第2章 ep.6 支配人ジルベール・デモーニオ
夜。
グラン=ヴェルムの中心、金の看板が輝くグランド・カジノ。
入り口に立つ黒服に招待状を見せると、態度が一変した。
「これはこれは……VIPルームへどうぞ」
光の廊下、分厚い絨毯、行き交う給仕。
廊下の奥の奥、重たい扉が二重に開く。
――そこは小さな劇場だった。
頭上に巨大なシャンデリア、赤い円卓、周囲には黒服が半円を描いている。
室内の空気は甘く、濃く、どこか鉄の匂いがした。
ぱちん、と扇子が鳴る。
「いらっしゃぁい♡ 私のテーブルへようこそ」
闇の奥から、筋骨隆々の巨体が現れた。
金糸のフリルに宝石じゃらじゃら、紅を引いた唇が艶めかしく笑う。
支配人――ジルベール・デモーニオ。
「……」
リリアは一歩見ただけで、顔を真っ青にした。
「ち、違う……こんなの聞いてない……!
美女だと思ったのに……! むりむりむりむりぃぃぃ!」
――バタン。軍神、即気絶。
「姉御ぉぉぉ!? 指揮がないと僕、動けない! 監督! 念話! 助けてぇ!」
ラッツがわめく。
ガルドは剣を抜き、前に一歩。
ジルベールの影が広がり、カードとコインが刃を帯びて宙を舞った――。
「下がれ!」
ガルドが前へ出た。剣を抜き、迫る硬貨を弾く。
金属音が弾け、火花が咲く。だが次の瞬間、支配人の姿が消えた。
「こっちよ♡」
背後。
ガルドが振り向くより速く、黒い影が肩口を掠める。
熱い血が飛んだ。
(速い……“瞬歩”か。影移動……! 位置を取られる)
ガルドは一歩退き、呼吸を整える。
「――ヴァレリアン流剣術・一の型《断罪の白刃》!」
白い弧が走る。
しかし、空を斬る。ジルベールは笑いながら、また影に沈んだ。
「やぁねぇ、一発芸は苦手なの。もっと粘っこくいきましょう?」
床から、壁から、天井から、影が伸びる。
コインが炸裂し、カードが絡み、黒服たちの靴音が円卓を囲む。
「ガ、ガルド! 雑魚の群れ、来てる!」
ラッツが震える手で煙玉を取り出すが、指揮がない。足がすくむ。
(――ダメだ。一の型じゃ追いつかない。俺は“そこから先”を教わっていない。
それでも、俺は――)
ガルドの脳裏に、暗い夜がよみがえる。
一の型だけを何百、何千、何万と繰り返した、孤独な庭。
同じ光、同じ角度、同じ呼吸。
いつしか刃の残光が、もう一本の軌跡を描くように見えた夜があった。
(なら、二を俺が作る)
ガルドが前に半歩。
踵、土踏まず、つま先――三分の一歩を刻む。
肩、肘、手首――半拍遅らせる。
刃が“動きの尾”を残し、残像が実体に追いつく。
「ヴァレリアン流剣術・二の型《残光連断》!」
ひと振りの中に、二度斬る。
遅れて追う残光が、影の縁を噛む。
ジルベールが影から躍り出た瞬間、胸元のフリルがはらりと舞い――
「……ッ♡」
紅い線が走った。
支配人の胸元に、深い斬痕。
黒服たちのざわめきが止まる。
ジルベールが一歩退き、指で血を拭った。
そして――艶めかしく笑う。
「いやぁん……痛いじゃない。でも、ゾクゾクしちゃう♡」
影が爆ぜた。
足元のコインが爆雷のように弾け、ガルドの脇腹を焼く。
肺が潰れ、視界が白く弾けた。
「が……っ」
膝が落ちる。剣が床に転がった。
血の味。遠くで、ラッツの叫びが聞こえる。
「ガルドおおお! いやだ死ぬ! 死にたくない!」
震える手で、ラッツは煙幕を床に叩きつけた。
白い煙が一気に広がる。
同時に、床へ粘着糸の罠――盗人の指先が、震えながら正確に動いた。
「……あら、視界が……」
ジルベールの踵が粘る。わずかに体勢が崩れた。
「い、今だ……今しかない……!」
ラッツは半失神のリリアを肩に担ぎ、もう片方の腕で血まみれのガルドを引きずる。
「動け俺ぇぇ! **盗人**だって、やる時はやれるんだぁぁぁ!」
黒服が煙の中で咳き込み、扇子が空を切る。
ジルベールの吐息が耳元に落ちる。
「逃げ足も可愛いじゃない……でもね――」
ラッツは非常口の札を盗み、サービス通路へ飛び込んだ。
廊下、階段、裏口。
足は棒、肺は焼け、視界が揺れる。
「ひ、ひい……姉御ぉ……勇者さまぁ……死なないで……!」
裏門を蹴破り、夜風が胸を刺す。
石畳の路地裏に、三人の身体が崩れ落ちた。
「ちょ、ちょっと! 君たち大丈夫!?」
油灯の光が揺れ、見覚えのある少女が駆け寄ってくる。
両手には――廃棄ポーションの箱。
「わぁぁ、血! 血の味だぁ!」
モルティナが瞳を輝かせ、栓を抜いた。
「お父さーん! ポーション! 期限切れ、いっぱい持ってきてー!」
「モルティナ、やめなさい! まずは止血! まともなやつを!」
慌てふためく頑固そうな父親。
だがモルティナは、にこにこしながらリリアの口元に瓶を傾け――
「うぷっ……にが……っ」
半意識のリリアが条件反射で飲む。
「うえぇ……でも効く……ぬわぁ……」
「……っ、助かる……」
ガルドの胸がわずかに上下する。
ラッツは力尽き、泡を吹いた。
少女は笑った。
「ふふっ、だいじょうぶ。私、ポーション大好き! いっぱい飲ませるから!」
父が頭を抱える。
「嗜好は後にしなさい! 運ぶぞ、工房へ!」
夜の路地裏で、三人は救い上げられた。
遠く、グランド・カジノの塔の上で、赤い火が小さく瞬く。
VIPルーム。
白煙が薄れ、支配人が胸元の血を指でなぞる。
「いや〜ん、やるじゃない。あの勇者くん、とっても素敵」
舌先で血を味わい、扇子をぱたりと閉じる。
「逃げ足も、影の子も、ぜぇんぶ可愛い。
――次はもっとうんと楽しく遊びましょ?」
ジルベール・デモーニオの笑い声が、甘く、冷たく、夜の底に溶けていった。




