第4話
『麻美さん』。言葉を話せるようになった時から、真咲は麻美をそう呼んでいた。幼い頃はまだ口がよく回らず『あたみたん』になっていたと思うが、とにかく『お母さん』ではなく、名前で。その理由を知ったのは小学生になってからだ。
「真咲くんは、だんだん雪絵さんに似て来るわね」
お正月に父の実家に行った時だっただろうか。何気ない祖母の言葉に、場が凍り付いたように静まった。口を滑らせたと気付いた祖母が慌てて話を逸らす。何も起きなかったかのように別の話題で大人たちは盛り上がり、祖母の言葉は無かった事にされた。
家に戻ってから、父が真咲を呼んだ。硬い表情に、叱られるのではないかと怯えながら正座した真咲に、父は優しい声で話してくれた。真咲の本当の母親は、真咲を産んですぐに死んでしまったこと。母の友人であった麻美が、幼い真咲の面倒を見てくれていたこと。そんな関係が、今もなお続いていること。
「いつかは話そうと思っていた」
言いながら父は、悲しそうな顔で真咲の頭を撫でた。
実の母、そう言われてもピンと来なかった。美しい人、真咲が心を奪われた女性は、もうこの世にはいないのだ。それだけは理解できた。
今になって思う。麻美はそれで良かったのだろうか。若い時期を、友人の子供を育てることに費やし、そのまま父の後妻となって、それで幸せだったのだろうか。
いつの頃からか、父は出張が増えた。海外に行くようになってからは、ほとんど顔を合わせていない。父は、いつも遠い存在に思えた。真咲は麻美と二人で暮らしているようなものだ。麻美は父が好きだったのだろうか。二人は、ちゃんと愛し合って結婚したのだろうか。
考え始めると、思考が堂々巡りを始める。真咲は、再びベッドに寝転がり、「あ──」と意味のない声を出した。