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第二十一話 それだけ、だったはず

王城の一角、夜の回廊に面した一室。

燭台の火が静かに揺れ、アメリア王女が窓辺で月を見ていた。


ノックが一度だけ。


「入って」


姿を見せたのは、黒燕尾の男――クラウス。


「お呼びでしょうか、王女殿下」


「ええ。……座って。砕けた言葉で構わないわ。

 殿下なんて呼ばれると、くすぐったくて落ち着かないから。

 ここに他の耳はないわ」


クラウスは小さく頷き、背筋を伸ばして対座する。


アメリアが続ける。


「まず、式について。

 結婚式は、一週間後に決定されました。

 国王の印も、今日押されました」


「……そうですか」


銀の仮面の縁が、一拍だけ曇った。


「王都の上層部も、すでに祝賀の準備を始めてますわ。

 この婚姻に疑念を持つ者は、残念ながらごく少数。……貴方とわたくしを除けばね」


クラウスは無言で頷いた。


「報告、お願いできる?」


「はい。……今日、リシェルお嬢様を伴って王都を散策中、広場にて暴漢数名の襲撃を受けました」


「襲撃? リシェル嬢が?」


「はい。意図的に選ばれた動き。

 男たちの目は濁り、意思が希薄で、“操られている”可能性が高いと見ています」


アメリアの表情が強張る。


「間違いないわね? その術式……“精神干渉”の可能性」


「はい。……抵抗の弱い者が最初に操られたと考えれば、納得がいきます。

 今後は、貴族層や王宮の中にも注意が必要でしょう」


「では、奴らの仕業と考えてよろしくて?」


「恐らくは。先日、光を投げても、瞳が僅かも怯まななかったことも確認しました。

 想定されるその気配はひとつ、あるいはふたつ」


「……では」


アメリアは、ひとつ深く息を吸った。


「式に注意を引き付けているうちに、“あれ”を、準備しておきましょう」


一度使えば後戻りできない――それでも必要な時が来る。

アメリアの声には、微かにそんな色が滲んでいた。


「……かしこまりました。封印を解除し、”あれ”の準備を開始いたします」


クラウスは一礼したまま、短く息を整える。

その仕草はいつも通り静かだが、ほんの刹那――燭火に照らされた銀の面の奥に、

言葉にならない影が揺れた。


二人はそれ以上、”あれ”について口にしなかった。


そして、ひとつ沈黙が流れる。


その静けさの中で――アメリアが、ふと視線を逸らさずに尋ねた。


「ねえ、クラウス。……貴方にとって、リシェル嬢とはどういう存在?」


「…………」


クラウスの目が一瞬だけ動いた。

答えを迷ったのではない。言葉にすべきかどうかを量っていた。


「……任務の対象。守るべき鍵。……それが私の立場です」


「それだけ?」


「……だったはずです」


仮面の留め具が微かに鳴る。


クラウスの喉が、かすかに動いた。

……けれど、言葉にはならなかった。


アメリアの唇が、僅かに笑みを形づくった。


「ふうん。貴方がそんなふうに言い淀むのは、初めて見たわ」


クラウスは答えなかった。


けれど、黙ったままなのに、その沈黙がすでに“答え”になっていた。


「……私、好きよ。そういう貴方」


「……恐縮です。あなたも、私にとって――大切な方ですから」


アメリアは、それでも笑った。

ただ、ほんの少しだけ、その笑みは寂しげで――。


「それでいいのよ。……彼女の傍には、貴方がいるべきだもの」


月の光が、窓辺に浮かぶ王女の横顔を照らす。

その瞳は、月面の薄影まで数えるように――遠くを見ていた。

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