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第一話 プロローグ――開幕

「――今度こそ、婚約破棄なんて言わないでくださいな」


わたくしの軽口に、彼は柔らかく微笑み返した。

さきほど誓いのキスを交わしたばかりの彼と腕を組み、照れながら前を向く。


……こんな幸せが、ずっと続きますように――。


そう願った瞬間、胸の奥に、ひやりとしたものが走り、思わず彼と視線を交わす。

視線をそらし、絡めた腕に力がこもる。本当に、こういうことだけは不器用な人。

でも、だからこそ信じられる――そう思うとおかしくて、そのひやりはほどけて溶けていった。


そろって大聖堂の扉をくぐり、外へ一歩踏み出した瞬間、花びらのような光が舞い降り――

王都じゅうの鐘楼が一斉に鳴り渡り、続いて祝砲が澄んだ青空に大輪の花を咲かせた。


――思えば、一年前のあの最悪の結婚式が、すべての始まりでした。


けれど、あの頃のわたくし――リシェル・クレイモアは、

その先に、あれほどの運命が待ち受けていようとは、知る由もなかったのです。



――一年前。


王都にそびえる、千年の歴史を抱く大聖堂。


天を突く尖塔と、時を見下ろしてきた石の柱が荘厳な静寂を守り、

色とりどりのステンドグラスには、神話の一場面――天使と聖獣が描かれている。

その光は祭壇に並ぶ、聖獣を象った金の燭台を虹色に染め、風ひとつない堂内で揺らめく炎だけがわずかに動いていた。


――その中央。


純白のドレスに身を包んだ花嫁、

公女リシェル・クレイモアは、ただ静かに微笑んでいた。


美しい――けれど、どこか儚げで、醒めた笑み。

まるで、この場でただ一人、別の時を生きているかのように。


今日、この大聖堂で交わされるのは、

王国第二王子・セドリック・フォン・アウグストとの婚礼。


政略で整えられた、王国の未来を担う一大儀式。

すべてが完璧に、静謐に――進められていた。


……少なくとも、扉が開かれるまでは。


「王子殿下、ご到着ッ!」


扉が開き、昼下がりの陽光が差し込む。

一斉に振り返る視線の先――白の礼服に身を包んだ王子、セドリックの姿。


だが、その隣にいたのは――見知らぬ女だった。


祝福の空気が、一瞬で凍りつく。

その沈黙を、セドリックの声が切り裂いた。


「俺は――愛を選ぶ!

 リシェル、お前との婚約は……今日この場で破棄だ!」


ざわっ……!


楽団の音が止み、王の椅子が軋む音が堂内に響く。


「セ、セドリック……なにを……!」


腰を浮かせたアウグスト王がうめき、

隣に控えるアメリア王女は、溜息まじりに扇を口元へと持ち上げる。


「……やはり、こうなると思っていましたわ」


騒然とする堂内。

その中で、ただ一人――笑みを崩さなかった者がいた。


花嫁、リシェル・クレイモア。


「まあ……ずいぶん安っぽい即興劇ですこと。

 ふふ、まるで三文芝居の幕開けですわね」


その声音は冷ややか。けれどどこか遠い。

ほんの少しだけ、胸の奥で何かが軋んだような――そんな余韻が、わずかに滲む。


ふわりとドレスの裾を払うと、誰もいないはずの隣にやわらかく声をかける。


「クラウス。これは……どう“処理”すればよくて?」


――瞬間、空気が変わった。


温度が数度下がったような錯覚。

かすかな金属の匂いが漂い、空間そのものが軋む気配――

闇の帳のように、男が現れた。


黒の燕尾服に銀の仮面。

背筋を伸ばし、沈黙のまま一礼するその姿。

それが、リシェルの傍らに現れた影――クラウスだった。


動作は隙なく、美しく。

だが仮面の奥に宿る瞳は、研ぎ澄まされた氷のように冷ややかで。


王子の隣の女をまっすぐに見据え――

まるで“獲物”と定めた獣のように、その場に立った。


静寂が音を呑み込んでいく中、クラウスが低く告げる。


「祝賀パレードは、すでに中止いたしました。

 ……祝砲は、芝居の“終幕”でと相場が決まっております。お嬢様」

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