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第2章 ep.8 模擬戦――盾は倒れぬ

 翌朝。工房の裏手、荷車置き場の空き地。

 モルティナの父が使っていた台車の金属板を改造したという巨大な盾が、ドン、と地面に立てかけられた。身長より背が高い、いかにも頼もしげな一枚だ。


「ほんとにやるのか」

 ガルドが剣を吊るし、深く息を吐く。


「やるに決まってるでしょ」

 リリアは腰に手を当て、にやりと笑う。

「監督(軍神)審判の私が、公平にバチバチに指示出すから! ラッツ、カウントとって!」


「えぇぇ……僕の胃、昨日から休ませてもらえてないんですけど……」

 ぶつぶつ言いつつ、ラッツは木札を掲げて号令をかけた。

「も、模擬戦開始! 手加減しつつ全力! 命は大事!」


 ガルドは剣を抜き、刃の向こうにモルティナを見据える。

 モルティナは両手でタワーシールドの把手を握り、膝を軽く曲げて構えた。顔はこわばっているが、瞳は真っ直ぐだ。


『モルティナ、呼吸を一定に。盾は“前”じゃなく“前斜め下”。そう、その角度なら滑る』

 リリアの念話が、耳元の優しい声のように響く。


「は、はい!」


 風が止み、空き地に緊張が走った。


 先に動いたのはガルドだった。砂を蹴る音とともに踏み込み――一の型が落ちる。

 白い弧が盾面に打ち込まれ、金属音があたりに弾けた。

 衝撃がモルティナの腕から背骨に抜け、身体ごと一歩、二歩と後退する。


「っ……!」


『いま右足を一足ぶん下げて、肘を締める! 衝撃を殺して!』


 言われるままに肘を締めると、盾の裏で震えがやや薄まった。膝が笑っている。でも――立っていられる。


 ガルドは間髪をいれず、横へ回り込む。

 剣尖が盾の縁を狙い、体勢を崩しにくる。速い。重い。正確。


『左回りで逃げない! 半歩“迎え”て! 縁を当て返す!』


「え、えええっ!? む、迎える……!」


 モルティナは恐る恐る盾の縁をずらし、カン! と鋭い音が一つ。

 刃と縁がかみ合い、ほんの一瞬、ガルドの剣が止まった。


「……ほう」


 ガルドの口元がわずかに動く。その刹那――


『今! 縁で頬! 当てるだけでいい!』


「えいっ!」


 盾の縁がすべるように振れて、ガルドの頬に浅い線が走った。赤い一筋。

 ラッツが目をむく。「入った!」


 ガルドは即座に距離をとり、頬に触れた。

(……指示ひとつで、いまの角度を作るか)


 第二合。

 ガルドが地を滑る。剣が三度、四度と打ち込まれ、盾面が唸る。

 モルティナは受けるたびに肩が跳ね、肺が悲鳴を上げる。それでも――倒れない。


『いいよ、いいよ! いま“時間”を稼げてる。飲みな!』


 リリアが指をはじく。

 ――ぽん。

 手元にポーションが転送される。


「は、はいっ!」

 ごくごくごくっ。

 モルティナの頬にほんのり色が戻る。ラッツが半泣きで叫んだ。

「姉御ぉ! 補給が雑っ! “飲め飲め飲め”しか言ってない!」


『だいじょうぶ、戦場の補給ってのは“雑で迅速”が正義!』


「そんな戦場イヤだぁぁ!」


 三合目。

 ガルドはフェイントを混ぜ、盾越しの視界を奪いにくる。

 モルティナの額に汗が流れ、腕の痺れが強まる。握力が削られていく。


『右足、土踏まずで踏む。止まって“押す”な、“ずらして受ける”! 盾は壁じゃなく“川”だよ!』


 川。

 モルティナは息を吸い、吐いた。

 剣が落ちる線を“滑らせる”ように角度を変える。

 金属音が、さっきより柔らかく聞こえた。


「……っいける……!」

 盾の裏で笑みがこぼれる。

 そのわずかな緩みを、ガルドは見逃さない。一の型から踏み替え、刃の腹で盾を弾き飛ばすように叩き――身体を横へ滑らせた。


『危ない、背中!』


 ズドン、と鈍い音。

 ガルドの蹴りが背に入り、モルティナは前のめりに転がった。口から短い悲鳴。視界が白く揺れる。


「モルティナ!」

 ラッツが飛び出しかけ、リリアが手で制す。


『起きて! 飲んで立って盾を上げる! ――それがあなた!』


 モルティナは指先を震わせながら瓶の栓を歯で引き抜き、一息で飲み干す。

 焼けるような苦味が喉を滑り落ち、胸が熱くなる。

 どん。盾がもう一度、地を踏んだ。


「まだ……立てます!」


 ガルドの眉がわずかに動いた。

(倒れねぇ……。ステータスは、明らかに“格下”だ。それでも――崩れねぇ)


 四合、五合。

 リリアの念話がリズムを刻み、モルティナの足運びはぎこちなさの中にわずかな再現性を得ていく。

 盾の角、縁、底――当てるだけの“痛くない”打撃が、数を重ねるごとにガルドの筋肉を微細に削る。

 肩に、肘に、手首に、“作業的な疲労”が溜まっていく。


(……苛つくな)

 ガルドは自分の胸のざらつきを自覚する。

(勇者になって、伸びがついた。二の型だって形にした。なのに――的確な指示と根性に、俺の剣が押されている)


 視界の端で、リリアが得意満面に親指を立てる。

『監督の勝利〜!』


(うるせぇ)

 内心で毒づきながら、ガルドは呼吸を一つ落とした。

 ここまで。あとは――終わらせる。


 刃がふっと軽くなる。殺気が消える。

 次の瞬間、低く滑り込む足、刃は盾の下端をさらい、てこの要領で鼻先を掠める角度で跳ね上がる――視界奪い。


『目を閉じない! 音で受ける!』


 金属が鳴る、半拍遅れ。

 モルティナは反射で体ごと盾に寄りかかり、顔を隠さずに――受けた。


 ガルドの刃が止まる。薄皮一枚、盾の縁で止められていた。

 そのときには、モルティナの口元にもう一本、転送されたポーションが触れている。


「んぐっ……ぷはっ……! い、いまの、受けられた……?」


 ガルドは剣を下げ、静かに一歩退いた。

 頬の傷からの血が、風で冷える。


「……ったく。認めざるを得ねぇな」

 低く、短く。

「倒れないってだけで、戦場じゃ価値だ。時間は命だ。……お前は、それを作れる」


「ほら見なさい!」

 リリアがピョンと跳ねる。

「最強タンク確定〜! ね? 監督有能でしょ?」


「監督が自分で言うなぁぁ!」

 ラッツが頭を抱える。「でも、ほんと……盾、強い……。僕、あそこで三回は気絶します」


 モルティナは息を弾ませながら、控えめに笑った。

「わ、私……役に立てたんだ……?」


「ああ」

 ガルドは短く頷く。

 だが、視線の底にはまだ棘があった。


(――それでも、俺は格下相手にここまで手こずった。

 指示と盾に、剣が揺らいだ。俺の“技術”は、まだまだ甘ぇ)


 胃の奥がじりじりと熱くなる。拳が勝手に握られる。

 悔しさが、次の踏み台になる感覚。


「……修行だ」

 ガルドは剣を鞘に納め、空を見上げた。

「もっと速く、もっと正確に。二の型も磨く。三も、四も――俺が作る」


『いいねぇ、その目つき。勇者らしくなってきたじゃん』

 リリアがにやりと笑う。

『じゃ、午後は実戦メニュー。“盾受け→進路確保→一撃離脱”を百本ノックで! モルティナ、飲む準備!』


「ひぃぃ! また“飲め飲め飲め”だぁ!」

 ラッツが哀号を上げる間に、ぽん、ぽん、ぽん――

 リリアの指先から、モルティナの左右にポーションが次々と転送されて積み上がる。


「が、ガルドさん……」

 モルティナが大盾の陰から、少しだけ顔を出した。

「私、がんばります。いっぱい飲んで、いっぱい守るので……!」


「……ほどほどにな」

 ガルドは苦笑し、こめかみを押さえる。

「俺の胃袋が先に死ぬ」


 空き地に笑いが広がり、薬草の香りが風に流れた。

 遠い街の鐘がひとつ鳴る。

 ――盾は倒れず、剣はなお研がれる。

 四人の一歩は、確かに同じ方向を向き始めていた。

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