬぐう。「やっと三時間目のスクワットが合法になる日が――」

「その目的やめろ!」


 モルティナはそんな騒ぎの中、ルナリアの袖をきゅっとつまんだ。

「あの……さっきはありがとう。誰かに優しく抱きしめられるの、久しぶりで」

 ルナリアの瞳から殺気が完全に抜け、柔らかい森の色に変わる。

「困ったら、私の後ろに――いえ、横に隠れて。あなたに、筋肉の波は触れさせない」

 そこまで言って、ハッと目を伏せた。(いけない。私はリリアの――)

「……ごめん。線は、越えない」

 モルティナは笑って首を振る。「線は、いざというときに越えればいいの。女の子はそういうものよ」

 ルナリアの耳が、エルフのそれらしくぴくりと赤く染まった。


「俺は? 俺、いるよ? ずっとここにいるよ?」

 ラッツが空気を求めて手を挙げる。

「…………」

 ラッツの存在は今日も薄い。洞窟の壁と同化していく小兵。

「……泣くな、ラッツ。お前は俺が見てる」ガルドの大きな手が、ぽん、と頭に置かれた。

 それで小兵は、世界のすべてを許せる気がした。


「では――作戦名を決めよう」バルドが咳払いする。「“筋肉は裏切らない作戦”はどうだ」

「それ、いつもの合言葉だよね?」

「では“四拍呼吸”は?」ルナリアが即答する。

「やめろ!」カイが叫び、モルティナが吹き出す。

 ガルドは少し考え、短く言った。「“窓際から二番目”」

 ルナリアの肩が、ほんのわずか震えた。微笑みが、森の風みたいに一瞬で咲いて、消えた。

「……いい名前」

ルナリアの肩が、ほんのわずか震えた。微笑みが、森の風みたいに一瞬で咲いて、消えた。


 反乱軍の灯が一本、また一本と消されていく。

 夜に溶ける筋肉。今度こそ声は出さない。


 外は月。風は涼しく、遠くの城壁に見張りの槍影が伸びている。


 ガルドは最後にもう一度だけ、ルナリアを見た。

 砂浜の殺気は、まだそこにある。だが、中心に座っているのは――リリアだ。

 刃の向く方向は、はっきりしている。


「行くぞ。リリアを、迎えに」


 銀と鋼と汗の匂いが、ひとつの風になって洞窟を抜けた。

 忍びながら筋トレする筋肉たちも、いつになく声を飲み込んで、そっと拳を掲げる。


 静かな夜。だが、胸の鼓動はうるさいほどだ。

 合図は――窓際から二番目。四拍の呼吸。


 彼女が歩く、その軌跡へ。

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