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第8話

おだやかな春の海で、『ひねもす』が、のたりくたりしている様子かなあ。ひねもすって、どんな魚だ?」

「お前、授業中寝てただろう」

 お盆も過ぎた八月二十日、真咲は丞玖の家で夏休みの宿題を手伝っていた。

「なあ樋口、課題図書どうした?」

 丞玖が聞く。

「もう感想文書いたけど」

「マジか~」

 角刈りの頭が天を仰いだ。丞玖は母親から、夏休みの宿題を終えないと田舎へは行かせないと言われたらしい。当たり前だ。旅行は八月二十九日から三十一日までだ。夏休みの課題は先に済ませておかないと、戻ってからやる暇などない。

「同じ本にしようかな。何読んだ?」

塩狩峠しおかりとうげ

 真咲が答えると、丞玖は鉛筆で頭を掻いた。

「俺、死にモノ苦手なんだよな」

 死にモノで括るなよ、と言いたかったが、まあ似たようなものかも知れない。

「トロッコ問題も分かんないし」

「先週のやつな」

 テキストを逸れての雑談だった。真咲たちの中学校の授業は二年生までに中学課程の内容をほぼ終えてしまうため、三年生では高校で習う内容に入る。多少ゆとりが出来る分、教師が余計な蘊蓄うんちくを語ることも多くなる訳だ。

 今日の話は、正確にはトロッコ問題ではなく歩道橋問題である。ブレーキが効かなくなったトロッコが五人をひき殺すのを防ぐ為に、線路の上にある歩道橋から一人の人間を突き落とすことは是か非かという問いだ。二者択一の思考実験である。

 多数を助けるために一人を犠牲にすることは、平和な時代に置いては倫理的には許されない。けれど対象となるのが人の命ではない場合、一人と五人ではなく。一人と全体であった場合、意外に安易に第一の選択がなされるのではないか。もしくは、人の命であったとしても戦時中であれば──そんな話だった。

 そして、その設問には『自分が飛び降りるという選択肢せんたくしは無しとする』という但し書きが付いていた。この小説を考慮してのものだろうか。確かに心優しい生徒の中には、それを選ぶ者も出るかも知れない。絵空事の中の、ゲームの選択肢として。

「やっぱ俺だったら何もしないだろうなあ」

 丞玖が言う。当然だろう。人は皆そうやって生きている。何もしないという事による未必みひつ故意こいは罪悪感を生まない。

「塩狩峠って、そういう話だよな」

「違うよ」

 何だかバカバカしくなって、真咲は鉛筆を放り出した。

「宿題、はかどってる?」

 いきなり扉が開いて、おやつを乗せた盆をもった丞玖の母が顔を出した。

「ノックしろよ」

 言いながらも盆の上のケーキに目をやった丞玖の口元が綻ぶ。

「やった、モンブランだ」

 苦笑しながら紅茶とケーキを置き、丞玖の母は部屋を出て行った。

「休憩しようぜ」

 さっさとテーブルの上を片付けた丞玖がポットから紅茶を注ぐ。いい香りがふわりと立ち昇った。

「食ったら頑張って宿題やっつけないとな。せっかく未優先生を誘ったんだから」

 驚いたことに、未優は二つ返事でOKしてくれた。丞玖の祖父母の家が旅館だと聞くと、たまたま旅行先で一緒になった事にしようと言う。やはり生徒と旅行というのはまずいようだが、祭りには興味を持ったらしい。「宿泊料、安くしてね」と耳打ちされ、丞玖もまた、二つ返事で了解したのだった。

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